をまだ悩んでいる。
結婚は21歳の時だった。
周りは、「さあ あとは子供を産むだけだね!」と言う。
同い年の友人たちは、「子供が欲しい、結婚したい、だからあなたが羨ましい」と言う。
わからない。
今後の人生で自分が子供を産み育てるかもしれない未来に不安を感じる。
命を預かるということが、どれほど責任の重いことかわからない。
それがいつになるかわからない。
大体、「よし、自分は子供を育てられるくらい大人になったぞ!」
と思う瞬間など訪れるものだろうか。
これから25歳、27歳…と年齢を重ねる。
28歳ごろになってくると、
今度は周りから「早く産まないと!」と言われる。
じゃあやっぱり早く産まないと!と考えだすと、
「子供を育てる財力がないのに子供を産もうとするな」とした意見と、
「子供も産めば何とかなるから、あまりお金の心配で踏みとどまらないほうが良い」とした意見を聞く。
前者は、主にネットでよく見る。
後者は、主に私の身の回りの人が実際に言ってきたことである(田舎なので)。
前者については、子供を産み育てるのに十分な財力を確保するのに
後者については、今は昔ほど行政が金銭的な子育て支援もしてくれないし、
何より賃金と税金の関係で、昔と比べて「どうにかなる」時代ではない。
こう考えていくと、やはり子供を産むという行為をまったく希望的に感じられなくなる。
共働きの状態で「子供を産み育てるのに十分な財力を確保」できたとする。
しかし、結局女性側はどう頑張っても出産のためにキャリアを途絶えさせることになる。
「出産で一時 仕事をしていなかった人」という紛れもない事実が付いて回る。
この事実をプラスに捉えてくれる会社が、今の日本に果たしてどれほどあるだろう。
お互いにフルで稼ぎながら面倒を見るのは限界がある。
体をぼろぼろにする必要もない、キャリアを途絶えさせる必要のない男性が羨ましい。
でもなぜか、友人たちはそんなことはあっさり受け入れたような様子で、「子供が欲しい!」と言っている。
子供を産んだあと、五体満足で生きていられるかも怪しい。
日本では、10万人の子供が生まれたら、3,200人の母親が亡くなっていることになる。
子供を産んだ後自分が元気に生きていられるかも、確かではない。
なのに友人たちは、まるで出産後も自分が元気で生きていられることを信じて疑わないみたいなのだ。
高齢になってくる親に、赤子の子育てを押しつけるのは忍びない。
かといって、今の時代に専業主婦を希望する、などというと、それはそれで叩かれる。
今の時代、専業主婦とはいってもパートや非正規雇用で働いている人が殆どだが、それでも世間は冷ややかだ。
子持ちの母親、というだけで厄介そうな顔をされる。
かといって専業主婦も選べない。
果たしてこんな調子で、安心して子供を産もう!と思える未来なんてやってくるのだろうか、
そんなことを考える最中、
これ以外にも、うんざりするような政策が次々に飛び出していて、
選挙にちゃんと参加して投票している私も、政治のこの有様に辟易としている。
投票に行っても年々悪くなっていくような国の情勢に、
かと言って周りの同い年の友人たちは、「子供ほしい!」というくせに
自分たちが何も考えていなくても、子育てをやっていけると信じているみたいである。
仮に私が女の子を産んだとしても、
安心して通学させることもできない。
娘に同じ思いをさせたくない、と強く思う。
仮に男の子を生んだとしても、
通学路にはプリウスミサイル、電車には「誰でもよかった」と嘯いて女子供を殺す人。
そんな心配を抱かずに済む人だけが、子供を産めるのかもしれない。
期待したり要求したり羨んだりする。
ただ私は、少なくともこれだけの不安を抱えたまま
子供を産み育てることはしない。
でなければ、子供を産み育てることを、後悔しそうで怖いからだ。
周りの人は、「産まなければ後悔する」
「老後が困る」「孫を見られない親が悲しむ」
と脅すようなこともある。
確かに後悔するかもしれない、と思う。
子供を産むということだけは、「やらない後悔よりやって後悔」をしてはいけないことだと思う。
それでも、私はまだ迷っている。
はたまた、子供を産むことが”良い”とされる社会に怯えている気持ちから、逃げられる時が来るのか。
何が正しいのか、全くわからない。
はてなに若者はいない アラサー(25歳)になったらまたお越しください
なぜか偶然この長文を1分以内に読むことができた増田がいたらしいね
アホ発見wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww