2020-03-31

安倍晋三のことを考える

哀れだと思った。

それが何故か、すぐには分からなかったが、薄らぼんやりとこの結論に至る理由が見えてきたので、書く。

私が安倍晋三氏を哀れだと感じるのは、人として扱われていないと思うからである

彼を信奉し、応援するという人々は、彼そのもの人間性ではなく、「武器」としての彼を必要としているように私には見える。

自分以外、自分世界の外の敵、それらを踏み潰すヒールとして安倍晋三を用いているように見える。

自分と敵という部分には、日本韓国日本中国一般人クズ異性愛者と同性愛者のような言葉が当てはまる。

何らかの理由多様性を認められない人々が、自分自分の認めた価値観以外を叩くときに、安倍晋三を用いているように見える。

またある時には安倍晋三という存在は、福の神もしくは疫病神のように語られる。

安倍晋三がいる「から大丈夫、もしくは安倍晋三がいる「からダメ

そういった言説を見かけることが多々あった。

たまに私は忘れそうになるが、安倍晋三というのは人で、人間で、今生きているのだ。

彼には出来ることとできない事や、得意なことと苦手なことが恐らくある。私が今まで出会った人間は皆そうであったから、この推論は恐らく合っているはずである

しかし、記者会見国会に現れる彼から、彼について書かれた記事から、そういった人間性を感じることがあまりに少ない。

安倍マリオなど作為的人間性の発露を目にすることはあるが、演出の域を超えないものばかりである。)

彼の言動が私の「怒り」や「呆れ」を引き出すことはあるが、彼自身人間性は全く見えてこないのだ。

何を大事にしていて、どうやって生きてきたのか。

何を考え、何を選び、何を捨ててきたのか。

安倍晋三という人間からは、彼そのものを成す「信念」のようなものが、全く見えてこないのだ。

今、私は多分彼に怒りを抱いている。

しかし常に常に怒りより、呆れが前に出てくる。

「怒ってもしょうがない」という言葉が喉まで出てくる。

違う、しょうがなくない。だって彼は人間なのだから

私は彼と、コミュニケーションを取りたい。

人として、国民として、怒りを届けたい。

気に入らない者を潰す武器ではない、この世を終わらせる悪魔でもない。

人間として、総理大臣としての彼へ、1国民として怒りを、願いを届けたいのだ。

しかしそれの、なんと困難なことだろう。

彼のことを哀れに思う。

主権者コミュニケーションが取れない総理大臣として、多くの人々からモノのように扱われる人間として、彼の事を哀れに思う。

そして、彼の不幸に巻き込まれている自分世間を、哀れに思う。

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