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2021-02-21

ホロコースト否定者の出鱈目さ(高須はどうでもいい)

ホロコースト否定者というのは基本アホである

あった・なかった以前の問題で、言ってることやってることそれ自体無茶苦茶なのだ

どれほど無茶苦茶で出鱈目なことをやっているか、一例をあげよう。

 

西岡昌紀木村愛二という1990年代ホロコースト否定ちょっと話題になった人がいる。この二人は、ホロコースト否定の仲間である

 

 

 

私は西岡Twitter上でつい最近やり取りした。必要以上に詳しい内容は書かないのでそんなもんだと思って読んで欲しい。

 

西岡の本に否定論界隈では有名な話が載っている。「137人のドイツ人捕虜睾丸が修復不可能なほどアメリカ兵によって蹴られた」という虐待である。その話自体はどうでもいいので割愛する。

この話が、いったいどこに書いてあったのかがポイントだ。

西岡は「国会図書館にあるから読め」と言う。

この時は西岡本を読んでなかったので、西岡ブログしか知らなかった為、「文献名も知らないのに読めるわけねーだろ」と私は噛み付いた。

すると、西岡、文献名を示した。後でわかったが、その文献名は西岡本に書いてあったそのままである(実際には一文字抜けてたが)。

今時、文献名などググるだけで見つかる時代である

ところが、どういうわけかなっかなか見つからない。でも、Googleさんは偉い! ちょっとくらい単語が違っても似たような候補勝手に探してくれるのである

それは、アメリカ合衆国の政府サイトだった(ちなみに彼らの著書の執筆である1990年代には存在しなかった)。

そしてそれは確かにあった。しかし、資料名がかなり違う。西岡の言った文献名の「Report」は実は「Record」だった。しかもそれは、正しく記述したとしても、文献名そのものではないのである

実は、西岡が書いた文献名は、その資料のいわゆるヘッダーに記載された文字だったのである

どこの世界に、文献名ではなく、ヘッダーを記載するバカがいる?

なぜそうなったのかは、実はその資料木村西岡にそのコピーを渡したものであり、木村国会図書館簡単に見つかった!と自著で豪語していた資料だった。

まり木村西岡にきちんとした文献名を伝えなかったのである。そして西岡木村確認もしていない。ヘッダーに書いてあったからそれをそのまま脚注文献名に書いたのだ。アホか……。

木村西岡に「ここにあのネタが書いてある」しか言わなかったに違いない。

私は、西岡に怒った。違う文献名を書くとはどういうことだ? と。でも西岡は、木村国会図書館にあると言ったから、とか言い張るのである。お前著者だろ? 文献名も知らないで自著に全然違う文献名を記載したのか? と文句言ってやったが、まだわかってないようなので、私は今度は国会図書館ネットを通じて探した。

 

ところが。

 

正しいと思われる文献名で検索しても、まるで見つからないのである。この辺の事情ちょっとややこしい。アメリカ政府サイトの文献名が正しいとは限らないからだ。その文献名はあくまでも、ネット上の資料を示している。

それで、文献名の単語の組み合わせを工夫したりして、延々と探し続けたが、今度はそうすると、ヒット件数が多くなりすぎたりして、どれがどれだかさっぱりわからない状態が続いた。

イライラしてきた私は西岡に「木村のやつ嘘ついてんじゃねーのか? 国会図書館に見つからないんだが」と言ってやったが、西岡木村に対する信頼は揺るがない、絶対にあるはずだという。

そこまで言うならと、国会図書館に直接問い合わせていやったら……あった。しかし、外部から絶対検索できない文献名だったのである国会図書館もどうかしてると思うけどw)。

見つかったので、正直言えば、ある程度は嬉しかったが(自力で苦労して見つけたから)、それだけ苦労させるとはどう言うことだ? お前が知ってなきゃおかしーだろ? と西岡に噛み付いたらやっと西岡は謝ったのである

 

だが、疑問は終わっていない。その文献は、アメリカ議会記録というもので、議会での議論を記録するものであるアメリカ政府1800年から延々とずっと記録し続けている(大抵の国はそうしているが)。そして適当な日数分ごとに製本してまとめて保管している。

