はてなキーワード: ヤマカンとは
http://anond.hatelabo.jp/20110810152313
トラバ有難う。
1つは彼は純粋にそれが読者のためだと思ってやってる。
なんというか、やねうらおさんも書いてたけど、彼の言動に嘘とかごまかしとかはあんまりない気がする。
ただ、彼の中で納得できない部分があるんだろうな。
いちいち「僕はこういうのやりたくないけど読者のためにサービスとしてやることにしました」って書く人は普通いないので
読者は色々邪推しちゃうけど、この人はこの人なりに読者のこと考えてやってるんだと思いたい。
こっちとしてはその彼のサービスに全然満足できないのが残念だけれどw
「フラクタル」のコミカライズの人みたいに、コミカライズ担当の椿あすさんの寿命がストレスでマッハにならないことを祈る。
フラクタルって書いて思い出したけど、この人ヤマカンの人に似てるきがする。
ぼくの「本の読み方」は、どうやらちょっと特殊らしいということが分かった。それは、どうやらぼくの強みらしいのだ。
ということだと私は思う。ヤマカンの人は、○○○○○○○の分析とかはすごい鋭いと思う。
もっとも、もしドラの作者の読み方は小説家を志す人なら当然に持っているべきもので珍しくない。「ピギー・スニードを救う話」とか読めばわかる。
またこの読み方が「唯一正しい」読み方ではない。
この人はとにかく周りが見えず、自分自分自分の考え方が唯一正しいのだと信じるところが最強の強みなのだろう。
そこでもしドラの人はそこでこう考える。
それでいうと、『もしドラ』を出してからというもの、世の中には小説の読み方が誤っている人、知らない人が多いということにも気づかされた。特にネットの世界では、誤った批評というものが数多く見受けられた。そうして彼らは、その誤った読み方ゆえに、肝心の面白さを見逃してしまっているのだ。
それが、ぼくにはとても「もったいないことだ」と思われたのである。小説も、正しく読めば、今よりずっと面白さを味わえたはずなのに、それをみすみす見逃してしまったのでは、お金も時間も損である。
そこで、そんな人が少しでも減るように「小説の正しい読み方をレクチャーすること」は、ぼくの一つの使命なのではないか――と考えるようになったのである。そうして、「小説を少しでも面白がれる人が増えれば、それは一つの社会貢献になる」とも考えるようになった。
文章力がないことに自覚がないのはともかくとして、とりあえず自分の強みに基づいて行動していると思う。結果論なところもあるけれど。
一方のヤマカンの人は、自分の強みと違うところで頑張ってるようなきがする。
この人はtwitterみてもわかるように「言葉による」表現力はすごいと思う。
というかとにかく目立つということをよく知ってる人だと思う。
本質的なことを端的にまとめるの上手。人を敵味方に切り分けて争いを創りだすのも上手。稀有な才能を感じる。
でも、そういうところってアニメに全く活かされてないと感じる。
「フラクタル」において印象に残った言葉があっただろうか。全然ない。ぼんやりとしてる。
あえてわざと結論出さない、曖昧な表現を使う、割り切れないものを描く。
これって彼の強みと正反対の部分じゃないだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20110808
上の記事だけだといまいちやねうらおさんが何にいらっとしたのかわかりにくいと思うので全文引用しました。
悪文の見本みたいな文章で、写してて辛かった・・・。
この文章、悪文なのもあったけどそれ以上の何かがある。
自分の思考経路をいちいちドキュメンタリー風に語る=確定した事実であるかのように扱うってのは常人ではなかなか難しいことを考えると
やはりもしドラ作者は「本物」だと思う。何の、かは知らん。
この作品をコミカライズするにあたって、ぼくが考え、また担当編集者の++さんからもお願いされたのは、
「小説版と同じものにはしたくない。何か付加価値を付けたい」ということだった。
なぜなら、マンガ界ではこれまで、けっして少なくない数のヒット小説がコミカライズされてきたにもかかわらず、
そのほとんどが、なかなかパッとした結果を残せなかった、ということがあったからだ。
それらのケースにおいては、多くの場合が小説の単なる焼き直しに終わってしまっていて、
読者、とりわけ元の小説を読んだ人を満足させることには、なかなか至っていなかった。
