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はてなキーワード: 青森出身とは

2024-02-23

総務の女の子がやめてもうすぐ1ヶ月が経つ

青森出身でたまに訛ってて可愛かったなあ

残ったのはババアばっかり

はぁ

あの未婚ババアいじめられてたんだろうなあ

2023-07-07

まり、「比喩表現を使うのは侮辱行為」ってコト!?

うそうでしかないですよこれは。

特定のモノを他のモノに喩えることそのものが令和においては悪なんですよ。

たとえば「リンゴみたいに真っ赤なほっぺ」と言われた人が「オラが青森出身からなめっぺなぁ!」とキレたらそれはもう問題発言なんでしょ?

「雪のように白い肌」を「は?夜明けとともに溶け出すような化粧だって言いたいのか?」って言われるならもう褒め言葉だって禁止でしょうよ。

これはもう食べ物でもゲームでもアニメでも漫画でも小説でも人間でも病気でも感覚でもこの世界のありとあらゆる事が同じように「お前、俺の地雷を踏んでるぞ?」で無限問題にできるということですよ。

じゃあもうそのものずばり以外の話は出来ないでしょ。

それでも無理ならもう人類は会話が不可能になるわけですけど、流石にそこは踏みとどまると思います

ストV面白いよね」に「楽しめない俺がゲーム音痴だってのか?テメーの配信荒すわ」が返ってきても、「ストV面白いと言ったやつが悪いよな」ってなるなら流石にもう人類に会話は不可能ですからね。

から禁止されているのはあくまで「比喩表現」までなんだと思います

そう信じます

2022-01-31

青森がいつも田舎扱いされてムカつく

あー、また出てきたよ、青森小馬鹿にしたコンテンツが。これ青森出身の人が書いたならまだわかるけど、ツイッター見たら岩手出身らしいじゃん。なんで自分地元岩手じゃなくて青森なんだよ。訛り具合じゃ変わらねえだろ。

あいい、これは同じ北東北のよしみで許してやるよ。でも、青森が他県の人に田舎扱いされることにいい加減耐えられなくなってきた。

漫画とかドラマ世界だと、究極の田舎僻地といえばいつも青森だ。「青森工場に転勤になった。もう会えない」ってなんだよ。新幹線に3時間20分乗れば東京まで出れるぞ。いつの時代だ。

そもそも青森に転勤ってどんな会社だよ。工場なんか大してねえし、むしろ輸送費がかかってコストがかさむだけだぞ。ストーリー構成上、キャラを退場させるために青森にしてるんだろうけど、適当すぎるだろ。

上京したばかりの田舎キャラがいつも青森出身者でインチキ津軽弁喋ってるのもムカつく。「~やづ」とか言わねえし。しか実家リンゴ農家とか安直過ぎ。馬鹿にしてんのか。なんで毎回青森なんだよ。鳥取とか佐賀とか他にも色々あるだろ。

田舎田舎って、現在も住んでる人がいるんだぞ。田舎って馬鹿にしていいのは地元民だけだ。


……と青森出身者が書いてみた。そんなこと気にするなって思われるかもしれんが、毎回毎回地元がド田舎扱いされるのは普通に嫌だぞ。せめて青森を出すなら、なぜ青森である必要性があるのか、こっちが納得するようディテールまで作り込んでほしいわ。

2021-03-03

anond:20210303143722

青森弘前出身の知人(20代)がめちゃめちゃ青森弁喋るよ

青森出身同士(全員同い年)でキャスやってるの聞いたときマジで一言もわからなくてびっくりした

2020-11-18

anond:20201118101035

本邦のゴブリナは青森出身だということはあまり知られていない

2019-03-26

anond:20190326141234

被害者の方も青森出身だったよね確か。

別にどこ出身でも構わんとは思うけど。

2018-06-20

anond:20180620121738

http://megalodon.jp/2009-0724-1941-48/www.sankei-kansai.com/2008/10/07/20081007-002852.php

秋の収穫を迎えるころになると毎年、青森県弘前市から大阪新聞社にリンゴが届けられる。このリンゴ大阪府内の福祉施設クリスマスプレゼントとして贈られる「善意リンゴである

