はてなキーワード: エロ本とは
昼前に軽く飯を食べ、家を出て最寄の駅に向かい、1時前に面接場所に着いた。
そして面接も、緊張して経歴をかんだりして余りいい印象ではなかったのかと思う。
その後、ゆっくりと家に帰る。
家からの最寄りの駅から家に帰っている途中、ようやく雨があがって日が出てきていた。
少し着込んできたためか若干暑く、5月を思わせるような陽気に感じた。
駅から帰っている元気良い数人の女子高生が自転車をこいでいる姿が眩しい。
地元では最近大型のマンションやスーパーが建設中で町並みが少しずつ変わってきている。
十数年前と今では町も色々と変わり、近くにあった中華料理屋がなくなり
エロ本屋ができては潰れていった。残るは、焼肉屋とラーメン屋だけだ。
そして、私も変わっていくだろう。
そして最後には、朽ちて死んでいくだろう。
今日死んでも後悔しないだろうか?
最近はエロ本など特に隠そうともせず、オナニーした後もティッシュをそのままゴミ箱に入れている。イカ臭い精子がついたティッシュをゴミ箱に放置したまま会社に出金し、帰宅するとそのごみを母親が処分していたこともあった。
昨日は母親がサッカーの試合を最後まで見ていたので、布団の中で自家発電していた。左手にはエロマンガのPDFが入ったスマートフォン、右手には電マ。左手でページをめくりつつ、時々電マ(振動は小。大だとすぐに射精してしまう。フィニッシュの時だけ大にして楽しむ)をチンコに当てて楽しんでいた。フィニッシュが近づくと、明かりをつけてチンコにティッシュを4枚ぐらい当ててズボンをはきなおす。そのままティッシュの中に射精するためだ。しかし昨日は失敗した。ティッシュの中に射精するつもりが横にそれて、太ももあたりがガビガビになってしまった。綺麗にしようとも思ったが、わざわざ母親のいるリビングを通って風呂場まで行くのも面倒なので、射精したまま寝ることにした。
朝起きると、ガビガビしたのが渇いてパリパリになっていたので、日常生活に問題はないと判断。今からコンビニに飯を買いに行くところ。
こんな風にめんどうくさがりになっちゃうんだろうなぁ。
多様性って、縛るとこは縛るべき。
入り口の広さを誇る多様性は後の社会に割くリソースが著しく大きくなるだけ。
馬鹿は帰ってもらう。いる人(実力ある、選別を経た優れた人材だけ)に多様性を保証すればいいじゃない。
馬鹿はその多様性を保障するために歯車になってもらえばいいじゃない。どうせ単細胞なんだし。
小飼弾はサンデルのあれで「大口寄付があるなら裏口も認めよ」と言ってるけど、
だから何かにつけ画一的な概念を持ち出すと多様性フォビアだと抜かす人はもう少し考えて欲しいと思う。
これは都条例でも同じ。
棚問題なんてぬるいもんじゃなく、一般書店からエロ本は取り締まるべきなんだよ。買いたい奴だけが買えるとこに行って買えばいい。
経済が萎縮するとか都合のいい時だけ資本主義を持ち出すなと言いたい。
愚痴ってゴメンな。要は推薦なんぞ将来誰のためにもならないから廃止しろということだ。
試験は絶対、誰もが公平で画一的なものさしで測れてこそ価値がある。推薦なら馬鹿でもいい、付属校なら馬鹿でもいいなんて許されないよ。
コミケは3日とも参加する主義の沙織さん。今日は桐乃も黒猫もおらず一人有明からアキバへ。
↓
「おい、ちょっとそこのメガネ。おめーだよ。おめー」
見た目DQNな2人組に絡まれる。
↓
「おい、こいつキモオタかと思ったら女だ」
「女のキモオタだー」
↓
参考画像:http://www.copipe.org/main.php?postid=688
↓
_____ 18禁ゾーン トンファーパーマンの部屋 _____ ココカラ
全力でCtrlキーを連打。問題シーンを早送りでござる。
「さすが沙織さん、予想通りのナイスバディでござる。哀れ中出しでござる」
_____ 18禁ゾーン トンファーパーマンの部屋 _____ ココマデ
↓
足早に立ち去る2人。後にはメチャクチャにされた沙織さんが残された。
(トンファーパーマンは有害な著作物から子供たちを守る正義のヒーローです)
その状態っていうがそもそも
まずコンビニに置いてあるかもわからないレベルの漫画雑誌なのにということ
普通は見ないネットで存在を知った程度の漫画で騒ぎ立てるのはやはりおかしい