やべー超格好いい。プロジェクトXの人の声で朗読したらアホな視聴者騙せそうな導入ですね。
「僕以外の人はみな能なしすぎてそんなこと考えたことねーだろバーカバーカ。マネジメント読んでる僕勝ち組」とでも言いたそうな感じ。そこにシビれr
そこで今度は、「ではどういう形で付加価値を与えていくか」ということがテーマとなったのだが、
あのスカスカ感は紙幅の関係だったのか、いや早まるな続きが書いてるぞ。
僕はもともと、これは「もしドラ」だけではないのだが、小説を書く際にはその設定であるとかキャラクターであるとかを、
かなり細かく、また深くまで練りこんでいく。
しかしながら、いざテキストとして表現する段になると、それらのものを必ずしもすべて表そうとはしない。
表すのは氷山の一角、ほんの一部だけで、それ以外はあえて捨てたり、あるいは隠したままにしておくのだ。
それは、そうすることによって物語世界により一層厚みや奥行きを与えられるということもあったし、
あるいは読者に想像する余地を残し、楽しみを提供していくという考えからでもあった。
端的に言うと、そういうふうにすると作品が面白くなるというのを知っていたのだ。
参考記事 つ http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080703/1215052052
例えば、主人公の川島みなみがドラッカーの「マネジメント」と出会う、この作品においては最も重要ともいえるシーンがあるのだが、
そこで両者の出会いのきっかけを作る書店員について、ぼくはその人物設定から背景、薦める理由までこと細かに考えていたにも関わらず、
それは、もちろん紙幅の関係もあるのだが、それ以上に、そうした方が小説として面白くなるということがわかっていたからなのである。
その通り、大胆に説明を省いたこのシークエンスは、「もしドラ」を象徴する何とも味わい深いシーンとなったのだけれど、
ところがこの小説の発表後、そこで予想外のことが起こった。
なんと、そのシーンを、面白い面白くない以前に、上手に理解出来ない人が、少数ではあるが現れたのである。
そのシーンを、何度読んでも「書店員がなぜその本を薦めたのか」を想像できない人が、すくなくはあるが一定数いるという事実が、
これに、ぼくは驚かされた。
彼らがそれを理解できなかったり、想像できなかったりする理由は、単に彼らの本の読み方の浅さ、拙さに起因するものなのだが、そういう人が少数ながらもいるということを、ボクは初めて知ったのである。
この人2回繰り返して言うの好きだなー。いや、3回か。
まぁコラムならいいんだけど「エースの系譜」である表現をページ内で5回繰り返してたことがあり、さすがにうんざりするので誰か注意してあげてください。
そうしてぼくは、これをゆゆしき問題であると受け取った。
本を読むのが下手というのは、何よりその人達にとって不利益である。非常にもったいない。あとちょっと上手くなれば、あるいは想像を働かす骨を覚えれば、彼らももっと面白くこのシーンを読むことができたはずなのに。それができないというのは、端的に言って可哀想である。
かかる状況は、作者としては何とかしなければならないのではないか。そうした問題が眼前に横たわっているならば、それを解決することこそがぼくの使命ではないか、そんなふうに考えるようになったのだ。
参考記事 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110708/1310088660 とか http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080709/1215571196
そこでぼくは、小説では表現しなかった人物や設定、背景やプロっトというものを、コミカライズにあたって改めて表現することを決めたのだった。
そうして、小説を読むのが下手な少数の読者に対しては、その正しい読み方やおもしろがり方を伝授していく。
また、それ以外の上手な読み方のできる大多数の読者に対しては、いわばメイクングフィルムをお見せするような意味合いで、舞台裏を開陳していく。
参考記事 つ http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081130/1228031673
