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2024-04-14

anond:20240414123345

ハンバーガーが安ければ安いほどいい政権なら65円だった森政権小泉政権のほうが民主党政権よりいいってことになるけどそれでええんか?

2023-05-07

小泉首相には感心していた

小泉劇場だともてはやされていた初期のころかな。支持率85%をたたき出したことがあった。

あれには驚いたけど、その前の森政権支持率一桁になったりしてたか反動がすごかったんだろうね。


から考えると、劇場というよりも小泉マジックって感じだった。

当時のメディア業界人も、ほとんどがそのマジックタネも仕掛けも見ないようにしていたのは、もっとずっと後になってから知った。


当時の自分からすると、規制緩和雇用流動化がどうのこうのというのは対岸の社会で起こっていたことだったので、

あいうのを本気で支持していた社会のことは知らない。


それよりも、靖国神社に毎年参拝すると言って言ったとおりに実行していたこととか、道路特定財源にメスを入れたとか。

そのほうが思い出しやすい。

まだ総理大臣を続けられそうなのに勇退したのは、大物政治家の立居振舞いとして単純にかっこよかった。

郵政解散ときには民主党投票したけど。


大半の人間給与が下がったのは天引きされる年金保険料割合がどんどん増えて手取り金額が減っているからだし、

高い能力を持つ人間が豊かになるのは当然のことじゃないの。

中高年になってもスキルを身につけないといけないと脅してくるのは政治でも政策でもなくて、PR広告出版物


それと、厳しい社会なのが不満なら自分選挙に出てみればいい。

実際今住んでるところは地方議員立候補者が増えた。

私は政治家志望だったことがまったくないか絶対選挙には出ないけど、投票には行ってる。たとえ現職圧勝なのがわかりきっている選挙だったとしても。

2022-08-24

野党が弱い」について

政権支持率調査の結果が出たときに必ず出てくるのが「自民党がこんな体たらくなのにそれでも野党が弱いから持ちこたえられる」という意見について。

これはほとんど野党問題じゃないんだよね。もちろん多少はあるけど。

おそらく「何があっても自民党支持」って人が3割ぐらいはいる。これはもう崩しようがない。仮に自民党議員全員が国会で眠りこけていても離れない。

自民党のおかげで飯食ってる人たちだから。いってみたら中の人

大企業組織的不祥事を起こしたときに「あん会社一回つぶせばいい」と外野は言えるけど、従業員関連企業は言えないようなもので。

から野党完璧だろうが不甲斐なかろうが切り崩せるのは政権支持率30%までで、それ以上は何があっても下がらない。

ある程度の年齢以上の人なら森政権支持率9%、麻生政権支持率16%をおぼえているだろうけど、それは自民党内に補完勢力がいたから。

あのとき不支持だった人たちはみんな野党のほうがいいとおもっていたわけではなく、自民党内の他の派閥に代わってほしいとおもっていたのだ。

だって自民党内で「カルトとは完全決別します、金融政策改めますコロナ対策ちゃんとやります」ってグループが出てきたら岸田内閣支持率はあっという間に10%ぐらいに落ちるだろう。

でも現れない。骨抜きにされてるから

まり政権支持率一定から下がらなくなった原因は「野党が弱くなった」じゃなくて「自民党が弱くなった」なんだよね。

小選挙区制によって派閥が弱くなった。弱くなって首のすげ替えをする体力がなくなった、だから支持率を下げられない。

野党が弱いか政権交代が起こらない」ではなく「自民党が弱いか支持率が下がらず政権交代が起こらない」なんだよ。

2022-07-18

2000年以降の総理大臣記憶

自分党派性はできるだけ抜きにして、当時世間でどのようなイメージだったかを思い出して書く。

小渕恵三

前期

内閣の集合写真の真ん中に知らないおっさんいるぞ」

平成の板を掲げてたおっさんじゃん。政治家だったのか」

第一印象はそんな感じだった。

実際には自民党の重鎮なのだが、しがないサラリーマンが何かの間違いで総理大臣にさせられてしまったような印象だった。

後期

最初は「頼りない」というイメージが先行していたが、それが後半では「親しみやすい」に変化した。

当時人気だったコメディ番組笑う犬の生活』で小渕総理を主役にしたコントがあり、その印象が強かったのかもしれない。

森喜朗

前期

小渕総理が急死し、その後何だかよくわからない形で森喜朗総理になった。

「このとき既に脳死していたのでは?」と思われていた病状の小渕総理から遺言(?)で首相代理が決まり密室森喜朗総理になったことで『簒奪者』という第一印象スタートした。

