はてなキーワード: きらら397とは
僕が子供の頃の北海道米は本当に酷かった。でも僕は子供だったので分からなかった。ただただ喉を通らない不味いガム、よくて最悪のモチを食べている感じだった。しかし米とはそういうものだと思っていた。ところがある日の弁当で衝撃を受けた。身も蕩けるほど美味い。帰って母にどういうことか聞いた。
導入。
何かの景品で「あきたこまち」が当たったのだと。それを使ったと。僕はこの時、初めて自分がこれまで食べていたのが「キタヒカリ」という北海道米で、世界には「あきたこまち」や「コシヒカリ」というものが存在していることを知った。僕は今後、「あきたこまち」を使ってくれと頼んだ。
すると母は「お父さんの給料でそんなものは食べられない」と取り合わない。しかし一度、上位規範を知ってしまった僕は、もうキタヒカリに耐えられなかった。思えば、父はいつも白米に味噌汁をぶっかけていた。そういうことだったのか。汁物をかけないと食えないものだったのかと。それから戦争だった。
昔から聞き分けがなく母親と意見が合わなかったことを強調。「納得のいかないことにとことん立ち向かう俺」的なアピールもちょっとあり。そして父親はどっちかと言うと息子寄り。
僕はそれ以来執念深く、母にまともなコメを食わせろと言い、これ見よがしにコメに味噌汁といい時には番茶さえぶっかけて、「こんなもの流し込まなければ食えたもんじゃない」とやり続けたところ、ある日、母がキレて泣き出した。父は沈黙した。それ以来、僕は憑き物が落ちたように大人しくなった。
「いくら正論でもそれで殴るのは暴力なんだよね」と反省した。ように見せかけて。
ある日、「きらら397」がすべての光景を一新させた。品種改良で北海道米に革命が起こった。これ以降の北海道米はあきたこまちやコシヒカリよりも美味いと思う。大学生の頃母と電話で話した時、彼女は「農学部の人には頭があがらない、あなたのような口舌の徒は文句言うだけで何もしない」と言った。
息子が意気揚々と戦いを仕掛ける→母親が泣いて息子は意気消沈→米が美味しくなって母親がカウンター。という立場の変遷。
しかし僕はすでに違う考え方を持っていた。コメのようなものを寒冷な北海道で作ることがそもそも合理的だったのだろうかと。こんなに美味い北海道米を作るにはどれだけの資源が投入されたのだろうか、本当はもっと別なことに資源を投入すべきだったのではないかと。コメ信仰は疑うべきではないかと。
あー、息子さん、反省してないですね。
信仰や政策、世論の中身を疑うことなく、よりそれに適合的な技術を追求する知性は危険なのではないか、それなら「ああいう属性の人種は滅ぼすべきだ」となったら「はい分かりました」と効率的に殺戮する技術を生み出す知性が奨励されるようになるのではないかと。「僕は北海道米の美味さが怖い」と。
時が経ち、かつて争いの原因となった北海道米の不味さが解決されても、やっぱり息子と母の意見は合わないし、息子は理屈っぽくてウザい。
母は「もうあなたには何も言わない」と。父は「それは重要な指摘だ、考えてみれば持参金が少ないという理由で嫁さんを焼き殺すインド人も原子力潜水艦を動かしている。技術と知性は違うのかもしれない。すなわち価値判断だ!」とか調子を合わせた。母は「この家は昔からそうだ!」と吐き捨てた。
「理屈っぽい変人の父・息子」と「普通の母親」という対立構造は変わらない。迷惑かけるけど仕方ないよね。という感じのインテリの自慢&自虐ネタ。
そして北海道米は美味い。
冗談めかして終わり。
え?
なんで一連のツイートの要約がこんなんになるの?
https://twitter.com/oxomckoe/status/1066289837211234305
こんな寒いところでwwwwうまい米つくるとかwwwww農家の人ヤバスギwwwww
米がまずけりゃ塩とかスパイスとかwwwwwかければいいのにwwwwwかければいいのにwwwww
すごいとか通りこしてwwwwwもう怖いwwwww作れって言われたらwwwww兵器でも作りそうwwwww
北海道米の品種改良について、農業従事者に感謝する母親に反論する形で、「合理的でない」「コメ信仰」「信仰は怖い」というネガティブワードを用いて説明してくれているのに、
「農家の人ヤバスギwwwww」「すごいを通りこしてwwwwww作れって言われたら兵器でも作りそうwwwwww」「農家のすごさを知るべきだと思います」
と、宇宙ヤバイコピペ方式で北海道の米農家を褒めていると勘違いした読解力に驚いてしまった。
ツイート主が怖いのは「信仰」であって、「米農家の技術」ではない。
起:子供のころ食べた北海道米が酷く不味く、「あきたこまち」を親にねだって親を困らせた
承:品種改良で「きらら397」が登場し、北海道米が格段に美味くなった
転:しかし北海道で米の改良をすることは合理的だろうか。いや、信仰(コメ信仰)だ。
というところだろう。
信仰や政策、世論の中身を疑うことなく、よりそれに適合的な技術を追求する知性は危険なのではないか、
それなら「ああいう属性の人種は滅ぼすべきだ」となったら「はい分かりました」と効率的に殺戮する技術を生み出す知性が奨励されるようになるのではないかと
であるだろうに、読み手に「北海道米マジうまい!」としか伝わらないのはやるせない。
ちなみに増田が読解力の無い人として例にあげている
tetsuya_m 母親が気の毒。コシヒカリやあきたこまちも物凄いリソースをかけて作られた物なのに何を言ってるのか不明だし
は、ツイートの主題である「コメ信仰」の根拠、「北海道で品種改良をするのは非合理」に対して、
「北海道米以外の米にも莫大なリソースが投入されているのだから理路がおかしい」という、実にツイート趣旨に合致した反論だと思う。