はてなキーワード: ライフスパンとは
ライフスパンなどという本がもてはやされる昨今ですが、太古の昔から人々の夢は不老長寿、不老不死でした。
秦の始皇帝は水銀をのんだし、現代人もオートファジーを意識してプチ断食やらリーンゲインズしたりNMN飲んだりHIITで不良ミトコンドリアをぶっ壊しています。
ミトコンドリアというのは皆さんご存知の通り、細胞に寄生している生物で、人々はこの物体をもって細胞と共生しているとか、酸素からエネルギーを作り出す発電所などと申しておりますが、
実態はと言うと、そこいらじゅうの動物の細胞という細胞に寄生しているウイルスの一種でございます。
ミトコンドリアをオートファジーで壊すのは、単純に不良となったミトコンドリアが生成する活性酸素が、細胞へのダメージを引き起こす、つまり、炎症が起こってしまうのをどうにか減らしたい。
炎症が少なくなれば、老化の時間稼ぎになるという理屈でございます。
ミトコンドリアが手のひらサイズになったさまを想像してください。かれの頭から伸びる一本の触手
その触手が、秋の夕暮れの涼し気な風にゆれる時、人々はみな帰路につきます。
中には帰路につけない過酷な人生という労役を務めているひともいます、彼らのミトコンドリアは、デスクに置かれているモンスターエナジーに触手を伸ばして、砂糖たっぷりまぶされたカフェインを摂取しており、ミトコンドリア特有の黄緑色の光を一層輝かせています。
ミトコンドリアを肩に載せ夕暮れを散歩したら、鈴虫の音色に合わせて、彼ら(もちろん雌雄区別ありません)の緑色の点滅が揺らめきます。
あたり一面に敷き詰められているミトコンドリアの中を流れる風こそが、酸素であり、そのミトコンドリアから伸ばされた、数々の触手は、十五夜の月明かり照らされて、一種の芸術作品のような佇まいを見せます。
一つ一つ一生懸命に酸素から細胞活動のエネルギーを生成しているミトコンドリア様を指して、寄生生物やら、ウイルスの出来損ないなどというとんでもないことを言う輩もいます。
ましてや、うまくエネルギーを作れなくなったり、活性酸素を生成してしまうような、ちょっとドジなミトコンドリアがあるからと、断食やHIITでオートファジーをするなど、そのような凶悪な行為が許されるはずはありません。
人間はミトコンドリア様を生かすために動いている器に過ぎません。
夜風にゆらゆらと触手を揺らしながら肩に乗っかっているミトコンドリア様と散歩をします。
近頃は夜の気温も一層下がってきました、そんな夜空の下を歩けば、この街の光の数だけ、ミトコンドリアと人間のドラマがあるのです。
昨日書いた「あなた方は恥を知ったほうがいい」への反応で気になったことがあるので書くわ
(元増田の話とはほぼ関係ないのでツリーにのせないよう参照はしない)
あの文章は実験だと思ってほしい。「この文にあなたはどう反応するか?」という実験だ。
卑怯だ、性格が悪い、と思うかもしれない。でもじつはさほど唐突でもない。あの文はそもそも元増田の文章に対してあなたはどう反応したか、を問い、自省をうながすものだった。つまり趣旨は最初から書かれていた。
それに必要なことだ。僕も含めて僕たちは「自分を顧みる」能力がとても弱い。でもその能力はとても大切だし、その能力の欠如が世の中を悪くしていると僕は感じている。
前の文でもこの文でも一貫して問題にしているのは「あなた」だ。僕じゃない。
でも前の文へのブコメの多くは僕や僕の文へのコメントだった。あれだけ自省を促してたにもかかわらず。まぁ仕方ない。そういうもんだ。人間の多くは自分を顧みるのがとても苦手だ。自分を顧みたくないから、わざと他人の気になるところに目を向けたりする、それも習性だ。
ましてやあんな長文で、あんな強い言葉で、あんな極端な物言いをしていれば、そこに言及したくなるのは人情ってもんだろう。もちろんそうなるだろうなって思って書いた。
そういうノイズを掻い潜って自省に辿りつけた人は凄いと思う。そういう人はなかなか居ない。実はこんなこと言いながら僕も苦手なんだ。自分を顧みるの。だからあなたは凄いと思う。尊敬する。
つまり前の文のテーマは凄く短く言えば「自省」だ。あなたたちに自省を強く促しつつあの手この手で邪魔し、最後にはそれまでの刃を自分に向けて「自省」のポーズも軽く取ってみる。
僕はあれを読む人に、自分の加害性や暴力性について振り返ってみて欲しくて、または振り返る能力が本当にあるか問い直して欲しくて、あの文を書いた。
これをマウントだと思って欲しくない。今自省をできてるか問われてるのはあなたもだけど、僕もなんだ。僕もジャッジの対象だ。
この文に対して、またあなたは「僕について」書こうとしてるかもしれない。でも待ってほしい、それはとっても勿体無い。
僕について、つまり他人について言及したくなる重力からなんとか逃れてほしい。それで、もし前の文や元増田の文にコメントしていたら、自分のコメントを見返してみよう。3回くらい読んでみる。どうだろう?
