はてなキーワード: 内部とは
[概要]検索と保存性の問題で、PDFで保存、読む時にJPGに分離して読む。
→理由:JPGでは内部検索が出来ない。Leeyesの機能でガンマを変えて読めるため、PDF保存は、ややこしい事をせずに、ほぼデフォルトで行うことができる。
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☆蔵書記録作業
●[ISBN_BarCodeReader]
URL:http://mhsodai.kazelog.jp/chalog/2009/11/webusb-96dd.html
とWEBカメラ UCAM-DLU130H を使って、書籍のバーコードを読み取りISBN番号を書き出しておく。
●[メディアマーカー]
にまとめて登録(登録 →一括登録)
●メディアマーカーの蔵書リストページをPDFでプリントし、PDF化しておく。(別にHTMLでもテキストでもいいけど)
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☆スキャン作業
●本の解体
・表紙表裏・帯・見返しとカッターで切る。
URL:http://search.rakuten.co.jp/search/mall/%E5%A4%A7%E5%9E%8B%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC/-/
で本をバラバラにする
設定:
#アプリ選択 タブ
・ScanSnapOrganizer 選択
#保存 タブ
・ファイル名の設定 →yyyyMMddHHmmss
#読み取りモード タブ
・読み取り面の選択 →両面読み取り
#ファイル形式 タブ
→他すべてデフォルト(OFF)
#原稿 タブ
・圧縮率1
→カラーページと白黒ページで設定を変えるなどは手間がかかるので、全部カラーでスキャンする。
●スキャン時に、紙詰まりを少なくする方法。
→S1500に紙を装填前に、中指の長さ程度、差し込む側の紙の中央を縦に山折りにする。こうすることで、紙詰まりが1/5程度に激減する。
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☆データ保存
●ページを整える
ScanSnap Organizerで、編集したいファイルをダブルクリックすると、ScanSnap Organizer ビューアーが立ち上がる。
・いらないページを削除(ただし、偶数・奇数を守らないと、見開きで読みづらくなる)
・傾いてしまったぺージを修正
ScanSnap Organizer上のファイルを右クリック →開く、で、Adobe Acrobatで開く。
→文書 →OCRテキスト認識 →OCRを使用してテキスト認識
→すべてのページ
・日本語
→HDDに余裕がない場合は、検索可能な画像/最低(600dpi)に。ただし、その場合は[画像梱包]で画像を分離できなくなるので注意!
つまり、Acrobat以外で読めなくなる。
・ →OK
理由:
-[探三郎]
URL:http://www.geocities.jp/koutarou_y1926/sin3rou.html
●メディアマーカーの蔵書リストををPDF化したファイルを開き、ScanSnapOrganizer上でタイトルを変更する。
●Acrobatで開き、左右綴じ(左右開き)をチェックする。縦書きなら右綴じに変更する。
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☆閲覧
●PDFそのまま閲覧可能(文字が大きい)なものは、Acrobatでそのまま読む(WXGAで見開き)
→まず、
で、「液晶画面用」に変更しておく。要するにアンチエイリアシングのことで、これをやっておかないと、とても読めたものではない。
Acrobatの画質を上げる。
「2Dグラフィックすアクセラレーションを使用」をOFF、それ以外全部ON。
●ほとんどのコミックと書籍は、jpgファイルになおしたほうがずっと読みやすい。
→理由は、Acrobatの絵の拡縮アルゴリズムよりも、Leeyesのほうが高画質の設定だから。
URL:http://www.vector.co.jp/soft/win95/writing/se377893.html
・「開梱」設定
-Origin優先 にチェック →よくわからないが一応
-BASE 0、 STEP 1
-Colmun 3
-jpgのチェックを外す(チェックが入っていると、再度エンコードをするので画質が落ちる)
→だが、起動ごとにいちいち設定しなおすのは面倒なので、以下の文章をメモ帳にコピーし、
「pic2pdf.ini」という名前で「C:\Program Files\pic2pdf」のフォルダ内に入れると、設定が保存される。
#-------------ここから
[SaveOptions]
UseingSaveFile=1
ConvertBmpToFax=0
ConvertBmpToJpeg=0
JpegCompressPer=85
MetaLoading=1
DisplayView=1
JepgImplant=1
NoOriginalName=0
WindowTitle=1
UseingDPI=0
OriginalDPIValue=100
