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はてなキーワード: 法則とは

2008-12-09

ウェブブラウザ毎の表示などの違いまとめ

HP作成中などに気付いた個人用メモ

フォントは基本的にMSPゴシック12pt

何か新たに気付いたら追記

2008-12-08

ニート地球のためにできること

物理の授業で作用・反作用の法則というものを習いました。

君が前に歩いたならば、その分地球が後ろに回る。

君の蹴り出すその足が、地球の自転を発生させる。

だから、家に引きこもっていないで歩け、そして地球を回せ。

ってニュートンが言ってました。

2008-11-30

[][]アーサー・C・クラークの三法則

1 高名だが年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている。

2 可能性の限界を測る唯一の方法は、不可能であるとされることまでやってみることである。

3 充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない。

2008-11-29

[][]■つの◇◇とか●つの▲▲があてにならない四つの理由

  1. 手順や法則などが示されても可能とは限らない。条件に該当しなければ君はすぐさま門前払いを食らう
  2. 手順や法則などを実践しても成功とは限らない。まだ安心するのは早い。すぐにできてしまったならば君が苦労していた莫大な時間は瞬時に否定される
  3. 手順や法則などが真であるとは限らない。うまい話は真っ先に疑え。知らないおじさんが飴を君にくれることは常識的に考えてまずありえない
  4. したがってこれら一連の書き込みはまったくもってあてにならないものである。手順や法則は箇条書きにされるものではなく君が見つけ出して実践するものである

2008-11-28

肛門を拭く回数が減る、目からウンコ法則

http://anond.hatelabo.jp/20081127225710

たしかに目からウンコを出せば肛門は拭かなくてもいいですよね。

そんなセンスの良い冗談はさておき、試してみたら本当にトイレットペーパーの茶色が少なく、狭い便所で小躍りしてしまいました。

ネーミングについては「宿便無刀取り」というのはどうでしょう。

テレビかなんかで「括約筋大活躍!はてなで話題の宿便無刀取り!!」なんて紹介されたらステキですね。

2008-11-27

肛門を拭く回数が減る、目からウロコの法則

食事の人が居たらこの文章を読まないで欲しい。

少々、排泄系のお話になる。

一言で言うと、「肛門をあまり拭かなくて済む法則」である。

自分は結構神経質な方で、大便の後にトイレットペーパーで入念に尻を拭くタイプだ。

紙にちょこっとでも茶色がついていたら、消えるまで拭くタイプである。

更に、いつごろからかティッシュを厚めに重ねる癖ができてしまっていた。

シングルペーパーだと20枚重ね、ダブルだと26枚(13枚×2)重ねがデフォルトだ。

「どうも自分トイレットペーパーの減りが早いのではないか」と気付いたのは最近のこと。

生まれてこの方、トイレットペーパーの使い方など人にレクチャーされたことなどなかったので。

まず、重ね方が多かった。よっぽどゆるくない限り、8枚も重ねれば充分だと気付いた。

但しウォッシュレット後だけは特別で、18枚重ねた方が安全である。

そして次に大切なこと。この1点にだけ注意すれば、思い切り肛門を拭く回数が減少する。

以下手順。

(※洋式便所だと仮定します)

1.どっしりと便座に腰をかけない。重心を後ろへ倒さない。

仮に重心をやや後ろへ倒して便を落とした時点で、私はあなたの便を拭く回数を減らす保証はできない。

まずはやや前傾姿勢で座るのである。

2.便をちぎる瞬間、気持ち腰を浮かせる感じにする。

思い切り腰を浮かして便をすると、便座がひどいことになる可能性があるので、あくまでもイメージで。

やや腰を浮かせたかな?くらいほんのり腰を浮かせる。

すると何が起きるか。そう。あなたのその引き締まった肛門筋で、ばっさりと便を斬ってくれるのである。

但し、あなたがア●ル派の人であれば、その保証はできない。

そう、要はヒトが進化の過程で身につけた「肛門筋」のチカラを最大限発揮するのである。

和式便所だと、肛門を開きすぎて、肛門筋のパワーを思うように使えない。

洋式で上記の手順を行うと、あなたは驚くほどティッシュを使う回数が減るであろう。

むしろ、拭かない癖がつくかもしれない。

これほどエコに直結する方法があるだろうか。おまけにウォッシュレットの水質汚濁も減らせる。

ぜひ、友人・知人・家族彼女に勧めてみるのはいかがだろうか。

「肛門筋活用大便術」とでも名付けようか。いささか学術的か。

ネーミングはもっといいのがあれば教えて欲しい。

2008-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20081122011307

んんん……戦後思想の自由が保障されて、

増田でも処女非処女・男女論等々

確かに価値観は多様化してると考える向きがあっても仕方ないと思うんですが(曖昧表現ですいません)

ただそれを「多様化」の一言で片づけてしまうのは

学問的誠実さが足りないんじゃないかなと思ったんです。

つまり多様化を多様化で片づけるんじゃなくて

表面上違って見える個別のなかから

普遍的な法則だとか、真理を見つけ出してやろうっていう欲求みたいなものを

「多様化」っていう言葉は切って捨ててる感じがしたのです。

そしてそんな言葉を吐く評論家(風の人)うぜーって思っただけなのです。

高校生のボクが思う社会科学

社会科学するから社会科学

社会人間の集まりだよね

人間の集まりを科学する

つまりそれは集団の意思決定=政治学であり

集団での金やらモノやらの動き=経済学

で、科学と言うからには科学的手法をとっているわけで

科学的手法ってのは演繹だったり、帰納だろ?

