「仕事は手段でしかない」と言ってる一方で「世の中を変えられると思って仕事をしている」って言ってる人がいるんだけど、世の中を変えられるような人は仕事を手段として捉えてるもんなの?
そんな簡単に世の中変えられるの?
http://news.nicovideo.jp/watch/nw2256043
これによれば大学の小学校化が進んでおり、本来であれば身についているはずの教養が振り出しで行われているという事であった
このような背景には、大学へ進学することが筆記試験だけではない形が採用されたことも一つの要因であろう
自分が今行っている大学だと英語の必修科目はあったが、使うのは比較級や否定など試験勉強の参考書に載っていることばかりで専門的なことはやらなかった
それ以外だと自分の将来を見つけるための自己分析を行うことを2年間使っていくという講義も存在した
そして専攻して入った学科では、教員の話を聞いても他の授業で聞いたような類似した内容しかやっていなかった
そういった授業で目立つと言えば「私語」といったことであった
90程の定員が入る教室の後ろで聞こえるほど大きな声で馬鹿騒ぎすることは当たり前である
そうやっていると教員が私語をしないよう注意するのだが、いちいち話している学生の所まで行って質問の回答をさせたりとこれが15回のうちに何回も続くわけだ
「一生懸命勉強している人がいるのだから静かにしろ!!」と言っても(そもそもそれに値するのが疑問な)学生には上の空である
仕舞いには講義を終えたら撤収すればいいものの教室内で残って騒ぐ奴もいる
自分が前に仮説で考えていた「使えそうな奴に全て任せて自分たちの利益にしようとする考えが多くなってる」ということをふと思い出してみた
それを当てはめると、ノートを取ることを諦めて他人から情報をもらって単位を得ることは可能である
仮に「他人が書いたノートを持ち込むな」と言われても、それを自分なりの解釈で同じ内容かつ別のレイアウトにしてしまえば自分のモノにできてしまう
近年ニュースとして扱われるネットの引用問題も、本の中身をまるで自分の意見のように一部を変更して行うこともあり得る
そうですか、、、、良かったですね
スーパに勤務とか考えらんないけどね
はあ、、、、
いや、この脳天気さは素だと見た
そもそも「ネットでの炎上騒ぎに学ばないのか」て、ネットの炎上騒ぎなんていちいち目を通して分析してる俺らみたいの、全体的にマイノリティーだからな?
あ、そうですか、、、
最近「ダークソウル3」と「アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝」を購入し、現在も休日はローテーションで遊んでいる。
ちなみに、どちらのシリーズも過去作は全て発売日に購入、それなりに遊び尽くしており、「ダークソウル」と関連の深い「デモンズソウル」や「ブラッドボーン」も同様だ。
俺の知人はそれが理解出来ないらしい。「Youtubeでプレイ動画を見てみたが、どれもゲームシステムは殆ど同じじゃないか。同じようなものを何作も買う必要ないんじゃないか」と彼は言う。
俺は「スターウォーズを『いつも誰かがライトセーバーを振り回して戦闘機が飛び交ってるだけじゃないか』と言う人はいないだろう」と反論したが、彼は納得していなかった。
正直なところ、この2作に関しては過去作品よりも遥かに買う動機が強かった。どちらも「シリーズの締めくくり的位置づけ」と宣伝されていたからだ。
特に「ダークソウル3」は、その独特な世界観にどのような決着がもたらされるのか、俺は発売前から気になって仕方がなかった。
「アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝」も、毎度のように大冒険を繰り広げる主人公が、トレジャーハンターという肩書きをどのような形で終わらせる(卒業する)のか、知りたかった。
そしてどちらもプレイし、俺はめでたくそれを見届ける事が出来た。
前述の知人のように、俺より若い人(二十代前半あたり)にはこの感情が理解出来ない人がいるらしい。