UseingPaper=0
OriginalPaperValue=7
DobulePageRight=0
Centering=0
FixedPageSize=0
ShowOutThumbs=0
PortLandAngle=0
ViewFactor=2
PageType=0
ViewMenuBar=1
ViewToolBar=1
ViewWinowUI=1
NoProducer=0
NoTimeStamp=0
[PDFCrypt]
PrintPrivileges=0
CopyPrivileges=0
ModifyPrivileges=0
AnnotePrivileges=0
CryptStrength=0
[TakeoutOptions]
UseingSubDirectory=1
ReFileName=0
UseingOriginalName=1
NumericColmun=3
BaseNumber=0
StepNumber=1
OutputStyleBMP=1
OutputStyleFAX=0
#-------------ここまで
[Leeyes]
URL:http://mitc.xrea.jp/diary/020
で読む。(ドラッグ&ドロップ)
・イメージ→綴じ方向 で、綴じ方向を合わせる(横組みは左綴じ、縦組みは右綴じ)
・なぜか[画像梱包]で画像を抽出すると、ファイル名が逆順になるので、
表示→並び順→降順 にして昇順から降順に変える。(ファイル一覧の「名前」をクリックし、▽を△にしてもOK)
にだけチェックを入れ、
設定は
出力レベル:0-255
とする。
・オプション→設定の保存
で、設定ファイルを保存する。
http://anond.hatelabo.jp/20070701151057
どんな官庁にもシンパがいるってことだろうね。
国会中継でたまに見れるけど、
政府側が「なんだそれは?」と若干予想外な反応を示しつつもかわすという
答弁をすることもある。
『100年間党名を変えてない唯一の党』
『「自公民相乗り候補」が居る地方でも断固として相乗りしない党』
『ルックスや芸能人で票集めしようとしない党』
『党員にさえ「致命的に華がない」と言われる党首をいつまでも変えない党』
『内部の硬直性を暴かれたらちょっとうろたえていた意外とウブな党』
『でも「解同」と闘い「宗教」と闘い 暴力団と闘う 激しく根性のある党』
『そして未だに「革命を目指している」と誤解されっぱなしの党』
『じいちゃん世代に「アカ野郎!」と真顔で唾を吐かれる党』
『名前を言えば誰でも知ってる、知名度で言えば自民に次ぐとも言える党』
……なんかも入れて欲しかった。ぜいたくわがままw
行政裁判なら公平性?ってなるかも知れないけど、裁判制度自体を批判するほどの大事が起きているようにはみえんのです。
最高裁長官は内閣が指名して、普通の判事はその最高裁が指名する、と。
再任も内部の委員会で決めるみたいです。
報酬については、憲法上、減額されないと規定されています。
なんか、このシステムで国の統制下にあるって言っても、陰謀論っぽいような気が…。
行政裁判に与える影響力は、さっき出てた判検交流の方が大きいように思えますがどうでしょうかね。
事実認定どまりなのが陪審員、裁判員は法令適用、量刑もやります。
ただし、殺人罪とか放火罪とかの、重大な罪に限って裁判員裁判をやるので、
深い罪ばかりしか回ってきません。
http://elmundo.cocolog-nifty.com/elmundo/2007/06/post_44d9.html
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もちろん大半の人はまともなのだが、中には目つきが異様に尖っている人や、
逆に目が死んでいる人、試写や構成打ち合わせ、
コメント直しなどで異常に攻撃的な人など、
ゆがんだ精神状態に追い込まれていることが一見して分かる人も多い。
20人に1人は鬱患者がいるというウワサもある。
職員(特に20??30代の若手)のストレスを減らす抜本的な改革を始めないと、
とりあえずは撮影や編集のスケジュールにもう少し余裕を持たせる、
PDなどに過度なプレッシャーをかけないなどの対応策をとったほうがいいのではないか。
本当に心配である。
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いやー、嬉しいね♪
人身事故が起こると、これもまた嬉しい。
人が死ぬのが嬉しいんじゃなくて、
この日本の社会の歪みをしっかりと伝えてくれる事実が起こることが嬉しい。
こんなおかしく歪んでいる社会なのに、
平気で回っていっていることの方が絶対おかしいんだ。
おかしくない現実。
若年の鬱と過労と自殺。
自然な流れが起こってくれていることに、
嬉しさがこみ上げる。
うふふふふ。
もっともっともっと表沙汰にならないと。
人が死ななくちゃ、
みんな今の歪みを歪みと感じ取ってくれないんだからさ。
我慢強いのも考えものだぜ?
もっともっと社会の歪みという問題を顕在化させようよ…?
みんなが頑張り過ぎちゃうから。
いつまで経っても、歪みが是正されないばかりか、
さらに歪みに拍車がかかっちゃうんだからさ♪
ホント日本人は、
脅威の精神力を持っているよ。
でもそれは
もっとみんな気づかないとね♪
みんなでもっとネを上げようぜっ!