だから「これまでの社会」=歴史社会科学的には重要なんだな

自然科学、例えば古典物理学なんかは

一見複雑な運動でも実は単純な運動の合成だったりするし

そういう「自然ではあるはずがない」単純な仮定空想の状況を作り出して実験することも容易い。

やっぱりさ、人間をある程度捨象してしまうことだよね。つまり類型論。類型論って、ステレオタイプのこと。

そうすれば、因果関係も見えてくるじゃない?でも、類型をつくる時点で、それは人を捨象する学者価値判断がそこに含まれてしまう。

やっぱり科学っぽくない?まあしかし厳密な正当性なんてものを社会みたいに相関的、イコール互いに影響しあう対象研究に求めるのは酷。

ある程度の妥当性が認められれば万歳でしょう。

じゃあどういう風に類型を作るのが一番妥当なんだろう?マックス=ウェーバープロ倫を考えてみる。

まず事実あるじゃん資本主義ができる前にはプロテスタントが広がってった

プロテスタントには商工業者が多い。プロテスタントは現代でも重役につくことが多い。

フランスナント勅令を廃止してから財政難に陥った。スペインはゴイセンを迫害してから没落していった。

適当だよ?ウェーバーさんがどういうやり方したかは知らないよ。適当適当

でもこれら個別の事実を並べて、ある色メガネでみるとそういう法則が分かるんじゃないかってこと

メガネは絶対に必要なんだよね。つまり他の色を捨てるってことだよ。

まぁ結論ありきでやらないってことが重要だよね。どの色メガネを使うか最初からきめてたらそれは「ただの今頃の若いもんはおやじ」だよね。

統計に余計な価値判断を加えるのが社会科学、というか社会学?ですが!その価値判断社会学のすべてなので!スマートでアクロバティックな価値判断がよろこばれます!つまり多様な価値観!複眼的な分析が重要なのです!

追記;ふと思ったんだけど増田てすごく社会学的じゃない?

2008-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20081121230914

その「相手にしてくれない」が個人の話なのか一般論なのかわからないから、一般論として受け取っておくと

さらに一般論として「顔面偏差値学力偏差値反比例する」という法則があるとかないとかいう話を小耳に挟んだような気がしないでもないので(夢かも)

年収の男は顔面偏差値が高いから、顔面偏差値の高い女=低収入の女を狙うんじゃない?

だから余り物の高年収女は高年収男で我慢すると。

我ながらなかなかの暴論だと思うので文中にたくさん保険をかけてみた。

2008-11-18

[][]2008年11月17日 朝日新聞 クルーグマンの記事 全文

08年のノーベル経済学賞受賞が決まった米プリンストン大学ポール・クルーグマン教授が14日、ニューヨーク記者会見した。深刻な世界不況が始まっており、米国では政府による60兆円規模の経済刺激が不可欠と強調。今は常識が通用しないときだとして大胆な対策を訴えた。主な内容は以下の通り。

経済の数字は日ごとに悪化している。すべてが、がけから転がり落ちているようだ。消費支出、小売販売額、失業保険の申請・・・。様々な指標を見れば、我々が世界的な大不況突入しつつあるのは明らかだ。だから、多くの対策が必要だ。米国失業率来年末までには8%か9%程度まで悪化するだろう。一方、完全雇用状態を示す失業率(自分に合う仕事を見つけようとするための失業などを除いた失業率)は5%程度と見るのが妥当だ。実際、この10年で2度、インフレを起こさずにその水準まで下がった。

失業率の変化と国内総生産(GDP)の関係をしめす「オークンの法則」を使って大雑把に計算すると、米国は、GDPの7%分も生産額が足りないという状況に直面しつつある。このギャップを埋めるには、巨額の財政支出による景気刺激が必要だ。「乗数効果」を計算に入れてもGDPの4%(約6千億ドル)の支出でも、まだやや足りないと思う。

こんな数字を言うと、人々はあごが外れるくらいに驚くだろう。しかしこれが現状なのだ。普通不況ならば、財政がすべての重荷を背負う必要などない。連邦準備制度理事会FRB)による利下げで間に合う。

しかし今や、利下げは限界に来ている。(政策金利の誘導目標になっている)フェデラルファンド金利が0.29%まで下がる例も出てきた。アナウンスはされていないが、すでに日本で採られたような「ゼロ金利」政策が事実上実施されているようなものだ。だから巨額の財政出動が必要なのだ。

その支出を何に使うのか。必要な刺激は非常に大きい。十分な使途を見つけるのが難しいくらいだ。基本的には、考えつく限りの事が出来る。インフラへの支出や州などの地方政府への補助、失業手当の増額。低所得者向けの医療保険を拡大したり、失業者にも医療保険を適用したりする事も挙げられる。これらはすぐにできることだ。

一方、医療保険を全国民に広げる法案は施行時間がかかるので、刺激策には含まれないだろう。グリーンな(再生可能)エネルギー環境への投資も有効だが時間がかかる。即効性が期待できるのは道路などのインフラ整備だ。たとえばハドソン川をくぐる2番目の鉄道トンネルなど、計画中のものを前倒しする事も出来る。

