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2023-01-03

濱大樹幸一郎(第211代横綱

濱大樹幸一郎(はまたいき こういちろう 2320年4月3日 -  )は、北海道広尾郡大樹町(現:釧路國広域行政区大樹)出身の元大相撲力士。第211横綱本名は濱田幸一郎。

来歴

相撲とは無縁の生い立ち

天興24(2320)年4月3日北海道広尾郡大樹町浜大樹で漁業を営む家に生まれる。実家に近い大樹町漁港宇宙港は、内陸にある中心市街と対比して浜大樹と呼ばれており、のちの四股名の由来になっている。代々の家業である漁業と大樹宇宙港での不安定重力下での積荷の上げ下ろしを繰り返し強靭な足腰を鍛えあげた。大樹高校卒業後に家業を手伝うも、専門知識技術を身につけたいと上京を決意。新新とかち帯広空港から羽田大気圏空港に降り立ったところ、別の入門者の到着を待ち構えていた宮城野部屋力士に、その筋骨隆々で偉丈夫の姿から入門者と間違われ部屋まで連れてこられてしまう。事情説明し去ろうとしたところ、女将からの説得を受け入門を決意した。

順調な昇進と火星独立運動への従軍、そして綱取り

如上の経緯から序の口から出身となったが、漁港宇宙港重力下高層域および大気圏外での積卸の経験による筋力とバランス感覚の良さで順調に昇進。入門後4年ほどで十両に昇進した。ところが2342年に勃発した火星独立運動に突然単身従軍。これは大樹時代の思い人が火星移住していたことが遠因と言われる。そこで右ふくらはぎレーザー銃による貫通創を追う。紛争後、3年のブランクののち宮城野部屋に戻った濱大樹は火星から連れ帰った弟弟子布雄母巣(フォボス)と泥茂巣(デイモス)らとともに再び猛稽古に励み、2349年に大関TOYOTA場所で13勝2敗、秋場所11勝4敗、九州場所で13勝2敗と安定した成績を収め、横綱に昇進した。横綱審議委委員会では第24内館牧子委員の熱烈な推薦の一幕もあった。

1度だけの優勝と航空事故

横綱昇進後も安定した成績を収めたが、生涯には1度しか優勝の機会に恵まれなかった。これは当時土星木星力士の全盛期に当たっていたためと言われる。同時代横綱土星山(どせいさん)や丸輪花(まるわっか)、名大関の大赤斑ら、高重力下で鍛えた力士たちが鎬を削っており、たびたび優勝決定戦での激戦が繰り広げられた。2352年の優勝の際には、21年ぶりの地球惑星出身力士の優勝となり、列島はもとより出身大樹町では住民たちが7昼夜にわたり祝宴を催し、漁船及び宇宙港船のデジタル大漁旗の皓々たる明かりは月世界から確認できたという。さらなる活躍が期待された濱大樹であったが、2355年の冥王星巡業へ行く途上、日本宇宙航空分解事故により、天王星沖で消息を絶つ。

人物エピソード

方面からの人気

先述の通り土星木星力士全盛の時代に、普通重力下で育った力士として出世したため、地球からの人気が高かった。また火星への従軍経験から火星人類にもファンが多く、くわえて戦傷したことから傷痍軍人からの人気も得ていた。さら土星木星人のなかに地元出身力士ライバルとして語り継がれるなど、惑星植民時代力士象徴存在として言及される。

重力土俵の普及

日本大相撲協会の火星巡業で現地を訪れた際、土俵上が火星重力のままである経験をした。当時は重力制御のためのエネルギーが十分でなく、先述の土星木星系は高重力であり、火星や各惑星衛星植民地や小惑星帯植民地は程度の差こそあれ低重力下での生活を強いられていた。濱大樹はこうした現状を目の当たりにし、「まずは土俵から」と一重力土俵土俵内部に重力制御装置を埋設したもの)を低重力植民圏各地の小学校に設置する運動を始めた。その運動は濱大樹の消息不明後も宮城野部屋により継続された。一重力土俵普及運動はその後各地の生活圏一重力獲得運動へと展開し、現在の様な地球と変わらない生活環境の実現に一役買うことになる。

フローラ地軸事件

2352年に行われた、木星火星中間位置する小惑星フローラの巡業にて行った土俵入りの際、あまりに強い四股のためフローラの地軸が0.8度ほど傾いた。移動式一重力土俵を用いての巡業だったこともあり、宮城野部屋NASAから厳重注意を受けた。ただし当時の在フローラからは大変好評でフローラ毎日新聞には「この土地に箔がついた」の見出しが躍った。またこの一件は、火星歌人である種田オリンポス山頭火(明治から昭和にかけて活躍した種田山頭火とは別人)により

やはりこの 相撲人なり 天地を うごかしたるは 歌読みでなし

と詠まれた。

思い人への墓参り

大樹での幼少期に濱大樹が思慕していた女性は、大樹宇宙港から火星に赴いた。その後火星事変中に火星結核によりこの世を去っている。濱大樹は火星巡業の際には必ず立候補し参加しており、巡業中にはヘラ平原の無天蓋墓地にアホみたいな大きさの特製対外活動服で墓参りする謎の人物の姿が度々目撃されている。

