そのためにはどんな手段でも採る。
そうそう、そうなんだよ。
色々と情報の取捨選択を効率化すればするほど多様性がなくなってしまう。能動的になればなるほど一様になっていく。
これはまあ、機能や選択としてはあっている。興味のある方向へ進み、雑音が少なくなってる証拠だから。
ただ、多様性がなくなる事に少し恐さを感じる。
私の回避策の一つがここ増田かなと思う。
こういう混沌とした、あまり整理されていないサイトを覗くのも一つの手かなと思ってる。
ほかにはヤフーの様なポータルサイトやマスメディア風のサイトで、受動的に情報を得る事。
あとは意識して多様なブログなどを見る事。
ただ、こういった事が多くなると、当然効率は落ち、それを回避するために取捨選択が働く。
そして結局、ある程度多様性が失われてしまうけれど、それは仕方のない事かも知れない。
http://anond.hatelabo.jp/20070513231738
ダブスタ良くないって叫ぶの?
そんなことしても説得力がなくなるから
・ダブスタ容認
・ダブスタ嫌い
のどっちかになるんよね?
じゃあ俺は前者になるよ その方が生きやすい世の中だから
自分もそういう気分を感じていたことはある。
ただ、今更になって感じることはない。ちっぽけな優越感だって気付いたから。
たぶん、作品やらアーティストやらを好きになるってのには段階があって、
本当に特定の作品やらを好きになったことがない人が、そういう気分を味わいたがるんだろうと思う。
色々な分野でコアになってくると、正直、そんなのどうでもいいし。
逆にそんな感情邪魔なだけ。
最近は、そういう感情を持つ人は本当に「自分自身の意志で何かに夢中になったことがないんだな」
と哀れな気持ちを持って接しています。
まあ、周りにそんな奴はいないんだが。
あと、2chとか見てて、どのスレにも「古参」っているじゃんか。
あれがホント無意味だなーって思って。
売れた作品であっても、「売れた前だけが良かったと抜かしやがる」
売れてからも、ある価値が追加されることも往々にしてあるし、そのへんに気付けない時点でどうかって思ってしまって。
そんなチンケな優越感に浸ってないで、作品を愛そうぜってね。
最初のエントリは<生物学的な意味での「人間」が、必ずしも人文科学的な意味での「人間」ではない>と言いたかったんでしょ。多分。
ちなみに、これは「哲学的人間学」という学問が延々と考えてきた問題であって、「東稲葉学説」とか言う発想をするのは単なる無知というか、自分の無教養を曝け出しているだけなので、まあ。その。なんだ。がんばれよ。
オセロゲームで自分より先に相手に角を取られたら怒るくせに、自分が相手より先に角を取ったら喜ぶ。これってダブスタですよね。
自分のチームがエラーしたら嫌だけど、相手チームがエラーしたら喜ぶ、とかはどうだろう。
だからそれなんて学説w
言いはしないけどそういう事俺しょっちゅう思ってるわ。
勝ち組とかってより、「俺は前からこれの良さに気付いて密かに愛でていたのに」感だな。
このジャンルに今まで何の興味も無くて、寧ろ「キモい」とか言ってたくせに
テレビでちょっと紹介されてブームとか言われるとすぐに飛びつく奴らと、今まで
最初からじっくり応援または愛でていた自分と、同じ「ファン」というくくりにされてしまうからそれが嫌だ。
という子供っぽい怒り。
「マイナー気味で、誰もあまり知らない」上に「いいもの」ってのはすっごい価値なんだよ。
まさに最初は「掘り出し物」感覚でさ。それを愛でてると、そのうち自分の子供のように愛着が湧く。
誰も知らないけど俺は良さをしってるぜー俺はお前らよりいいもん知ってて得してんぜー的な。
そういう優越感なわけ。だからそれが、その価値も知らない「話題になるから」
「金になるから」という理由だけで安易に実にあっさりと無責任メディアのせいで世に広まって、
そんでアホなミーハーどもがそれにあっさりくらいつく、そういうのが見てらんないの。
今まで大切に見守ってきた花が、近所の猛犬どもにあっさり食われちゃった、そんな喪失感。
勿論それは古参ファンの勝手な思いであって、その対象のミュージシャンやら作品の作者やらは
「やった広まったラッキー」程度に思ってたりするんだろうけど。
そういう身勝手でガキっぽい思いなんだとは重々分かってるけど思っちゃうんだからしょうがないね人間だし。
それに自分がガキっぽいとは思えど、だからといってメディアやすぐ食いつく奴らが大人なわけでもないし
大人な対応してれば収まってくれるかっていうとそうでもないからガキにはガキってことで
ギャースカ言うわけです。アホらしいと思う人は思うだろうけど、そう全ての人に「好きな人が増えてよかった!」などと
寛容になってられん。大体ほとんどがブーム去ればさっていくし。ブームが一度来て去った後のものってブーム来る前より悲惨だべ?
