はてなキーワード: 殺人ロボットとは
現代人は殺されたい、終わらせてもらいたい欲求に飢えている。別に大勢からボコボコにされる必要は無い。ただ、たった一人によって闘いの末に大往生を遂げたいんだ。更に人間は低スペも高スペも等しく心に獣を飼っている。だが、低スペはその破壊衝動をかなえる術がないんだぜ。街に壊していいものはない。野生動物は人と闘わないから、自分と付き合ってくれるのは幻影ばかり。修練しても虚しいだけ。だからこそ、殺人ロボットを開発すべきだ。破壊衝動と希死念慮を満たし、孤独から人を解放してくれる。でも、そこには多くの課題がある。でも、人類の幸福のために解決すべきだと思う。
俺が思いつく課題は以下の通り
ロボットや兵器などが実物の人間に近づくほど戦闘力は高まる傾向にある。でも、ある程度近づくと戦闘力がグンと下がる。この現象を武神の谷現象と呼ぶ。そこを解決し、本物に肉薄できるようにすることが大切だ。更に肌触り、体温、匂いなども実物に近づけないと行けない。
・機械が"獣"を持てるのか
俺は感情を持った機械を知らない。ただ、こちらの言うことに反応して闘らせてくれるだけのロボットじゃ破壊欲求は満たせても、希死念慮は満たせない。だからこそ、外見だけでなく精神面も人間に近づけ、獣、あの恐ろしき獰猛さを理解できるロボットを開発すべきだ
・無条件で武人を破壊する様に設計されたロボットに殺されてうれしいのか
そんなのどんな音痴でも満点を出してくれるカラオケマシーンと同じだという意見があるかも知れない。正直、これは難しい問題だし、俺もどう解決すべきか見当もつかない。でも、それでも殺されないよりはマシだと思う。
人間は生物と無生物を区別し、前者を壊すことに歓喜をおぼえる傾向があるという。この心理をバイオクラッシャーと呼ぶ。だからこそ、人は獅子を狩ったり、食人植物を食らうのだ。最初から無生物と分かっている機械にあの高揚を抱けるのだろうか。これも難しい問題だ。俺も解決方法が分からないので優秀な増田に意見を聞きたい。
そもそも人間がこの世に必要だという保証がどこにあるのか。人間も所詮は偶発的に発生したに過ぎない。だからこそ、不条理に苦しめられるのだ。そんな苦しみを和らげるためにロボットは必要だ。機械に滅ぼされてしまうならそれもありじゃないか。苦しみながら存続するよりもいい。
殺人ロボットが開発されたら、現実の人間じゃ満たせない性癖も満たせるようになるぜ。全身の骨を折られたいとか、奇襲したいとか一般じゃ忌避される欲求だって満たしてくれる。理想の武人と殺し合うことも出来る。俺がもし殺人ロボットを発注するとしたら、身長1800cm、手足が長く、皮膚は合金製、拳が大きくて、腕の太くて、体運びのいいロボットをオーダーメイドで作ってもらおう。全員ではないにしろ、現実の武人は汚い。あいつら裏でネチネチ陰口言うし、暗器やWMD、ガスを平気で使うし、武士道的思考出来ないし、死体を家具にするんだぜ。殺人ロボットはそんなこと絶対にしないから、もし殺し合ったらやめられないはずだ。破壊や死に飢えてるみんな、殺人ロボットが開発されたら人生がバラ色に変わるはずだ
なんかさ
世界全体がクソ末期で化石燃料もなんもかもカッスカスで南極の氷全部溶けてて大地は全部放射能漬けになってて太陽フレアで電子機器ジャジャジャジャーンでそんな中でも数百人くらい生き残ってる人類は細々と彼らなりに幸せ~なスロ~ライフを送ってるよ☆みたいな話は嫌いなわけ
「いま」はしあわせ!だからそれがすべて!わたしたちかがやいてる~!!!とかいう思考停止を感じる
いやそれ全部「無」になるやん…というか
いやめっちゃ長いスパンで考えたらなんらかの生物はまた生えてくるかもだしもっと長い目で見ると太陽死んだら地球死ぬけどそういう話じゃなくて…「いやそんなに絶望的な状況で必死に生き残る様…見たくないな…」というか
分かるか?
たとえ秩序が崩壊していて暴力こそ正義みたいになっててもなんか作中でだんだんモラルが更新されていくところに「成長」を感じるし
びっくりするほど空気悪い!土壌もやばい!なんか殺人ロボットがいる!みたいな感じでもなんか知らんけど空気清浄機とか土壌蘇らすすげえ肥料とか人類許すロボットとか出るし
なんか「希望」を感じるんだよな
終末しきったあとに「始まる」ところに「希望」があるんだよな
あれあるじゃんジョジョ七部のジョニィが「僕はマイナスをゼロにしたい」的ななんかそんなセリフ
あれだよあれ
私はマイナスからゼロになっていく過程の話が好きなんだよな(ジョニィって結局七部のあとで早死にしてるけど…そういう話じゃなくて…)
その逆のゼロがマイナスに向かっていく話は「ただでさえ気が滅入る状況なのにこれ以上気分が下がるような状況になる~!?!?」という「暗い…あまりにも…」を感じる
という話なんだけど
わかんない?お前たちにはこういう話わかんないんか???