こうした支出をすれば、政府部門の債務GDP比でかなり上昇する事は確実だ。しかし、今は債務の増大を心配すべきときではない。

合理的判断のできる政府を持つ先進国なら、高水準の債務残高に相当期間は耐えられる。日本がそれを示してきたし、ベルギー債務膨張で混乱するような事態に陥ってはいない。いずれはもっと多くの財政収入が必要になるのだが、それすらも今は心配すべきではない。

ゼネラル・モーターズ(GM)などの自動車産業を救済すべきかどうかは、極めて難しい問題だ。もし救済すれば、ここに至った経営の失敗を今後も続けさせる事になる。しかし一方、この危機のさなかに自動車メーカーが消えていくのは避けたい。正しい事でも今はなすべき時ではない、という事もあるのではないか。

金融政策が影響力を失い財政政策しか残っていないと言うのは、「不思議の国のアリス」の世界だ。この世界では貯蓄を高めるのが悪い事で、健全財政も悪い事。逆に完全にムダな政府支出が善いこと。「あべこべ世界」だ。ここには長くいたくない。

奇妙経済学」を永遠に続けたくはない。しかし我々は今そこにいるのだ。完全雇用に戻りフェデラルファンド金利が5%になれば、もとの世界に返れる。しかし、今は違うのだ。

世界不況を克服するには、G20のような国際協調によるグローバルな景気刺激策が必要だが、残念ながら当事者能力を失ってるブッシュ政権の下では力強い合意は期待できない。米国中国財政による景気刺激策をとる方向には進んではいる。しかしたとえば各国が一斉にGDPの3%に相当する景気刺激策を採るといった合意は、すぐには望めないだろう。

我々は新興経済諸国の危機にも直面している。少なくとも97年の通貨危機に匹敵する規模の危機だ。先進国の危機対応に追われがちだが、通貨や信用の危機、突然の資本流入の停止などの深刻な事態に対応しなければならない。

国際通貨基金IMF)の改革も大きな課題だ。IMFは数十年にわたって、世界のパワーを反映した運営がされてきた。90年代には米国の政策を広める機関のようにみなされてきた。本当はより独立した機関が必要だが、ともかく現状よりましな機関にしなければならない。今は危機に陥った国々に対する国際的な「最後の貸し手」がかつてなく必要とされているときだ。

こうした危機になれば、アジア通貨基金をつくればいいとか、欧州連合EU)の事には口を出さないでくれとか、ワシントンの機関が牛耳るのは嫌だとか、いろんな意見が出ると思っていた。しかし、実際には、みんなが、IMFにしっかりしろと望んだ。これは興味深い事に思える。

米国はかつてのような覇権国ではない。貿易政策ではすでに長い間、EU米国が並び立っている。米国世界最大の国民経済であり続けるだろうが、10年か15年後には、米国ユーロ圏、中国インドが四つの大きなパワーになるだろう。世界はより複雑になっていく。最後に日本について助言するとすれば、「景気を刺激せよ、刺激せよ。ゼロ金利に戻れ」。これに尽きる。

2008-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20081117033650

距離を見てあきらめるか、そこまで行けばいいんだ、と考えるのかの差だろうなー。

俺は最近あきらめないようになった。10000時間法則、ってのもあったけど、その地点にいたる時間には個人差があるんだよ。とりあえず向かってみればいつかはそこに到達すると判った。

行きたいところがあって、方角もわかっているのに、距離が理由であきらめるのは納得できないし、ほかの事に時間を使うのかと考えれば、どうせほかの事をあきらめるのに時間を使っているんだろうし。

あとは覚悟の問題ですな、と。「覚悟完了!」と叫べる人格才能というか、好きなんだよね、というか。

へこたれなければスキルは身につく。へこたれさせない目標設定と評価をしようぜ!

すごい物を見てもへこたれない人

なぜ、へこたれたのかを分析しよう

精神論だったり、「才能」や「努力する才能」だよ、という言葉で片づけるのは簡単だけど、それでは何もプラスがないし、つまらない。ここはもう少し細かく考えてみよう。

すなわち、君はなぜ「できない」「もう無理」と思ったんだい?

一つには環境要因があるだろう。お金時間、周囲との人間関係…。これらはすぐに改善するのはなかなか難しそうだ。

だけどもう一つ、「何をすればいいのか分からず途方に暮れた」「あんなこと、今の自分には難しすぎる」…努力しなきゃと思っていても、一体どこでどう努力すればいいのか分からない。そういう理由なら、それは何とかなるかもしれない。

発達には最近接領域がある

まず最初に知っておいて欲しいことがある。人間は1歩先の足場にしか届かない。

これを教育専門用語で「発達の最近接領域」という。最近接領域とは「自分一人でできる」以上「誰かの助けがないとできない」未満の領域のこと。

その人の学習段階(レディネス)にあわせて、ちょうどぴったりの「発達の最近接領域」範囲内に次の足場を用意する。実はこれこそが教育の正体だ。

「発達の最近接領域」となる範囲の幅は広い人もいれば狭い人もいる。歩幅と同じで個人差があるのだ。体調にも左右される。一足飛びで上達しているように見える人は、この幅が広いに過ぎない。その人も自分の歩幅で一歩ずつ発達段階をのぼっている点ではあなたと同じだ。