大阪新聞が贈り物の橋渡し役をしている。

善意リンゴは、13年前の 「リンゴ事件」 がきっかけで始まった。

昭和59年4月23日、大阪京阪天満橋駅前。青森からトラック行商にきた人が、はるばる運んできた赤いりんご80箱をトラックの荷台に積んで売っていた。

桜の季節で、駅前は近くの桜の名所、造幣局の 「通り抜け」 に訪れた人たちでにぎわっていた。

事件はその人が、電話をかけるため目を離したわずかなすきに起こった。

リンゴの山に、「試食をしていただいて結構です」と垂れ幕がしてあった。それをみた人が、つい一つ、手にした。

リンゴはただやで」ということになり、1個どころか何個も手にする人が出た。

「押さんといて」。群集心理に火がつきトラックの前には身動きもできない人だかりがした。興奮してかリンゴの山にのぼり、人がきを目がけてボンボンリンゴを投げる背広姿の男の人もいたという。

千数百個のリンゴはアッという間になくなってしまった。

かえってきた青森の人は、ぼうぜんとした。最初は何が起こったかからない。

http://megalodon.jp/2010-0412-2052-49/www.sankei-kansai.com/2008/10/07/20081007-002853.php

被害総額40万円。

「いまさら警察に訴えてもしかたがない」と被害届も出さなかったが、マスコミに「大阪は本当に怖いところ」ということばを残して帰った。

大阪新聞は、事件の発生から3日後に「大阪良識を取り戻そう」キャンペーンを展開した。これが当時の佐藤編集局長の発想である

「いまからでも大阪良識を取り戻しましょう。持ち帰ったリンゴの代金を支払うのも反省の証の一つです」と代金の支払いや寄付を紙面で呼びかけた。

キャンペーンは大きな反響共感を呼んだ。

天満橋サラリーマン」を名乗る人からは「事情が分からず、4個拝借しました。申しわけありません」と代金の倍額の2千円を届けてきた。「大阪イメージダウンになるのはたまりません」と10万円をボン寄付する団体も現れた。

青森出身の舞踏家江口乙矢さんも3万円を寄託。寄金は31万2500円に達した。

現地の希望に沿い、交通遺児のために役立ててほしい、と編集局長弘前市役所を訪れて、大阪市内の幼稚園児が描いた200枚のリンゴの絵とともに福士文知市長に託した。当の被害からは、「大阪人の真心に触れることができました」と手紙が届いた。

大阪弘前の両市が市制100年を迎えた平成元年からは、府内の福祉施設へのリンゴ寄付スタート。そして平成9年も10月23日、市内のホテル金澤弘前市から大阪新聞社に20ケースのリンゴが託された。

昭和55年の毎日新聞じゃなくて昭和59年の大阪新聞(後の産経新聞)やし、

記事中にもあるとおり群集心理で「無料で取ってもいいもの」と思われただけで、

しか大阪めっちゃ反省しとるやんけ。

嘘ついてまで大阪人を貶めるなんてとても同じ国の人とは思えへんわ。

2018-01-16

anond:20180116143945

差別は駄目だろ

差別ってのは、例えば飲食店

「お前は青森出身から立ち入り禁止

とか、バス

「お前は派遣社員から利用禁止

とかやるのが差別だよ?

別に

馬鹿にしたりするのは差別ではない。

しかし、誹謗中傷にあたる。

2016-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20160923155029

ふらいんぐうぃっち 青森出身声優

倉本啓治(パパさん):小形満

石渡那央:三上枝織

家庭科先生:廣田悠美

女子塩谷綾子

おばちゃん:慶長佑香

これだけ青森出身声優集めてたらそりゃ正しいわけだ。なるほど。

http://anond.hatelabo.jp/20160923154055

パパの声優出身者だからそりゃ正しい

聞き慣れた言葉で、濃くも薄くもない(爺婆はもっと濃いし、若者もっと薄い)

とてもきれいな津軽言葉だよ

けいくんはまぁご愛嬌ということで

 

 

関係ないけど、パパさんの中の人が演じてた、シュタゲの中鉢博士青森出身って設定らしいけど

結局シリーズで訛りを活かしたシーンあったのかね?

そういう理由での起用だと思ったけど

2016-05-28

職場若い勘違いブスがウザすぎる

青森出身のお前だよ、お前!

20代前半で40代ババアみてーなほうれい線クッキリな顔しやがって

何が「あたしー石原さとみ似って言われるんですー」だよ!