から、膨大な量の議会記録が存在するのである。一冊あたり、私が見つけたその冊子だけでも一千ページはゆうに超える。それが数えきれない冊数が存在する。

もちろん、「137人の睾丸事件のあった年代はある程度は絞れる(これ自体は別の本に載っている)。しかし、それでもどう考えても何千ページもの記録から探し出さねば絶対に見つからない。

と言うよりも、その情報議会記録にあるとどうして知ったのだ? もちろん時期も含めて。

まり木村が自著で豪語したような「簡単に見つかった!」は絶対にあり得ないのだ。それは誰かから情報をもらったからとしか考えられないのである。多分、その情報上院議会のある特定の日の議論にあるとだけ教えてもらったのだ。

そんなもん、英語さえわかれば誰でも簡単に見つけられるわ!バカタレ!

それは、細かくいうと第95巻のvol.1という108ページ分の塊の中にある、冒頭ページから20ページ分くらいのところにある情報だったのだ。

俺でもあっさり見つけたわ!バカが!情報を知っていたからだ。西岡の言ったヘッダーにある日付分だけを探したのである

 

とまぁ、あいつらは何から何までこの調子なのだ

どうして、そこの情報欧米リビジョニストから教えてもらえたか(もちろん知り合いだからだが)、は簡単理解し得る。欧米リビジョニストの多くがお気に入りにしているネタであり、元ネタ記載事実上そこにしかいからだ。

元々はある古い雑誌記事なのだが、1949年当時、議会の中で、その記事のことが話題になり、議会記録に記録することになったかである

当時の雑誌を入手するのはアメリカ人ですらかなり難しいそうだ。

が、有難いことにある程度の規模の図書館なら、議会記録は存在するので、アメリカ全州で簡単確認可能なのである

日本でも、国会図書館にだけは存在する(その後調べたら、戦後占領政策をやったGHQ米国政府議会記録を日本国会図書館に保管するようになり、この業務が停止されず延々と続いたそうだ。ただし、今はアメリカ政府サイトで容易に閲覧可能なので、近年の議会記録については国会図書館に保管はされていないと思う)。

このことを知っていたら、情報だけで日本人も容易に見つけられる。

 

ところがまだ話は終わらない。

 

西岡とこの話を最初にしていた時、私が言いたかったのは、上院議会のことではなく、その事件に関する公聴会の報告記録の方だった。ところが、西岡上院議会公聴会区別がついていないのだ。だから西岡自分が所有している木村からもらった上院議会記録のコピー用紙の中に公聴会の記録もあると、訳のわからないことを言うのである

そんなもんある訳ない。だって公聴会の報告記録は上院議会記録とは全く別のものである上に、議会記録は日本にも関係するから国会図書館に所蔵するとしても、細かい公聴会報告までいちいち国会に所蔵するわけがない。しかもその公聴会報告は「137人」事件否定するものでああり、リビジョニストが知っているわけがない(知ってたら、リビジョニストに都合の悪い話だから、自著に絶対に137人事件は書けない)。これを何度言っても、西岡理解しないのである

公聴会記録の表紙を画像で送ってさえ、理解しなかった。

 

こんな連中の書いた本の内容を、どうやって信じる? だから否定論は出鱈目なのだ。あった・なかったの問題レベルではないのである欧米リビジョニスト論文も幾らか読んだけど、まじで酷すぎるよ。フォーリソンなんか読んでるこっちが頭がおかしくなりそう。ただし、基本的な文献名などの記載は、欧米の方はしっかりしてる。西岡木村よりはその面では欧米の方が信頼できるけどな 

あいつらは日本の恥だ

2020-10-28

anond:20201028062551

元増田ですが、N医師は、多分本気で今も「ホロコーストはなかった」と信じてます。実際にネット上でやりとりしたので、私にはそうとしか思えません。

いまだに延々と自身ブログで、もはやとっくに腐ってるとしか思えない主張を披露し続けています

その彼の主張は細かいものがたくさんありますが、代表的ものアウシュビッツ司令官だったルドルフ・ヘス戦後に逃亡して逮捕され、逮捕したイギリス軍人に暴行を受けて自白するのですが、実はルドルフ・ヘス自身死刑を受ける前に自分回想録にそれを書いているのです。1950年代後半にその自伝出版されるのですが、その時点で世間には周知されているのです。