あとその論理で行くと週刊誌も規制すべきだと思うが話がずれるので触れるだけにしておく
小学生がテントウムシコミックを抜けてそこまで行くのにどれだけの壁があると思ってるのかってこと
青年漫画も同様
中高生ならどうなのかって話は
息子のエロ本の相談は都じゃなくて別なとこに相談しろよってこと
と思え
http://anond.hatelabo.jp/20101216023002の続き。
未熟な素人考えに対し様々な返答をしてくれてありがとう。
はてな匿名ダイアリーは初めてで使い方があまりわからない。
返信?はこれでいいのかな。
http://anond.hatelabo.jp/20101216072005
過剰な性表現に関する規制は必須であり、それを自主的に行うのは当然のことだと思う。
当然のことである規制を自主的に行えないのなら、上が強制的に規制するしかない。
根本的な部分で、殺人が犯罪であるのと同じ。やってはいけないことであるから、法的に規制し、破った者に罰を与える。
そして殺人を行わないのが当然である場所では、殺人に対する法(条例)など存在しない。
例えば、学校の校則。となりの席の人を殺してはいけないなんて校則は存在しない。だからと言って殺していいわけではない。
殺人を行わないのが当然であり、それを生徒各自が理解しているから、わざわざ校則にする必要がない。
そしてエロ本を筆頭に、学問に関係のないものを持ってきてはいけないという校則はある。持ってきていけないのを理解しておらず、持ってくる生徒が多数存在する。
それのような状態では学ぶ場所として相応しくないので、規則を作り、規制する。
出版社が「一般誌における性描写はここまで」としてきた自主的な規制が瓦解し、どう考えてもアウトだけど法的には問題ない!となっている。
それでは大いに問題がある。問題がある以上「規制しない」という選択肢は存在しない。
http://anond.hatelabo.jp/20101216073358が書いてくれいてるが、「規制するorしない」ではなく、「自らor他者が」である。
今までは自主的に規制できていた。近年になってそれが行えなくなったから、規則をより厳重にすることによって規制する。
http://anond.hatelabo.jp/20101216085450
誰でもできるというのはわかる。
しかし世の中には様々な人がいるので、たしかにドラゴンボールをポルノ漫画として告発する人がいるかも知れない。
しかし、それを条例と照らし合わせたとして、ブルマのチチ程度が過剰な性表現と認められるとは思えない。
条例を読む限り、そこまでガチガチに固められたものであるとは解釈できなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20101216223457
大半の一般の人が触れなければ、見なければ、明らかにおかしいものが存在してもいいのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20101216231624
あの行き過ぎた性表現が、エロ漫画からのちょっとした性知識と思えるのだろうか。
しかもそのチンポの持ち主は、障子から突き出たチンポを女性に見せつけることで強い性的興奮を得ている。
これは明らかに行き過ぎた性描写であり、成年対象の小説として規制されるべきだろう。
だが、小説が規制されないから漫画も規制の必要はないとは思わない。
過剰な性描写が含まれる小説も規制されるべきである、というだけ。
http://anond.hatelabo.jp/20101217001258
カンタンにまとめると、規制する側がほぼ匿名かつ安全な立場から一方的に反論の余地なく規制することができる、といった感じだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20101217001548
漫画のためを思うなら、過剰な性表現は成年誌で行っていたはずだろう。
成年指定すべき内容を"揚げ足取り"で一般誌として売れば、いずれは問題となり、それらを成年指定できるように規則が作られるのは誰でも容易に想定できる。想定できない人はいないだろう。
これは完全な憶測だが、話題性とそこから来る売上、つまり金のため、一般誌において過剰な性描写を行い始めたのでは?
