ほんまそれ。辛すぎるわ。
かれこれ8年ギターを続けている。
でも、今日もう辞めようと決意した。
8年もやってるのにいまだに上手くならない。趣味だから別に楽しければ良いと言い訳するも、自己満足が満たされないまま、
だらだらとずっと続けている。8年という数字が大きくて、納得できないライブが増えていく。
自分が上手くないということを分かっているので、たくさん練習をしようと思うが帰宅しても疲れて練習出来ない日や、やる気がでなくて「練習をしなくちゃ…」という気持ちだけが続いて1日が終わってしまうこともしばしば。練習をしないと、曲を覚えないと、他のバンドメンバーに迷惑を掛けてしまう。だから、やらないといけない。やらないといけないのにやれなくて、時間が過ぎて、罪悪感に苛まれて1日が終わる。
はっきり言ってもう、わたしには無理だ。
本当は何度もそう思った。でも8年やってるから、もっと上手くなりたいから、自分が納得するライブをやりたいから、そうやって自分を奮い立たせてきた。苦しい、辞めたいと思ってる自分を無視してきた。
1日何もできなくて、罪悪感で疲れて、涙が出た。わたしは何でこんなに追い込まれてでも趣味をやろうとしてるのだろうか。
これは本当に趣味なんだろうか。もう分からなくなった。だからもう辞める。
ギター辞めたら、ネイルでもして練習してた時間を遊びに行ったりだらだら過ごそうかな。そんなことを考えた。
8年間練習してきた時間、ライブをやった楽しさ、悔しかった気持ち、楽しかったこと、いろんなことを経験した。本当に本当にどれも大切な思い出で後悔はしてない。
これからも続けたら自分に納得できるようなライブができるのかな、なんてことも考えた。
でも、辞める。
わたしが高校生のとき一生懸命バイトして買った高いギター、いっぱい買ったエフェクターボード、溢れるほどの楽譜 ああもう全部要らなくなる日が来るのかと思うと寂しくもなる。
でも後ろ髪引かれるくらいで辞めるのがもしかしたらちょうど良いのかもしれない。少しだけ未練がある方が思い出は綺麗なのかもしれない。
どうかこれを見てる人、趣味が義務にならないように。苦しまないように。趣味を楽しめますように。と願う。
どこにでもいるようなわたしが、ギター弾いてる時だけはカッコ良くて唯一輝いてた時間だった。そんな思い出を胸にこの趣味は手放します。2か月後にライブがあるのでそれでもうひっそりと自分の中で終わる。バンドメンバーにも謝らないと、ごめん。楽しかったな。これでやっと楽になるのか。
そう思うのになんで涙が止まらないのだろう。
この映画はもしもボックスで現実世界を魔法世界に変える話なのだが、便利な魔法を使うには元の世界と同じように魔法の勉強をしなければならないらしい。
のび太は魔法の勉強を嫌がり元の世界に戻そうとするが私がもし魔法を使えるなら寝食を忘れ取り憑かれたように勉強すると思う。勉強により得られる報酬が大きいからだ。
これは現実世界の勉強にも同じことが言えるのではないだろうか。勉強を行う強い動機づけがあれば誰もが寝食を忘れ取り憑かれたように勉強するはずである。にも関わらず多くの人が勉強をしないのは勉強により得られる報酬の大きさに気づいていないからだろう。
セブンのルイボスティーが結構美味しいので最近はセブンに行くたびに買ってくるんだけど、たまに間違えて紙パックの色が似ているグレープフルーツジュースを買ってきてしまう。
どちらも好きだから別段損がないのだけど。
お釣りを渡すとき小銭を先にして客が切れた話なんてどうだ https://news.nifty.com/article/item/neta/12189-20161943777/
これを身近な話に置き換えるといいよ
右巻きの連中は国の利益を第一に考えて政治を語るので国対国にフォーカスが当たってる
左巻きの連中は個の利益を第一に考えて政治を語るので人対人にフォーカスが当たる
うちの近所にある中国人がやってる中華料理屋はむちゃくちゃ美味いし、たまに春巻きを1本サービスしてくれる
姉がコミケにサークル参加してるけど、あなたの大ファンですって差し入れもってわざわざ片言の日本語で話しかけてくれた韓国人がいるらしい
旅行に行くと観光地のホテルには中国人だらけだけど、エレベーターの順番は守るし、すれ違いに肩がぶつかったら「すいません」って言ってくれる
有名観光地でのマナーで言ったらもう欧米もアジアもあんまり変わらない
でもそういう問題じゃねーんだよな 自分の周りの中国人がいい人だから中国の政策もいいかっていうとそんなこたない
ゾゾだけにね
○朝食:なし
○昼食:すけそう鱈と野菜の黒酢あん定食(大戸屋)(日本一美味い食べ物ってこれで決定してるんだっけ?)