社会から脱落しようぜっ!
こんな歪んだ社会は、やってられねえってさっ!♪
論争見てて思ったんだけれど、カーストのような上下階層となる場合もあるけれど、もう一つ、クラスタ構造みたいになる場合もあるんじゃないかな。
私の高校時代は、カースト構造は無かったと思うんだ。同じクラス内でもいくつもの小集団(3人くらいから6、7人くらいまで様々)があって、クラス内の全く違う趣向の集団よりもクラス外の同類の集団との方が繋がりが強かった。それから、集団には少しの重複があって、集団同士を繋ぐ役目をしてる人がいた。それで、多くの集団を繋ぐ役割を持ってる人は学級活動ではスターなんだけれど、集団内部ではそれほど力は無かった。逆に集団内で強い力を持ってる人は、あまり多くの集団とは関わっていなかったし、学級活動では力が無かった。
少なくとも、決定的な上位層も、決定的な下位層も無かったと思うんだ。
(覚えてるところだけ。)
兄にメールやら自分のサイトやら見られる。その後きれて部屋の掃除、物が散乱されているベッドの上の掃除だけやらせる。自分は泣いてる。その後メールやらなにやら消去。
よくわからない暗がりの道、土の道で道の側面には30センチ??60ほどの草が生えた道だったか。ほぼ長い一本道。自分は同じような位置でなにをするともなくほぼ立ち止まっていたのだが、ホモっぽい人に行きと帰りの二回ほど会う、帰りはこっちをかなり意識してた。
なんかよくわからない男の子が白いスポーティーな高級車に乗ってて、それに乗せてもらい、その男の子が金持ちだということを知った結構いけいけな女の子が待ってよと静止するにも関わらずとりあえず流した、女の子は白馬に乗って少しは追いかけていたような気がする。うどん屋にすべりこむ。うどん屋にはよく来るのか?とシャイそうだがまぁ多少は芯がありそうな男の子に聞くと、たまにねというようなことを言った。何が夢の中のその少年の背景にあったのかわからないが、(多分、金持ちだからと、上流階級だからだと思うが。)うどん屋にその少年が来ることは意外な出来事なのだという夢だった。うどん屋は柄の悪い白い柔道着のようなものを主に来た常連客で基本的には占められていて、偉い人(とは言っても、高校野球のようなそれを少しヤンキーチックにしたある意味さわやかな人選)から順に奥に座っていて、男の子は汚い粗野な自動扉入ってすぐの手前の席に私の手前恥ずかしそうに座った。そこで私が野球青年っぽい一番か二番目に下の奴と言葉でやりあい勝った。
Adelideというショップに行く、外装内装ともに何年か先のような高級なクラブ&バーの雰囲気。ネオンのような光を使いながらも非常に洗練されていた。客層は外人が主体らしく。カフェ仕様のガラスの一角に入ってしまい(そのカフェの内部は木のカフェテーブルと曲げ背の椅子というある意味安っぽいチープなテラスタイプだった。(カフェはいくつもあった))、奥まで行ってしまうと、そこは行き止まりで、H君らしき人(H君は私の小学校時代の離れたクラスメートであり、なかなかいい家庭の上に育ち、本人も性行が素直で良いと評判のような真面目な人物)がまぁ普通な女の子を連れてカフェしてた。H君が短髪を綺麗に毛束を立てている髪型にして変わった印象を受け、衝撃を覚えたのは覚えているが。H君と目が合うことはせず。隣の人(女)に誰あの人、知ってる?と問いかけられる。私は外に出ようとして、椅子につまずき小さくすみません、その後外に出る途中で何人かの顔が印象に残った。外人風の17・8才程度の女性の顔だけ覚えている。外に出ると、そこはホームセンターの駐車場っぽい場所になっていて、ほとんどそのカフェの中の人全員出てきたような感じで皆が出てきた、その中の大学にありがちな男3人ほどのグループのうちの一人(私は知らない人だ)が親しげに私に話しかけると、その人は親しげにありがちな大学のいい加減な雰囲気で私の顎辺りにキスして行った。
抜けきらない深層心理が出ているなという印象。
これ
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/980560.html
こういうことは普通にありました。
俺は事務所の社長(女)に親のいないところでよく口にキスされていました。
月に一回ほど社長宅に呼ばれて一緒にディナーを取って一日泊まるんですがそのときに、一緒に風呂と添い寝です。
風呂は「この方が汚れが取れるから」とか言われてタワシを使わずに指で体中洗われます。