大体本当に「良さ」をわかって好きになってんの、ブームっていってるから乗ってるだけじゃないのって言いたくもなる。
そして何より、他人に好きな人が増えたからって別に嬉しくもなんともない。正直なところな。
こういう事を考えてしまう自分が嫌ではあるが、でも「ファン」とかってのは、多かれ少なかれこういう執着心と紙一重な気もするね。完全にプラスな、あっさりすっきりさっぱり気持ちいいポジティブ気分だけじゃ「濃ゆい」ファンにはなれん。どうしてもそういう汚さもついてまわってしまうんじゃないか、とまあ俺は思う。やっぱり周り見てても濃いファンの奴ってどこか変だったり異常さがあるからな。別に濃くないのがダメなわけじゃ決してないが。
最後尾の車両で座席に座ってうとうとしてたら聞こえてきた
「次は○○〜、○○です
この電車はその先の△△駅が終点です
△△より先、下り方面へおいでのお客様は次の○○駅、
降りましたホームでお待ち下さい」
気持ち良い天気だったからついボーッとしたのか、
その上乗客もスカスカでちょっと気が緩んだのか、
一呼吸置いて続いたアナウンスは、ちょっと親しげだった
「終点△△駅で乗り換えようとすると、
たぶん無意識に素で喋っちゃったんだろう
我に返って真っ赤になって下向いてた車掌さんが、
あとで怒られたりしなきゃ良いな、と俺は思った
その人は動物化のことを言いたいんじゃまいか
非モテスパイラルに陥って異性不信になっている人間に「そんな異性ばかりじゃない、もっとちゃんとした異性はたくさんいる」と言っても無駄。彼/彼女らの前にそのような人間が現れることはないだろう。
ちゃんとした人間はちゃんとした人間と付き合っているからこそちゃんとした人間でありうる。従って、彼/彼女らが非モテスパイラルに陥っている間は、彼/彼女らにとって真に必要な、彼/彼女らが求めているような人間は、彼/彼女らを避けるであろうし、ゆえに彼/彼女らの前にはそれ相応の人間しか現れないだろう。
だがしかし、非モテスパイラルを自ら抜け出るのは至難の業であろう。というか、簡単に抜けられるようなものであればスパイラルになど陥らないであろうし、むしろ足掻けば足掻く程悪化するのがスパイラルというものの本質であるから、下手に行動することはかえって危険でさえあろう。
ならばどのようにすればこの地獄を抜けることが出来るのか。私の考えでは、ただひたすらに待つことである。困難な状況での行動はより危険で、より状況を悪化させる可能性があるのだから、ただチャンスが来るまでひたすらに待ちに徹するのである。非常に低い確率であろうが、しかしもしかしたら、ということもたまにはあるものだ。もちろん、このような方法は受動的で、運に頼った、心許ない方法ではある。しかし、焦りの気持ちが爆発しそうなとき、そんなときは家康でも思い出してみることだ。