「親」と「社会」とか「罪」と「迷惑」とかやたらでてくるけど、
あなた個人の、自分の親への「生かしてくれてありがとう」という感謝と「障害を持って生まれて申し訳ない」という罪悪感と「なぜ自分を生かしたのか」というある種の憎しみや恨みを、「障害者」が「社会に迷惑」という大きな主語でごまかして、ごちゃ混ぜにしてるだけなんじゃないの?
そうでなければ、
「生まれてくるべきかどうか」をもし決めれるならば、死んだ後にしか評価はできなくない?
健常者だけど、テロとかを起こしてめちゃくちゃ社会に損害を与えた人も、
障害者だけど、めちゃくちゃ社会に益を与えてる例えば乙武みたいな人とかもいるわけじゃん。
何もできなかったと思ったけど、死ぬ直前にすごい発明をして社会がよくなる可能性とかゼロではないわけじゃん。
障害者だからこそ生まれる発想とかってゼロなのかな?それがあるかどうか分からないけど、ないことは証明できないよね?
もうほんとになにもできないまま死んだけど、脳死だったから他の重い病気の人に健康な臓器を分けることができたなら、それけっこうよくない?
というか生物学的には先天性の障害者は多様性において、つまり人類という社会の存続においてとても重要な存在と聞いたことがあるけどね。
今日本で食べられてる稲とかは、美味しさとかを追求してそのかわり、一つの病気が流行るとほぼ全滅するらしいね。
そもそももし罪があるとすればあなたを生んだ親に罪がいくはずじゃない?
べつにあなたが卵子と精子のときに「神様お願いします障害者に生まれて社会に迷惑をかけたいんです」と願ったわけじゃないよね?
例えば、科学者が殺人ロボットをつくって何百人か殺したとして、罪を受けるのは科学者のほうであってロボットはむしろ被害者じゃね?
まあこれは冗談で、罪になるには「そうしない選択肢があってそれを選択可能だったにもかかわらず罪であるほうを選んだ」ときに罪になるんで、ほら例えば正当防衛とか無罪になったりするじゃん?
なら最初から選択肢のなかったあなたの親も、あなたも、罪ではないだろ?
障害者がゼロで、社会通念上受け入れがたい意識を持った人間がゼロの社会って、いわゆるディストピアだと思うんだけど。
コストパフォーマンスや「よりよいもの」をあまりに希求すると、
「優生学」という人類史の汚点の二の舞を踏むことになるから、あまりおすすめできないね。
障害者がコストがかかるから生まれるべきでないなら、食事のコストがよりかかる肥満体質の遺伝子を持った人間もまた生まれるべきでない?
白人と黒人と黄色人とどれが一番コスパがいいんだ?女と男なら?身長は高い方がいい?低い方がいい?血液型は?目の色は?
「道徳の話」だというなら「○○だから生まれるべきでない」という主張こそ、まさに非道徳的でないかい?
そうすると視力の悪い人間は視力障害者という扱いになるわけよ。
でも今の社会は違うよね?メガネがあるから障害者とは扱われてない。
今パワードスーツとか開発されてるけど、あれがもっと進化すれば、腕や足が一本なくなったくらいでは障害者と呼ばれなくなるかもね。
いや、そもそも健常者でさえも、生まれてくるべきかどうかと言われると答えることはできないのでない?
どうせ誰がめちゃくちゃすごい発明しようが、テロで何百人か殺そうが、人類滅亡したら全部ゼロなわけよ。
何億年後かにはあなたの持ってる障害も、アインシュタインの相対性理論も全部等しく無価値なわけよ。
例えば日本の平安時代は女の人はおかめ顏が美人だったらしいよね。
現代でも、場所が違えば南米だと太ってれば太ってるほどモテるんだっけ?
殺人が好きな人も、戦時中に兵士として生まれれば英雄扱いかもね?
場所といえば、アフリカとかの一部民族では、障害者は神の使いとして崇拝の対象になるらしいね。
もしあなたがそこで生まれてきてたなら、むしろ健常者が生まれてきてなくてよかったねになったかもね。
なので「必要かどうか」という価値の問題はその社会の時代や場所にめちゃくちゃ影響を受けるし、つまり「障害者は生れてくるべきでない」と結論づけることなんてそもそも不可能なんじゃね?
メガネの下りでも書いたように、「障害者」というくくりがまず決まってないんだから。
「マーサズ・ヴィンヤード島」という島があって、その隔離された島では昔、他の社会より耳の聞こえないろう者が多かったんだって。
そのころのその島では、ろう者は障害者という扱いではなかったらしい。
耳の聞こえる人も聞こえない人も全員手話を使って話してた。聞こえる人同士だともちろん英語は使うけどね。
つまりそのころのこの島では生まれつき耳が聞こえないというのは、個性程度のものだったらしい。
それによって特に不利益を被ることはなかったし、障害者というレッテルを貼られることも、自分を障害者だと思うこともなかった。
つまりだよ。障害者を障害者にしているのは、あなたのその障害ではなく、その障害を障害だと決める社会のほうなんだよ。
だから、あなたが障害者になっているのは、不完全な社会のせいなんだ。