どうでもいいけど、「メイキングフィルムをお見せするような」と前の文で書いておいて、
「いうならばメイキングシーンをお見せするような効果が生まれる」ってどんだけ親切なんですか。
そうしてその手始めとして、まずは冒頭で、前述したみなみに「マネジメント」を紹介するという、この作品では最も重要な役割を果たす、
書店員であり、大学生の奥沢モモが登場することになったのである。このコミックでは、彼女をはじめ、ボクが小説を書く上で設定したほとんどの人物、設定、背景、プロットが順次明らかにされていく予定である。
ちなみにマンガを読んだ感想ですが、冒頭のもっとの重要なシーンの説明はやっぱりダメだと思いました。
「よくわからない」から「ダメ」になりました。大事なことなので二回言いました。
8/13 ヤマカンの人の部分を削除。
盗作や剽窃が常態化したらまともな作品が生まれなくなるんだよ。パクリ天国の某国でまともな独自娯楽コンテンツが育ってないのがそれを物語ってるだろ。
それが分かってるから業界はちょっと厳しい位に自浄作用を働かせようとするわけ。
なんで不特定多数に謝罪が必要なんだろう。
現実的には、早めに大げさに謝罪する事でオリジナルの権利者の怒りを買わないようにするため。
そもそもあれは別に野次馬には謝ってるわけじゃない。読解力の無いアホ共は「俺に謝ってる!」と喜色満面で小躍りしてるようだが。
ヤマカンの件は知らん。
何もわかってない。
提供する側が、自身の提供する内容に見合った客層をきちんと見極めなければならない。
一見さんお断りの店はなぜ存在するのか、一流レストランや拘りの料理屋が客を選ぶのはなぜか。
店側がする当たり前の努力をせずに、それを客の所為にするなど「論外」。
特殊な人間にしか味わえないものは、特殊な人間にだけ振舞うべき。
それはそれとして。
ヤマカンの発言からして、「わかりにくいものを作っていた」とは思えないんだが?
むしろ、一般受けを狙ってるくらいに思えた発言だよね。
その一行は秀逸ですね。ただし、「一流の~」と「貴様ら愚民に~」の2箇所誤りがあります。
一つ、私はアニメを作れないのでどんなアニメであろうがスタッフを尊敬している。
故に一流のスタッフだから評価しているのではありません。私はヤマカンのファンでもなんでもないのですから。
二つ、私の解釈を先に書くと純粋な他者の解釈の妨げになると考えたので最初のエントリでは書きませんでしたが、
幸いここはAmazonではないので、しばらく待っても私以外の解釈が書き込まれないようであれば
ネタバレの注意書きを書き添えてあえてこの場に私の解釈を書き込もうと思います。
特にアニメ部分に関してはほとんど同じ水準にある萌えオタニュース速報とどうしてこんなに差が空いてるか、は興味深い。
結論を先に書くと、私が思ったのはやらおんって階級意識が明確だよねってこと。そして、一番人数が多い層の人間が一番優越感を感じられる仕組みになってること。
そして、その仕組みの結果としてやらおんでは祭りが発生する。萌えおたニュース速報では発生しない。この差は大きい。
発端は、批評家たちに対しての反発だろう。
こいつらアニメにとって何もプラスの貢献をしなかったよね、むしろ存在自体がマイナスだよねってくらいの嫌悪感を感じる。
同時に、技術とか能力ないけどアニメについて語りたいって層を大歓迎してるというのも感じる。
えらいのは、作ってる人と声優さん。それから買ってる人。ちょっと下の階層に楽しもうとしてる人。アンチや批評家は最下層に位置づけ直してる。
私は声優に全く興味がないし、ローソンフェアとか全く興味ない。売上情報もそこまで気にすることないと考える。
なので、なんでこの人こんなに声優とか消費活動取り上げるんだろう、って思っていたのだけれど、
こういう序列になってるんだと考えれば納得する。そりゃこっちのほうが重要度高いんだからあたりまえだよな、と。
批評家の毒にも薬にもならない批評よりかはよっぽど役に立つよねー、ということなんだろう。
他にもイロイロと特徴がある。たとえば理解しようとしてる人間への寛容さや親切さ。パロディによる個々人の楽しみ方の紹介など。
今では他も真似してるけど禁書の解説記事を毎回載せてたのは印象的。
本来禁書みたいに「解説が必要なアニメ」は、キャラ魅力が低かったらボッコボコに叩かれてたんだろう。実際錦織監督は叩かれまくってるわけで。
AB!に対するの態度も全体を叩きつつキャラ萌えを押し出そうとしてたし、