添い寝は抱き枕です。所属していた子役のほとんどがこのイベントをニコニコ笑顔でこなしています。
あと、14前後で現場か事務所の女性スタッフとHして童貞を捨てます。
Hなことを覚えたら、可愛い可愛い言ってくれる人と、どうなるかわかりますよね。
ゴキブリ話が出ていたので Wikipedia のゴキブリの項目を見たらとても詳しくて感心した。
愛すべき存在として愛でる人の手によるものか、
はたまた敵を知れば百戦危うからずという人の手によるものか。
フマキラーだったかどのメーカーだったか、害虫駆除の研究をしている製薬会社には
無菌飼育されたゴキブリが教室ぐらいの部屋に仕分けされて数百万匹という単位で飼われていた。
そこでさまざまな実験が行われていたのだが、
印象が強烈でよく覚えているのは単純な神経構造と強靭な再生力を示すための実験で、
そこへ同じように背中の殻を少しだけ剥がしかつ足を全部半分の長さに加工したゴキブリをくっつけ固定する。
するとその二匹は殻が再生するころ完全にくっついてしまい、
しかも背中にくっつけた足を半分もがれたゴキブリはくっついたもう一匹の足を部分的に動かせるという。
こんなおそろしい生き物に地球上を蹂躙されたくなければ
http://www.ngcjapan.com/index.html
顔の画像認識とかすでにRyaoとかネットでいろいろ出てきている技術だけど、ネットに出てきているっていうことはすでにかなり実用化されているということがわかった。ロンドン市内の車のNoなんかはもちろん、カジノで紙幣のNoを確認したりもつかわれているらしい。イカサマなんてのはかなり人の目に頼っていたけど、しかし、JRなんかにも何の議論や告知もなしに最近やけに解像度のいいカメラが多数取り付けられているけど、どんな運用してるんか気になるところ。
虹彩利用の入国管理なんかなら、管理が必要な場所で自分で見せて本人確認の精度があがるだけなので、納得できるけど、裸になると物議をかもし出した空港のX線の照射なんてのは、すでに街中で車の荷物確認のために巨大なX線発射用の車で駐車場をスキャンしたりしていて、自分のコントロールできないところで情報があつまっていくというのは、すごいなぁと思うと同時に犯罪対策とか程度にしておいてくれないと、企業が手にしたらいろいろ面倒になりそう。
番組内ではニューヨークの赤外線照射ヘリが何秒か以上デートしている人を見つづけたというのがマスコミに取り上げられて問題になったという例も取り上げられていたが、、これだけ監視技術が出てきているのに名簿とくらべて悪用された話をあまり聞かないのは逆にすごいと思う(もっともそういうところはセキュリティに厳しいのでマスコミも入れず内部処理されているのかもしれませんが)。そのうちこういう技術も犯罪者の手にも渡るとは思いますが、携帯の移動やゲートの開閉などすべての情報を統合可能であるという話も出てきており、隠れるところがなくなれば情報を得られても肝心の犯罪を犯すのが困難ですね。
RFIDインプラントの話なども出てきて、生まれてからのすべての情報が蓄積できるなんていう話もあり、監視という視点だけじゃなくて、健康管理やコンディションの調整など自分で自分の蓄積された情報を有効に利用できるようなメリットをこの業界の方は強調したらいいんじゃないと思う。
どうでもいいけど、個人的には人の行動予測や虹彩利用のときのランダムサンプリンングを利用した数式化による検索技術に興味がありますね。
どういう人が出世するかを、箇条書きにしてまとめてみた。
よく言えば体育会系、
当然資格なんていうまでもない。
はっきりいえば、能力はいらない。
健康な体ひとつあればなんとかなる。
1年半で退職者が8人いる。
おそらく休職者7人も辞めるでしょう。
人事連中は気づかないのだろうか。
いずれ化けの皮がはがれる。
変に嫉妬してる人が多いな。
深く考えないで捨てるように書く - 自分を語りたがらない人々
この人にとっては恐らく当たり前すぎて与件の事となっているのだと思うのだけれど、「自分を語りたがらない人々」と言うのは、「俺、自分語りとかしたくないんだよねー」などとは軽々しく言わない人々の事だと思う。
と言う事はつまり、より正確に言うのであれば、
「自分を語りたがらない人々」
と言うのは、
「自分を語りたがらない(ように外部からは見える)人々」
ではないだろうか?