そこに何か問題は無いか、偏見が入っていないか、誰かを傷付けていないか、今度は僕は線を引かない。自分で引いてみて、どういう線ならアウトで、どういう線ならセーフだろうか。その線が適切かも含めて考えてみる。
こういう自省は今日だけ必要なものじゃない。前の文でも書いた通り、日常のあらゆる場面で自分の言動が誰かを傷付けていたり偏見が入っていないか自分でチェックしてみるのはとても大切だ。
たしかに面倒臭い。そんなことやってられるか、って思うかもしれない。でも、そろそろやらないといけない時代が来てると思う。やろう。
「つまり前の文は、元増田の悩みをダシにして、全然別の目的で実験してた、ってわけ?」って疑問には応えるべきだろう。
そうではない、というのが答えだ。元増田の悩みはよく分かるし、彼が救われてほしいと思う、これは本心だ。
そして彼の苦しみの、遠い原因は、やっぱり多くの人の「自省のできなさ」なんじゃないかと思う。
ではなぜそんなに遠い原因を選ばなければならないのか、その背景には僕側の事情がある。つまり、僕は「彼に彼女をあてがえ」と絶対に言いたくないし、かと言って僕も含めた社会が意識しないうちに植えつけたかもしれない意識で苦しんでる彼に、彼だけに努力を求めるのは間違ってると思う、という事情だ。
この事情により、僕は彼が彼女を得る以外の方法で幸せになる道について考える必要があるし、しかもその方法は彼だけに原因や行動を求める物であってはならない、という複雑な制約がかかる。
その結果、彼以外の者(とくに僕自身)に原因の一端があるのではないか、ということを考えてみる必要があるし、それが「自省」に繋がる。
別にリアルで元増田が僕の知り合いかもしれないって心配してるわけじゃない、でも彼のような悩みを抱えている人は世の中にはいっぱい居るだろうし、僕の周りにもいるかもしれない。だから彼の悩みは僕に無関係ではない。
さて、また長文になってきたぞ。
さっき「長文はわざと」みたいなこと言ってたけど、いや、まぁわざとではあるけど、元々素で長文になりやすい傾向はあるんだよね。その点については本当にゴメン。
恋愛至上主義が今の日本にあるかどうかについて、僕は複雑な立場だ(少なくとも前の文よりは、ね)
今僕は日常で恋愛至上主義みたいな空気をそれほど感じない(少し感じる時もある)、でも学生時代はそれこそ元増田のように苦しんでいたし悩んでいた。
これは時代の経過だとは思わない。ライフスパンの経過だと思う。つまり今、恋愛至上主義に苦しんでいない僕と同時代に、中学生高校生大学生達の一部は恋愛至上主義に苦しんでいるんじゃないかと思う。学生のうちにそういうことに悩むのはまぁよくある話だ。
今苦しんでる彼らも、僕と同じように、いつかマシになるかもしれない。でも、だからといって、今の彼らの苦しみが存在していいものだとは全く思わない。
もちろんこの心配自体推測にすぎないんだけど、でも、たとえば、思い出してほしい、男性の多くは女性がどれだけ痴漢の被害に遭ってるか知らないし、一部は、言われても何かしら理由を付けてそれを無視しようとする。
人間は自分とは違う集団の被害を見くびったり、それを軽視しようとする傾向がある、と僕は思う。僕たちが彼らの苦しみを「大したことない」と思う時、そういう心の動きは果たして働いてないと言えるだろうか? 過去に同じ苦しみを抱えていた僕でさえそれをもう忘れかけている。僕達は彼らの苦しみを知らないし、測ることもできない。