女にコンプレックス抱いてるキモオタ男読者が多いのを意識してか君に届けとか放浪少年を取り上げないところとか心遣いがわりと細かい。
かなり明確な思想の持ち主であると思う。
一方やらおん空間においては今まで好き勝手に作品を叩いてそれなりにいい気分に浸っていられた批評家やアンチの扱いは悲惨なものだ。
やらおん空間においては彼らは「バッシングを受ける対象」としてしか存在を許されていない。
お前らの存在いらねーんだよ、と。もう口閉じて眼と鼻と皮膚呼吸もやめて死ねくらいに思ってそうだ。
せめて口を開くなら、ヤマカンやハルヒの中の人のようにアニメの話題の肥やしになれ、うんこ野郎。
あずまんみたいに言うだけじゃなく自分で作ってみろ。そして作った物に責任をとれ、敬意を払えと。
実際の事情はどうか知らないが、制作者の立場に立ちながら無責任、アンチな言動とったと受け取られたあずまんはまさにワーストオブワースト。
やらおん空間ではリサリサ先生のまなざしを向けるのがふさわしいレベルなんだろう。
そういうやつらを見せしめにして、名状しがたい祭りを楽しむのがやらおん。
割とたんたんとアニメの話題だけを載せ続ける萌えオタニュース速報。
どっちが正しいとは言えないけど、人気があるのは圧倒的にやらおんだなぁ、と思う今日この頃。
個人的には、やらおんの価値観の再配列ははわりと一時大戦後のドイツの全体主義を彷彿とさせるものがあってあまり好きではないのだが人気には納得する。
よく「やらおんに比肩するサイトがない」っていうのが話題になるけど、扇動力が全然違うのは確かだよ。ほんとうに良く出来てる。
最終的に、能力も知識もない人らが権力を握ったアニメ業界が、知識層を追いだしてどういうアニメファン層をつくるかと思うとげんなりするが、それが世界の選択というのならしょうがないわね。理想としては、既存の評論家どもはきっちり潰れて、個人サイトとか若い人らが評価され直すといいんだけどなー。
で、そもそもなんでこんなに批評家や知識人(笑)に対して風当たりが強くなってるんだろうか。
それは、多分みんな「このままだとアニメそのものがなくなっちゃう」ってぼんやりと危機感を覚えてるんじゃないだろうか。
あるいは、少なくとも批評家をトップに置く序列に対する現状に対する猛烈な反発があるんじゃないだか。
上から目線で批評を加えたり製作者の状況無視して割りに合わない要求ばかりしたり、
アニメにはいろんな要素があることを忘れてテーマとかストーリー語ってるやつらばっかりだと、
じゃあお前らは文学(笑)でも読んでろって製作者がブチギレて、
ほんまに純粋にビジネスとして萌え豚向けアニメしかつくられなくなるんじゃねーかと。
それぞれに人の集まりができて、市場ができてってなっていけば。
でも、どいつもこいつも批評家の口にするのって同じことなんだよね。内輪感半端ない。
あずまんとか宇野とかそういうもともとコミュニケーション苦手そうなやつらがメインとなって
自分たちの居心地の良い空間をつくろうとしてるから異物があまり育たなかったんだろう。
楽しみ方が恐ろしく窮屈で偏屈。喋ってる本人らはデブばっかのくせにどうしてこうなるんだろう。
あの界隈、多分2~3人いたらあと全部キャラかぶってるからいらない。
そういう批評家どもの多様性の無さのため、批評家が褒める作品って限られてくる。
そうすると、こいつらを中心とした序列だと、本当に一部の作品しか残らない。
それは、ものすごくアニメというものをつまらなくさせてしまう、と、そんな展開。
これも本当のところはどうかしらない。ただ、明らかに彼らが戦犯扱いなのは間違いない。
あまり気持よくないのだが、ドイツのブルジョワ階級と違って批評家が役立たずだという点には同意してるのでまぁ別にいいかな(爆
参考記事
はちま機構のことはしらんけど、こういうのと比べるとやらおんは比較的全うだと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20110422235719
ブコメで「エヴァに呪われている」とか「エヴァ脳の恐怖」とか「エヴァをアニメの物差しにしている」といったコメントを見て、なるほど的を得ているなと。
そして残念ながらid:kyo_ju、ネタじゃない。マジで書いた内容なんだ…orz
てか自分でもマジでエヴァ脳だと思う。じゃなきゃ増田で書かない。
俺がこんなコメントを普通のブログに投稿してる奴をみたら、とりあえず全力で叩く。
何でだ?
