はてなキーワード: YMCAとは
1823年、パブリックスクールのラグビー校で行われていたフットボールの試合中に、エリスはボールを持って走り出した。
このエリスの反則行為こそがラグビーの起源である、という説が広く知られている。
当時、イギリス各地のパブリックスクールでは、それぞれにルールの異なるフットボールがプレイされており、
そのなかでラグビー校で行われていたフットボールこそが、後のラグビーに多大な影響を及ぼしたことは事実であるが、
エリスのエピソード自体は一種の神話であり、本当の出来事だったという証拠は見つかっていない。
とはいえ、他に名の知れた人物がいないこともあり、ラグビーの発明者と言えば、いまでもエリスが挙げられるのである。
ラグビーW杯のトロフィーは「ウェブ・エリス・カップ」と呼ばれる。
ウィリアム・ウィートン。
野球の原型は、クリケットやラウンダーズ、あるいはタウンボールといった競技だとされるが、
それを現代的な「ベースボール」に仕立てあげたとされる人物は何人か挙げられる。
1907年、「南北戦争の英雄であるアブナー・ダブルデイ将軍が、1839年にクーパーズタウンで野球を考案した」との調査結果が発表された。
この説は長く信じられており、クーパーズタウンには野球殿堂が建てられたが、やがて全くの無根拠であったことが明らかとなった。
次に、1842年にベースボールチーム「ニッカボッカーズ」を設立した、アレクサンダー・カートライトが「野球の父」として知られるようになった。
ニッカボッカーズが1845年に明文化した「ニッカボッカー・ルール」が現代野球の元になったとされているからだ。
ただ、1857年にニッカボッカーズが野球の人数(9人)・イニング数(9回)・塁間(90フィート)を定めたとき、
カートライトは既にニッカボッカーズを離れており、ドク・アダムスがチームのリーダーとなっていた。
アダムスはその後、1858年から1862年まで全米野球選手協会に参加し、ルールの整備を主導していた。
そして、最近の研究によると「ニッカボッカー・ルール」は、別のチームである「ゴッサム・クラブ」のルールを受け継いだものだとされている。
ゴッサム・クラブでルール制定に携わり、それをニッカボッカーズに持ち込んだのがウィリアム・ウィートンだった。
弁護士となってロンドンに出てきたあと、1862年にバーンズ・フットボールクラブを設立した。
1863年、彼は新聞に寄稿し、フットボールのルールの統一、およびそれを行うための団体の設立を提案した。
同年、各地のフットボールクラブやパブリックスクールの代表がロンドンの居酒屋で会合し、
ザ・フットボール・アソシエーション(FA)が設立された。
モーリーはFAの書記に任命され、「ロンドンルール」と呼ばれる統一ルールの草案を作りあげた。
このとき「ボールを持って走ってはならない」「相手のスネを蹴ってはならない」というルールが導入され、
それに反対するフットボールクラブはFAを脱退して、代わりに「ラグビー・フットボール・ユニオン」を1871年に設立した。
これによりアソシエーション・フットボール(サッカー)とラグビー・フットボールとが分立することとなったのである。
また、モーリーは統一ルールに基づく世界初の公式試合のプレイヤーの一人でもあった。
これらの功績により、モーリーは「現代サッカーの父」とみなされている。
それまで室内で行われていたテニスを芝生の上で行う「ローンテニス」を考案して、1874年に特許を取得した。
ラケットやネットなどをワンセットにして「スフェリスティキ」と名付けて売り出し、大成功を収めた。
ローンテニスは急速に普及し、1877年には第一回ウィンブルドン選手権が開催された。
当時、芝生でテニスを行う試み自体はいくつかあったものの、発明者としての名声はウィングフィールドに帰せられている。
当時、アメリカ各地の大学でバラバラだったフットボールのルールを、
ラグビーをベースにしたものに統一しようという機運が生まれたことで、
そして1880年の会議において、イェール大学の主将だったキャンプは、
さらに「スクラム」をやめて「スクリメージ」を導入することを提案した。
1882年に導入された「ダウン」制と合わせて、ここにアメリカンフットボールの基本ルールが完成した。
彼はその後も、アメフト黎明期におけるルール整備の中心人物だった。
このためキャンプは「アメリカンフットボールの父」と呼ばれている。
1891年、マサチューセッツのYMCAで非常勤の体育教師となった。
サッカーやラグビー、ラクロスなどをベースに、ネイスミスは新しく安全な競技を案出した。
激しい接触プレーをなくすためにボールを抱えて走ることを禁止し、
さらにシュートを身体で防ぐ必要がないようゴールを頭上に設置した。
