はてなキーワード: 成分表示とは
「男×女だけノーマルって言うな」「私にとってはBLもNL!」って、意味不明過ぎる。オメーのルールなんざ知らねーよ!!
「古くさいルールを変えるときが来た」って、はあ?過去作品全部総ざらいしてタグ付け替えて、引っ越せって??労力舐めるなよクソガキども。どんだけ作品書いてきたと思ってんだ。
差別がどうとかの話してるか?
アレルギー表示で"Aは入ってない"って書いてるのに"実はA入ってた"とか最悪やぞ???「死人なんか出ないから誇張するな」??実際に出てるから学級会になってんだろーが!!!
"嫌なら見るな"精神で他の畑と衝突したくないからタグで見えないように線引きしてるだけだろーが!!!BLアンチに自分の書いたBL見せたいとか、とんだマゾヒストだな。タヒね。
そもそもそれ以前からタグ嘘つき頻発してたし、いつ吹き零れてもおかしくなかったからな…。君らのしてることは成分表示偽装なので、今すぐ改めるか自分等だけのコミュニティに行け。
先日、好意を抱いていた男性から結婚を前提とした交際を申し込まれて、断った。
後日、共通の友人にどうしてあんな良い人を断ったのか教えてほしいと頼まれて、しぶしぶ正直に理由を答えたら「それは差別だよ」と怒られてしまった。
彼はとても優しくて良い人で好きだったのだけど、重度の食物アレルギーを持っており、それがどうしても受け入れられなかった。
友達や恋人となるだけなら一時だけ相手に合わせた食事を選択すれば良いものの、結婚となると話は別で、多少なりとも自分も相手に合わせた食生活をしないといけなくなる。
小麦粉が舞うからお好み焼きが食べられない。ピーナッツを食べたらキスができない。買い物のたびに成分表示を気にしないといけない。自分の子どもならまだしも、「相手を選べる」結婚でそんな選択をする度胸や覚悟は私にはなかった。
友人は「自分の意思で変えられない特性で対応を変えることは全て差別だ」と言っていたけれど、結婚相手を選ぶことくらい、容姿も、収入も、性格も、学歴も、職業も、家柄も、年齢も、健康状態も、国籍も、人種も、その人何もかもを判断基準にしたって良いよね。
スカートがスケスケになっているともっぱらの話題になってる例のポスターを眺めて、
なにか書こうかなと思っていたら興味が横滑りしてなぜか『ホステル パート2』ポスターの変遷を再確認してしまう。
映画秘宝でちょろっとまとめられていたのを見たことがあったのだが、
だいぶ昔の話なので軽くググったら再確認できた(現物も手元に今ないし)。
最初のポスターがなんかお肉の断面がどーんと全体に大きく陣取ってるヤツで、
これがグロすぎる! ってことで次にリリースされたのが生首抱えた女の人の横姿ポスター。
生首持ってるのも問題だし、
生チチも見えてるし、
(つまり斬首された女性が裸で自分の頭を手に持っているという超カッチョイイ構図なのだ。最初からこう書けばよかったですね)
ほんで、この第二弾もヤメになったので、「じゃあこうすれば文句ないじゃろ」的なヤケクソ感覚(かどうかは知らんが、秘宝の紹介だとそのように書いてあった)で投入されたのが二つを合成した省エネポスター。
Hostel Part 2とかでググると簡単に出てくるので目の保養に見てみるのがオススメ。
と、ここまで考えてはたとそもそも映画のポスターってどこに貼ってあるのかなあと思い至ったわけです。
中学生くらいまでは町内の掲示板的なところに近場の映画館でやる映画のポスター貼ってあった気がする。
よく塾の帰りに親のお迎えがくるまでの間、ひまつぶしに眺めていた気がする。
ひるがえって、いま映画のポスターが貼ってあるところとして思い浮かぶ場所ってほとんどないんだよね。シネコンの入り口とかくらい? 町内の掲示板的なものに今も貼ってあるのかもしれないが、なかなか見に行こうとしないですね。
どうして日本の映画ポスターは情報量多めになっていてそれ以外ではシンプルなつくりになってるの、的な話題も、「ポスター」に求めらている機能がもしかすると違うのではあるまいかとはちょっと思った。
映画館でタダでくばってるちいさな公開予定作品のチラシを思い出してそう考えたわけですが。チラシだとしたら・・・情報量多い方がなんとなくうれしい気がする。日本以外であーゆーチラシを置いているのか知らないですケド。
食品パッケージのいろいろな表示もいっぱいいろんなことが書いてあったほうが食事してるときに読む文字が増えてなんとなくうれしい。つい読んじゃうよね、納豆パックの成分表示とか。
できれば昔の映画ポスターみたいに出演者の顔が丸で切り抜かれてそれぞれの名前とともに端のほうに並べられていてほしい。
あ、スカートスケスケの件は俺はスケスケにどうしても見えなかった派なのだが、
戯れにテキトーなビューアーで開いて縮小してみたら理解を得ました。
白金-青黒ドレスとか、どっちの方向にも回転して見えるシルエット錯視みたいなものだなあ。
「白金-青黒ドレス」を光源色(光源スペクトル)の推定→物体の分光反射率推定の問題として考えると、
うまいこと「いかに人間がものを見るときにそれまでの経験や未知のメカニズムによって影響されてしまうか」的な話ができて楽しいかもしれない。なんか俺の日本語が下手なせいもあるかもしれないけどなんでこんな下手な例え話を使ってしまうのか。
上手いことやるとぼくの考えた京極堂みたいな感じになるはずなのでがんばれ俺。俺はやればできる子(やらない)
合言葉は上手いことやれ、で。