自分はよく周りから「~~って自分の話をしないよね」と言われるタイプなのだけれど、これは相手によってはっきり変わる。
自分の事を話す相手もいるし、話さない相手もいる。
その基準と言うのは、自分の内部的なものよりも、その人から「~~は自分の話をしないタイプだ」と思われているか否かであるように思える。
実際はどうあれ、僕たちはまず外見を見て、内面を見る。
そしてその中間に、外部に発露しているその人固有のアフォーダンス、言ってみればオーラのようなものを無意識的・感覚的に感じるフェーズがあるように思う。
そしてそれは、コミュニケーションの在り方に実はかなり影響を及ぼしている気がしてならない。
話しかけにくいように見える人は、実際にはどうあれ、そう思っている時点で、そう思われている事を感じた時点で「話しかけにくい人」になってしまうのではないのだろうか。
少なくとも自分はそう言うタイプだ。
なんかまとまってないし上手く言語化できないのだけど、分かってもらえるかなぁ、この感じ。。。
http://anond.hatelabo.jp/20070510170511
皆素直に繰り返しの構文で1から100まで回してんのね(違うのがあったら面白いかなと思った)。
そうか、せっかくExcelなんだからループいらないじゃん。
てことでhttp://anond.hatelabo.jp/20070509233601を改造。
Public Sub FizzBuzz2() Range("A1:A100").Formula = _ "=IF(INT(ROW()/3)*3=ROW()*1,IF(INT(ROW()/5)*5=ROW()*1,""FizzBuzz"",""Fizz""),IF(INT(ROW()/5)*5=ROW()*1,""Buzz"",ROW()))" End Sub
まあ内部的にはループしてるんだろうけど、そこはそれ。
剰余不可より100回ループ不可、てほうが制限としては面白いかもね。
不毛な戦いに疲れたので『愛・おぼえていますか』ぜんぶみちゃったよ。
僕達がするべきことは戦うことじゃない、愛しあうことだったんだ!
ところで山本寛はなぜ『らき☆すた』の監督を(あんな形で)降板することになったのか?
いろいろな説が飛び交っているけれど、「演出・山本寛としては優れていたが、そのこだわり故に監督として全体を見なければならないポジションになったとき、制作スケジュールまたはスタッフワークに問題が生じてしまった」ことに起因する、京都アニメーション内部の修正人事というのが有力だと思います。
「監督において、まだ、その域に達していない」というリリースには、少なくとも『らき☆すた』のクオリティが低すぎたのでとはどこにも書いていない。『ハルヒ』や『ふもっふ』『TSR』を期待していた人や、そもそも萌え4コマのようなものが嫌いな人には評判がよろしくないけれど、『らき☆すた』は演出、カット割、その他もろもろ非常に細かいところまで心くばりがなされていて、とても心地よく見ることができるものになっていますよ。
というわけで「山本寛が京アニとして許せないレベルの駄作を作ったから」ではなく「フィルムのクオリティ以外の面で監督として至らなかった」という点に絞って、いろいろ調べてみたのですが、大阪のアニメ制作スタジオ「スタジオワンパック」が下請けした作品の実績をサイトで公開していました。
それによると4月8日に#1がオンエアされた『らき☆すた』の動画が以下のようなスケジュールで撒かれていることがわかります。
3月
『グレンラガン』#7(489枚):参考
4月
『らき☆すた』#6(510枚)
『らき☆すた』#7(409枚)
『らき☆すた』#8(410枚)
参考までに、3月に同社で制作された『天元突破グレンラガン』のデータも併記していますが、これと比べても「制作スケジュールに大幅なマージンを設けることで、高いクオリティを実現する」といわれている
自分も専門家って訳じゃないから、適切な説明ができるか判らないけど、
何よりも後から発生するだらだらした保守の時に真価を発揮するものだと思ってる。
オブジェクト指向で作られているなら、パッとそこだけ把握しなおせば修正もできるし追加もできる。みたいな(実際はそこまで単純じゃないけど、はるかに楽と言う意味で)
例えば、特定の機能をオブジェクト指向で作らず、ただの関数群で作ったとすると、その関数をまたがって使う必要のある共通変数は、引数なり戻り値なりで渡し続けなくてはいけない。
さらにその関数の呼び出しを制御している部分もでてくる。
なら関数群と変数と呼び出し制御をひとまとめにすればいいじゃない。ってのがオブジェクト指向なんだと思うんだ。
そうすれば、処理を呼び出し部分と呼び出し先で往復しなくても、内部で完結しているから把握しやすいと。
関数化する良さを判っているみたいだから、理解までもう少しなんじゃないかと思うんだけどな…
