だから、元増田は「0ないし2人」を助けるための資源として1年に799年かかってるという計算にしてるでしょ?
でもそれは頭が狂った人間の所業なんだって今まで散々説明してきたよね?
1年間に799年時間資源が使えるという発想が狂ってるし実際に使われる労働資源にしても救助活動への資源で計上するんだって言ってるよね?
元増田は799年を10人分の「人生」って言ってるんだから最初は労働資源じゃなくて時間資源と認識していたことは明白なんだよ?
お前は途中まで時間資源と労働資源の区別もついてなかったくせにここまで指摘されてやっとわかったからって阿呆なのを開き直るなよ?
論点はそこじゃねえとかいうけど最初から論点はここだったし結論も元増田の計算はオカシイってことでFAだったよ。
コストベネフィットで考えるなら、生かすための失われる延べ時間と、助かったことによって得られる人の残り寿命の延べ時間を比較するのは、妥当だろ。
生かすために失われる延べ時間て799年の事か? 残り寿命とやらは多くて2人死ぬんだから6993374人、平均寿命80年だから概算で559469920時間つまり63,866年ってことか?
こんなお買い得な話があるかよ。
自由ってなんじゃらホイ。好き放題できること。なんだけど、たとえば五億もっとるのは自由?そりゃ一文無しよりは自由。じゃあ個人資産100億は?ほんとに5億<100億なの?
っていう話を今日してて。セフレの数もそうで。セフレ五人もいるとか自慢してくるヤツがいる。でもそれ自由?親友もそう。10人もいるのに親友なの?ホントに親友?wぼっちよりは自由かもだけど。1人でも深い親友いれば
そっちのがいいって意見も一理ある。以上総括して、自由って量じゃないんだよ。じゃあ何。多様性、バライエティなんだよ。アタリマエ?
たとえば。深い関係のカノジョがいる。カノジョとはいろんな話ができる。なんでも気兼ねなく話せる。これバライエティ。友達もただ多いだけじゃなく、いろんな友達がいる。
JKのメル友が友達の話よくする。みんな同じ高校とかバイト仲間とかなの。狭い世界で似たような価値観の人どうし集まってるの。楽しいかもしらんけど、もっと色んな人と交流して新たな発見があったほうがもっと楽しい。
若くて時間が余りあるのに勿体ないって思う。人生というゲームのユーザーインターフェースは何だと思う?と聞くと「身体」という答えが返ってくる。俺は「意識」。意識がUIじゃん。
身体というのはバイオハザードみたいな捉え方だね。FPS。「外」から「身体」を操作する、という観点。これに対して、「意識」を介して「心」や「身体」を操作するという観点もアリ。
FPSだと「心」がない。「心」があるのがこの人生。だから「身体」と「心」の両方の上にあるもの、「意識」という観点が重要なんだよね。わかる?もっとも身体と心は見る角度の違いで明確には区別できない。
意識が自由なのが本当の自由。バライエティがダンチだから。さあご飯食べよって時に、いつも同じ食べ方しかできない。これほど悲しいことはないよ。さまざまな楽しみ方のレパートリーがあり、
楽しみ方の着眼点があり、それらを組み合わせて新たな楽しみ方を作り出す創造性もある。そんな人とは雲泥の灯火だよな。子供のおもちゃで迷路組み合わせて迷路作るやつがあって、
パッケージに「組み合わせ○○億通り!」って書いてある。同じようなパーツ組み合わせても同じようなものしかできない。これ、バライエティがないの。もっといろんなパーツを集めないといけないな?
日頃から意識していれば、違いのわかる男になる。いろんな手持ちの札があるから、組み合わせていろいろ作れる。それが楽しいんじゃないか。情操教育ってなによ!色の違いを教えてカラフルにみれるようにする。
レールに乗って生きることに慣れると忘れてしまうんだ。レールから外れるのにもう大変な努力が必要。レール、確かに便利だけど不自由をもたらすから気をつけな。確実に不自由もたらすから。
だから、「0ないし2人」を助けるための労働量とは実際の救助活動や治療にかかるコストとして算出するのが適当であって、799年かかってるという計算にするのは頭が狂った人間の所業なんだよ。
それに799年かかってるがゆえに0ないし2人の被害で済んでるんだとしたらどうすんだよ。
避難訓練無い時代の火災被害人数でも引っ張ってこないと避難訓練のコストがどうこうなんて言えねえんだよ。
馬鹿すぎるだろ。
違うよ。全然違うよ。
日本だろうがアメリカだろうが「資源として利用できる時間」は365日だよ。
お前の計算式で産出されるのはいうなれば労働量であり、それがつまり作業量や売上金額という形でより具体的に数字化されるんだよ。
1人が1時間無駄にするのと、6993376人が1時間無駄にするのとでは、コストとして比較にならないことが何でわからないかな。
何人で無駄にしようと「資源として利用できる時間」で考えるなら1時間は1時間だよ。
6993376時間すなわち799年が無駄になったという計算にはならないんだよ。
799年無駄にしたという計算は6993376人一人一人それぞれに一時間ずつ割り当てて訓練した場合にのみ成立する。
その場合の労働量をこそ延べ6993376時間すなわち799年分と計算することができ、かつ799年分の労働量を1時間で成し遂げられるので学校での年一回一時間の避難訓練は時間を有効活用していると結論付けることになる。
こいつの言ってる「良い値段」ていうのは「良い価格設定ですね」なんだよ。プライシング。
その発想はなかったわ。「良いお値段」の意味を解さない日本人なんているんかね?本当にいるんだとしたらゆとりパねぇとしか。「良い値段」を「良い価格設定」の意味で使うやつもそうそういないと思うし。
ていうか元増田のセリフが「良い価格設定」の意味だと思ったソースどこよー。会話の流れなんて、
「XXの椅子高いっすよね → は?うちの方が高いし → 自慢乙」も、
「XXの椅子の価格設定良いっすよね → そんなこと言ったってそれ安いぞ。うちのは高いぞ。 → 自慢乙」も、
両方ありうるっしょ。脳内で妄想が膨らんじゃって決めつけちゃうタイプのひと?
おいおい頼むよ勘弁してくれよ
またそこに戻ってくるのかよ…
それを延べで799年と計上することが狂ってるの。そういうコスト計上は出来ないの。延べ計算対象じゃないから。
元増田記事はその記載内容を正しく把握され、かつその記載内容の狂いっぷり故に突っ込まれているの。
1.4%の児童が被害に遭ったというなら、逆に言えば残り98.6%、実に689546874時間が訓練で救われてるんだろ。
78,715年。ほぼ8万年が救われるわけだ。
799年なんて誤差だ。