歩幅の違いはあるいは才能といえるのかもしれない。しかし裏を返せばスピードの違いこそあれど、歩ききることさえできれば、ほとんどの人が目標に到達すること自体は不可能ではないのだ。

むしろ注意したいのは、自分の最近接領域内に足場を設定できないと発達できないという点。発達できないと疲れだけがたまる。自分の歩幅を的確につかむことが最重要だ。それが最後まで疲れずに歩くことにも繋がる。

「最終目的地」と「次の一歩」、2つの目標が必要

さて、これを踏まえた上で、どこに努力力点を置くか、である。ポイントは2つある。

まず努力ポイント1つ目。「最終目的地」を持つことだ。

登山でいうならどの頂上に向かうか。当然といえば当然だが、目的地が分からなければルートが割り出せない。適当に動いたのでは遭難してしまう。マクロな視点、俯瞰的な視点で最終目標さえ捉えていれば、そこに至るまでのルートはわりと自由が利く。自分の行けそうなルートを選ぶことができる。

目的地が遠すぎる…と思ったら、もうすこし近めに設定しても良い。目標は途中で変えても良いからだ。

次、努力ポイント2つ目。「次の一歩」を見つける。ここ重要ですよ、テストに出ます。

今度はミクロな視点、さっきの「最近接領域」というやつだ。

学校教育では教師がきみの歩幅に合わせた足場を用意してくれる。趣味仕事ではそれができる人に師事するか、自分で足場を見つける必要がある。目標が達成できるか否かは最近接領域内にうまく足場を設定できるかどうかが肝だ。

自分より少しだけ上手い人を探して、マネをする。というのも良い手立てだ。

ポイントは自分に学習状況にあわせて、こまめに足場を設定すること。最近接領域は刻一刻と変化する。繰り返しになるが、歩ききれば目標には到達できる。だからこそ自分に適切な足場を設定すること、途中で疲れはてないように注意することが最重要だ。

「何をどうすれば上達できるか分かんないよ!」となってしまったときは足場が遠すぎる可能性が高い。もっと「一歩」を小さくしたり、より基礎部分に戻ればいい。

逆に、もうこのレベルは簡単にできるようになったな、と思ったら少し(ほんの少し!)レベルを上げる。

普段の運用は2つ目「次の一歩」に注力すればいい。1つ目「最終目的地」はそうコロコロとは変わらないからね。逆に「次の一歩」は毎回ていねいに確かめる必要がある。そうして時々ルートがずれてないか、最終目的地を確認すればいい。

もしも、1つ目「最終目的地」が変わったら、そのとき自分の位置と新しい目的地から、次のルートを割り出しなおそう。

カーナビを使うときのイメージだ。

「次の一歩」ごとに評価する

さて、歩ききるため(または歩ききらせるため)に重要なことがもう一つある。

評価だ。

どのタイミングで評価をするかについて、多くの場合、大目標に到達したときが頭に浮かぶだろう。学校ならテストだったり、仕事なら一つこなしたとき。趣味なら発表会とかかもしれない。

だが、それだけではない。実は「次の一歩」で動いたときに評価をするのだ。

一歩がうまく行った時は、全力で褒めていい。そして、そのまま行けばいい。

うまく行かなかった時は、「次の一歩」の足場の見直しをする。

ポイントは、評価とは点数付けに意味があるのではなく、むしろ最近接領域の状態を見極め、次の足場の設定へのフィードバックを行うことこそが真骨頂という点だ。

これは先ほどの、こまめに足場を設定する、という話に繋がる。こまめな設定には、こまめな評価が必要だ。

しかも、こまめに褒めればモチベーションも維持しやすいという特典付き。完璧な作戦だ。

こんなの無理\(^o^)/

おま…だから、いきなり全部やろうとすんなとあれほど…

はい復習ー。むりぽと思ったときは?…そうだね、「一歩」をもっと小さめに設定するのがコツだったね。

「できない」「もう無理」「やっぱ才能ないわ自分」って思ったときほど、設定を見直せー。

それでも「出来る」なんて思えない?

大丈夫、みんな義務教育はしっかりこなしただろ?国語も算数も苦手なりにも一応は出来るようになっただろ?

…出来てるじゃん。あれと本質は同じだ。だから、できるよ。慣れは必要だけどな。

補足

ま、なんにせよ時間は必要だから、この10000時間ってのを一つのめやすに長期計画立てると良いかもしれんね。

あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則

あと、へこたれそうになってる人には、周囲の励ましがよく効きます。特効薬です。

無理とか言ってる人も、おだてれば木に登ります。だからみんな俺に優しくしてくれメソッド発動。

追記:このエントリ、ほとんど元増田の言い換えだったり、ちょっと元増田の文脈からずれてしまったりしてるのが申し訳ないが、誰かのお役に立てれば幸い。

あとちょっとタイトル変えた。

周りで変に盛り上がられるとやる気をなくす法則

土曜日ちょっといい話がありました。

まだ恋じゃない。恋に発展させられそうかなと思っただけ。

だから周りに盛り上がられると、どうもやる気が無くなる。

え、何?

