女性が殺人を犯す割合は男性に比べてかなり低いが、フィクションの中で女性による殺人を描いた場合、これは女性に対する偏見を強化することになるのかね?
私はなると思う。
ただ私は表現の自由を優先させて、そのような偏見は対抗言論で相殺されるべきで、そのようなフィクションに公的な問題があるとは思わない。
仕事先の人間や同僚の家族が次々とPCBで陽性になっているものの、症状について聞くと騒ぐほどではないという「経験」が蓄積されていることに対してそれは届かない。
横からだけど、
この絵は絶対エロ文脈用意してるからオタクは卑怯!本気でわからないなら社会不適合者笑
実は、人気コメに入るかどうかで言うと、
〇これで34文字調度。ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•
×これで34文字丁度。ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•
なんですよ。
調 と言う文字は、調べる に通じるので、建設的ランクが高いようです。
誤字を治したいけど治せない...orz
職域接種で1回目を射った後、2回目の日程が組まれてるのに個人宛の接種券で予約してる奴ら。
ほんとバカじゃねえの?
指摘してもゴネる。
どんな影響が出るのか少しは考えないのか?
「融通効かないのはおかしい」じゃねえよ。
それやったら二重予約が山ほど発生して、それを除外する作業でリソースが喰われるんだよ。
用意したワクチンが廃棄になったりすんだよ。わかれよ。
最近思ったんだけれど、振り返ると自分は今までの人生でいじめられたことも、いじめたこともない。
いつでも浮いていて親しい間の人間もいなかったんだけれど、からかわれたりしたことがなかった。
基本一人なので、誰かをいじめるような場面もなかった。
あまり気の合わない人間がいてもかかわること自体めんどくさい。
逆に自分をそう思っている人もいたんだろうけれど陰で何か言われたっていうのもなかったな。
世の中を見るとほとんどの人がどちらかまたは両方を経験している、と声高に主張しているんだけれど
実際自分のようなやつも多いんじゃないの。
いじる価値もなかったと思う。
基本他者への不寛容さがいろんなものを発生させると思うんだけどなんでそこまで他者に興味あるかがわかんないし
気持ち悪い。
バレンタインには漫画の登場人物宛のプレゼントが出版社に届いたりする。
お礼のメッセージも作者の書いた絵でしかないし、登場人物たちは全て作者や編集部によって作られた虚像だ。
友達が〜と言ったから自分が〜と言い返してやったみたいなスカッとジャパン的なやつを割と見るけど、あれって普通に陰口じゃないか?
誰だか忘れたけど、少し前にたしかラノベ作家(フォロワー数10万超えてた)が定期的に「友人」を出しては、「友人」の発言を作者が論破というツイートを何回もやってるのを見て軽く引いた覚えがある。そしてそれ以降、友人がまたバカやって〜みたいな話に忌避感が出ている。
本当→友達の恥を世界中に暴露してる。しかも、話の詳細等の面倒な所は友人に押し付けつつ、自分はオモシロ人間としてバズるキッカケになる。
創作→対象次第では特定の人物や作品へのネガキャン。また、アカウントを知ってるリアルの知人がいた場合、あいつの事かもしれないと余計な邪念を産みかねない。
というどっちにしても人としてアウトな事になる。
そして、晒す方も晒す方だが、見る方も見る方でそれを咎めるどころか、一緒になって嗤ったり、ネガキャン混じりの物であれば楽しくネガキャンに便乗している。最近5chのまとめでも「ネタでやってる事だからセーフ」を強く主張する者がいるけど、恥晒しツイートを持て囃す者達も似たような考えなのだろうか?