で、暴行を受けて自白はしたが、自分が主張した事は嘘ではないと、ヘスは自伝にそうはっきりと書いているのです。

ところが、N医師は、それよりもずっと後になって出版された、暴行をした軍人回想録記述を持ち出し、「ヘスが暴行を受けたのは事実であるから、主張は信用できない」とおかしなことを言うわけです。そんなの知ってるっつーのw 暴行を受けた事実など事情を知っている人は誰も疑ってねーw

他にも本当にたくさんあるのですが、2000年頃に散々論破されてるのに、本人は論破されたとすら自覚してないのです。

せいぜいがアウシュウィッツアウシュヴィッツに直した程度です。

私は今回、元増田に書いた「防空壕」を認めさせましたが、そんなの欧米否定論だってとっくに知ってる話なんです。あの人、よほど頭が悪いしか思えません。

話してても、全然関係のないことを普通に言うし。

2020-10-27

ホロコースト否定で有名なN医師について。

かつてマルコポーロ事件というものがあった。

マルコポーロ事件 - Wikipedia

この記事を読めばN医師とは誰のことかたちどころにわかるのだが、それはさておき、色々調べてみると、この事件文藝春秋社が一方的に悪いことがわかる。結局、スポンサーへのSWCから圧力という事実存在せず、勝手に慌てふためいただけの文藝春秋者が雑誌廃刊し、社長が辞任し、そして勝手花田編集長(当時)が辞めたのだけだったのであるしかしこれは最悪だった。ホロコースト否定的なことを言うのはタブーだ、という誤った認識世間に与えてしまたかであるSWCは単にホロコースト否定論を監視する団体であり、それまで世界中でずっと抗議してきたのである。なぜなら、欧米では日本など比べ物にならないくらホロコースト否定論は昔から大きな問題だったかである

 

事件の中心人物だった、N医師のその当該記事噴飯物記事だった。何せこのN医師普通ならあの有名なAuschwitz強制収容所は「アウシュビッツ」或いは「アウシュヴィッツ」と日本語表記される筈なのに、「アウシュウィッツ」と呼んでいたくらいのレベルだったのである。今でもAmazon古本で『アウシュウィッツ真実』という初版本は売っているので、その表紙をWeb上で見てみるといい。これが別の出版社からのちにペーパーバック版として出された時に、こっそり「アウシュヴィッツ」に直しているのが笑える。ちなみに、この指摘をしたのは、N医師ネットで散々苔にするほどに論駁していた山崎カヲル氏である

 

N医師は、デイブスペクターによれば、それまでは英字新聞への投稿マニアに過ぎなかったらしい。おそらくは、そうした趣味1995年当時、そこそこ盛り上がりを見せていた欧米ホロコースト否定論に接する機会を与えたのであろう。N医師にしてみれば単に当時の流行り物に飛びついただけだったに違いない。ともかく、N医師別にホロコーストに詳しいわけでもなんでもなく、その程度のレベルであったから、文芸春秋社はきっちり反論記事でも載せるべきだったし、或いはN医師記事など最初から突っぱねるべきだったのである。どれだけ噴飯物の内容だったかは、これでも読んでみるといい。

『アウシュウィッツ「ガス室」の真理』の虚偽

 

だが、たった一度のその記事は、N医師人生を大きく変えてしまった。未だにN医師日本ホロコースト否定論者の第一人者としてたくさんの信者存在する人物になってしまったのである知名度を生かして講演料まで稼いでいるらしい。前置きが長くなったが。

 

アウシュヴィッツのクレマトリウムⅠの捏造疑惑に関する経緯

この問題は、結構事情が複雑である簡単説明英語だがこちらで読むことはできる。一体この煙突問題を誰が言い出したのかはよくわからないが、クレマトリウムⅠの捏造疑惑自体は、1980年代ごろにフランスの有名なホロコースト否定論者だったロベルトフォーリソンが言い出したのである。大概の細かいホロコースト否認論はこのフォーリソンが発祥であるフォーリソンはホロコースト否定を公に行ったことで当局逮捕され、裁判になり、実はこの裁判でクレマトリウムⅠの捏造疑惑は形上は一旦決着しているのだ。だが、フォーリソンはそんなことで諦めるような人ではない。