頑張っても大久保佳代子だろ!大久保佳代子にも失礼だ!

で、どうしてそのルックス小悪魔ぶってんだ?

あ?既婚者なめんなよ?

そもそも、てめー髪が草臭い青森実家畜産農家でもやってんのか?

エレベーターでわざと二人きりの状態になって、体近づけてくるけどよ。

そもそも、てめー草臭いんだよ。牧場ガールかよ。

牛みてーに乳デカいからって調子のんなよ?こら?

巨乳って言って許されるのは、最低でもややぽちゃまで。てめーはただのデブだ。

身長デブって、脂肪の塊かよ。

なんか暑いわーみたいな感じで巨乳アピールしてんじゃねーぞ。おい、ブタ女?

近づいただけでかすかに満州するかのような体臭くせーチビデブ不倫のお誘いしてくんなよ?

お前は盛りのついた家畜か? てめー抱いたらチンポが腐るわ。

これ以上アプローチしてくるなら、無理難題ふっかけて僻地に飛ばすからな。

いっそのこと青森に帰るか?ああ!?

なーんて強く出れない・・・が、社内ストーカー女が怖いです。どうしよう。

2013-12-02

出産

今年はじめて出産した。

出産の痛みとはどんなものなのか、臨月の頃に色々調べた。

男性経験したら死んでしまうような痛さ、鼻からスイカをひねり出すような痛さ、ひどい便秘のような痛さ…などなど、人によってその痛みの表現はまちまちだった。

おおよそ陣痛から出産まで16時間ほどかかると聞いていた。痛みがひどくなるのは後半で、はじめの頃は談笑もできるらしいとも聞いた。

いよいよ予定日になったが、陣痛のようなものは来なかった。その日の午前2時半頃、寝ていると突然お腹が痛み出した。腹を下した。トイレから出たあともお腹が痛い。何か変なもの食べたかなあと思った。少し寝ぼけていた。

もしやと思って病院に行くと、子宮口が開いていた。おどろいた。お腹はどんどん痛くなる。生理痛に似ていた。私は生理が重い時はお腹の内側から錐でメッタ刺しにされるような痛みを感じる。陣痛はその痛みに波があり、次第に強くなっていく感じだった。

分娩台にかじりついてヒーフー息をしながら、次は絶対無痛分娩にしようと思った。真剣に無痛分娩について考えていたわけではない。とにかく痛かったのだ。陣痛の痛みを舐めていた。こんなにハードだとは思わなかった。世の中のお母さん方はすごいと思った。涙目になっていた。

痛くて仰向けになれなかったので、体を横向きにしていたが、いよいよいきんでもよいということになったので、仰向けになった。助産師さんが足を持って分娩台の足置きにおいてくれた。その時、私の太ももに謎の青あざが四角の形でできていたことに気づき、みんな口々にどうしてこんな形のアザができたのかしらと話していた。私はそれはいきむ前、体を横向きにしてヒーフー言っていた時にできたアザかと思いますと言いたかったが、とても話せる状態ではなかった。岸辺打ち上げられた魚のような私と、冷静な助産師さんたちのギャップおかしかった。

いよいよ最後のいきみがはじまった。分娩室の窓の外が明るかった。助産師さんは自分のおへそを見る感じでがんばって!と励ましてくれた。私はふくらんだお腹のへそを見て、思いっきり下腹に力を入れた。顔の中央に目鼻が集まる感じがした。いきみながら、なぜか私の脳裡に青森ねぶた山車灯籠が浮かんだ。険しい顔の武者の灯篭が、どんどん迫ってくる。もう一回いきんで!と助産師さんの声が聞こえた。私は思いきりいきんだ。ねぶただ!ねぶただ!と何故か自分に言い聞かせていた。意味がわからない。私は青森出身ではない。しかしおそらくねぶた山車灯籠の武者のような顔をしていたと思う。

「お母さん、見て!」と助産師さんが武者を呼んだ。股の間にお医者さんに抱き上げられた真っ赤な赤ちゃんが見えた。いつの間にか産まれていた。頭が瓜のように縦長になっていた。鳥山明の描いた何かに似てると思った。