別に恋してないよ。っていうかそこまで周りに盛り上がられたら逆に恋にしたくなくなるんですけど。

そんな週明け。

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質より量に学ぶ - Radium Software

ある陶芸クラスでのこと,最初の授業において,教師は生徒をふたつのグループに分けた。

一方のグループ作品の「量」によって評価を行うとし,もう一方のグループ作品の「質」によって評価を行うとした。

あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則 | Lifehacking.jp

音楽学校バイオリンを学んでいる生徒を、

ソリストになりそうなグループと、

プロオケでやっていけそうなグループ

そしてプロオケは無理でも音楽先生になりそうな

グループにわけて練習量を比較するという調査を行うと興味深い事実がわかる

コアスキルに1万時間注ぎ込め

中谷巌のページ:雑誌記事等「日経キャリアマガジン プロになるならこれをやれ!」2001/12号

Amazon.co.jp : 中谷巌の「プロになるならこれをやれ!」 (日経ビジネス人文庫) : 中谷 巌 : 本

イチローに学ぶ「天才」と言われる人間の共通点 - 電子書店パピレス

イチローに“偉大《いだい》な才能”を与えたのは、名古屋空港の近くにあるバッティングセンターである

イチロー小学三年から中学三年までの七年間、そこに毎日通いつめた。

 それも一週間に一日くらいは休むといったレベルの生易《なまやさ》しいものではない。

一年間に三六三日通いつめたという。休んだ二日は、バッティングセンターが休業した、正月の二日間だけだった。

 世の中を見渡せば、天才はどこにでもゴロゴロ転がっている。

才能は、成功するための一つの要素にすぎない。

天才と言われる人間であっても、絶《た》え間ない精進《しょうじん》を繰り返して、初めて彼らは成功者の仲間入りをすることができる。

 イチローが一流選手としての称号《しょうごう》を得たのは、二一〇本の安打を打ち、打率三割八分五厘で首位打者に輝いた九四年の秋である

本格的に練習を始めた小学三年のときからすでに一三年経過している。

http://kokokubeta.livedoor.biz/archives/51030990.html

何事にも閾値はある。そこに至らなければ、意味がないという数字だ。

「頭のいい人が成功しない理由」という本に、閾値の話があった。

だれもが中途半端にやめてしまう。それでは足りない。閾値を越えない。

閾値を越えない限り、やっても意味はないのだと。

徒然草 第百五十段

なぜ失敗は「すればするほどいい」のか~脳研究者・池谷先生の新たな研究  | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]

努力と天才

すごい物を見てもへこたれない人

[トレードオフ][機会費用][選択と集中]人生はトレードオフ

[時間とは出来事である][機会費用][権内][権外]英語・会計・IT

[仕事][選択と集中][KFS][全体最適][パレートの法則][仮説実践検証][PDCA][時間管理マトリックス][改善]

http://anond.hatelabo.jp/20110120022852

http://anond.hatelabo.jp/20130927175059

あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則

http://lifehacking.jp/2008/11/the-law-of-10000-hours/

これは

「天才(生まれつき備わっている優れた才能)」ではなく

秀才」だと思うが、経験値10k時間分溜めれば極みに行けそう、という考えには同意。

リアルではステータス可視化が難しいので、最初は効率よく経験値が溜まっているのか不安になるだろうけど。

2008-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20081113231049

人間関係恋愛関係に(自分に都合の良い)法則を求めようとするのはコミュニケーション障害者特有の症状です。

つまりその場の空気や相手の感情、思考、意思を聞き取ることも読み取ることも出来ないので、それをしなくても良いように最初から自分のマニュアルを作成して自分で当てにしたいのです。

2008-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20081108194131

↑「外見で好きになる増田」についてヒトコト。

んー。

個人的には、何にせよ「何かの基準や『タイプ』で他人を分ける」という発想がキモいんだと思うけど、そういう「説」は考慮の外なわけね。

まあ、増田の場合、あくまで帰納的に「オレは外見で人を選ぶ説」を考え出したんだと思うんだけど、そんな「説」なんて、明日「どう考えても外見は好みじゃないはずなのに、好きで好きで仕方なくなって、何でも許せる気になってしまう娘」が登場したら簡単に覆る「仮説」じゃん。そのとき「(1)オレは性格が変わった」と考えるのと「(2)その子が例外だった」と考えるのと「(3)最初からそんな法則なんて実は無かった」と考えるのは、どれが妥当だろう? オレは(3)だと思うんだけどね。

そりゃ別にそういう生き方を選ぶなら選べばいいけど、人が人を選別するというのは随分失礼でかつ傲慢なことだとオレは思うわけよ。就職試験や入学試験だって、ある「基準や役職」がそれに当てはまる「能力」を選別しているわけであって、「人が人を選別」なんてしてない。それとも、「あなたの恋人であること」とは何か素晴らしい報酬を伴う「資格や権利」であって、それを勝ち取るためにはある「能力基準」が必要とされる、とあなたは考えているということ? だとしたら余計キモいと思うんだけど。誰かを愛すること、愛されることって、人と人との一対一のつきあいの問題であって、権利とか義務とかそういうもんじゃないでしょう。たとえば「友人」という枠において、同じ事をして他人を「選別」する人間がいるとしたらあなたはどう思うのさ? 『オレの友人であるためには、せめて外見ランクBをクリアしてくれ』…フザけんな、お前ナニサマなんだよ、とキレますよ普通人間としてプライドがあるならば。

