はてなキーワード: 野田秀樹とは
今回はせりふが聞き辛かったな。
途中から耳が慣れて聞こえるようになったけれど
野田さんや橋爪さんが聞きづらいなんて事なかったのに。
で、肝心の舞台ですが 重いです。
なので ちょっとまじめに書こうと思う。
昨日からずっと考えてた事。
好き勝手に書くのでご容赦を。
なぜ それをわざわざ触るのか?
といいたくなる題材。
きっと何か意味があるはず。
なんとはなしに感じてた事だけど
十把一絡げ に書いて申し訳ないけど
今の若めの世代の人たちって ちょっと 危ういなって思う事がある。
興味ないことへの興味のなさ度があからさま。
逆に興味があることへの 距離感が近すぎっぽい。
頭でっかち感。
現代の閉塞感のせいもあると思うけど。
「解った上で」って事がない人が多くなっている気がして怖い。
「解った上で」やっている人とそうでない人。
「カチッ」と ハマってしまって
あるんじゃないのかなって ちょっと思ったりする。
で、舞台の話。
なぜ今 この題材なのか。
野田さんもそういった今の危うさを感じていているからなんじゃないかなって思う。
幼子だった子も含めれば
そしてその子達の大多数は
どうして 暴走していく事になったのか。
目の前にぶら下げられる都合のよい作り話を
これらをみて 感じて「考えて」欲しい。
こういうものは 「カチッ」とハマっていい代物ではないんだ。
「忘れるために祈るのよ。でもね、忘れきれないものが残るでしょう。
そのことを忘れないために私は祈るしかない」
でも忘れてはいけない事が残るはず。
その事すら忘れる事がないように私は祈る。
このせりふが それを物語っているのかな。
決して 他人事ではない。
渦中に立った時に あっち側の人間になる可能性が誰にでもある。
私にも。
そして、その可能性の濃度が濃くなっている
今の危うさに気づいて何かを感じて考えて欲しい。
そんな野田さんの祈りにも似た想いなのかもしれない。
いや しかし 重かったなぁ。
いつもは戯曲とか買わないけど
そういえば、観客にエライでかい声で独り言を言ってる人がいました。
ああいう人は始めてだったな~。
小林すすむさんが俳優として食えるようになったのは島田紳助さんのおかげのはず。
1991年頃仕事がなくて苦しかったのを、紳助さんが自分の経営してる芸能事務所に所属させていた。
そして小林すすむさんが俳優としての露出が増えたのは"踊る"からだと思うんだけど、
同じように紳助さんにお世話になっていた遠山俊也さんも"踊る"に出てから露出が増えたはず。
"踊る"のスタッフと紳助さんって何かつながりがあったのかな?
でもネットで調べても、紳助さんが経営していた芸能事務所に関する情報がまったくない。
たしかに"人間マンダラ"の中でそのような話をしていたんだけど。
元々は"土建屋よしゆき"さんのように友達の素人が芸能活動するためのマネジメントをやってた会社だったと思う。
高原兄さんとか、遊民社が解散した後の松澤一之さんとかも所属してたはず。
遠山さんは、遊民社の解散時に野田秀樹さんに頼まれて面倒をみることになった、って言ってたと思うんだけど。
彼のこのような"情の深さ"というのはもっと評価されてもいいと思う。