これはオブジェクト指向というよりMVCとかそこらへんの話なんじゃないかな。
HTML混入の問題は、画面デザインや機能が変更になった時、わざわざプログラム部分まで修正に行かなくてはいけなくなってしまうから、HTMLはプログラムとは別に作っておこうと言う意味合いがある。
客先から「画面デザインが変更になった」とか「フォームの配置が変わった」とか言われるたびにforだとifだのを駆使するのは無駄じゃないかと言う事なんだと思う。
とっつきにくく見えるかもしれないけど、覚えると抜け出せないほど便利だから、まずはぐっとオブジェクト志向に漬かってみよう。
一連のグレンラガンの騒動を見てて思うに、作品としての出来とかはともかく
ある種のネガティブな祭りに対する製作者側の反応があまりに拙過ぎた事が
一つある。いくらmixi内とはいえ誰かが見てるかもしれない状況において
客をバカにするような発言は控えるべきであったし、取締役の「2Chは肛門」と言う
発言もいくら発言した本人が毒舌家で有名であったとしてもそれはごく一部の
人しか知らない事実であり大多数のキモヲタ(制作者側視点)は知らない以上は
ジョークをジョークとして受け止めないのも仕方が無いのかもしれない。
しかし、製作者側のキモヲタ発言は4話放送後ではなく1話放送時点で存在し
何者かに晒されたと言う事は内部で相当ゴダゴダがあると感じてしまうのは
気のせいなのでしょうか?。
あまりの反響に腰をすえて色々なご意見にお答えしなければと思いつつ、議論の焦点がぼやけているためにアニメやらイラストやら消費形態やらいろんなものの系譜を頭の中で整理していたらとてもじゃないけどすぐ書ける様な話でなくなってしまったので、脊髄反射で思ったことだけ書き記しておきます。
本文のクオリティは保証しないので、君はこのエントリを読んでもいいし、読まなくてもいい。
さて、元エントリ「なぜ作画の評価は割れるのか?」では、あえて“脚本・演出”の評価と“作画”の評価を切り離しています。これは、最近みられる“作画崩壊”に対するネット上のアニメファンの反応における問題点を明確にしたかったからです。
『グレンラガン』#4は脚本がダメだったから叩かれているのに、小林作画を擁護しているのは検討違い。本当にグレン観てるの?という批判については、上記の理由より「いやそんなこと申されましても…」としかいえません。
ちなみに、今回シナリオにも小林治の手が入っていますが、自分としては小林演出と、氏の描く女子の可愛い表情、仕草は大好物ですので、ふつうに楽しめてしまいました。
ゆえに「ふつうのアニメファンには見向きもされない」と『BECK』を評された増田様におかれましては、「じゃあふつうのアニメファンって何を観てるんだ?!」と激しく抗議申し上げたい。
冗談はさておき『グレンラガン』#4はあくまで元エントリを書くことになったキッカケに過ぎず、各人にとってそれが面白かったかどうかは、今回述べたかったことではありません。
「作画崩壊祭り」に限らず、「トレス祭り」「パクリ祭り」など、ネットでの炎上事例は枚挙に暇がありませんが、本来、非難されるべきでないものまで含めて祭りの対象となっている様に思われるケースが多々みられます。
祭りに参加している人には「わざと叩いてる」荒らしもいますが、中には、ブログのエントリやまとめサイトに煽られて、かなり真剣に批判的な書き込みをしている人がいる様に思います。
例として適切かどうかわかりませんが、『涼宮ハルヒの憂鬱』における「晴レ晴レユカイ」の振り付けはトレスである(パクリである)というエントリが一部で話題になったことがあります。このダンスについては、京アニの山本寛がアイドルユニットBerryz工房の大ファンであり、作画スタッフは絵コンテとともにPVを幾度となく見せられたというエピソードが公開されていて、“盗用”ではなく“オマージュ”と見るのが正しい受け取りかただと思うのですが、このエピソードを知らなかったとしても、ハルヒのEDとベリ工のPVから同じ動きのカットをならべて「トレスだ!」「パクリだ!」と言うのは、ちょっと違うんじゃないのといいたくなるわけです。
教養主義や世代論でこの問題を解決したいとは思いませんが、クリエイターや著作権に対する無知・無理解、あるいはリテラシの欠如が、こういった祭りを加速する要因のひとつだととらえると、元エントリのような教科書的にジジむさい説教も書かずにはいられないのです。
実際のところ、自分もアニメーターブーム直撃世代ではなく、その後のキャラクターデザイナー、イラストレーターが注目される時期に、アニメにはまっているので、キャラ萌え、ビジュアル重視という傾向にむしろ拍車をかける様な消費形態をとってきました。ゆえに、作画やアニメーターに関する知識においては半可通であるという負い目もあって、あえて増田で書いているわけですよ。出来ることならばタイムリープして自分に説教したい!