いずれにせよ、今のその考え方で増田人生が「幸福」になっているとは全く思えない。だから、増田が身内なら説教するところだけど、今はただの通りすがりなんで、とりあえず簡単にdisっておくだけにする。

(追記)

言ってることが分かりにくいかもしれないから、もう少しだけ補足するよ。ああ無意味に親切な自分。

たとえば、だね。あなたに友人がいたとして、その友人が自分の恋人を紹介してくれたら、その娘は「あなたの好みから見たら対象外なヒト」だった、とするね。で、それを口に出して言うの?言わないの? でもいずれにせよ心の中では思ってるわけだよね。「あー、こいつの彼女はオレの『対象外』だなー」って。

ま、普通は口にだして言わないよね、そゆこと。なんでってそりゃ殴られるからね。でもなんで殴られんだろうね。

そりゃ、それってものすごく余計なお世話じゃね?って思うからだよね。

あるいは「他人の彼女容姿を云々するとか、失礼極まりないよね」って思われるからだよね。

ナニ勝手にテメエ基準で世の中眺めて偉そうに上だ下だ決めてるんだよ、ってね。少なくともあんたが「基準以下」とか判断する相手にも、その人を大事に思うヒトはいるわけだよね。そういうヒトに対して失礼だとは思わないわけ?

友達の彼女にやって失礼なことは、赤の他人彼女に対してやんのも、本来は失礼なことじゃね?

なのにそれやっちゃうのは、あなたの考えが間違ってるかあなたがバカか、少なくとも失礼な人間だからじゃね?

失礼な人間が失礼な考え方口にしたら「失礼だ」と思われて当然じゃね?

少なくとも「考え方は失礼だがなかなか正直で宜しい」と言わなくね?

「なんで駄目なん?」って聞いても「失礼だしょ」で終了じゃね?

そんで分からなければ、常識的に考えてもう救いよう無くね?

なのに事細かに例挙げて説明っておかしくね?

丁寧すぎね、ってか偏執狂じゃね?

オレ親切過ぎんじゃね?

バカじゃね?

死なね?

で、終了じゃね?

2008-11-06

http://anond.hatelabo.jp/20081106223352

なんでそこで科学をもちだしちゃったんだ。

科学人間が作ったものなんだから、自然科学法則に従うはずないよ。

2008-11-05

2割8割の法則とか言うけど、自分は別に優秀でも何でもないのだが、周りが働かないので2割に入ってしまっている。仕事中にmixiやらTwitterやら更新まくり連中を養ってるのかと思うと釈然としない。

2008-11-02

http://anond.hatelabo.jp/20081101202411

35歳定年説の実際

35歳定年説って、35くらいになると能力が落ちて若い奴に勝てなくなるよ、と言うことではなかったような気がする。俺が理解している35歳定年説とは、こうだ。

つまり、それ以上エンジニアとして働くことも可能だが、給料は上がらない。というか、正確に言えば上がる可能性が少ない、が正しいかな。しかしこれはエンジニアであっても単価で働いていない人には関係のない話。おもにSI業界の話だと理解している。

なんで給料が上がらないか?話は簡単。「単価>報酬」だからである。エンジニアの単価とはそのエンジニアが生み出している利益そのもの。給料は自分たちが生み出した利益を原資に支払われるわけだから、これを超える給料になることは原則的にはない。つまり乱暴に言うと自分の単価が100万円から上がらないような会社にいて、それ以上の給料になることは不可能なわけ。35歳くらいになるとだいたいリーダというような役割になり、単価が上限までいってしまう。いくらがんばろうと一山いくらの世界では顧客はそれ以上払わない。あなたが優秀なエンジニアであっても、隣の席のボンクラと評価は一緒。こういった感じで、給与があがりにくくなる最初の波が35歳くらいに訪れるわけだ。若い人はわからないだろうが、35くらいになると家庭をもっていたり、子供がいたり、親が病気がちになったり・・・とにかく自分だけ食えればよいということではない事情があったりする。当然、給料が上がらないような仕事を続けるのは難しくなる。このような仕組みの中で働いている人がこの法則から抜け出すために一番簡単な選択肢が、「管理職になる」ということだ。ここでいう管理職現場リーダではなくて、人月で稼動する人員を動かす側の人間。このポジションは単価>報酬という法則の外に出れる。よって『35くらいになるとエンジニアをやめて管理職かなにかにでもならないといけない』ということになる。元記事で”50歳でCOBOL PGでも食える”とあるが、そりゃあ食おうと思えば食えるだろう。ただし年収500万台でできる範囲で、だ。著名なプログラマーでもない限り、これが現実

いろいろ書いたけど、どうせ、中身のない人売りビジネス会社は淘汰される(というかそうであってほしい)。残るのは、独自の技術サービスを持っている会社。まだ少ないけど、そういう会社では既にプログラマーキャリアパスもちゃんとあるし、年齢にみあう収入も得られ、俺の考える「35歳定年説」とは無縁だ。よって「35歳定年説」はいずれなくなっていく言葉なんじゃないだろうか。そうでなくてはならない。