いずれにせよ、「友人」の話をする人には気をつけた方が良いのかもしれない。
高校の頃、クラスにいじめられてるってわけじゃないがかなり浮いてる奴がいた。そいつのLINEのアイコンは明らかに最中の様子だとわかる美少女の顔のイラストで、ちょっと不潔で、周りに本人がいる状態でも平然と悪口を言う奴だった、とここまで書けば避けられていた理由がわかると思う。
でも自分は嫌いじゃなかった。むしろ好きだった。そいつと映画の話をするのはめちゃくちゃ楽しかったからだ。自分の知らない面白い映画を山ほど知っていて、感想を批評も交えながら楽しく聞いてくれた。休日に何度か一緒に観に行ったこともあった。一緒にいて前述のような嫌な点を感じることも少なくなかったが、話すうちに彼が周囲を忌み嫌う原因もわかった。「彼は周囲が自分を嫌い避けるような態度を取るから自分も相応の態度を取っていて、あちらが改善するまで改めるつもりはない」とのことだった。正直鶏と卵だしどっちが先かなんてわかんねえなとは思ったが、そいつは自分のアドバイスなら聞いてくれた。ちゃんとある程度は崩さずに制服着たほうがいい、とか貧乏ゆすりはやめたほうがいい、とか。事実多少は彼の態度は改善されていたんじゃないだろうか。
だから自分がそいつを変えられると思っていた。思い上がりだし傲慢だった。結論から言うと先に自分の限界が来た。何せクラスで彼と話せるのが自分しかいないので、体育祭文化祭修学旅行etcクラスで行う集団行事やグループ分けでは自分が彼とクラスの面々との間を往復し双方を宥め上手く取り持つことになった。高校三年間ずっと同じクラスだったが、案外このために操作されていたのかもしれない。でもいくら取り持っても彼は「自分の影響で揉めて困っているクラスメイトがいい気味だ」「(受け入れた班のメンバーの名前)は偽善者だ」などと大声で叫ぶ。注意すると「でもあいつらの態度だって〜」。結局は行事中も自分がそいつの側にいてずっと上手く繋げ続けるしかない。
初めのうちはこれが嫌じゃなかった。だってそいつと話すのは好きだったし、性格で好きなところも少なくなかったから。困ったやつだなくらいにしか思ってなかった。ある日突然、高三の修学旅行かなんだかで、急にこの取り持ち作業が嫌で嫌で仕方なくなった。原因はわからない。何か決定的な軋轢があったわけでもない。ただどちらも宥めるのがキツくて辛くて無理になった。こうなると何故か彼の嫌なところばかり目につくようになって、映画の話をするのもしんどくなってしまった。これ以上そいつを嫌いになりたくなくて、直接伝えた。あいつらとお前を上手く繋げるのはもう自分には限界で、そもそもあいつらを変えるにはまずお前が変わらないとどうにもならん、みたいな話をしたと思う。そこからは彼がキレて、自分もヒートアップして仲違いして終わった。なかなかに酷いことを言われたし、自分も同じくらいのことを感情に任せて言った。それ以降連絡は取っていない。
この出来事がずっと自分の中で蟠っていて高校時代の長い記憶だったんだが、高校時代の友人に先日「あいつのことあのとき見捨てて正解だったと思うよ、お前も大変だったと思うし同情するよ、本当に縁切れてよかった」みたいなことを言われて「見捨てた」って言葉がずっとぐるぐる回っている。事実見捨てたのと代わりないことをしたし、自分が最低だってことはわかってたつもりなんだけど、でも自分は別に彼とはただ友人だっただけでそこまでの面倒を見る義務があったのか?それが辛くなって辞めたら裏切りになるのか?とずっと考えている。あのとき自分が最後まで我慢できてたら、今でも映画の話ができてたのかもと思うと後悔する気持ちがあるし、今でもずっと彼のサポートをし続けていたかもしれないと思うとはっきり嫌だと思う自分もいる。結局どうしたかったのかは今でもわかんなくて、なんとなくたまに思い出して辛くなるのがずっと嫌だ。いっそ忘れたい。
遊びじゃねえんだよ!
開いたら思ったのと違う展開で笑った
一パーセントくらいちょろまかしてもばれないでしょ~~~~~くれ~~~~