その表現は1992年頃、アメリカの愛犬家が作った一編の散文詩が元になっている。
その詩を要約するとこうだ。
そこで仲間と楽しく遊び回る。
しかし、たった一つ気がかりなのが、残してきた飼い主のこと。
一匹の目に、草原に向かってくる人影が映る。
そう、ペットたちは虹の橋を「渡った」のではなく、そのたもとで「待って」いたのだ。
思い知っちゃったね。
魚自体は好きなんだけどもっとこう焼き魚とか天ぷらとかのほうが好き。
上司と回転寿司にいったときにえびアボカドとか頼んでると「遠慮せずにトロとか食っていいんだぞ」っていわれるし、
友人と回転寿司いっても「おい しみったれたもんばっか食うなよ」と言われる。
好きで食ってるのに。
回転寿司にいって生魚食わないと許されない雰囲気がある。いや、あった。
だからしばらく回転寿司なんて行かずにスーパーで納豆巻きの寿司パックとかばっか買って家で食べてた。納豆巻おいしいよね。
かっぱ寿司で何を食べるか。
圧倒的サラダ軍艦しかないとおもうんだけど、そればっか食べることはどうも許されないらしい。(調べたところ長野はサラダ軍艦大量消費が認められているらしい、長野に転職すっかなぁ…)
昨日は15時頃まで家で作業に没頭していてつい昼食を取り忘れた。
「晩飯まで待つのはつらいな…」と思いつつ今の時間なら回転寿司がめちゃくちゃ空いているのでは?回転寿司なら食う量を調節できるのでは?と考え、近場のかっぱ寿司にいく。
まぁ結構人が入ってたんだけど、待つこともなく着席できた。
いいのか?いま俺を止めるものは誰もいないぞ?
サラダ軍艦5皿に納豆巻き3皿、わさびナス3皿、えびアボカド1皿をいきなり注文にぶち込んだ。
なんだ虹の橋って…
死んだら虹の橋を渡るなんて小さい頃からあんまり聞いたことがない
過度に美化しすぎというか、むしろ茶化してるようにすら感じて不快
心が美しいおっさんおばさんが死んだとしても「虹の橋を渡った」とは言わないだろ
目上の人が亡くなった時に「虹の橋を渡ったんですね…」なんて言ったら失礼に感じるだろ
つまり格下扱いなんだよね
普通に「亡くなった」でいいのにさ
まだ5年ぐらいだけど全く理解できない…
ユダヤ人だったら早いうちに脱がせてもらえたのにな