ゴールには桃の籠を使ったので「バスケットボール」と名付けられた。
現在、全米大学男子バスケの年間最優秀選手賞にその名が冠されている。
1891年、ジェームズ・ネイスミスに誘われて、彼の勤めるYMCAに入学した。
1895年、モーガンはバスケットボールよりもさらに安全な屋内競技として、
テニスやバドミントン、ハンドボールなどの要素を混ぜ合わせてバレーボールを考案した。
当初はバドミントンから取って「ミントネット」という名前だったが、
実を言うと、普通の人間は肉体指向以前の生活も理解できないんだけど、あれらはまだ物質的な要素を内在してるから、そっちだけを受け取ることはできる。
それまで物質的な要素+言語的な要素だった生活が、精神体生活へと移行する時に物質的な要素を切り捨てたのね。より純粋な存在に進化するために。
だから、それまで物質部分だけを受け取って喜んでた普通の人間は急にわからなくなりヒステリーを起こした。
だけど、生活上級者は肉体指向以前にも言語的な部分しか見てないから普通の人間が何を騒いでるのかわからない。
普通の人間って、物質化の凄いやつが精神体生活になるとか勘違いしがちだけど(自然派ママもその変奏)、全く質の違うもの。
物質化って、重複所有をひたすらシェアリングエコノミーに括り出すようなもの。副作用がある。
日本の人er(有田田中落合とか)って教養がない極東の田舎者だから、副作用を理解できない。すぐに「物質化」を持ち上げる。怖いんだろう。自分に理解できない生活が。ノマドですら大多数は理解できないんだもの。あんな教科書的なものですら。
とにかくアジアって精神後進国なのね。トップの日本ですらこうなのだから。"瀬戸内"寂聴が仏教で縁故社会を脈絡なく解析してホルホルしてるレベルだもの。
まず日本に生まれた時点で、精神体生活を理解するには圧倒的に不利。こんなこと言うと、「普通の人間にもわかやすく説明できるのが一流ダー」みたいな恥ずかしい駄々っ子が沸いてくるけど、生活って歴史上一度も大衆を相手にしてないので。
Amazonの恩恵で、普通の人間もヨガマットを無料で使えるようにになっただけで泣いて喜ぶべき。
そしてあれは、将来のクルセイダーとサルヴェーダの入り口としてやってるの。1000人に1人、将来コミュニティに貢献する人材がいるかもしれないと信じて。
最近の悪いくせで、
すぐ名前で検索してフェイスブックとかその人のこと見ちゃうやつ。
まあ、それはともかく、
今の昨今、
だれかしら、だれのがれかしら
インターネットにはクロスケーブルで直接頭と接続してるわけじゃない。
ある日気付くの、
何かの弾みで、
頭の電力供給も兼ね備えているLANケーブルが外れて我に返るの。
私が今まで生きて生活していた世界は仮想現実だったのかー!って
マトリックスばりか、
話をもとに戻すと、
ネットで
何か訳ありなのか・し・らって、
私の本名は実は
私をさらって行くという
ってウソだけど。
まあ、
一つもいいこと無いんだけどねぇ。
いままで、
それで得した覚えないわ。
でも、
本当にヤバかったら
本当に調べるのなら、
駅の伝言板でYMCAって書いて素晴らしいヤングメンからの連絡待つくらいだわね。
謎が謎を呼ぶわ。
彼の犯罪歴を調べるのは、ね……。
パタム……。(手帳を閉じる音)
そろそろ、
崖の上で柳沢慎吾が
うふふ。
牛乳かけて食べるんだけど、
その牛乳がほどよく甘くて美味しくって神がかってるわ。
神ってるー!
グリーンだよ!
てなもんね。
すいすいすいようび~
今日もご機嫌さん!
元気にいきましょう!
またやりませんでした。
その他
リハビリとして。 辛くはない。下腹部ではなく真ん中あたりの腹筋が痛かった。
結構な引きこもりで、ネガティブな考えになってたけど、何とかしなきゃいけないと思い、自己催眠の本を図書館で借りてみた。
本に書いてあるやり方じゃないけど「何も怖くない」と頭の中で言い続けていたらいくらかポジティブになれた。
俺は小学校中学年から高学年くらいまで、寝る前に布団の中でその日した悪いことを振り返り「ごめんなさいごめんなさい」と頭の中で言っていた。
小3の頃行ったYMCAのスキー合宿中に聞いた「この話を聞いてしまった人は夜中にお化けに殺されるかもしれない・・・」系の話にビビり、「腰を低くすれば狙われないだろう」と思ってやり続けたことだ。
今考えたらバカみたいな話だけど、当時は必死だったし、下手すりゃこれが自己暗示になってネガティブになったんじゃないかって、たまに思う。
帰りの新幹線で怖い話をしたあの引率の20代の男、絶対に許さない。呪う。
明日は行けたら市営ジムに行こうと思う。スクワットの正しいフォームを聞けたら聞こう。 その結果次第で30日スクワットの方はやめるかもしれない。
その前に家族会議だ。ちゃんとしよう。