はてなキーワード: ナチス党員とは
詳しいな。お前もナチス党員なの?
・親露派陰謀論アカウントが、オーストリア議会におけるウクライナ・ゼレンスキー大統領のオンライン演説の直前に、ほとんどの議員たちが一斉に席を立った(ように見える)動画を投稿
・東京新聞の記者がその親露派Z脳の投稿をいいね・リツイート(ちなみに立憲民主党・原口議員もリツイート…)
・しかし席を立ったのは、実は元ナチス党員が設立した極右政党の議員のみであるとのツッコミが多数入る(普通にNewsweekや YouTubeで確認できる)
https://m.youtube.com/watch?t=305&v=S0sRzXfuAI8&feature=youtu.be
オーストリア、元ナチス設立の極右政党が政権入り 中道右派首相は親EU強調 http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/12/eu-104.php
これ、どうするんですか?
きちんと撤回した方がいいのでは?
東京新聞もその記者も、一貫して国内外の排外主義を批判的に報じてきたのではありませんか?
いやね、いくら今ウクライナで展開している現実が憲法9条の護持や集団的自衛権の否定といった従来の日本の左派の主張を吹き飛ばしてしまうものだったとしても、オーストリア極右政党の肩を持ってまでそれら内向きの議論を守ろうとするのはどういう了見なんだって思うの。
たとえオーストリア議会で席を立ったのが極右議員であることを知らなかったとしても、そもそも何でゼレンスキー大統領のスピーチがオーストリア議会で歓迎されなかったことを嬉々として親露派陰謀論アカウント越しに賛意を示してんだよ。
もうお里が知れてるだろ。
この言葉の解釈はいろいろあるんだが、ここでは「それがたとえ善意であっても行きつく先は地獄」という意味で使う。
「ナチスは良いこともした」というけれど、たとえばナチスの失業対策というものは
資本家に強制的に軍事産業に投資させる、ナチス党員としての職を与える、過度な国内産業保護などであって
一般的な産業に寄与するものは少なく、国内だけで経済を回すだけならまだいいが
ドイツの国際競争力が低下して、どうしても輸入に頼らなければならない資源などは非常に高コストになった
つまりナチスの失業対策は失業者を減らすという点では「良いこと」だったかもしれないが
その行きつく先は地獄だったってこと
「ナチスは良いこともした」に対して、なぜこういう方向での批判ができないのかといえば、
航空機のこと以外に何も考えてない堀越二郎が科学技術を尽くした傑作を作った、そのことをあなたは否定できますか、と感じたという話。
あくまで宮崎駿の映画だけを見ての感想です。ネタバレ全く配慮しません。当たり前だけど映画の話であって、堀越二郎本人について特に思う所があるわけでは有りません。
二郎は実際何も考えていない。まず、単に可愛らしい女の子とちょっと近い距離感になったから菜穂子のことを好きになった。菜穂子でないといけない理由なんて何ら描写されていない。彼の自主的な決断はせいぜい婚約を申し込んだことだろうが、それも結局菜穂子にも推されたおかげか何の反対もなく済んでしまっている。結婚だって同棲がけしからんと言われて決めたことだ。そしてさらに、本庄を零式艦上戦闘機の開発メンバーに入れないこと、これだって自主的な決断ではなく人から言われてのことだ。
極めつけは、寝込んでいる菜穂子の横で煙草を吸うシーン。煙草を吸わないと頭が回らなくて仕事にならない人間が、いいよと言われたからというだけの理由で、肺が悪い最愛の人の隣で煙草を吸って零式艦上戦闘機を設計する。菜穂子と飛行機をどっちを取るか、そういう決断のスキーム自体に無理があることは認めるが、そういった決断が迫られうることに心を巡らせてみるまでも無かった。菜穂子があまりに忍耐強い、かくも素晴らしい日本人女性だったから。
更に、二郎は自らの航空機設計の才能を一度たりとも否定されていない。また、本庄が堀越に抱く劣等感が描かれるといったこともない。なので、二郎がただ一途に航空機が好きで他人からの評価はどうでも良いのか、あるいは知らず知らずのうちに尊大になっていて挫折に弱く周りのエンジニアに対して自らの能力によって優位な立場に立てていないと気が済まないのか、という問題は棚上げにされている。二郎は自分の才覚や自尊心といったことに無自覚でいられている。
そんな二郎の身に起こったのは、腹を空かせた子供にシベリアをあげようとして逃げられる体験だ。自分が隣人を思いやる優しい人間だと思い込んでいるが、実際には他者の気持ちなんてものを考えてみてすらいないというこの構図は、二郎は人々を笑顔にする航空機を作ろうと夢見ていたものの、実際には人殺しの道具となり最後にはパイロットを殺してしまったという悲劇に相通じるものがある。夢で見た村人を笑顔にするための航空機、それは確かに精巧で美しい航空機であろうが、しかしそこに乗る村人とは一体誰であるのか、村人達は何を思っているのか、そんなことに思いを寄せておらず、村人達とは二郎にとって都合の良い抽象的な妄想上の概念だ。カプローニが去ったのは、確かに海外の技術の猿真似を辞めるという成長であるが、それは航空機設計という狭い世界の中でのことだ。
本当に人殺しの道具を作りたくなかったならば、軍用機しか作ってないと初めから分かっていて三菱なんぞに入社しないだろう。仮に入社したとしても、せめて輸送機や偵察機のチームを志望するくらいのことは有っても良いだろう。そうしなかった二郎は、結局のところ彼にとって美しい航空機を作りたかっただけなのだろう。
そこで提起される問題は、この二郎の態度が否定されるべきなのかどうかということだ。例えば原子力発電を取ってみると、原子力発電がもたらすエネルギーで人々を笑顔にすると思い込んで、自分が好きな原子炉の設計を必死に行ったエンジニアがいたとしても何ら不思議に感じない。あるいはヒトラーとナチス党員のトットが国民が自動車でピクニックで出かけることを夢見て公共建築の傑作たるアウトバーンを建造した話も思い起こされる。では、この種の独善は否定されるべきなのかというと、必ずしもそうとは言えないように思われる。隣人を深く理解し幸福にすることを求めるよりも、妄想に取り憑かれる方が、科学技術自体は美しいものであり得るのではないか。そういった問題を、風立ちぬは鋭く提起しているように思われた。