後期

森政権は最悪からスタートしたが、森喜朗は数々の失言さらイメージを悪くしていった。

日本天皇を中心としている神の国」と発言し、世間ドン引きさせた。今でこそネトウヨはたくさんいるが、当時は圧倒的少数派だった。

小泉純一郎

前期

「この人は何か変えてくれそう」というイメージがあった。

ITを「イット」と読んだ森喜朗と違い、この人はメルマガ配信していた(当時はそれが最先端だった)。

とにかく何か変えてくれるらしい。それは郵政民営化で実現するらしい。郵政民営化でなぜ世の中が良くなるのはよく分からなかった。

でも変えてくれるのなら何でも良かった。

民間人から大臣になった竹中平蔵も期待の星だった。

中期

だんだんと「こいつ中身空っぽなのでは…」という疑念が膨れ上がった。

郵政民営化しか言わないし、郵政民営化でなぜ世の中が良くなるのかよく分からない。

後期

衆議院解散し、郵政民営化に反対する議員公認せず死角差し向けるという大勝負に出た。

「こいつは男だ。勝負師だ。改革のためなら何でもやる奴だ」という印象で好感度うなぎのぼりになった。

郵政民営化でなぜ世の中が良くなるのかは最後までよく分からなかった。

安倍晋三

前期

ハンサムで若々しかった小泉純一郎の後継は、もっと若い安倍晋三だった。

なんと祖父総理父親自民幹事長というサラブレッドらしい。

このあと福田麻生鳩山と父/祖父総理シリーズが続くので今となっては珍しくもないが、当時はポシティブなブランドだった。

大臣経験内閣官房長官内閣官房長官総理大臣というヒラ議員から5年で総理就任という斬新な後継指名で新鮮味があった。

後期

就任してすぐメッキが剥がれて「こいつ駄目じゃん」という空気になった。

ネット上では当時から既に統一教会との繋がりが叩かれ、『安倍壺三(統一教会は高価な壺を売る宗教から)』というあだ名で呼ばれ、アスキーアート2chに大量に貼られていた。

当時増えつつあったネトウヨからは、とにかく嫌われていた。

福田康夫

前期

小泉政権で長く官房長官していた福田康夫は『執事キャラ』のようなイメージだった。

冷静沈着で淡々としたイメージで、無能晒した前首相と違い安定感があった。

後期

思ったより煽り耐性がなくキレてやめた。

国民我慢限界より、福田総理我慢限界のほうがはるかに早かった。

麻生太郎

前期

吉田茂という歴史教科書にも載ってる大首相の孫で、その輝かしい経歴の割にはヤンチャなとこもあり、漫画も読むという親しみやすイメージだった。

後期

よくよく見るとただの口の悪いおっさんだった。

でも麻生太郎のイメージ悪化して退陣したというよりは、リーマンショックをどうにかして欲しいという思いがあり、それには政権交代必要だと思っていた。

鳩山由紀夫

前期

祖父自民党創設者元総理という自民党サラブレッドでありながら、民主党を率いて政権交代を成し遂げた鳩山由紀夫はスターだった。

世の中変えてくれるような期待があった。

後期

なんか色々グダグダだった。

政権交代したところで不況がどうにかなる訳ではなかった。

リベラル的な政策も、いろいろ頓挫することが多かった。まだ未熟な政党与党にしてしまった。

菅直人

前期

野党だった頃に既に党首になり、いろいろあって党首の座を降りていたので最初から新鮮味はなかった。

中期(311直後)

「おいおいしっかりしてくれよ~」という場面が多々あったが、逃げ出さな姿勢はよかった。

後期

震災から5ヶ月後の退任。誰が首相でも辞めるしかなかったと思う。

「もう民主党政権は長くないな…」という空気感だった。

野田佳彦

前期

感情で動く菅直人に比べれば安定感があった。

しかし「つたないながらも変えようとする民主党」というイメージからはかけ離れ、昭和自民党政治家のようなイメージだった。

後期

この人は結局消費税を上げただけだった。

郵政民営化にこだわる小泉政権に感じた「その情熱はどこから来るの?」という印象に近いものを感じた。

ただ郵政民営化と違い、消費税増税は「よく分からないけど、それで世の中が変わるなら試しに変えてみよう」と思えるようなテーマではなかった。

安倍晋三

前期

「この人途中で辞めた人じゃん。大丈夫なの?」という印象。

中期・後期

第一安倍政権ではあんなに安倍首相売国奴呼ばわりしていたネトウヨが手のひらを返して称賛しだした。

このころ既に世の中は右と左に分断されていたので、「世間はだいたいこんな感じに思っていたはず」という文章を書くことはもう出来ない。

菅義偉

前期

左右の分断により評価は分かれていたが、「実務能力は抜群」「安倍政権はこの人のお陰で成立していた」という印象は左右両方にあったと思う。

後期

「この人何もできないお爺ちゃんだったのか…」という衝撃を受けた。

安倍政権時代意図的コミュニケーション遮断して記者会見コントロールしているように見えていたが、実は単に受け答えができないだけだった。

無敵の官房長官は実はカカシだった。

岸田文雄

前期

森内閣から20年続いた自民党タカ派総理の流れ(麻生太郎はもともと保守本流だが)を断ち切る、久しぶりの穏健保守総理として「お、自民党も変わるのかな」という期待を少し匂わせた。