ましてや、遠因として僕も加害者のリストに入っているかもしれない。だから今僕がそれに苦しんでないからと言って、「恋愛至上主義は無い」なんて軽々しく口にはできない。
気付いた人もいたみたいだけど、挑発的な物言いについてはグレタ・トゥーンベリをパロディとまでは行かないけど意識はした。
つまり「自分のコメントを顧みろ」というメッセージに対して、そのメッセージの装い(言い方、書き方、態度、長文である事、等々)に人はどのくらい気を取られるものだろうか? ということ。
最後に、文というものはただ単に読まれるだけの客体物だと思っているかもしれないけど、本当はとても怖いものだ。
それが悪文であるか美文であるかに関わらず、あなたがそれをどう読み、どう反応するか、というのは人によって大きく変わるし、つまり「あなた」が物凄く表れる。
しかもそれは文だけじゃない。いろんな物があなたを見てるし読んでいる。
それを意識して、これからの日常、いろんな場面で、他人ではなく自分自身の言動を見つめ返して欲しい。「本当にこれで良かった?」「何か間違ってない? 傷付けてない?」と問い直し続けてほしい。
あ、書き忘れてたので追記、
前回も今回も何度も問題にした「自省」について、類い稀なる能力を持っているのが元増田だと思う。
1つ目の文から自分の苦しみを詳らかに見つめ直そうとしていたし、2つ目では僕だったら反発したくなるようなコメントにすら真摯に受け止めて「自省」しつつ対応していた。
はっきり言って、上から目線で褒めてる場合じゃないんだよ。僕の見るかぎり、彼の自省能力は僕達あなた達をはるかに凌駕している。少なくとも身の程を知った上で褒めたほうがいい。
そして前にも書いた通り、彼のその能力は決して恋愛に換金されずとも、それ単独で素晴しいものだと僕は思う。
恋愛どうこうという価値観を取り払ったとき、彼は、僕にも、あなたにも、見くびられるべき人間では絶対に無いと思う。
ある意味では、彼の事が「どう見えてしまうか」という事が、その人がどれだけ恋愛至上主義的な価値観を内面化してしまっているかの尺度になるんじゃないかな、と思う。
遂にはキャラクターソングとか歌いだしたぞ。
しかしなあ、ついに来る所まで来たと思うわ。
今まではYoutube上で地下アイドルみたいな事やってる連中だったけど、今はもう地下アイドルが主戦場にYoutube選んでるようなもんじゃん。
こうなると辛いぞ。
狭い世界に籠もっていた頃と違って今あるあらゆるコンテンツがライバルになるし、真っ先に戦う相手は有象無象のアイドル達になる。
テレビのバラエティとか、芸能人のトークショーとか、そういうのを真似るたびに尖った部分が丸くなっていき、そのトンガリによって届かせていたニッチな空間へのリーチが弱っていくんだぞ。
生き急ぎすぎると衰退が始まるぞ。
そう、はじめから投資として売却、あるいは大規模修繕費用込みで考えているのならマンションは良い。
また、一棟オーナーであれば、はじめっから修繕計画立てて金も積み立てやすい。オーナー側なら共益費とって、きちんとためて計画立てればいいだけだ。
どうしても、どこかのライフスパンで大規模修繕リスクが入る。ということを考えると、
一部分譲だと、他人の意向に振り回されるし、終の棲家としては考えにくい。
借りる側なら、大規模修繕費用は共益費は求められるが、共益費以上は一切負担する必要はない。
定年直後に売って、住みやすくて、中規模スーパーが近く、バスもそこそこ多い安い中古の家に住み替えることを念頭にいれるのなら良いのかもしれんけどね。