数あるであろう件のアニメのイラストカットの中から、敢えてアレを選んだ感性というのは、
職場で「これどうよ?」「うっひょひょ、いいっすねー!先輩!」と屈託なく笑いながら、あられもない姿のグラビア写真のポスターを貼り付けるのと同じ感性だろうと思う。
そしてそれはこれまでずっと許されてきたんだろうな。
今時萌えキャラなんて町おこしとしても企業キャラとしても珍しくもないけど、まともな所なら皆エロ要素は極力薄くしてる
そういうものが叩かれずに海女やのうりんが叩かれたのはエロいから
時間はすべて有益に使わなければならないっていう思い込みどうにかならんかね
あっても大抵がストレスを伴う
やってるときは無駄じゃなくて、楽しくて有益な時間をもたらしてくれてたんだから
なんでこうみんなして無駄を嫌うのかね
あのさー、それって単に「繊細でか弱い守られヒーロー」じゃいけないの?
創作物が多様化した現代においてはヒーローヒロインの違いなんて
お前それ、がん細胞の前でも 同じこと言えんの?
声を上げたら上げたで、海女の時のように袋叩きにするんだろ?
知り合いが増えていけば当然修正されるでしょう
知り合ったホモが多ければ多いほどイメージは修正されるだろうけど
現実問題、意識的にその界隈に近づかない限り多くと知り合う機会は無いんじゃない?
その場合は「先入観の影響の大きさって怖いなあ」と自分で修正していくものであって、
「先入観の影響が大きいのは仕方ない、だから俺がメディアから受けた先入観で同性愛者を差別するのも仕方ない」みたいな正当化をしちゃいかんでしょ。
オタクの言う所の「地元の人は許してるんだから!」の「地元の人」の中に女性は含まれてないんだろうなーと思う。
横だけど、オタクの場合むしろリアルで知り合いが多い人ほど悪い方向に修正されていくものだと思う。
本当にやばい奴多いんだよ。勿論まともな人も多いんだけど、オタクコミュニティだと
ネタの使い回しというか、同じフォーマットで違う内容のネタをやるのはアリだと思う。
牧伸二の「やんなっちゃった節」、堺すすむの「なんでかフラメンコ」もフォーマットはいつも同じだが、ネタは定期的に変えていた。
テツandトモも、ヒロシも、オリエンタルラジオもネタ自体は変えながらフォーマットは飽きられるまで続けていた。