少なくとも、漫画のためを思って一般誌にて過剰な性描写をするとは到底思えない。
今回の条例が小説や実写(ドラマなど)を対象としていないので、たしかに漫画のみをターゲットとしているように見える。当たり前だろう。
漫画が一般誌において過剰な性描写を行うようになってきた。そこで小説や実写を規制しても意味が無い。
そして、一般誌の名を騙って過剰な性描写を行う漫画など消えてしまえばいいと私自身思う。成年誌で描けばいい。一般誌で書く必要性が一切ない。
私は小説をあまり読まないので、小説についてはよくわからない。
少なくとも実写では、「これは赤貝だ!」というものを見たことはない。
また触手に女性が絡められ、イっちゃう!ビクンビクン!というものも見たことがない。
裸の男女がベッドで抱き合い熱烈なキスをするといった程度のものを超えるものは殆ど無いのではないだろうか。
私は、その程度ならば規制する必要はないと感じる。漫画実写小説、全てにおいて。
だが一般誌に溢れる過剰な性描写はそれを圧倒的に上回っている。そしてそれを上回る性描写を表現する場として成年誌が用意されている。それなのにどうして一般誌で書くのか。
実写が過剰な表現を行い始めれば、それを正す新たなる規則が必要だろう。
ところで、私は相当に“健全”な青少年だったと思う(都青協ふうに)。
アダルトコンテンツにほとんど触れずに18年間を過ごしてきた。
川原にエロ本があったなんて信じられない世代だけれども、代わりにブロードバンドがあった。機械の操作は得意だったからコンピュータもそれなりに使いこなしていた。ちょっと探せば携帯電話でもパソコンでもエロサイトはあったけれど、皆無と言っていいほどアクセスしなかった。ただし、エロゲとエロ同人はいくつか持っていた。エロ同人については、間違って買ったもの。まとめ買いをした際に、てっきりすべて全年齢向けかと勘違いして購入してしまった(かなり老けて大人びて見られていたためであって、これは全くの事故であることをはっきりと示しておく)。
家庭環境は良好で、ぐれない手のかからないしっかりした子どもであったと自他共に認められている。性教育は、中学生のはじめのころ、父親がかなり医学的なところに踏み込んで教えてくれた。男子校に6年通い、彼女なんて居なくて、特別つくろうとも思わなくて、それよりテクノロジーと科学のロマンに心ひかれていた。
で、今もそんな感じ。
道行く女の子を可愛いと思っても、それだけ。セックスしたいとか、そういうふうに思う気持ちが、根本のところで良く分からない。良く分からないのは性に対して嫌悪や畏怖があるからなのだと、自分では分析している。それでも女性恐怖症などではなく、仲良くやってはいる。
しかし、
これが果たして健全なのか?
以上は私個人の、たったひとつの個別的な事例である。しかし、かなりアダルトコンテンツから遠いところで育った事例の1つにはなると思う。
そもそも、世の中学生高校生が性に対して関心が薄い、エロ本なんて持っていないしエロサイトなんてアクセスしない、というほうが珍しいというか違和感を覚えるのだけど
どっちが店の奥かはさておくとして、
販売側が自主的に行えているならそれが一番いいと思う。
まずそんなゾーイングはされていない。
大概が、少女漫画の隣に陳列されている。
何故そうなっているかは、「18禁」じゃないからだと思うんだ。
そして、男の目から見たら、どう考えてもそれが18禁でない理由なんて見つからない。
元々18禁として扱いたい本・雑誌が18禁にされても問題ないし、
けれど、反対する奴は少なくない。
そういう作品もいもづる式に言い訳ができなくなる。
自主規制が「できてる」って事になれるんだ。
因みに、BLが男性向けエロより奥にあるのも、別にBLの方がエロいからじゃない。店はそんな判断しない。
俺が行く本屋では、表紙が肌色のBLはエロ本コーナーに置いてあるよ?
