その時は、その学校の校長(と指導を放棄していた教諭)やその地域の教育委員会あたりがさらに上の人達から怒られるだけだと思う。
そもそもそんなに器用に「国歌斉唱だけ」「国旗掲揚だけ」生徒が都合良く言う事を聞かなくなるように仕向けるなんて難しいだろうから、そんな事態が発生してる時点で学校運営自体が支障を来してる可能性も高いだろうな。
そもそも何故強制的に歌わせようとする必要があるのか分からない。
この問題で明確にしておかなければならいのは、「強制されているのは公立学校の教師のみ」という点。
生徒や保護者が歌ったり起立したりしなかったからといって、別にペナルティがあるわけではない。
その辺をごちゃごちゃにしてしまうと議論が拡散してしまって収集がつかなくなってしまう。
http://anond.hatelabo.jp/20110219195418
君が代を歌いたくないのは分かるんだけど、それで不起立とか、あまつさえ「みんな歌わないで!」って叫んで式を妨害するのが何で許されると思ってるんだろうか。
だから処分は不当だと裁判まで起こして最高裁まで争えちゃう。「不当判決!」とか叫びながらメディアに堂々と顔と名前を出せちゃう。自分が間違ってるとは微塵も考えてないからね。
お前ちきりんみてこれ書いてるだろw
チームリーダーが女性(30代前半)、オレ(ギリギリ20代)、後輩A(20代後半)、後輩B(20台中盤)、後輩C(2年目の若手)。
突っ込んどくけど、出版側の戦略として「売れる書店に重点的に配本する」というのがあるんだよ。
年に何千冊か売らないと、ほとんど配本してもらえないわけ。
そもそも、萌え絵を使わず、男臭いのが出たりもしてるけど売れて無い
要するに出しても売れないから出さない
この2行は明らかに矛盾してるな。
「起立」と言われているのに立たない=全員が立つまで待たないといけないとかそういうのが問題なのであって。
君が代を歌いたくないのは分かるんだけど、それで不起立とか、あまつさえ「みんな歌わないで!」って叫んで式を妨害するのが何で許されると思ってるんだろうか。
こういう人たちって、自分が問題な行動をしてるってことに気が付いてないのかな?
歌いたくないなら立って口パクしていればいいし、聞きたくないなら耳栓をすればいい。それだけなのに何でその思想を他人に強要するのかな?
そもそも、萌え絵を使わず、男臭いのが出たりもしてるけど売れて無い
要するに出しても売れないから出さない
売れ線を並べてみれば解るんじゃね
ということはラノベの表紙がどれみても似たり寄ったりになったのは本当に最近も最近のことなんだな。
確かにキノの旅は萌えとは少し距離を置いていたような気がするし、ウィザーズブレインも萌えというより少女漫画な絵だった。(俺がラノベを読んでいた2003年という時期は、萌えが前面に押し出されていなかった気がする)
それが急激に「洗練」されてああいう絵柄がばっと広まったのか。
つまり今のこの状況は単なる一過性のブームである可能性が高いのかな。だとするとラノベがこれからまた新しい方向に進む可能性もあるわけだ・・
折原みと(今も現役)、氷室冴子(故人)、藤本ひとみ(現役)懐かしい。
氷室冴子さんにはもっと長生きしてもらって各シリーズ完結して欲しかったし、もっと沢山書いていただきたかった。
「セカチュー」が話題の時にこれって折原みとの「時の輝き」とか恋人が不治の病で亡くなってしまう内容を男向けにした内容だと思ったよ。
読んだことあるよ。あれは電撃じゃなくて角川スニーカーでしょ?あそこは確かにラノベって感じの小説ばかり出してるわけじゃないな。
でも、ハルヒは完全にラノベに取り込まれていたように思う。いとうのいぢの少女漫画チックな絵は多少違和感覚えたけど(アニメのほうを先に知ってたから)
http://mojix.org/2011/02/17/seisaku-hantei
「その政策をやったときに、価値を生み出す生産活動に向かおう、とみんなに思わせるかどうか」という基準からすればデフレ政策も批判すべきということになるのに、なぜインフレ政策のみを問題視するんだろうか。
努力して魅力のある商品やサービスを生み出すよりも、寝ていても実質価値の値上がりする現金預金を持ちたいと考えるようになる。デフレ政策の「バラマキ」は物価の下落を通じて行われるので、ヘリコプターから直接ばらまくのに比べるとわかりにくいだけなんだが。
http://www.google.com/transparencyreport/traffic/?r=CN&l=YOUTUBE&csd=1296414132441&ced=1298102400000
http://www.google.com/transparencyreport/traffic/?r=IR&l=YOUTUBE&csd=1296751785953&ced=1298102400000
俺はラノベが一体どこからどうやって生まれたのかは知らないんだけど、漠然と「萌え」概念が生まれつつある時代に出てきたんだろうなと思ってたよ。
絵柄のセンスはともかく、そんなに古いものではないことは確かでしょ。というか萌えがない時代のラノベって想像出来ないんだよな。
「小説」原作のドラマや映画がごく普通に当たり前のように作られまくる状況を見ていると、
まるで小説がこれから消えていくんじゃないかという気がしてくる。あの小説→映像化という過程は、映像メディアが小説に対して「お前はもう用無しだ」という過程に見えて仕方ない。
もちろん、実際に出来上がった映像と原作では全く質量が違うというか、世界観の厚さとかも違うというのに、むしろその「薄さ」こそが肯定されつつある時代に突入したのでは?と思える。
つまり、小説とは映像化のための優れたアイディアをためておくプールであり、アイディアノートのようなものであるってそんな感じ。そこからどのくらい抽出して2時間の映画にうまくまとめるかは監督の腕ですよ、っていうね。
あなたの言う台本と俺が言ってるラノベ台本は、概念が微妙にズレてる。
うまく説明出来ないが、ラノベのほうは既に放送されたアニメの台詞を文字に起こしてそれを本にまとめてる感じがするんだよ。
だからこそ最初から思い描くべきキャラクターの姿かたちはきっちり決まっているということだ。
それに比べ、あなたの言ってる台本だと、まだ生まれていないものなんだよ。つまり、これからどう映像化しようか考えながら生み出された台本。だから、そこには姿かたちのはっきりしたキャラクターはいない。
作者の中にいるかもしれないが、明示されているわけではないから読者には想像の余地がある。「スーツを着てる男前」というキャラクターだとしても、そこにどんな顔の人間を思い浮かべるかは人それぞれでしょ。
そこが、ラノベと小説の決定的な違いな感じがする。とはいえ、メディアミックスのおかげでその垣根もなくなっているような気はするが・・