続いてホロコースト否認問題では欠かせない話題であるツンデル裁判というのがカナダで起きる。欧米では当時かなり大騒ぎになった事件である。そして、このカナダ事件フォーリソンは深く関与した。有名なロイターレポートの発案者も実はフォーリソンなのである。それはともかく、クレマⅠの捏造疑惑ネタがまたこ裁判内で取り沙汰される。この時はフェルデラーという超悪質なホロコースト否認論者が証人となって裁判で取り上げたようである。間違いなく暗躍したのはフォーリソンであろう。この裁判の決着はさておき、最も目立ってこのクレマⅠの捏造疑惑を取り上げたのは1990年代に入ってデヴィッド・コールというユダヤ系アメリカ人だった。ユダヤ人だってホロコースト否認はする人はするのであるが、彼はアウシュヴィッツ博物館に出向いて、アウシュビッツ 担当者まで登場させるビデオを撮ったのである。このビデオは今でもネットで視聴可能であるコール自身はこのビデオ販売に抗議したらしいが、出回ってしまったものしょうがない。しかし、このデビッドコールネタ元は間違いなくフォーリソンであるコールの裏で暗躍していたかどうかまでは知らないが、フォーリソンが1980年ごろに指摘しなければ誰も気づかなかったのは間違いない。2000年代以降はオーストラリア否定論者フレデリックトーベンという人物がこのクレマ1捏造疑惑喧伝していたようであるが、この人物も何度か逮捕されてるということくらいしか私は知らない(正直どーでもいい)。

 

ガス室捏造疑惑って簡単にいうとどういうこと?

簡単には説明がなかなか難しい。全体を把握しようとすると、ホロコーストの全体的な細かな問題まで把握しないといけなくなる。ただ、こう説明することはできる、ホロコースト否定派はどんなことがあっても絶対断じてガス室」だけは認めることはない、のである。他の虐殺方法程度なら認めるホロコースト否定論者はいるけれど、ガス室だきゃあ絶対に認めてはならぬものなのである。そのガス室現在アウシュヴィッツという最も有名なホロコーストにおける強制収容所内にあったものとして公開されているのだから否定論者にとってはまず最初に疑いの目を向けるものになってしまったのだのだろう、それ故に、否定論者にとってはクレマトリウムⅠと呼ばれるその場所は「戦後捏造された」ものでなければならない。

ところがこのクレマトリウムⅠ、実に否定論者にとって都合がいいことに、実際に戦後に「再現工事がなされているのだ。前述したリンク先を読めば書いてあるように、戦時中にいったん防空壕になっていたものを、ガス室として公開するために、もっかい戻したのが、昔は共産圏だったポーランドだったのだ。そして、この再現工事に実際に携わった当時の職人が、前述したフォーリソン裁判に出廷し、「再現工事をこんな感じでやりました」ときっちり証言していたのである。当然、捏造だなんて話にはなっていない。しかし、フォーリソンら否定派は「そんなに都合よく裁判証人が出てくること自体怪しい」と引き下がらない。何せ、1980年代当時は、相手東側であり、西側にとっては怪しすぎる共産圏国だ。背後にはソ連がいて、疑うにはもってこいの状況だった。

 

だが、ほんとはどうでもいい煙突問題に未だにこだわるN医師

前述した海外サイトへのリンク記事にもあるが、煙突問題とは、戦時中にクレマトリウムⅠにあった煙突が、そこが防空壕に改築されるとき解体されたのである。そして、その煙突アウシュヴィッツ博物館1948年オープンするのに合わせて、当時の再現という意味でもう一度作り直されたのだ(煙突だけではなく他も色々工事しているが、結構杜撰再現工事であることは頭に入れておく必要がある。図面をよく見ればわかる)。だから、一時期煙突はなかったのであるが、戦後にそのなかったときのクレマトリウムⅠの写真が残っていて、それを現在写真比較して「戦後すぐにはなかったじゃないか!どうして今あるんだ? 捏造しだろ?」と仰るのである。……アホかと。

