はぁ?
じゃあ例えばお前を急にぶん殴って「あなたがあまりにも弱々しくて殴りたくなる顔だったので自己責任ですよね。今回は7:3で」
なんて言われて納得できるのかお前。馬鹿じゃねーの
言いたいことはつまり、
「いじめられる側だって、自分らにいじめられやすい性質があるのはわかってんだよ! 必死でそれを変えようとしてるんだよ! でもそれは簡単なことじゃないんだよ!」ってこと?
「いじめられるのには原因がある」も「こんな時間にそんな服装で一人で出歩いてレイプしてくださいと言ってるようなもの」も間違ったことは言ってないんだよな。
ただ、それを踏まえた上で「それでも10対0でいじめた奴が悪い」「それでも一切の曇りなくレイプした奴が悪い」となるんだよな。
「スゴ本」はけっこういいと思う。
文学系がやや多くて、その文学系の書評に限って力こぶが入り過ぎな感じがするけど
有名所では「スゴ本」の人かな。
タイトルは半分釣りなので、いじめ被害経験者も冷静に最後まで読んで欲しい。
「いじめられる方にも原因がある」と言われることがある。これは正しい。
私は中学でいじめを受け、そのトラウマを高校以降も引きずって、人間不信とコミュ障に苦しんだ。
社会人になるまでに表向き目立たない程度には克服したものの、今でも人知れず鬱々とした精神的発作のようなものを抱えている者だ。
それでも、この言葉は正しいと思う。
なぜなら、この言葉と「誰でもいじめられる可能性がある」という言葉は背反する、つまり片方がウソで片方が本当だからだ。
自分は、後者がウソだと思うので、前者は本当ということになる。
人は性格によって、どんな集団に居てもいじめられない奴、条件が悪いと一時的にいじめにあうことがある奴、継続的ないじめの対象になりやすい奴に分かれる。(学生時代、自分は一番最後のカテゴリ)
「いじめられる可能」というやつは、誰にでも均等ではない。これが現実だ。
可能性0.0001%と95%を一緒くたにして、「誰でも可能性がある」なんてのは、極めて悪質な詭弁だ。
なのに、そんな詭弁を恥ずかしげもなく撒き散らし、現に苦しんでる被害者や周囲を惑わして、問題の解決を遠のかせておきながら、「自分は弱いものの味方です」のような顔でいる奴には、腹の底から反吐が出る。
お前が綺麗なセリフに陶酔するためだけに、現実を糊塗隠蔽するんじゃねえよ、どクズ。
話が逸れたが、さて、人によっていじめられやすさが違うのなら、いじめられやすい奴は、いじめを引き起こす性格上の要因を何か他の奴より多く持っているということになる。
「何か」の中身は、ここでは趣旨が違うので踏み込まないが。
一方いじめる方の性格上の要因も、当然ある。偶然運悪くいじめ加害者になるなんてことはない。
いじめる方の原因と、いじめられる方の原因が、同時に成立したとき、言い換えると、いじめる側の性格の歪み(凸とする)と、いじめられる側の性格の歪み(あえて歪みと表現する。凹とする)の凹凸が噛み合わさったときに、いじめという現象は発生する。
この理屈に従えば、性格に凹な歪みがない奴はいじめられない、凹な部分を直せば、いじめはなくなるとも言える。
自分はこれまで、そういう性格の歪みを矯正するために、何度も恥にまみれて死にたくなるような思いをして、なんとかギリギリ社会に適応してきたのだ。
いじめられる側が自分から何とか状況を改善し、自己防衛をしようとする場合には、それなりに拠り所となる考え方だ。
しかしだからと言って、加害者や傍観者、さらには教育者(救いがたいことに実際に存在した)が、ドヤ顔で振りかざしていい理屈ではない。
凹があるだけでは成立しない。凹があり、凸があり、凸が凹に、その突起を刺し込もうとし、なおかつそれを抑止する力が存在しないときに初めて、いじめが起こるのだ。
さらに、凸を放置すれば、もともとは凹ではない奴の心を抉り、凹な性格に仕立て上げることさえある。
だから、凸の突起を折り、刺し込んだり抉ったりしないようにすることの方が、凹の歪みを直すより、よほど効率よくいじめを抑制できるに決まっている。
そもそも教育者の中に、凹の歪みの改善指導ができるプロの技術の持ち主なんて、ほとんど居ないだろうが。
いじめの原因は、確かに双方にある。
三十目前にしてさびしい。
そろそろ結婚、とかではなく単純に寂しくて、家に帰った時におかえりといってくれる人がほしい。あるいはおかえりという相手がほしい。
メールはたくさんくる。素敵だとか誠実そうとか言ってもらえる。でもききたいのはそれじゃない。
二人くらい実際にあってみた。悪い人じゃなかった。むしろとてもいい人たちだったと思う。でもだから余計に申し訳なくてお断りした。
自分からメールを出しても続かない。返事がないこともよくある。
静かなほんの僅かな、失恋が積み重なり、さみしさが募る。
突っ込みどころが多すぎて話にならんわ
政治は日本全体の話であってニコ厨は排除すべきものでもないし大企業が生中継したら老人が見るわけでもないだろうし
ただドワンゴが気に入らないって話を無理やり広げるなよ
政治政党の代表であっても公務員が選挙活動するのは公選法違反だから、そんな言い訳が通用するはずがない。
それで懲戒処分にしたのが大阪市職員だったでしょ。自分は良いというのは違うし。ツイッターでの政治活動も十分違反してますからね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121130-00000005-asahi-pol
Kindleが来てから本を読む時間が増えたんで、最近久しぶりに書評サイトを見るようになったんだけど、
なんだか提灯記事みたいなのばっかりで読みたくなるような記事を書いてるところを見つけるのってけっこう大変。
みんなどんなとこ見てるの?
松岡正剛さんの書評も読んでみたけど、なんだか全然ピンと来なかった。
『百年の孤独』の主人公はマコンドという村なんだって。ふーん。ぼくは絶対違うと思う。
他の書評も極端に抽象的だったりして、『薔薇の名前』の書評なんてひどい。
こんなのみんなちゃんと理解できるの? ぼくはまるで何を言ってるのかわからなかった。
というわけで、これはと思う書評の書き手がいたら教えて欲しいんだ。
死亡保障の大部分は、父の生命保険の定期保険部分を譲ってもらったものになっています。
私は二十代前半で、父は六十代後半です。
この先父が亡くなり、私まで死んでしまったら母と妹が心配だから、
私に年の割に大きな死亡保障を掛けたのではないのでしょうか。
これまで律儀に払ってもらっていたのもあって、