もしくは、エロ本コーナーの前を通らないとBLコーナーに行けない配置。
実質子供は近づけない。
エロとか規制とか抜きにしても、客層がグラデーションするように自然とレーベル配置するもん。
直接的な性描写の無いものと、小説媒体のものは普通に置いてあるけど
それはヘテロも同じ。
通りに面した棚に堂々と陳列しているけどね。
あれって因みに、小学生が買っちゃいけないって条例あったっけ?
何かむかし「公営図書館にBLを置け!」とか言う奴がいて問題になった記憶もあるので
君の言い分も解るんだけど、
それも全て含めたがってるようなので。
いや?
そんな事一言も言ってないぞ?
どこをタテに読んだんだ?
要は露骨な性描写も、
露骨じゃない性描写も、
それが問題ってだけ。
男向け市場がこんなきちんとゾーイングができてるのに
(繰り返すが一部の18禁をつけない事で
18歳未満に対してエロ本代用しているような
雑誌、作品は除くぞ)
女向けはできないのか、って事だ。
なぜか。
当たり前の話が当たり前に受け入れられない社会。/東なんとかがゴチャゴチャ言ってたが、感情的じゃない規制派はとんとお目にかかったことがない。理由があってやるんじゃなく、やるから理由を作ってる。
とりたててこのツイートそのものに思うところがあるわけではない。ピックアップしたのは判りやすかったからだけだ。
「東なんとか」
文脈から見て東 浩紀の事に間違いないだろう。
通常、どんなに攻撃的に相手を批判するときでも、言い方ってモノがある。
『いかにして性的な虚構表現が溢れる社会をコントロールするのかを検討する事が重要だと言う意見もあるが(東 浩紀:http://twitter.com/hazuma/status/12222226170384385)、それは前提が誤っているし、その誤った前提に立ったとしても結論としては飛躍がある』
こういう言い方にお目にかかれない。
『http://twitter.com/hazuma/status/12222226170384385で東なんとかがごちゃごちゃ言ってるが、そもそもコントロールする必要が無い。根拠がないんだし』
正気か?
全否定するにもやり方があるし、モノの言い方がある。どこのどなた様なのですか。
すさまじく上から、マジョリティを愚かだ、オマエラの懸念は杞憂だ、自由を圧殺する地獄へは善意で踏み固められるとか言い放って良いのは、夢見る中学生までだろう。
また、相手の懸念点が判った上で、提案をするのと、無視して言い放つのにはやはり差がある。
「漫画であってもこれは子供に見せたくないから陳列制限して欲しいと言っているのを踏まえた上でも」という展開をすることが異様に少ない。
『漫画の表現が悪影響を与えるという根拠もなく、感情的に』とか『この条例を元に販売規制が流通規制の強化に』とかそういうのばっかり。
世の中が間違ってるんじゃない。マジョリティの意見が世の中を作るんだ。
生きにくい世の中なんじゃない。マイノリティの生き方が否定されてんだ。
「アフタヌーンの隣にチャンピオンREDいちごが置いてあるのはマズくないのか?」
そういった意見を華麗に無視して、自分の言いたいこと言っても誰も聞いてはくれなかろう。
マジョリティの意見が世の中を作ってるんだから、彼らに変わってもらわなければ何も進まない。
そういった意味で「エロ漫画を規制してやる!」という信念のボスに従い、(お金をもらって)条例を納得してもらえる形に変更してなんども提出する都庁の職員と、
「世の中が間違っている!馬鹿だオマエラは!表現の自由が規制される!」とか言ってる有象無象では、はじめから勝負になっていない。
ガキがエロ本読める状況でしか糊口をしのげない漫画家は、本来駄目なのに生き残ってるだけだとなぜ考えられないのか。
条例の何が問題で、どう穴があって、推進派の規制は単なる杞憂に過ぎない理由はこれこれだとアピールする機会をボイコットする出版社に快哉を叫ぶとか、
本当に正気なのか?
