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2015-01-19

ループものには3種類あるんじゃないかな

というか、「サザエさん時空」に代表される、主人公たちが歳を取らないのはループものじゃ無いと思うんだよね。

もっと極端なことを言えば、ループとして一緒くたにされがちな物語類型には、以下の5種類があると思うわけだよ。

  1. ループもの(劇中の人物がループ自覚的目標達成型)
  2. ループもの(劇中の人物がループ自覚的で好き勝手型)
  3. ループもの(劇中の人物がループ無自覚もしくはメタ
  4. 不老もの(劇中の人物は歳を取らないが、世界は変わる)
  5. 遅延加齢もの(極端に歳のとり方が遅いが、進んでいる)

それぞれ結構違うと思うわけだよ。

ループもの(劇中の人物がループ自覚的目標達成型)

これが、SF代表される時間ループものなんかでの主流だよね。

最近(?)の作品だとオール・ユー・ニード・イズ・キルなんかが典型例で、映画版もかなり良いよ。

何らかの理由ループに巻き込まれ主人公が、ある目標を達成しようとするのが基本。

かいことを言えば、さら目標達成型にも3種類あって

映画の「ミッション:8ミニッツ原題Source Code)」は、結構特殊なんだけど、まあループものだね。

オッサンが多いはてな村だと、「素晴らしき哉、人生!」の方が通りがいいかも知らん。

ループもの(劇中の人物がループ自覚的で好き勝手型)

細田守版の「時をかける少女」が典型例。

もう気持ち良いぐらいにスパンスパン能力を使うんだよね。

目標達成型に似てるんだけど、「ある瞬間は二度とは訪れない」という逆説的な下地があるものが特徴。

元々コレを書こうと思ったきっかけの以下で言うと

なぜかゼロ年代には両者一緒に「ループもの」と同一視されてきたわけですが、しかし「ループ手段とするか目的とするか」で、「ループもの」は全く二つに分かれるのです。

そして僕は、「ループ自体目的とする作品」に、「乗り換え可能な『柔らかい宿命観』」を持つための、重要なヒントがあるのではないかと、そう考えるのです。

http://amamako.hateblo.jp/entry/2015/01/19/000332

ループ目的主人公が、途中からループ手段になるものも多いね

乗り換え可能な宿命という点で見れば、映画バタフライ・エフェクト」も似ている。

ループもの(劇中の人物がループ無自覚もしくはメタ

アニメの「ゆるゆり♪♪」(2期)が典型例。

主人公たちの修学旅行土産木刀が、既に部室に飾ってあることを不思議がるシーンが有る。

これはちゃんとループしてるので、後述する不老ものとは違う。

また、特に脱出目的達成もしない点で異質。

不老もの(劇中の人物は歳を取らないが、世界は変わる)

これがサザエさんが典型例の、劇中の人物が歳を取らないもの

これをループものとして分類するのは雑だと思うんだよね。

なぜなら、長期連載の都合として主人公たちは歳を取らないけど、劇中世界は変わっていくから

象徴的なのが、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の日暮熟睡男

初登場はモスクワオリンピックが行われた1980年で、ロンドンオリンピック2012年とか32年後だぜ。

まあ、実は不老ものにも2種類あって

ルパン結構無茶な終わり方(宇宙船登場)とかあるし、部長派出所吹き飛ばすシーンとかありがちだが、

まあギャグ系に突っ込んでもしかたがないところではある。

遅延加齢もの(極端に歳のとり方が遅いが、進んでいる)

原作漫画の「名探偵コナン」が典型例。

原作者である青山剛昌サザエさんと同じって言ってたらしいけど、ちゃんと時系列としては進んでるんだよね。

大抵の長期連載の漫画小説はこれで、主人公たちは歳を取らないけど、物語は進んで、たまに歳を取る。

みんな大好き「美味しんぼ」もこれ。

世相を取り入れつつ長期連載で主人公たちが歳を取ると、どうしてもギャップからこれになる。

まとめ

コナンいつまでも公衆電話使ってたりとか、サザエさん達が毎年昭和44年を繰り返してるなら確かにループものだけど、

主人公たちが不老であることと、ループしていることは、必ずしも同一ではない。

こち亀両さんが戦中生まれ戦後まれ、いつ生まれたか曖昧と変化があるように、日常系の設定変更は致し方ないものもある。

また、美味しんぼのように、歳は取るものの世相を取り入れつつ連載をする都合で、物凄く歳のとり方が遅い物語もある。

作品世界のすべての人間が不老だとループものだと錯覚やすいが、それは違うだろう、と。

とは言えこれも単なる分類の一つなので、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」をみんな観ろよ、で締めたいと思う。

Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.

2014-09-01

攻殻機動隊SACの続編が見たい

なんというか、サザエさん時空に耐えうる作品なんだよな、SACって。

刑事ドラマみたいにシーズン化してほしい。

2012-05-18

永遠巫女から見たZUNの須臾

Twitterに流そうと思ったけど、長すぎてうまくまとめられなかったからここに流す。

始めてこういうの書くから駄文になるのは確実だけど、やらせてください。かねてからの夢だったんです。妄想核融合で爆進する!

