6〜7時間寝てもぜんぜん取れない。首や背中や腰が痛いままだし、頭や目の奥が重くて鈍く痛いし、胃がしくしくしたままだし。食生活にも気を付けてるし、軽めだけど自転車移動を心掛けてるのに。結構しんどいな。
6〜7時間寝てもぜんぜん取れない。首や背中や腰が痛いままだし、頭や目の奥が重くて鈍く痛いし、胃がしくしくしたままだし。食生活にも気を付けてるし、軽めだけど自転車移動を心掛けてるのに。結構しんどいな。
お前なんてまだマシだよ。周りに人がいるんだから。
俺なんて誰もいない。
彼女も、友人も、知り合いもいない。
俺は世界に嫌われているんだ。
自業自得。俺は信頼が無い。
本当に死んだ方がいい人間は俺なんだ。
今日、死にたさを乗り越えるのがつらい
死にたくないのに、死にたくて泣いてる
さっきまで彼氏と、人は明日にでも急に死ぬかもしれないんだよねなんて話してたのに
なんでこんなに死にたいのかな
おばあちゃん、迎えにきて
もう仕事に自身ないし、年もとったし、一生働けないんと思うんだ。
ああ、というか、親に会社クビになったことを打ち明けられないでいる。
働かないくせに、会社に行ってることにするために、高い家賃の部屋から動けないで貯金もどんどん減ってる。
あー、この先どうしようかな。
いっそ死んでしまおうか。
頑張って欲しい
死にたいと思うことが増えた
具体的な死に方とか考えて調べて、ちょっと前よりやばいって思う
ずっと死にたさと戦って31歳まできたけど
だいぶしんどい
今夜ドアノブでやっちゃったら
隣の部屋で寝ている彼氏はさぞかしびっくりするだろう
嫌な思い出になっちゃうよね
お母さんもきっとすごく悲しむよね
だから死なないけど
保毛尾田保毛男の復活でフジテレビに抗議が殺到しているという。だが、あのテレビキャラクターの存在があったからこそ、「ホモ」(現在では適切な言葉とはいえないが、あえて書く)やLGBTが市民権を得られたという側面も無視してはいけない。
例えばネイティブ・アメリカンを「発見」し、ヨーロッパに伝えたのはコロンブスである。同様に保毛尾田は、まったく理想的ではなく、乱暴な形ではあるがホモをテレビで取り上げることにより大衆にその存在を知らしめたのである。
確かに保毛尾田が演じたキャラクターはホモを嗤うものであり、ネイティブ・アメリカンがコロンブスを嫌うように、当事者にとっては全く笑えない話である。しかし教科書に載っていなかったLGBTという存在が、まったく理想的ではなく、乱暴な形ではあるが世の中に認知され、たった数年で市民権を得たのである。
市民権を得るとは、つまり「一般」枠で扱えるようになるという意味だ。今日でも、LGBTの素人をどう扱うかは慎重さを要する。街頭インタビューなら「新宿二丁目の声」といった枠を用意すべきだろう。だがタレントならば「オネエ」キャラが確立されており、「お笑い」や「スポーツ選手」などと同じ「一般」枠で扱うことができる。
保毛尾田が市民権を与えたとはいえ、まったく理想的ではなく、乱暴な形だったので保毛尾田さえいなければ世界はもっと平和だったと言う人もいるだろう。逆にLGBTはもっとアンタッチャブルな存在になった可能性もある。たとえば「障害者」は広く社会に認知され活躍もしているが、「一般」枠ではない。
同様に市民権を得たのが「オタク」である。イメージが最悪だった「宮崎勤」の頃からどういう経緯でここまで来たのかは識者の解説を待ちたいが、「電車男」のようなドラマの影響もあったのだろう。今では「ガンダム芸人」「家電芸人」のようにキャラが確立され、テレビで出るオタクの話題に眉をひそめる人はいない。
我々がより深く考えるべきは、なぜ保毛尾田保毛男などというキャラクターが生まれたのかという背景だ。ネット上ではテレビの人間を小馬鹿にする風潮があるが、これは大きな間違いで、キー局の人間は極めて優秀だ。確実にヒットを飛ばせるような神通力はないが、およそ視聴者が思いつく程度の批判は予見している。
また、スポンサーへの抗議はテーマによっては有効だが、バラエティの場合はそうではない。スポンサーは、決して世間からそう思われないよう気を付けているが、低俗な番組を求めている。スポンサーが求めているというのは、つまり消費者が求めているという意味だ。
一方で芸能界や芸能関係者の中にLGBTは多い。石橋貴明というタレントの交友範囲を考えれば、LGBTをネタにすることに相当な躊躇いがあったものと想像できる。ネタの中でも保毛尾田は、「ホモというのは、あくまで噂」とブレーキを踏んでいる。LGBTと日々接する中で、テレビにおけるLGBTの地位、つまり世間におけるLGBTの地位を向上させようと、石橋なりに取り組んだ結果なのかもしれない。
もっともこうしてネットが普及したことで、テレビでの地位と世間での地位が必ずしも一致しなくなった結果、「復活」に抗議が殺到しているのは時代の変化だろう。