表現し続けて裁判にしようとか、条例の穴を見つけてエロ描いてやろうとか、冗談にしても質が悪すぎる。
どう考えても逆だろう。
明らかに抵触するが、子供に良い影響を与えるような感動的な漫画を描いて後悔させてやる!とかなぜ言えないのか。
子供にエロ漫画を販売させない・触れさせない為に、大きな犠牲を払うことになるのだ、それは良くないことなのだとなぜ説得できないのか。
犯罪行為を漫画に描いて、それを賛美することでしか表現できないことがあるのだと、なぜ主張できないのか。
子供の為には大人が我慢するのが当然だ、区分陳列だから売ろうと思えば売れるだろうと言い放った相手に
何が問題で、どう問題で、どう変更すれば区分陳列として妥当なのか対案が出せないのであれば、
(もしくは、その区分陳列は実質的に表現規制なので表現の自由を侵すと主張するならば)
相手の懸念が杞憂に過ぎないと説得するか
相手の懸念を払拭しつつも販売できる方法を提案するか
相手の懸念を解消するために犠牲となる代償が余りにも大きいと納得させるか、いずれかが必須だろう。
だって少数派なのだから。(多数派なら何もしなくても勝手に否決され続ける)
相手の意見を無視して老害と吐き捨てるのも、そうやって自由が亡くなるのに喜ぶとは幸せだなと皮肉るのも、まともな大人のすることじゃないだろう。
そう思える大人が反対派に増えない限り、仕事として大人な対応をし続ける規制派が勝利を収め続けるだろう。
今回は始まりに過ぎない。
子供っぽい反抗を続ければ、さらに自らの首を絞め続けることになる。
都の交渉のトゥギャッターみてて、都とかそれに賛成している民主の意見きいてみると結局問題は
「・街の個人本屋がめんどくさいことをしたがらしない(薄利多売の書店業に身分証確認が邪魔)。
・小規模出版社(10人以下、いつでも潰れるがまた出てくる)が業界自主規制はなから無視して作った本が全国に普通に配本される。
というところみたい。
内容ももう古くなってるビニ本エロ本のしくみ「指定」を、今度はどう漫画アニメに受け入れさせるかってこと。
アングラについてはやっぱり自主的に逃げて「続きはウェブで!」ってネット課金化でもしたほうがいいんじゃないのかな(り○れあたりはけっこうとりくんでる、やっぱ大手ではないが中堅らしいよね)。それで逃げられればトーハンニッパン通すより経済的にも実は楽なんじゃないかな、これ。
そうなると、今の構図って「わかってて逃げまわりながらやってる確信犯出版社が大手にまで迷惑かけている」。しかし、都に簡単に個別撃破されそうでいて、小規模出版社に細かい需給をひろいあげてもらってきた経験が、作者と読者をしっかりつないでるから一枚岩なのですな。10社協定みてると「おれたちは関係ない」ってほっかむりするかとおもってたとこもちゃんと正面からうけとめた(リィド白泉あたりは切迫してそうだけど)
そうなのよ、買うほうからみても、アマゾンもコンビニも近所の書店もかかわるから大事なのよ。
逆に、うちの実家のど田舎みたいなとこは、逆転現象でアダルト専門店が先にぽつぽつできて、そこが普通のコンテンツも扱ってくれると便利という。細かい需給からなんでも始まってるんだ。
だから今後も気軽に成人向けに参入して売ってくれないかなとはおもうけど。
で、民主が賛成して可決する方針との一報あり。漫画は小説よりわかりやすいから(文脈的に実写のつぎに、小説よりも、というランク付けだ)ということをあげあしとりで漫画好きさんたちがあれこれいっているけれど、これはむしろ、誇ってもいいコメントだとおもう。
ああでも、ほんとに「いつもよんでるアレ」が今後も手に入りやすいように願います。
しょてんがんばれうんとがんばれ、アマゾンがんばれうんとがんばれ。