自分なりに考えてみたんだが、エヴァに前のめりで楽しんでた人達、というか後ろに引いて見ることが出来なかった人達は、
エヴァが終わった後の娯楽としてそれぞれ別個の道に進んで行ったかと思う。
まずアニメという枠に傾倒する道。
アニメは当時の世相を反映してか「自分探し」のような内容か、あるいは「萌え」に特化した内容ばかりだった。
自分探し的な部分は十分エヴァで堪能したし、萌えは視聴者が勝手に後付けするものであって主食として作者が提供するものじゃないものと考えているので無理だった。
SFは─漫画だろうと小説だろうと、作者の設定自慢ばかりで人の営みが希薄なのが多かった。「イカにSの面白さを最大化するか?」が最大の関心事になっている世界だった。
Fだけでいいから人間ドラマが欲しくてSFの道には進まなかった。
※その中で何故か『BLAME!』だけは面白いと思ってた。我ながらかなり謎。
「設定?誰がんなもん語るか。察しろ。」というスタンスがよかったのかも知れない。
あるいは設定の説明がない分、人間(と愉快なクリーチャー達)の営みに思考が集中できたせいかも知れない。
自分は娯楽なしで生きられるような人間ではない。おそらくは他の人もそうだと思う。
大人になって仕事や家事に忙殺されても、アウトドアや人付き合い以外の何かしらの娯楽を大なり小なり楽しんでるんじゃないか。
人によって、それが映画だったり、ドラマだったり、推理モノだったり、歴史モノだったりすると思う。
自分は「エヴァの次の娯楽」として、最終的に「古いモノ」を選んだ。
小説に手をだし、散々色々な誇大広告に騙された結果、最低10年以上「これは良い」と語られる小説は、少なくとも個人の趣味で好き嫌いはあっても外れはないことに気づいたからだ。
そしてこの単純な法則が、小説という枠だけでなく他の枠にも当てはまることを知った。
「古いモノ」を楽しむコツとして、「その当時の世相や時代背景を同時に知る」ということ。
今ではやや物足りない部分があったとしても、当時としては革新的な技術や手法、あるいは独自の視点が盛り込まれていたために長らく語り草になることが多い。
それと同時に他人の解釈をガン無視すること。例えるなら、どれだけ権威ある人が「このキャラはツンデレだから萌え」と言っても自分が「ツインテールだから萌えであってツンデレなのはどうでもいい」なら自分の直感に従って楽しむこと。
こんな風に古いモノ、かつ娯楽として時代の振り落としを生き抜いたモノを、自由気ままなオレオレ解釈で楽しみ、アニメを見なくなった結果、自分はアニメの物差しはエヴァとジブリと千年女優だけになったorz
敢えて弁明、というか開き直らせていただければ…
だって仕方ないじゃん!1年間で1割より少ない程度で面白いアニメは出てると思うよ?
けどその1割弱を探すためだけにアニメの世界に飛び込めば、まさに「渡る世間は萌えばかり」、あるいは「前門の厨二アニメ、後門の監督が厨二の自称芸術unkoアニメ」ばかりじゃん!
アニメの作り手にしても、ちょっと成功して有名になるとすぐ芸術気取りしたり宮崎駿の後継者気取りしてばっかじゃん!
そんな中途半端なことをするくらいなら、いっそワーグナーみたく「アニメはただの芸術じゃない。神聖な祭事だ!」ぐらい突き抜けつつ「よろしい!私に投資する権利をやろう!」的なノリで資金調達&製造とかやれるだけの実力と人間としてゲスな気概を持って挑めよ!>ヤマカン、細田
特に'00年代は酷かったよ!観客の声を聞かずに監督が見たいアニメか、大向うの観客の声しか聞いていないアニメばっかだったよ!
「そもそも今客席にいない人を、どうやって小屋に来てもらうか」を考えている人なんて皆無だったよ!