そんなこんなで、誰かを突き放したり、権威ぶったりするのではなく、消費する中で自分が獲得した視点とか面白ポイントを、Web2.0的に共有したり継承したりできればいいのになと思って頑張って書いてみたのをご理解いただけると増田うれしい。
あと、anond:20070424113453の増田さんはおそらくバランスのとれたアニメの観かたをできている人だと思います。「あー、おいしかった」というアニメの観かたの中には、知識の有無は関係なく「アニメーターの凄い仕事」に対する感動が含まれているハズだと思います。「作画崩壊祭り」の輪の中にいる人たちの言動が、あまりにも極端に「絵の美麗さ」と「キャラクターの一貫性」を非難の根拠としていることから、元エントリも極端な反論になっているので、実際バランスをもっている人にとっては、そんなことないよと反論されるものだと承知しています。
「さすが京アニ」を「さすが京アニ」にとどめず、ちゃんと理解することが、理想的な状況につながる突破点だと考えているのですが、それを記すには膨大なリソースが必要となるので、いつかまたどこかでやりたいなと思ってます。あるいは某アルファブロガーとか某アニメライターとかがやってくれないかと思います!!たりきほんがーん!!
キャラクターの一貫性に対する寛容・不寛容については、同人におけるキャラクター消費の盛況から、実際は若いファンほど寛容であるという意見があったのですが、公式キャラクターグッズのひとつとしてのアニメ、DVDという観点からより強力に一貫性が求められる傾向にあるという理解です。この議論につっこんで「データベース概念」や「キャラとキャラクター」という話を始めると、「批評うざい」といわれるので、あまり掘り下げることはしません。というかこれ以上、泥沼に足を突っ込みたくありません!
最後にひとつだけ、ガイナックスというスタジオは、少なからずその出自を“オタク”に持つ、あるいは持っていると思われることで、アニメオタクから支持されてきたはずなのに、なぜ今回のような事件を起こしてしまったのかが、残念に思えてなりません。
もっとも、エヴァの時点で庵野秀明がいろんなことを言っちゃってますが、そのフラストレーションのアウトプットとしてそれ相応の作品ができてくることで、むしろ根源的な部分で切っても切れないオタク性みたいなものを炙りだしていたので、自分としてはほほえましく思いました。
しかしながら、ガイナックスの内部スタッフがキモオタ氏ねというコメントを(意図的ではないにしろ)発表してしまい、そこに赤井孝美が乗っかってるというのは正直どうよと。いつからそんな風になっちゃったの!と。オタク目線をわすれないガイナックスというのはもはや幻想なのかもしれないと感慨にふける14の夜(嘘)でした。
先日カート・ヴォネガットが亡くなったことで、「はてなダイアリー」の「ice9」について思い出した。
はてなに入って、よけいにインターネットとはどういうものか、つきつけられたような気分になった。ぼくはニフティが嫌いだったのでインターネットが好きになれたんだと思っていたけど、今、インターネットで一番注視されて、仕組みが強化されているのが、ぼくが嫌いだったところばかりなので、嫌だなあと思う。
話はちょっと変わるけど、ekkenさんは倫理の話をしているようにも見えて、実は論理的な矛盾についてしか話していない。なぜだろう。
ekkenさんの「他人の俺ルールを指摘しつつ自分の俺ルールに気付かない罠」というような言い方は、最近のはてなでよく見る気がする。つまり、はてなの言論は、相手が論理的に破綻しているということをいかに言うかというゲームに近づいてるような気がする。相手の言ってることをメソッドメソッドと言って、議論をパターンに落とし込もうとするのも、一部はこれが目的になっているものがあると思う。
まあ、ぼくがこういうふうに書いているのもパターン化しようとしてるじゃないか、と言われると困るんだけど、うーん、それはトートロジカルだからパスということにさせてもらいたいなあ。
なぜ論理的な破綻を指摘するのが専らになっているかというと、はてなというブログで行われる「議論」の上では、倫理という不確かな基準は邪魔なので、かなり早い段階で捨てることが可能になった*1からじゃないだろうか。
倫理という、いかにも相対的に成り立っていそうな基準を残すと、「どっちも正しい」または「どっちも正しくない」と言い得てしまうから、基準として使わないことにした方が議論は長持ちするし、面白くなる。それと、結論(勝ち負け)が作れる。それともう1つ、論理的な方が勝てる。
