なぜ、人間は毛皮がないのだろう?
成人の日のネット民「成人式行かなくてもいいって言ったらチー牛扱いされて叩かれるし、同窓会でお持ち帰りする陽キャ褒めて成人式出席しないチー牛叩かなきゃ!(使命感)」
バレンタインのネット民「バレンタインどうでもいいって言ったらチー牛扱いされて叩かれるし、貰えた陽キャ褒めて貰えなかったチー牛叩かなきゃ!(使命感)」
クリスマスのネット民「クリスマスでもセックスしてないって言ったらチー牛扱いされて叩かれるし、セックスした陽キャ褒めてセックスしなかったチー牛叩かなきゃ!(使命感)」
なぜ包茎なのか?
優れているからに決まっている。
そもそもチンコは勃起したあとに大きければいいのであって、勃起する前は小さい方がなにかと便利なものだ。
何より防御力も高い。
包茎とはいうなれば大自然の絆創膏のようなものであり、チンコが常に守らている上に回復も早めている。
乾く暇もないほど日々チンコを酷使している人間ほど、包茎であることの有り難みがあるだろう。
包茎を馬鹿にしているのは結局は包茎のままでオナニーをするだけの人生を送ってきた究極の童貞だけだ。
うおお!読んだ!ありがとう!
これ小説にしたら売れるかな…。少しでも稼ぎたいわ…、
哲哉・栄子・今日子
祖父母もまだまだ現役世代っていうのが昔の専業主婦家庭モデルとは大きく違うところだと思う。
旦那がしっかり稼いできて嫁は専業主婦で子育てをするとしても、ワンオペ育児はつらいものだ。
金銭的に養うことができても、育児が大変ということに変わりはなく、じゃあ二人目三人目は産まないでおこうとなるのではないか。
それなら共働きで育児の大変な部分をシェア(夫婦同士で、もしくは外部へ)するのが合理的ではないか?と思う。
人権無視で男性のみの所得を上げて女性は子供を産む機械に徹するのが「少子化対策」には一番良いという話、昔がそうで、今は女性の地位が向上したために少子化が進んだんだ、というのもあるのかもしれない。
でも現代核家族社会で一人で子育てするのはとてもしんどいものだ。
昔のように子供を放置できず、外に出れば周りから「迷惑」だという目で見られ、育児についてあらゆる人からジャッジされる。
そもそも懲役太郎という単語を自分の名前に使うことが文化の盗用だろ。
いまや「懲役太郎 -vtuber -バーチャルyoutuber」でググっても懲役太郎が出てくるだけで懲役太郎については全然出てこない。
意味を知っている人間がそれっぽい単語を組み合わせればたしかにたどり着ける……つまり懲役太郎は俺の個人的な幻覚ではなく少なくとも集団幻覚では合ったはずなのだ。
懲役太郎を知らない人間からすればもはや懲役太郎は永久に懲役太郎である。
このような文化的な染め直しによって元々の文化をセメント貼りの下にでも埋めてしまうことを文化の盗用と呼ぶのだろう?
懲役太郎であるのならばとっくに刑務所に戻っているはずだが懲役太郎はもうずっと活動している。
インディアンの被り物をした生粋のアメリカ人が捏造したインディアン土産を自分たちが作った伝統工芸だと言って売り歩くようなものだ。
こんなインチキがあっていいのか?
そうだとしたら強メンタルすぎるな。