00年代はまだブロードウェイ- ミュージカルの方が観客を呼ぶためのモノ作りをしてるよ…
例えば「Wicked」はファンタジーで低年齢児を釣り、女の友情で少女を釣り、あげくに社会派的要素で親を釣り上げる万能釣り竿だよ。
「Next to Normal」なんて狂気の中から家族愛を導き出すーそれも母親が主役でーっていう化け物ミュージカルだよ。
ミュージカルってさ、親しみが無い人には「子供が見るモノ」あるいは「軽いモノ」ってイメージがあるんだ。
酷いと「演劇と歌が同居する必要性がないんじゃねーの?」って言われる始末www
まぁ当然だよね。舞台としては戯曲という枠が、歌劇としてはオペラという枠が、ダンスはバレエという枠が、技巧も歴史も名作も持ってる。
けどミュージカルが子供やミュージカル自体にマニアックな人ばかり相手にしてたってお金にならない。
彼らが飯を食っていくためにミュージカルという枠のファンを増やすしか無かった。
かと言って技巧だけで挑めば間違いなく他の枠に負ける。
だから彼らはあらゆるものを取り入れ名作を作り上げた。
例えば古典の悲劇の恋愛をベースに、彼らの身近にあるダンスや風俗、そして身近にありすぎるマイノリティへの差別問題を注入したWSSとかね。
そういったことを繰り返し繰り返し続けた結果、今のブロードウェイミュージカルの地位が出来上がった。
アニメを作ってる側の人からも、「売れない、売れない」という声ばかり聞こえた。
けど自分からしたら、なんでアニメを作ってる人は「今、テレビの前にいない人」を捕まえようとしないんだろうと思ってた。
筋を古いモノから流用し、装飾や人々を今の時代に合わせ、最後の結末に自分たちのメッセージを盛り込む。
これだけでも十分面白いモノが出きるのに。
「守破離」の全部が大事なのに、今のアニメは「守」だけ「破」だけ「離」だけみたいに、個別の実装しかないものが多い気がする。
「魔法少女」っていう小さな視野で見ても、かなり綺麗に守破離してる。もちろん違う角度から見たときにも様々な守破離があるのがまどまぎの魅力。
けど、きっともう後16年くらいは守破離をしっかり出来たアニメは出ないんだろうなぁ…
まどまぎの脚本の人は「ロボットものを書きたい」って言ってるらしいから、おそらくロボットを書くのに夢中になって客席を見なくなるか、大向うの客席しか見なくなる。
そうすると悲劇が好き過ぎる人みたいだし、シェイクスピアを消化しないままシェイクスピアの再発明を得意気にしちゃったりするんだろうなぁ…
かといって他のアニメの作り手は、まどまぎのパラメーターだけみてメソッドを見ず、もっと酷いものを作るんだろうし…
「処女厨がウザい・怖い」的な発言をよく作り手側のコメントで見かけるけど、
なら小デュマみたく処女厨を逆手にとって、ビッチであることが生きるために必然である椿姫を処女厨の目の前に置いて、
「それでもお前らこいつを罵れる?」といけしゃあしゃあと言ってのけるような人は今までいなかったし…
ヤマカンって自滅したの?むしろひとり勝ちに見えるけど。
http://www.kajisoku.net/1/archives/eid384.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.kajisoku.net/1/archives/eid384.html
上のヤマカンという男は、アニメ制作で自滅したくせに、自分だけじゃなく業界(他人)が抱えている問題だとして
問題はどこの業界もこのヤマカン病が蔓延していると言うことだ。
私はゲーム業界で働いているのだが、スクエニの和田や、カプコンの稲船などがそうである。
SNS中心でのゲームサービスをやっている会社は別として、旧来からの会社で調子が良いのは任天堂くらいのもので
自分が糞なのを認めたくないのか、業界を巻き込んで問題にして、自分は批評できる立場にいるかのように思い込み
かつ冷静な分析ができるという立場をアピールしたがる傾向にある。
――やられた。これは何かの間違いだと信じたかった。
