もう2ヶ月、治ってはすぐにぶり返しての繰り返し。生活もできるし、9割ぐらいのパワーでは生きれるので放置してきたんだけど、なんか怖くなってきた。こんなの生まれてはじめて。
医者行ったほうがいいか。
いつか経営者にでもなるつもりで頑張ってるんじゃないのか
一応人前では後者の意見言ってるけど、正直、思ってる。えっ、それってただの自分の倫理観だけで思うだけの感情論じゃんっていう。
これ見てると、気づいたら新しいファンを受け入れないコンテンツになってしまったのか、それとも一方では未だに商業的には拡大を続けるコンテンツなのか、訳がわからなくなるな。
とにかく喋る。本当に喋る。こちらが話す間も与えないくらい喋る。
人の話を遮るような事はしないが、間を作らないので結果その人が喋り続ける。
数人でオフ会だったんだけど、その人の独擅場だった。
10年前の20代くらいの若い自分だったら「自分ばっかり話して嫌な奴!」とブリブリ怒ってただろうけど、今日思った事は「大して知らない人相手によく話題が尽きないな・・・すごい」だった。
ああいう人ってどういう脳なんだろう。
そんな事言い出したら大抵のダメなんじゃないいの?うふふ。
文明社会に生きる真面目な学生である私は、平日は早起きしなくてはならない。そのため、休日はできるだけ遅く起きようとしている。また、普段できない夜更かしもする。
しかし、夜更かしした分寝ているだけに過ぎないので、これは単に生活リズムを破壊しているに過ぎない。
平日は、大学へ向かい講義を受け帰宅するという一連の流れによって進む。流れに身を任せていれば勝手に時間が進んでいく。
休日はそうはいかない。何をするかを自分で一から組み立てなければならない。この一大イベントを週末二連続でこなすには、相当の労力が必要だ。
平日は社会生活に勤しみ、休日はまた別の苦労をする。これでは全く休まらない。
「休日に何をするか考えることすらできないならば、休日は何もせずだらけていればいい」と思うのは無理も無い。しかし、先ほど述べたように真面目な学生である私は、何もしない休日を過ごすたび、漠然とした罪悪感に苛まれることになる。
休日あり方について問いたい。
正直、逆に当時感じたCH誌への違和感はあったが、今回は実は賛同している。
一応理由があって、昨年CH誌に感じた嫌悪感はムスリムが信頼している価値対象を一方的にこき下ろすだけに感じたもので、これは自分はムスリムではないが、海外在住の日本人としてはよく理解できる。(日常茶飯事である)それによっての嫌悪感だった。
ただ今回のCH誌の風刺画にはそれは感じなかった。
理由は現在の欧州世論の多くが「幼い子が溺死したショッキングな写真」に大きく影響を受けたのを目の当たりにしているからである。確かにショッキングな写真ではあったが、それによって、難民寄りの姿勢に大きく弾みがついてしまった。
現実問題として、溺死は毎日報道されていて、子供もたくさん亡くなっていて、今回の亡くなった子供だけではないし、まず難民以前に瓦解しかねないユーロそのものの理念や一般の市民の生活が蔑ろにされていると私は感じているのだ。
あの風刺画はまさにそこの矛盾をついていて、特に煽りやすい、子供の溺死を敢えて取り上げたのだと思う。
追加するのだが、なぜこれが批判を受けるかも興味深い所で、まず先に書いたが子供を扱った点。子供に関することは世界的に全てが許される価値観の傾向がある。ふたつ目に死者を扱った点。これは日本人は特にその傾向があるが、死者を冒涜するなんてという価値観はそこここにある価値観のように思える。
あれはブログによっては定形で入れてる奴もあるから、ただのはやりなんだろうな。ただの質の低い翻訳ネタに、いかがでしたかもクソもないが。
このエントリーも含めて、
何が「いかがでしたか?」だよ。
何の内容もなかった。時間返せ。お前こんな記事書いて、物書きになったつもりか?
ヘドが出る。