なるほど、ショーペンハウアーはためになりますね。っていうか、武者小路実篤が「ためになる」ってのもスゲーけどな。
男が男にチンコをぶっこみ、サディズムマゾヒズム趣味全開で突き抜け、当時発禁処分を食らって有害図書認定された
アポリネールが「健全でためになる」んですか。いやすげー、意味がわかんねぇ。
ホモのおっさんが書いた処女への憧れを「健全でためになる」と読むわけですか。
「お膝に女の子乗せててたら射精しちゃった。でも聞いてよ、その子ビッチだったんだよ?」で有名な
芸術とゲームの間に線引きとかムリですって。アートとエロ本の区別くらいムリ。
まぁ、つまるところ芸術なんて社会がそれを芸術とみなすかどうかだけで線引きされてるし、
悪口は言わず誰に対してもにこやかに笑って「遊ぼうよ」という子だったそうです。
女の子とも遊んでいましたがスカートめくりといったイタズラとは無縁にすごしていました。
とても感受性豊かでいろんな事に感動するのか、すぐ泣く泣き虫でした。
どうやらクラスのリーダー格の子に気に入られなかったんでしょう。
靴は隠されました。
「放課後oo公園集合な」と言われていくとそこには誰もいませんでした。
2時間くらい待っていたら遠くから遊ぶはずだった友達が見ていました。
いじめ、というものを経験するとぼくの何かが変わったようでした。
転校先ではうまく馴染めました。
このころもまだ、男の子とも女の子とも分け隔てなく遊んでいました。
その先ではあまり友達ができませんでした。
もうすでにグループができている学校で「転校生いじめ」を受けました。
無視、教科書がなくなる、机に落書き等、典型的なものは受けました。
だから家でピアノを弾き、一人でリフティングをし、趣味としてギターをはじめました。
それもいじめの対象になったのかもしれません。
特に歴史(日本史)が大好きで、ずっと資料集を読んでいました。
身長は高くなかったのですがなぜか運動神経はよかったようでした。
ぼくはたまたま持っていてその子もたまたま持っていただけでした。
「好き」ってなんだろう。そう考えるようになりました。
ぼくもその時は思春期で、AVやエロ本を読んでいてそこで間違った知識を得ていました。
その本には『「好き」な人としかエッチはしない』と書いてあったのです。
今思えばなんて馬鹿げていたのでしょうか。
ぼくはその子の顔が好きなわけでも性格が好きなわけでもなかったのです。
ただ、その子の中1にしてはちょっと成長した身体を好きになっていたんだと思います。
コンドームを先輩にもらい家にその子を呼びなんなく童貞を捨てました。
これがよくなかったのでしょう。ぼくはエッチにハマってしまったのです。
その子に特別な感情が湧くことはなく、思春期のそのエネルギーをただただその子にぶつけていただけでした。
キスはしました。キスが特別なものであるという感覚もありませんでした。
ただ、目をつぶってしまえば同じ。そう考えていたのだと思います。
その子と別れたのは中3の夏です。
その頃はもう親公認の仲になっていましたがふとしたことで喧嘩しました。
ただ、「本当にわたしのこと「好き」なの?」と言われたので「今はどっちでもいい」
正直な話、もうその子に「エッチしたい」と積極的には思わなくなっていたのです。
エッチはオナニーと違って、相手も楽しませなければいけないものです。
それがおっくうになっていたんだと思います。
だからもう積極的に「きみが「好き」だよ」とは言えなかったのです。
ぼくはこの子と付き合うことにしました。ぽっちゃりしている中2の子でした。
高校生になると髪も染めれるようになりました。でもそれより大きかったのは
顔がちょっとかっこよくなったことです。「イケメン」と言われるようになりました。
そして高校では「好き」だと思った子に積極的に告白することにしました。