実際、煙突ガス室にはほとんど全く関係がない。火葬場があれば、煙突必要だった筈で、クレマトリウムⅠのガス室否定しても、そこが「死体置き場」だったことを否定する否定論者はゼロだって死体置き場」自体バッチリ図面にそう書いてあるのだからである。むしろ煙突がもし戦後に再建されていなかったら、図面を見た人間は気づく筈である、どうして煙突がないのだ? と。結局、防空壕だった時もその前の時も、図面が残っているので、問題根本があるとするならば、ガス室としてほんとに「死体置き場」を使用したのかどうかだけが問題の筈なのである。これが、N医師にはどうしても理解できないらしい。そもそも悪いのはフォーリソンなのであるが(図面をきっちり1980年ごろに既に取得しているのであるが、フォーリソンには図面を正しくみる能力はなかったようである)、そもそも論としてそこがガス室とされるのは、図面にも文書にも残ってないのだからアウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスやその他の証言者の証言しかないのである。こんなの否定論者が一番よく知っている事実の筈である。つまり、最も怪しむべきはその「証言証言者」であるわけだ。だから、私はそのことを直接本人に言ってやったのだが……。

 

実際話してみると、実にくだらない低レベル陰謀論であるに過ぎなかった。

N医師最初アウシュヴィッツ司令官のルドルフヘスの話がガス室根本である」のようなことを言ったので、私はそれはおかしいと指摘した。何故ならば、ルドルフ・ヘス逮捕されたのは1946年3月であり、実はその約1年も前に、問題にしているクレマトリウムⅠのガス室に関する証言をした人物いるかであるポーランドは、ドイツ撤退すると、さっさと戦後処理に取り掛かり、ドイツ終戦を待たずに戦犯裁判に動き出していたのだ。だから1945年4月16日アウシュビッツ囚人だった人物がクレマトリウム1のガス室についてポーランドクラコウというアウシュヴィッツ収容所のある地元法廷で宣誓証言をしているのである。これは時系列として全くN医師の言っていることに矛盾する。

すると、N医師はこう言ってのけたのである

「肝心だったのは、連合国としてはアウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスに中心人物として証言させることだったのであり、誰が証言をし始めようと構わなかったのである」と。

まぁ、そんなことだろうなとは予想はしていたが、N医師自身脳内ストーリーさえ辻褄あわせができればそれでいい低レベル陰謀論者に過ぎなかったのである。彼はこうも言っている(昔からである)、「ヘスはイギリス人拷問を受けて嘘を言わされている」と。拷問を受けたというのは拷問した人物が手記にそう書いているので、事実であるだろうが、拷問受けてなくても当然信用してなかったわけだし、それよりももっと矛盾しているのは、これ拷問したのは「イギリスである。N医師は別のところでは、「ポーランド」が怪しいと言ったり、「ソ連」が怪しいと言ったり、単にめちゃくちゃな脳内理論披露しているだけなのである陰謀論者の一般的な主張通り、陰謀それ自体証明は一切ない。陰謀は巧妙にできているかである

だったら何故、「煙突問題」のように疑われるような事実を残すんだよ? と突っ込んでやりたいところだが、奴らは脳内論理の辻褄さえ合えばそれでいいので、どんなにツッコミを入れても無駄である

 

そんな下らない低レベル陰謀論者を指示する信者たち。

当然私など、N医師に比べりゃ微塵子のような存在しかいから、支持はN医師に集まる。N医師自体ネットに腐るほどいる低レベル陰謀論者に過ぎないことは実際どうでもいい話なのだけど、N医師を支持する人が実際に結構いるという事態を目にしてしまうと、こっちが頭が変になりそうだった。SNSはそうした言わば人気者をあたかも「教祖」のようにしてクラスター形成する仕組みだから、それ自体現象としてしょうがないのだけど、頭では分かっていても実際に見てしまうとねぇ……。

 

というわけでさ、ホロコースト否定論なんざ、そんな下らない低レベル世界なんだ。あなたは、「ガス室」はそれでも疑わしいと思いますか? つーか、なんでそんな低レベル陰謀論が支持者を集めるのか、私にはちっとも理解できません。 

 

追記すると、N医師にはクレマトリウムⅠは一回防空壕に改築させていることだけはなんとか認めさせた。それすら認めていなかったのだから、呆れるけど。

 
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