2020-08-30

なれたか委員会総理になれなかった政治家たち〜

小沢一郎

海部内閣末期に最大派閥経世会から総裁選出馬を打診されるが、若過ぎることと持病を理由に断る。この時受け入れていれば総理の座は確実だった。その後自民党離脱し、政権交代を2回プロデュースした。

中村喜四郎

当時最年少の27歳で国会議員になり、40歳で初入閣

将来の総理大臣の最有力候補と期待されていたがゼネコン汚職逮捕自民党を離党。実刑判決を受け議員資格を失うが、刑務所から出てすぐ再当選。その後も当選を続け、いまだに現役の議員しかし失脚後は本会議での発言回数が20年間ゼロで、ある意味舞台から姿を消している。最近は立憲民主国民民主合併の橋渡し役になり、石破茂にも接近しているという。眠れる獅子黒幕として目を醒しつつある。

河野洋平

河野太郎のパパ。

小沢一郎らの離脱により自民党下野した頃の自民党総裁。その後与党に復帰するもの総理の座は連立パートナー社会党村山富市へ。村山総理も途中で河野総理の座を譲ろうとするが、小渕恵三の反対で頓挫総理にはなれなかったが河野談話というレガシーは残した。

加藤紘一

90年代末『総理に一番近い男』と言われていた。しか森政権を倒閣しようとして失敗(加藤の乱)。自民党は創立当初から保守本流(ややリベラル)と保守傍流(タカ派)の二大潮流があり、代わる代わる総理を輩出していたが、加藤の乱により加藤紘一率いる保守本流の最大派閥宏池会は分裂し、自民党それから20年間タカ派清和会(森、小泉安倍福田)が優勢になった。ちなみに今の宏池会トップ安倍首相に忠誠を誓い総理の座を禅譲してもらおうとしている岸田文雄

谷垣禎一

加藤紘一後継者であり、民主党政権時代自民党総裁。

苦難の時期を耐え、やっと自民党与党に復帰するタイミング派閥の子である石原伸晃勝手総裁選出馬したこと出馬断念。涙を飲んで石原伸晃派閥の票を一本化したが、とうの石原伸晃福島第一原発を「福島第一サティアン」と言い間違える痛恨の失言総裁選レースから脱落。その後谷垣禎一自転車事故政界引退

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