追記

これを書いた後、気になって色々調べたが、35歳定年説が能力が落ちることによるものと捉えている方が意外と多いようだ。はっきり言いたい。そんなわけないだろう、と。エンジニア以外にも集中力や体力を必要とする職業ごまんと存在する。ではなぜ他の業界に35歳定年説が存在しないのか、に着目すればおのずとこの業界の歪みが生み出した話であることがわかる(俺が知らないだけで、他の業界にも存在するのだろうか。一線を退く時期はどの仕事にも存在するだろうが、それが35歳なんて若い年齢で訪れることはないだろう。俺の知る限り似たような考え方が存在するのはスポーツ選手くらいだ。)

2008-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20081028011307

ううむ、もうちょっと頑張って人文学を肯定して欲しかった……。

なお人文科学はそれ自身が人間研究テーマにおいており、表現する際に用いる言語数学(数式)ではないため、

言語的特性により自然科学的に正確に表現された状態にはなりえません。

ちなみにその特性を曖昧と呼ぶのはかなり正確な自然科学的表現だと思います。


文系は不案内なので、話題を文学に限定させてもらうけれど、

何かあると「曖昧」とか「揺らぎ」とか「多義性」で逃げるのは

文学の一番良くないところだと俺は思う。

あんまり曖昧さを放置すると、

「まあ曖昧だけどここはこう読むべきなんだよ。根拠? フィーリング!」とか

「なんか曖昧で俺には良く分からないけど、

とりあえず偉い人の書いた文章だから凄いんじゃね?」

という不健全な態度に繋がる。

むしろ文学は正確さを目指すべきだし、本当に凄い文学作品はかえって正確で、

これしかない! というふうに感じられる気がする。

それで、文学が正確に表現しようとしているものって何?

と聞かれれば増田がさんざん言っているように感情や人間性だと俺も思うのだが、

じゃあ感情とか人間性って何よ?

なんで(増田の主張によれば)自然科学還元論)だとうまく扱えないわけ?

という突込みが当然入る。

感情とは何かって、もちろん楽しかったり悲しかったりすることだ。

でも単に楽しかったり悲しかったりするだけなら、難解な文学表現なんて不要で、

単に「楽しい」「悲しい」とか書けば済む。

「悲哀計」みたいな道具があって感情が量れれば、

「俺悲しすぎて今朝360mmHgもあったよ」という正確な表現もできるだろう。

が、もちろん感情はそんな単純に扱えない。

なぜなら、それぞれの感情は全部独自の今だけココだけあなただけのもので、

コンテキストから切り離して(還元して)扱うことが本来はできないからだ。

例えば、

非モテ三十路越え男性が初めて女性に告白されたときの喜びと、

モテ20代前半男性が何人もの女性を乗り越えた末に理想の相手と巡り合ったときの喜びは、

それぞれまったく違う。

非モテモテというコンテキストを無視して

純粋な喜びだけを取り出すことはほとんど無意味だ。

で、文学が伝えたいのってそういう《ある感情(人間情緒)が他とどう違うのか》ということだと俺は思う。

その違いを表現するために、

小説みたいにコンテキスト(人物の過去とか考え方とか)と一緒にしてみたり、

言い方を色々変えてみたりする。

文学は違いを明らかにするものだ、と俺は思う。

で、翻って自然科学を見ると、目指すところがちょうど逆。

自然科学はむしろ、違うように見えるものの間に一般法則を探す、という考え方だ。

多種多様現実世界をより少ない(しかし十分な)情報量で表現できれば勝ち。

自然科学は同じところを探す。

で、文学自然科学も、方向は正反対だけど、同じくらいマジになって人間を探求していると思うわけだ。

それぞれ相反しているということも無いと思う。

自然科学が極まって、あらゆる人間の行動が予測できるようになったとしても、

それでも文学には価値がある、と俺は思う。

ぶっちゃけ小説だって最後まで決まった筋しかなくて、それでも感動できるんだし。

で、なんだっけ……国語の読解テストの話だった。(汗)

コンテキスト作品にもあるし、読者の側のもある。

読者は自分のコンテキストを使って作品を読み解くことになる。

コンテキスト同士をぶつけてその人だけの読解を作る。

その意味読書創作活動だし、読解した結果は創作物だ。

創作物だから、文学作品のように良し悪しを評価することはできる。

良い読みなら多くの人に共感されるだろうし、悪い読みなら否定される。

でも、だからといってテストのような方法で評価するのは多分間違い。

図画工作の授業で、先生と同じような絵を描いた人ほど高得点、という評価をするようなものだから。

本当は読書会のように、それぞれどんな風に読んだか・なぜそう読んだか、を話し合えれば良いんだろうけど、

大の大人でもなかなか難しいことだからなあ……。

最後に随分以前のエントリレスしてしまうけど(汗)

数学自然界にあるものを根底として、抽象化する作業であるのに対し、

数学は別に自然界なんか根底にしてないと思うよ。

実際は自然界をはるかに超越していて、現実世界に応用できるのはたまたま偶然。そこが数学の凄いところ。

物理学要請に従って数学進歩した例はあるけど、それでも自然界から独立した体裁を取り繕うハズ)

196883次元の空間で回転する球が……とかいう話をどこかで聞いて萌えた。

意味不明だが萌えた。(笑)