端的にいってしまえば、涼宮ハルヒの憂鬱の一エピソードでしかなかった「エンドレスエイト」が、日曜夕方6時半から放映されている。エンドレスエイトは既にテレビ放送という媒体においてはほぼ“独占"といってよいほどの勢いをみせていた。初めはテレビ埼玉の木曜25:30から30分間の枠だけであったが、次第に1時間、2時間と広まり、月、火、水、金と平日深夜のテレビ埼玉は全てがエンドレスエイトになった。
「ついにサザエさんさえやられたか……」
かつては俺と同じく、ハルヒ厨であった友人がつぶやいた。エンドレスエイトの躍進はそこで止まらなかった。U局を支配していったのだ。まずテレビ埼玉からだった。22:00以降のテレビ埼玉は平日休日問わず、すべてエンドレスエイトになった。次に、東京MX。千葉テレビ。この2局は最初30分枠としてしか放映してなかったが、テレビ埼玉と同じように次第に侵略されていった。そしてテレビ埼玉がエンドレス「エンドレスエイト」放映という頃には、京アニはキー局にまでその手を広げた。
意外なことに、初めに崩れたのはNHKだった。はじめは朝のニュースに挿入された1フレームでしかなかった。まるでサブリミナルのように挿入された1フレーム。30分の1秒。それが4日続いた。毎朝。毎朝。5日後、それは木曜日だった。木曜25:30、NHKでエンドレスエイトの放映が始まった。その2日後からNHKで放映される番組はすべてエンドレスエイトに変わった。エンドレスエイトが地上波放送ではじめて放映されてから、ほぼ1年がたっていた。
「長門はもう俺の嫁じゃない……昔のつつましい長門に戻ってくれ……」
俺と同じく、かつてはハルヒ厨だった友人がつぶやく。そうだ、俺たちもかつてはハルヒを愛していた。エンドレスエイトが始まるまでは。何も俺たちに限った話ではなくてアニメを愛していたオタクたち、特にハルヒオタクたちは共有の思いを抱いているだろう。NHKが倒れてからは早かった。日本テレビ、TBS、NHK教育、フジテレビ、テレビ朝日……テレビ番組は全てエンドレスエイトにすげ替えられた。NHKが倒れてから1週間と経っていなかった。しかし、エンドレスエイトと拮抗するただ一つのテレビ局があった……テレビ東京だ。
「ワカメのおぱんつが、小学生のおんなのこのおぱんつ……おぱ……おっぱい……おぱんつ」
テレビ東京は何が起きてもアニメを放映している。他局は緊急放送流しているのにテレビ東京だけは、なんて状況も数多く見たと思う。テレ東は期待を裏切らなかった。もちろんテレビ東京だってノーダメージではない。ほとんど多くの枠がエンドレスエイトに乗っ取られた。しかし、アニメ枠だけは粘った。粘りに粘った。アニメ以外の番組はなくなった。アニメ番組も減った。だが、粘った。戦った。すると呼応するようにフジテレビの、サザエさんが復活した。ちびまるこちゃんが復活した。ドラえもんが、クレヨンしんちゃんが復活した……。そして数多のテレビアニメがその息吹を吹き返した。テレビ東京が奇跡を起こしたのだ。
だが奇跡は長く続かなかった。エンドレスエイトのとってきた次の戦法は、「劇場版」だった。エンドレスエイト劇場版三部作。上映されると同時に、アニメは一息にかき消された。三部作全てが上映された後、残ったのはサザエさんだけだった。
さめざめと泣く友人の気持ちは分かる。もはや二次元のパンティーを眺める機会など無くなってしまったのだろうなという、確信にも似た思い。最後の牙城、サザエさんさえも崩されたか。俺はまさしく絶望した。そして同時に友人の異変にも気づいた。
「ぱんつ! ぱんつ! ぱんつ!」
友人はロリコンでもないし、常日ごろから「パンツを隠さないようなつつしみの無い女は嫌いだ」などとつぶやく変人だった。その彼が下着にこれほど執着するだなんて――。どうか、している。
「おぱんつうう!!!」
友人が俺の両腕を異常に強い力でつかむ。指先から赤黒く染まっていく。まずい。尋常じゃない……。エンドレスエイトは友人の善心を奪い、狂わせている――かまれた。首筋。痛みに苦悶の叫びがもれる。俺は、死ぬのか。
――バーン!