○調子
はややー。
昨日書いた通り、心のバランスが少し崩れているのに、お酒を飲んだからか、なんか自己嫌悪が激しい。
家にいるのに、早く家に帰りたい気持ちでいっぱいになってる。
しんどい。
当たるかどうかも分からない上に、コンテンツ終了したら消えちゃう物に金かけるよりも
確実に手に入る物に金出した方がいいわと俺も思ったから、スチームとかで色々買うけど満足感違うわ。
タバコ休憩が許されるなら俺たちも休憩させろっていうのは「なんで障害者は年金もらえて俺たちは年金がもらえないんだ?」と言ってるのと何も変わらんよ。
注:怪文書の類ではないです。また、俺の考えた最強のvita後継機みたいなのも書く気はありません。
自分は以前から以下の三つの理由で、SIEがモバイル(携帯端末)事業を、素直にあきらめるはずがないと思っている。
この理由の詳細を以下に記す。
2018年にSIEの現社長兼CEOに就任した小寺剛氏は、モバイル端末やネットワーク事業を経歴に持つ。
そのような人がトップに居る時に、PS4が好調だからといって、いや好調だからこそ、モバイル事業をそう簡単に諦めるとは思えない。
また、Sony IR Day 2018で『いくぜ一億MAU!』という目標を掲げている。
これをPS4のみで実現しようとすると、基本的に一家一台なので、MAUはいつかは伸び悩むことになる。しかしモバイル端末であれば、一人一台計算になり、MAUは飛躍的に伸びやすいだろう。
Xbox360/PS3/wii(販売日順)の世代のゲーム機の販売競争は、自分は以下のような感じだと認識している。
簡単には書いているが、この三番目の『改善』は、そう簡単なものではなかったと思う。それこそ、血反吐を吐くようなものだっただろう。
このようなエンジニアが所属している企業が、世界で1600万台も売れたPSvitaの後継機を開発せずに、ただリソースを放置しているとは思えない。
PS4は現在、2010年前半の世代の据え置き機(WiiU/XboxONE/PS4)で最も売れている。
このPS4を設計したのはマーク・サーニー氏だ。そして彼は、PS4の設計の際に、PS3の何が良かったか、何が悪かったのかを解析し、そして活かした。(何かの記事で読んだが、どれかは失念)
そして、マーク・サーニー氏は、実はPSvitaの設計に関与している。(ニコニコ大百科および、その情報を元に調べた情報から)
そんな彼が、たった一世代だけ任天堂の後塵を拝した程度で、その次世代機を諦めるだろうか。むしろPSvitaを、PS3と同様に徹底的に解析して、より良いモバイル端末を作るように思う。
もちろん、個人のエンジニアでそんな判断できないだろうという声もあるだろう。だが、少なからず影響力はあると思う。
以上が、自分が『SIEが素直にモバイル事業をあきらめるはずがない』と思う理由だ。
他にも、PSvitaは現行スマホとほぼ同じパーツを使っていたり、既に終了したPlayStation MobileやVitaOSの話も追記しようと思えば出来る。
だが、それらは『モバイル事業をあきらめるはずがない』とは少し違うので、ここでは横に置いておく。
なお、この文章を書こうと思った切っ掛けは、 https://biz-journal.jp/2019/01/post_26229.html を読んだからだ。
ただし、この記事の内容に触発されたということではない。(販売台数の1600万が爆死なのかとか、ツッコミたい所はあるけど)
まとめサイトや個人BLOGではなく、ちゃんとした企業が運用しているBusiness Journalがvita終了の話題を掲載したということが、これを書いた理由だ。
大抵こういうのは逆神になるのが相場なので、そう遠くない時期にSIEがモバイル事業に対する何かしらの発表されると思ったのだ。
そして、その発表後にこのような文章を書いても、『後からなら何とでも言える』でしかないので、今の内に増田に投稿することにした。