でも、議論のために倫理基準を棚上げするのは、論理的な間違いがないかどうかだけで消去法的に「正当性」が決定されていく危険性があって、今のはてなには、ぼくはそういうものを感じる。それは開かれた言論とは違うと思うし、イヤだなあと思う。
ekkenさんは、たとえば「お前のやっているのは下劣なことだ」とか、そういう倫理的な領域しか持たない言い方だと、ヘタをすれば目糞鼻糞みたいなことになっちゃうから、そういう言い方はしない。だから、相手のやり方自体がいい悪いとは言いませんよ、と断った上で、矛盾の指摘を行っているんだと思う。こうすると、「相手は非論理的であり間違っている」という、別の話になる。ついでに「自分は論理的で正しい」とも言える。相手の非論理性を指摘できるほどに論理的なんだ。でも、これって議論というものになっているんだろうか?ぼくは議論とか論争とか、討論とか、そういうのに疎いのでよくわからないなあ。少なくとも、意見交換にはなってないよね。お互いにとって。
本来なら、倫理は基準が曖昧であるからこそ、それにかかわる話はむしろ慎重にしなければならないし、「結論」を導き出すのを避けてもいいはずと思う。倫理を論理的な問題に置き換えることは、議論のための議論ではうまくいくけれども、本来の目的が相互理解とか意見の交換だとすれば、そういう方法が有益かどうかは疑問だ。*2
そもそも、論理だって結局は倫理や感情から乖離して築かれるわけじゃないから、この考え方はとても歪だ。そして、はてなにおいて特に発達してしまっただけの理屈なので、どこでも通用するわけじゃない(どこででも通用する理屈などない)。だから、外部とはてな内を容易に繋いでしまうはてなブックマークは、その倫理について外部から批判を浴びやすいし、擁護しにくいのではないかと考えられる。
しかし、ここで先に、断っておいたほうがいいと思う。ぼくはこれから、ボコノン教が、はてなにはびこっている思想より優れているから学びなさいとか、逆に、はてなに見られる思想の中身が、ボコノン教の教義とそっくりで、つまりはてな「こそ」がカルト的なのだとか、そういうことを書くわけじゃない。「はてなの連中は、カルトと同じだ!」などと、読者に対してセンセーショナルな書き方ができれば、ずっとこの話は簡単だろう。しかし、そういう話ではないんだ。
さて、本題に入るために、物語からボコノン教に関する部分だけを取り出してうまく説明することができるか、やってみよう。そんなことができるか、わからないけど。
結局、「連帯」なんて、どういうものであれ、「無意味」なのである。「連帯」に限らず、本来、コミュニケーションというものを論理的に突き詰めるならば、だれもがみんな、別の誰かから見ればカルト教団みたいなものなんだ。どこにも了解できる真実などなく、全員が、それぞれにとっての真実を持っている。コミュニケーションとは、わずかずつルールを積み上げて、お互いを把握していく作業だ。もちろん、どちらが正しいかを決めるゲームなんかじゃない。
ところが、はてなでは、単にはてなで築いてきただけのルール=常識を、いきなり他者に適用しようとする人が多いように思う。重ねて言うが、自分の意見が正当かどうかは、分からない。確認のしようは、どこにもない。論理的というのは、本来そういうことなんだ。
それなのに、相手が自分と同じルールを了解していないことを、「客観的でない」態度であるとして退け、そこに議論での優位性を訴えたりするのは、まさに「客観的」ではない。それは「客観性A」とでもいうような、限りなく不確かな視点だ。
ああ、どうして自分が正しいなんて、言わなくちゃいけないんだろう。自分は理性的で論理的だなんて、言うんだろう!自分のほうが一般的な考え方をしているとか、法律に適っているのは我が方であるというのは、「相手が間違っている」と言いたいだけじゃないか。突き詰めれば理性も論理もない、という深淵を覗き込まず、いつも相手だけが感情的なのだ。
やっぱりこれは、末代祟る、恐ろしい呪いなのかなあ?
はてな以外のブログサービスでは、触れあわない人たちは、ほとんど触れあわない。検索エンジンなどによって、ネット全体という括りか、狭くてもブログ界隈という括りでまとめられる。だから、サービス内部のみでのコミュニケーションの契機は、はてなほど頻繁には発生しない。昨日書いた、mixiの話にちょっと近いと思う。つまり、お互いに分かり合っていないということすら認識せずに、そこにいる。
はてなには、ぼくが知っているだけでも、キーワードがあり、「おとなり日記」というのがある。ユーザー同士を言葉で近づけようとしているってことだ。
しかし「言葉」には、本当は内在する意味なんてない。そのことが、相互理解のために使われないのは残念だ。はてなのユーザー達は、それを論争の種にすることに馴れてしまっている。「常識」を決するゲームが開始されるんだ。