連日の長文スマソ。

2008-10-26

非モテエントリ所感

まず、みんな凄く一般論が好きだということが言えると思う。

自分の経験から帰納して一般論を導くことに凄くこだわりがある。

もちろん、具体例から一般論を見つけ出そうとする努力は凄いものだし、人類はそうやって進歩してきたのだと思う。

しかし、度を過ぎた一般化は偏見差別になる。

例えば、モテ男性にバカにされた、という具体例から、すべてのモテ男性はすべての非モテ男性をバカにしている、という一般原則が導かれたりする。

これはいくらなんでもやりすぎだ。非モテをバカにしないモテもいるし、モテにバカにされない非モテもいる。どちらの具体例も俺は知っている。

自分の持っている一般論を尊重するあまり、単純すぎる二元論もまかり通る。

男性はすべてモテ非モテに分類されてしまうのだ。

また、オサレモテダサい非モテという分かりやすい具体例から、オサレ対ダサという二元論も作り上げられる。

それぞれの間の断絶が物凄く強調される。そういう際立った格差が、今の格差社会の特徴だと言えるのかもしれない……。

けれど、街を歩く人たちは実際そんなにオサレなのか。彼女を持っている人たちは実際そんなにモテているのか。

彼女をゲットした人たちがみんな高度な恋愛テクニックを駆使したとは思えない。

むしろ、現実恋愛なんてもっと散文的でみっともないものだと思う。

普通に服を着ている普通の人たちだって、ファッションに関して何か思想があるわけではないだろう。

恋愛テクニックを磨いたりファッション思想があるのは一部の人だけではないか。

最近恋愛ファッションが物凄く難しいものに思えるのは、それらが業界によって専門技術化されたせいだと思う。

文学音楽に置き換えると分かりやすい。

昔は文豪の小説をみんな読んでいたけれど、今の時代に純文学を読むのは限られた人たちだけだ。文学が専門技術化されたからだ。

音楽もそうで、昔は(今で言う)クラシック音楽をみんな普通に楽しんでいた。いまそれらは専門技術化されて、限られた人だけの楽しみになってしまった。

それらと同じように、恋愛ファッションも敷居が上がってしまったのだと思う。仕事術とか「コミュニケーション能力」とかいうものも多分そうだ。

人間全体が底上げされていれば、専門技術化も悪くなかったかもしれない。

しかし、悲しいことに人間が身につけられる専門技術には限界があった……。

音楽文学ならともかく、恋愛や服を着ることは普通の人が自然に行なっていることだ。

だから、モテでも非モテでもなく、オサレでもダサでもなく、グレーな普通の部分が実際には幅広くあるはずだ。

その幅の広い部分は、専門技術崇拝のはびこる昨今ではメディアが取り上げないので見えてこない。(あるいは、メディア情報源として大きくなりすぎ、具体例が相対的に地位を下げたか……)

非モテからモテへ、ダサからオサレへ、何かとんでもない専門技術を身に付けて大変身しないといけないように思われているけれど、本当はグレーの諧調を少しずつ登っていけば良いのではないか。

まず靴をちゃんと磨くところから始めたり、職場女性に対して顔を見ながら挨拶をするようにしたり。

中途半端で良いし、失敗して良いと思う。普通の人はみんな中途半端だし失敗しているのだから。

ごく限られた自分の境遇から一般論らしきものを引き出して、それで何かに勝った気になるのが一番危険だと思う。

理論というのは、それ自体の正しさや適用範囲とは無関係人を動かすことがあるし、そうして誤らせる。

自分は非モテだからああなんだこうなるんだ、という理論に取り付かれて身動きが取れなくなってしまう。

一般論否定の文章を書いていて最後に一般論を述べてしまうけれど(汗)、非モテの人は理論が好きな人が多いと思う。

論理」というよりは「理論」。あの場合こうなる、という法則を自分の中に蓄積し、それを頼りに生きようとしている人が多い。

敢えて反証を試みようとはしない。

実を言うと俺自身(非モテ)がそうなので、自戒を込めて。(汗)

トラバの指摘を受けて改行を入れてみました(汗))

2008-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20081024174250

薄くてもよくない。

ゲイに不細工と思われる男は女にもてないという法則があるから。

でも、ありがとう

http://anond.hatelabo.jp/20081024094339

適齢期(学生のとき)に運悪く結婚出産しそこねちゃった女が今まで以上に仕事面で不利に

なりそうっていう気もしないでもないけどね…

結局の所、専門職で食って行こうとしたときに

キャリアに穴を空けるのは許されないんだよ。

顧客スキル、信用をリセットすることになるからね

これはもう政策とかでどんなにアファーマティブアクションかけてもどうしようもない

だけど、そんな専門職ってあんがい世の中にそんなに無いから、うまいところ見つけるしかないんじゃないかな

そんでもって子供ができてからちゃんとキャリアを積み直せばいいと思うよ

年齢とかあって大変だとは思うけどね

自然摂理経済法則とはうまく折り合いをつけていかないと思う。

2008-10-21

80-20の法則

周囲の男性の80%は独り身。

周囲の女性の80%は彼氏持ちor人妻

この宇宙の非対称性はどう説明すれば良いのでしょうか?

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