今ハマっているものは一個5000円ぐらいする物でもう既に3個も買ってしまった。
安いじゃないかと思う人もいるかと思うがそんな事を何回も何回も繰り返しているから、財布に優しくはない。
いつかは絶対に飽きると知っているのに、今の自分が好きだから集めているという肯定感、お金は使うためにあるのだという言い訳、そして本当は承認欲求も満たしたいからだろ?という心の声の狭間で今日もつい購入ボタンを押してしまうのだ。
ネタを擦るってなんぞ
どんだけ近寄って観てんだよ
レーニン死後のスターリンとトロツキーの抗争、隠居状態だった毛沢東の大逆転=文化大革命、カストロによるゲバラの追放・・・
日本でも代々木に対する幻滅から新左翼が生まれ、それが更に四分五裂して内ゲバ激化した
歴史は繰り返す
すごい遠くから流行り物を観測してるような記事が伸びるんだけど
伸びるのはいいとしてすごくしつこい
小学校1年だか2年だかにミュウツーの逆襲を劇場で見て泣いた子どもが大人になったのが私なんですけど…。
泣ける泣けるとありがたがるのは確かに大人が多いけど、子どもにって泣ける作品に引き込まれるものは(言葉にしないだけで)あります。
まぁ、泣ければいいと思ったセンスのないおっさんと、大衆が生み出したモノが麻枝准であり、新海誠であり、一部の京アニ作品なんだけどもね…。
この3者それぞれに良さがないわけじゃないけど、話に文句言っちゃいけない、泣けたら正義って風潮は未だに好きになれない
ああ…色んな人と話して気づいたのは
「泣ける作品像」
作品で泣くのはシーンの破壊力と言うよりも、むしろ登場人物誰かしらへの共感や尊敬…そうなることしかなかったことへの無常観みたいなもので泣いてるから
「この話/こいつおかしくね?」
だと泣けんのよ…
もうちょっと根っこの部分について言うなら、普通の人は創作されたキャラを「こういうキャラ」と思ってみてるけど、発達障害の人って尖ってたり盲目的に打ち込んでる生態が普通すぎて「わかるー」って思ってみてる。
ましてや泣けんのよ
みたいな感想を述べてる人を見た時に
「え?アレって舞台装置だったの?ホームズの元ネタみたいに、発達障害的・自閉症寄りな人をモデルにしてできたキャラじゃないの!?」
みたいになったわけ。
3Dテレビを一生懸命開発していた開発者たちが、4Kテレビの映像を見て、描画が美しくなめらかになることでの立体感(奥行きだったり、人がそこにいる感)に「これでよかったのか...」と思ったとか思わなかったとか。
最近、家のテレビをでっかく60インチにしてみたのだが、人がそこにいる感がやばい。もちろん画角というか、画面の中での人物の大きさによるのだけど、割と等倍のサイズ感で映るときが多く、不思議な感覚になっている。
これは画面が小さすぎても大きすぎても得られない感覚だと思っていて、別の部屋に設置しているプロジェクタで投影した80インチ超の映像ではあまり「人がそこにいる感」を感じることはない。
ただし、80インチ超の方は、AVを視聴した際に、画面いっぱいに正常位やらM字開脚やらが映るとめちゃめちゃ等倍になるのでやばい。