いつもお世話になっております。
外の先生は何も言わない。
中の先生も何も言わない。
教官も優しい。
中の先生の批判が無かったら、人生詰んじゃう学生が大量生産されると思うから、
公衆の面前で、仮に"ケチをつけただけ"なら、ちょっと理解はできない。
人の目が全く気にならない人なのか、いやな奴、ケチをつけるような奴と思われたい人なのか?
私のいた大学でも、論文発表なりゼミの輪講なりでも基本的に叩かれてたし、教官の務めの一つかと思うけど。
逆に学生程度が、発表で褒められたら気持ち悪くてしょうがないし、そいつはむしろ見捨てられてるんだと思うわ。
(もちろん、やさしい先生もいたけどね。)
あくまで私の考えではね。
"指導教官"に嫌われて卒業一年延びた知り合いがいたけど、あれはアカハラだったんだろうと思う。
中身の詳細までは知らないから、はっきりとは言えないけど。
アカハラ、パワハラはいかんよ。というか、そういうのは反吐が出るほど大嫌い。
ただ、いかんだ嫌いだ言ったところで、何にもならない。
というか、悪いけど、これがアカハラかと大いに疑問。
落雁?
「もし人類が自発的な絶滅に同意するなら」ってはっきり仮定置いてるうえに人口減に合わせた文明の集約の過程で国家の括りなんかあってないものになるの要介護老人でも想像できるぞ
頭が痛くなるのも嫌だけど、酔っ払っても大して嬉しくないことに気付いたんですよねえ。
勉強して知らなかった考え方とかに触れてハッとなるときの感覚のほうが酩酊感よりも好き。個人的に。
せっかく決意したのでしばらくは水だけを飲むようにします。
10年くらい前、母方の祖母が元気な頃までは薪火の釜で米を蒸して臼と杵で餅をついてた。
親戚みんな集まってどれは誰の子だとかいくつになったとか、まあとにかく人がいっぱいなのが小さい私にとってすごく特別だった。
その後祖母が調子悪くなったり親戚が亡くなって喪中だったりで親戚が集まるのは法事だけになってもう臼と杵での餅つきはやってない。
ホームベーカリーですぐに餅が作れるって思っても年末のこの時期だけしかやらないのはやっぱり特別な物って感覚がるからなんだろう。