じゃあそこで、風という主題系、生きなければならないという言葉がどう活きてくるのだろうと考えると、やはり命の儚さを謳っているように思えて、やっぱり儚さとか残酷さとかそういう映画なのかなとなって何だこの感想はとなるんだけど、あまり気にしない…。
http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html
靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。
静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。
何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。
8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。
僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。
それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。
昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。
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憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
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わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。
ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。
正直言ってわかりづらい。多分麻生は推敲した文章を読んでいるのではなく、その場その場の空気に合わせて話しているからだろう。
問題発言の前後の文章だが、「憲法は~」の部分まで一貫して”喧騒は好ましくない”のニュアンスだ。
そしてその後の「わーわー」の部分からも”喧騒は好ましくない”のニュアンスであることはバカにだってわかる。
なぜか「憲法は~」の部分だけ”静かにやっちまおうぜ!”というニュアンスに見える。
しかし本当だろうか?
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ワイマール憲法は本当に”静かにやっちまった”のか?
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要約するとこうだ。
1933年1月のヒトラー内閣成立後、ナチスは徹底して政敵である共産党の弾圧を図る。そしてヒトラーは政権基盤を固めるために議会を解散。3月5日に総選挙を行うことを決めた。
そして選挙直前の1933年2月27日、決定的な事件が起こる。
ドイツ国会議事堂放火事件。この放火犯をナチスはコミュニストと決め付ける。
ヒトラーは、「コミュニストの幹部は一人残らず銃殺だ。共産党議員は全員今夜中に吊し首にしてやる。コミュニストの仲間は一人残らず牢にぶち込め。社会民主党員も同じだ!」
ゲーリングはラジオ放送で「共産主義を我々の民族から抹殺することが、私の最も重要な責務である」と述べ、
「(国家社会主義)革命の敵に対しては、テロルの使用が不可欠である」と政府による白色テロを宣言した。
共産主義者は次々と警察によって予防拘禁され、2日後には無政府主義者、社会民主主義者も対象に加えられた。
共産主義者の襲撃が起きるというデマが流され、共産党や民主主義政党の集会はナチス党の突撃隊に襲われ、共産党の指導者を含めた逮捕者や死者も続出した。
選挙期間中に死亡したナチス党員は18人、その他の政党の死者は51人、負傷者は数百人にのぼった。
そして選挙で躍進したナチスはドイツ国家人民党と中央党の協力を得て3分の2の賛成を確保し、全権委任法を成立させた。
この日は1933年3月23日、国会放火事件から一ヶ月も経っていない。
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どこが”静かにやっちまった”んだ?
あの手口学んだらどうかね?も「反面教師として」と考えると発言に一本の筋が通る。
ワイマール憲法は”喧騒の中で”誰も気づかずに変わった。
喧騒の中で、ナチスへの熱狂と、共産党への弾圧の中で変わった。
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”だから喧騒の中で議論するな”
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という事だろ。
「民主主義否定するつもりもありませんが」
もナチスが民主主義の手続きに則って全権委任法を成立させた経緯のことを言ってるにすぎない。
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熱狂と喧騒の中で全権委任法が成立した経緯を批判的に論じている。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-24/2012032401_05_1.html
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確かに麻生の話はあっちこっちに飛び、全体としてはよくわからない。
取りようによってはどうにでも取れるし、危険な単語も使用している。
しかし、その一部分を利用して、ユダヤ人団体にご注進報道までしやがった。
麻生じゃないが、「日本で騒いでいるんなら、ユダヤ人団体も騒がざるを得ない」
こっちの罪のほうが重いんじゃないか?
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「麻生太郎のナチス発言を国語の受験問題的に分析してみる」とかいうブログがあったが全く的外れにすぎない。かわいそうなくらいに