永遠巫女」という曲について考察してみる。第一作目「東方靈異伝」の第1面から5面、ゲームプレイすればテーマソングを除いてまず最初に聴くことになる曲だ。それはつまり、まさに東方project最初の曲ということになる。

ではなぜ、最初の曲なのに「永遠巫女なのだろう。私は、ZUNはこの曲に大きな思いを込めていると思う。(実際にそんなことを述べていたこともあったりする)

ちなみに、この曲はいくつかアレンジがあるが、新しくなるにつれて暗くなる印象を持つ。

かなり初期の作品だが、この曲を聴かずに東方は語れないと思う。是非聴いて欲しい。

曲名の「永遠巫女」を霊夢のこととする。ヤメテヨ。ここを「博麗の巫女」と捉えたら完全に別の意図なっちゃうヨ。その解釈もありかもしれないけど、ここでは一応霊夢一人ということにする。

ここで考えたいのが、幻想郷寿命のこと。二次創作で最も多いネタといっても過言ではないだろう。「霊夢のいる幻想郷」は他の妖怪幻想郷にとってほんの一瞬。すぐに寿命が来る生き物としてZUNは人を表現する。

けど、ZUNは「霊夢のいる幻想郷」という、まさに「一瞬」をずっと映し続けている。どう考えても俺らの感覚では10年は経ったのに、向こうはサザエさん時空間が流出しているかのごとく少女少女のままだ。 時に小町、貴方はこんな経験がないだろうか?

私はペットを飼っている。私はここ数年間ずっとこいつと散歩している。毎日毎日、こいつはよく飽きないものだ。俺は飽きた。

そこからは「永遠」を感じることができる。こいつとずっと毎日散歩をし続けるんだろうと確信する。

だが現実はそう甘くない。こいつも、今年でシニアの仲間入りだ。最近腸に異常をきたして入院した。 私は、こいつが生きている時間は見る側によっては一瞬にすぎない。永遠は一瞬で終わるものだ、と感じた。そんなとき永遠と一瞬の境界はなくなる。

「一瞬」と「永遠」は両立できるものだ。私は、神主はそのことを表現するために今までずっと「霊夢のいる一瞬の幻想郷」を表現してきたのではないだろうかと思う。そして、これからもずっと彼は表現し続けると思う。酒と共に。

それに、幻想郷常識的な概念が通用しないという点も深く考える所がある。幻想郷には、一瞬を永遠に変える力もあるのかもしれない。そういえば、似たような名前の程度の能力を持ったお姫様もいたような気がする。

そこでこの曲。妖怪人間より遥かに長生きという設定は、靈異伝の時点であったのだろう。更にこの作品は1作目。いくら神主といえど、人気が出るか多少は不安だったと思われる。ゲーム自体にも瞬間の儚さを感じられるこの作品の最初の曲からZUNの「永遠」という言葉解釈を伺うことができる。須臾は永遠の始まりであり、須臾こそが永遠なのだ東方projectの主人公は儚く舞い続ける。

そこまで考えて神主は第一作目道中曲の曲名をつけたとしか、私には考えられない。だって凄く良い曲なんだもの

2010-08-09

ドラエモンロボット漫画アニメ)か?

んー、なんかこの話色々論じられてそうだけど

面白そうなんで絡んでみる。

まず、ロボットアニメではない派の言い分はこういうことだ。

ドラエモンは「愉快な人外」であるということ。これはオバQやハットリ君といった

同じ構造を持つ作品、「ケロロ軍曹」に留まらず「ラブやん」なんかも系譜に入ってくると思う。

つか、この系譜はあり過ぎて最早収集がつかない。人間以外のなにかがポンと現れて

現実と非現実との橋渡しになる作品は山ほどある。つか、これの始祖はドラえもんじゃないよね。

俺がふと考えた限りでは代表作はおそらく「ファウスト」だ。

要するに「愉快な人外」というのは、メフィストフェレス的なものなんだろう。

これが重要なのは、「通常の世界に住む主人公」を「非現実世界」へ橋渡すこと。

この物語構造上の形式は「ロボットである」という事実よりずっと重みがあるだろうなぁ。

ドラエモンは「愉快な人外」であれば話が成立するけれど、「ロボット」である必然性には乏しい。

鉄腕アトム」は最初から「未来」の話であり、「アトム」が現実未来を橋渡しているわけじゃない。

物語構造的には、ほとんど類似点は無いと言える。

ロボットである、というのはキャラクターにつけられた属性であり、「オバケである」とか「忍者である」と一緒で

物語の形式上の大きな意味を持ってはいない。だから、あくまで形式の話をすると

ドラえもんは「ロボットまんがではない」って結論になるんじゃなかろーか。

もちろん「ロボットである」ことに力点を置いて論議することも可能だろうし

ドラエモンロボットであることから始まる系譜、あるいはそこにいたる系譜ってのも

頑張れば作って作れないこともないけれど。

あともう一つ。ドラエモンが「ジュブナイル」であるとか「ビルディングス・ロマン」であるって議論も可能だけど

残念ながら、ドラエモンサザエさん時空で終始した物語である以上、これは構造的には確定出来ない。

大長編一つに区切れば、あれはビルディングスロマンだと思うけど。

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