どうしても二番目にいた小学校のあったところの高校に行きたいと親に頼みました
そこまでは越境なので転校が必要でした。
親の仕事で今の場所に住んでいたので結果は
一人暮らしをする
1年生の時に4人に告白しました。そのうち3人がOKしてくれました。
その3人ともとエッチをしました。そして3人とも別れた後も関係が続きました。
2年生の時に学年で一番可愛い子に告白したら何とOKもらいました。
それでその子とは長く続きましたが、さすがに1年付き合うと「好き」じゃなくなってきました。
その時に当時はまだ単なる出会い系だったモバゲーを使ってみました。
そこである子と出会いました。それは幼稚園のときに一緒によく遊んでいた子でした。
その子とメールをして10年ぶりくらいに会うととても可愛くなっていました。
この時すでにその子を「好き」になっていました。家においでよと誘うとついてきました。
このときぼくは初めて、その日のうちに女の子とエッチしました。
3年生になり受験勉強を一生懸命やりました。学年で1番可愛い子とも付き合ったままで
一緒の塾にかよって、帰りにぼくの家で復習をするという毎日でした。
けっか、ぼくは第二志望の私立大学に、彼女は第一志望の国立大学にいくことになりました。
もう「好き」ではなくなっていてちょうどいい機会なのでわかれました。
ぼくはその名前は知っていましたが具体的にどんなことをするとことろなのか知りませんでした。
そこで驚愕しました。お金を払えば「エッチができる」つまり「好きになる」のでした。
ぼくは困り果てました。今までの「好き」の概念がぶっこわれてしまったのです。
ぼくはこのときまで「好き」は「エッチしたい」と同じだと思っていました。
でも、世間のみんなは「好き」を違う意味で考えていたようでした
だから、食事がのどを通らないほど「好き」、とか、「好き」すぎて胸が苦しいとか
「好き」なくせに告白しないなんて頭腐ってるんじゃねぇの、とか思っていたのです。
「好き」って何なんだろうと考えるようになりましたがこたえはでませんでした。
女の人をみて「エッチしたいな」と思う人はいてもそれ以外の意味で惹かれる人はいませんでした。
どの子も頭が弱く中身はからっぽで「エッチしたい」とは思ってもそれ以外の目的では会話もしたくありませんでした。
「愛している」とか「好き」とかの言葉は道具として使っていました。
そうぼくがいえば女の子は安心したりよろこんだり「エッチさせて」くれたりするということを知っていたからです。
サークルに入ったら逆に、お持ち帰りしたことを誇っている頭悪そうな男ばっかりでした。
経験人数の多さがステータスとか童貞喪失年齢が低ければいいとかエッチした回数がステータスとか。
残念ながら、ぼくより早く童貞を捨てた男もエッチした回数が多い男もいませんでした。
「ねぇ、「好き」って何かな?」そうぼくは友達に聞いてみました。
だれも正解を教えてくれませんでした。
http://anond.hatelabo.jp/20101122004732
なんだーみんな「カノジョ=エッチする相手」って考えているんだって納得はしました。
しかし
思春期に燃え上がるようにあった性欲のことを「恋」だと思っていました。
だから「「恋」しちゃったんだー多分ー気づいてなーいでしょー」という歌の意味もわかりませんでした。
純愛もわかりません。
「恋」や「好き」が目に見えるものなら良かったのに。
多分ぼくは幼いころにいじめにあって、この部分の気持ちをなくしてしまったんでしょう。
何が正しいのかなんて分かりません。
「好き」ってなんなんでしょうか。「恋」ってなんなんでしょうか。
そしてそれらは性欲と切り離して考えることができるものなのでしょうか。