しかしその実態安倍首相操り人形の側面が強く、岸田文雄の押しの弱そうな印象も加わって、「大丈夫なのかな、この人」という不安も覗かせる。

2021-08-26

森元の頃の支持率8%って数字だけで笑える

解散は?総裁選は?出馬意欲の3名は?元自民党幹事長 古賀誠氏に聞く

https://news.yahoo.co.jp/articles/ab8044974d84ac4b9f287186bdb8f0e116baba28

古賀幹事長

僕がね。幹事長として、ちょうど森内閣森政権だったんですが、あのとき支持率に比べるとね、いやいやいや、ありがたい支持率だなと、正直言って。これを政局というのかなと。

まぁ、あんたほどの男が言うなら…(支持率8%)

与党で2/3とか、支持率40%越えがずっと続くとか、安倍政権が異常だっただけでこのくらいが正常なのかもしれないな

2020-08-30

なれたか委員会総理になれなかった政治家たち〜

小沢一郎

海部内閣末期に最大派閥経世会から総裁選出馬を打診されるが、若過ぎることと持病を理由に断る。この時受け入れていれば総理の座は確実だった。その後自民党離脱し、政権交代を2回プロデュースした。

中村喜四郎

当時最年少の27歳で国会議員になり、40歳で初入閣

将来の総理大臣の最有力候補と期待されていたがゼネコン汚職逮捕自民党を離党。実刑判決を受け議員資格を失うが、刑務所から出てすぐ再当選。その後も当選を続け、いまだに現役の議員しかし失脚後は本会議での発言回数が20年間ゼロで、ある意味舞台から姿を消している。最近は立憲民主国民民主合併の橋渡し役になり、石破茂にも接近しているという。眠れる獅子黒幕として目を醒しつつある。

河野洋平

河野太郎のパパ。

小沢一郎らの離脱により自民党下野した頃の自民党総裁。その後与党に復帰するもの総理の座は連立パートナー社会党村山富市へ。村山総理も途中で河野総理の座を譲ろうとするが、小渕恵三の反対で頓挫総理にはなれなかったが河野談話というレガシーは残した。

加藤紘一

90年代末『総理に一番近い男』と言われていた。しか森政権を倒閣しようとして失敗(加藤の乱)。自民党は創立当初から保守本流(ややリベラル)と保守傍流(タカ派)の二大潮流があり、代わる代わる総理を輩出していたが、加藤の乱により加藤紘一率いる保守本流の最大派閥宏池会は分裂し、自民党それから20年間タカ派清和会(森、小泉安倍福田)が優勢になった。ちなみに今の宏池会トップ安倍首相に忠誠を誓い総理の座を禅譲してもらおうとしている岸田文雄

谷垣禎一

加藤紘一後継者であり、民主党政権時代自民党総裁。

苦難の時期を耐え、やっと自民党与党に復帰するタイミング派閥の子である石原伸晃勝手総裁選出馬したこと出馬断念。涙を飲んで石原伸晃派閥の票を一本化したが、とうの石原伸晃福島第一原発を「福島第一サティアン」と言い間違える痛恨の失言総裁選レースから脱落。その後谷垣禎一自転車事故政界引退

2019-11-19

煽り抜きで、各政権の「功績」を知りたい

「そんなものはない」とか皮肉とかは無しで(「割と真面目に」とかいう皮をかぶらせた皮肉もやめて)。

きっと返信は面倒だからしないと思うけど、ここぞ!と思う人がいれば是非書いてほしい。

目安は森政権~現安倍政権くらいだけど、もし特筆したいものがあればその前でもOK(村山政権とか眉毛イメージしかいから聞いてみたいかも)。

全部でなく、知ってる政権だけでいいです。連続する同首相政権はまとめてください。特筆すべき功績のある大臣いればもちろん書いてください。

自民だろうが民主だろうが。こっそり俺たちのためになってくれたことがあるはずだ。何事も両面ある、たまにはポジティブな面を(調べんのはめんどいから)聞きたい。

2018-03-19

安倍政権支持率が下がったとはい

森政権の最高支持率より上なんだよなー

これは野党危機感持たないとダメだよ。

あの時の野党より、今の野党の方が打撃力のある材料を持ってるのに支持を奪い取れないというのは、根本的に野党は何かを間違ってるんだよ。

 
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