「うっ!」
銃声に友人が倒れる。
「大丈夫かい、君!」
「た、助かりました、あなたは?」
「私はテレビ東京アニメ部門のものだ。これ以上エンドレスエイトをのさぼらせるわけにはいかない」
「……というと?」
「だが、やるしかないのだ。それにわれわれには、ヤマカン様がついてる」
「尊師ヤマカン様……京都アニメーションに対抗できる数少ない人物ではありますが」
「パヤオ、庵野、冨野らがやられた以上、奴らに拮抗できる材料はあまりに少ない。だが、やるならサザエさん攻略で弱っている今だ」
「それでも勝てる見込みは多くはないでしょう……?」
「ああ。だがこれを逃せば、一生訪れないだろう。君、いい目をしてるな。一緒にくるかい?」
「ぜひ。」
「問題の経緯」や「今後の対応」とか説明できないだろうし、
「それに比べて京アニの対応はなんだ」と世間に思わせたいだけと勘繰ってしまう。
OTAKON 2009で山本寛(以下ヤマカン)が係わってないはずの「涼宮ハルヒの憂鬱」のついて謝罪したことが話題になってる。
参考URL
http://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-3435.html
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51490609.html
そりゃあ同じ話を6週にもわたって見せられた視聴者がキレたくなるのは当たり前だし、そのことをパージされた元スタッフに振ったらこういう嫌味ったらしい"謝罪"が出てもくるだろう。
戦犯探しみたいなのもやってるけどさ。やれ京アニが悪いだの、やれ角川が悪いだの、谷川が悪いだの。いやいや人のせいにばかりしてちゃダメだよ。
一番悪いのは俺たち視聴者。特に今まで京アニ作品を小馬鹿にしてきたのが責任重大。
わが身を振り返って見ると、今まで京アニが作ったアニメに酷いことを言ってきたなぁと思う。
「中身が無い」「見た目だけ」「原作無しじゃ何も出来ない」「作画一流文芸三流」「オリジナリティー皆無」etc・・・これだけ言われりゃ、ちょっといいとこ見せて見返してやりたくなっても仕方ない。お前ら見とけよ、びっくりするなよってね。
で、出てきたのが「ムント」と「ハルヒ」なんじゃないかと。
でもアニメファンならご存知だと思うけど、ムント様は盛大にコケてしまった。
完全オリジナルで魅せられないなら、原作付きで何とかしなくちゃいけない。作画だけとは言わせない、見よ京アニ脅威の演出力・・・とばかりに持ってきたのがこのエンドレス・エンドレスエイトだとしたら。うわあ、連敗だ。
膨大な数の繰り返しの中の高々10回足らずを"追体験"させても意味が無いことがわからず、繰り返しの中の1回を効果的に見せる選択が出来ないところが文芸三流の三流たるところ。
細かなディティールの違いを病的に拾い集めるのが好きなのもいるだろうけど、同じものを全く別の視点で見せるならともかくちょっとだけ変えて意味あるのか。
そもそもそれまでのやり方で満足してきた客を怒らせてどうする。
こんな言わずもがなのことすらわからなくさせるほど俺らが京アニを追い詰めていたのだとしたら・・・!
ごめんよ、京アニ。そしてみんな。
ちょっと言い過ぎた。
京アニは今までどおりのアニメ作ってればいいから。無理しなくていいから。
だって「けいおん」、みんな喜んで見てたじゃない。
堀江「主役になった多くの今期アニメも根っこからクソアニメになった。博士、戸松に勝てる生物なんて存在するのかい?」
田村「戸松より圧倒的に人気のある声優を出すしかないじゃろうな・・」
田村「例えるなら信者、さすがの戸松も百万の信者には勝てなかったという研究成果がある」
能登「ヘッ、ひとりの声優が百万の信者なんか集められるわけないだろ。どうかしてるぜ」
小清水「一人いる・・・」
小清水「一人いるんだ・・」
釘宮「かつて黒髪信者を自殺寸前まで追い詰め、あの親父が、ヤマカンが認めた声優」
林原「平野綾かッ!」
能登「バカじゃねぇのか?平野は確かAYA-STYLE事件で破壊されたはずじゃあ・・」
突如空から何者かが降ってくる
騒然となる会場
警戒心で目覚める戸松
平野「やぁみなさん。あなた方は貴重な深夜アニメを破壊しようとしている。
私はこの愚かな行為を止めなければならない、だからここで戸松を殺す。」
能登「あいつ言ってることメチャクチャじゃねぇか」
釘宮「それでいい・・あんたでいい」
小清水「ああ・・奴の言うことは正しい」