赤ちゃんは元気に泣いていた。私は助産師さんが枕元に運んでくれた赤ちゃんに「おはよう」と言った。赤ちゃんは本当に真っ赤で、とてもとても小さい人間だった。

時計を見ると7時前だった。

それから切れた局部を塗ってもらった。陣痛も痛かったけど、その縫合も痛かった。一針一針、注射器で刺されるようだった。

ともかく無事に産まれてよかった。私にとって出産の痛みはねぶたを思わせるものとなった。

まわりの人には安産だと言われた。たしか時間的には短かった。トラブルもなかった。陣痛24時間以上続く人もいる。帝王切開の人も大変だと思う。本当に世の中のお母さん方はすごいなあと、病室で横になりながらしみじみ思った。

その時はまだ、翌日からはじまる母子同室のハードさなど、微塵も想像していなかった。

2008-09-17

りんご姫が可愛かったなぁ

学生のころ所属したサークルで、地方から出てきた女の子

『○○(出身地の特産品)+姫』という

あだ名を付けるのが流行ったことがある。

たとえば、

青森出身の娘は『りんご姫』

和歌山なら『みかん姫』

大分なら『かぼす姫』。

もし岡山の娘がいたら『ピーチ姫

鹿児島だったら『イモ姫』だったんだろうか。

そんなどうでも良いこと考えながら仕事してた今日の昼下がり。

2007-10-05

そろそろ

http://anond.hatelabo.jp/20071005061957

リンゴ事件」

秋の収穫を迎えるころになると毎年、青森県弘前市から大阪新聞社にリンゴが届けられる。このリンゴ大阪府内の福祉施設にクリスマスプレゼントとして贈られる「善意のリンゴ」である。

大阪新聞が贈り物の橋渡し役をしている。

善意のリンゴは、13年前の「リンゴ事件」がきっかけで始まった。

昭和59年4月23日大阪京阪天満橋駅前。青森からトラックで行商にきた人が、はるばる運んできた赤いりんご80箱をトラックの荷台に積んで売っていた。

桜の季節で、駅前は近くの桜の名所、造幣局の「通り抜け」に訪れた人たちでにぎわっていた。

事件はその人が、電話をかけるため目を離したわずかなすきに起こった。

リンゴの山に、「試食をしていただいて結構です」と垂れ幕がしてあった。それをみた人が、つい一つ、手にした。

リンゴはただやで」ということになり、1個どころか何個も手にする人が出た。

「押さんといて」。群集心理に火がつきトラックの前には身動きもできない人だかりがした。興奮してかリンゴの山にのぼり、人がきを目がけてボンボンリンゴを投げる背広姿の男の人もいたという。

千数百個のリンゴはアッという間になくなってしまった。

かえってきた青森の人は、ぼうぜんとした。最初は何が起こったかわからない。

被害総額40万円。

「いまさら警察に訴えてもしかたがない」と被害届も出さなかったが、マスコミに「大阪は本当に怖いところ」ということばを残して帰った。

大阪新聞は、事件の発生から3日後に「大阪の良識を取り戻そう」キャンペーンを展開した。これが当時の佐藤編集局長の発想である。

「いまからでも大阪の良識を取り戻しましょう。持ち帰ったリンゴの代金を支払うのも反省の証の一つです」と代金の支払いや寄付を紙面で呼びかけた。

キャンペーンは大きな反響と共感を呼んだ。

天満橋サラリーマン」を名乗る人からは「事情が分からず、4個拝借しました。申しわけありません」と代金の倍額の2千円を届けてきた。「大阪イメージダウンになるのはたまりません」と10万円をボンと寄付する団体も現れた。

青森出身舞踏家江口乙矢さんも3万円を寄託。寄金は31万2500円に達した。

現地の希望に沿い、交通遺児のために役立ててほしい、と編集局長が弘前市役所を訪れて、大阪市内幼稚園児が描いた200枚のリンゴの絵とともに福士文知市長に託した。当の被害者からは、「大阪人真心に触れることができました」と手紙が届いた。

阪、弘前の両市が市制100年を迎えた平成元年からは、府内の福祉施設へのリンゴ寄付スタート。そして平成9年10月23日、市内のホテル金澤弘前市長から大阪新聞社に20ケースのリンゴが託された。

産経関西 大阪新聞

http://www.sankei-kansai.com/osakasimbun/osaka56.htm

http://www.sankei-kansai.com/osakasimbun/osaka57.htm

 
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