コールドスリープと夢の横綱対決

日本宇宙航空分解事故の際、乗客乗員の多くは緊急脱出ポッドに乗り込む時間的猶予があったと言われている。実際に機体の通信記録からは緊急脱出ポッドの相当数の稼働履歴が検出されている。その中でも特に注目するべきは連結ポッドである。2つ分の緊急脱出ポッドを連結されたものが8機射出された記録がある。これは冥王星巡業で当地に向かった力士の人数と合致しており「関取」ならぬ「席取」により生存可能性を知ることができる。このため宮城野部屋及び日本相撲協会は、太陽系外縁を航空する機体に今もなお周知活動をしており、懸賞金もかけられている。

もし無事に脱出ポッドに乗り込んでいた場合、濱大樹の身体コールドスリープ状態にある。ただし、当時の科学水準においては現在のような2000年単位での冷凍睡眠技術確立されておらず、独自統御をなすAIも搭載されていない。ポッド寿命は持って300年程度と言われる。乾徳49(2517)年、エリス天文台の宙域スキャンにより、脱出ポッド可能性のある古い時代物質が検出され、地元大樹でも話題になった。第389代横綱大譚(たいたん)はこのニュースを受け「もし復帰されたら胸を借りたい」と述べ、世紀を超えた名横綱対決が実現する可能性もある。

観光スポット

濱大樹の業績を称え、大樹宇宙港の地上部に横綱濱大樹伝承記念館があり、当時の低重力火星土俵再現横綱手形や化粧回しなど展示があるほか、濱大樹の立ち合いの威力や得意技のけたぐり威力体験できるコーナーがある。また宇宙港高層域にも濱大樹資料室が存在する。さらに濱大樹の巨大なブロンズ像宇宙港正面入口所在し、この地の宇宙開発の立役者である堀江貴文顕彰記念碑と肩を並べており、宇宙港を訪れた際の撮影スポットになっている。

2021-05-01

「高層物」分類学

バカナンとかは高い所がお好き」、ということで、バカである自分は、しばらく高いもの談義、高層物談義をしようと思う

高層「物」というのは、高層「ビル」以外が話のメーンからである

★高層物の定義は?これは時代文化により異なるが、とりあえず現代日本では、

 建築基準法航空法が高さ60mを超すと規制が強化される。

 高さ60m以上のマンションを「タワマン」と呼ぶ不動産屋の慣習もあるので、

 とりあえず「現代日本では、高さ60m以上を高層物という」と定義したい

★「高層物」を網羅的に分類した人って、あまりいないんじゃないか

 大きく5つのジャンルに分けたい。

 1.ヒトの為の高層物(ビル展望塔、アトラクション等)

 2.産業の為の高層物(電波塔送電鉄塔煙突風力発電など)

 3.交通の為の高層物(橋脚塔など)

 4.宗教的高層物(大仏など)

 5.樹木

★「1.ヒトの為の高層物」は、

 「1-1.高層ビル

 「1-2.展望塔」

 「1-3.アトラクション

 「1-4.アリーナ」に分かれる。

展望塔とは、最上階の展望だけを目的として建設され、よって中間階が無いもの。例:ポートタワー。

 アトラクションの例は観覧車ジェットコースターなど。

 アリーナの例はドーム球場など。

ジェットコースターも、ナガシマスパーランドの奴は高さ97mあるらしいから、立派な「高層物」です。

 富士急も、ジェットコースターは高層物間違いないですが、空中ブランコ鉄骨番長」は、50m台で、わずかに高層物要件満たしてないんですね

 「観覧車」というのは「展望塔」と「アトラクション」の中間性質がある。これもだいたい100mはあるから、立派な「高層物」です

★「アリーナ」で言えば、福岡ドームは80m以上あるらしいので「高層物」、でも東京ドームは60m未満なので高層物じゃない、的な。

 ドーム球場以外の、例えば体育館つて、高層物なのか?日本武道館で、高さ42mなのか。

 ビッグサイトで、高さ58mだからギリギリ高層物じゃないのか

高層ビルは今回の主旨じゃないかカンタンに言うが、

 目的として「オフィス」「マンション」「ホテル」「レストラン」「病院」「役所」「大学専門学校」が日本では確認されてる。

 商業物販つまり百貨店で、高さ60m超えてるのはあるかな高校で高さ60m超えは?

★「2.産業高層物」の分類。

 「2-1.工場建屋

 「2-2.放送電波塔

 「2-3.通信電波塔

 「2-4.送電鉄塔

 「2-5.風力発電

 「2-6.煙突

 「2-7.エレベーター実験塔」

 「2-8.気象観測塔」、他にもあるかもしれん

工場建屋の高さのデータって、どこかにあるのか?

 かつて、旧住金鹿島製鉄所を見学したことがあり、それは大きな製鉄所だったが、

 なので、日本のどこかに、高さ60mを越える工場建屋がある気がするのだが

放送電波塔は、言わずもがなスカイツリーや、名古屋テレビ塔、あと埼玉NHKラジオ送信鉄塔とかある。

 通信電波塔、昔であれば、街の中心にNTT鉄塔があったが、あれは60m超えてるのか?

 ケータイ各社の電波塔は、さすがに60mも無い気がする

★「煙突」もバカに出来なくて、池袋の清掃煙突は200m超えてるし、いわき市の火発の煙突も高かった。ライトアップもするらしい。

 川崎とか千葉あたり、煙突の高さのデータベース無いのか?相当数が「高層物」の筈だが

エレベーター実験塔」、日立ひたちなかにあったり、三菱稲沢に作ってたりする奴ね。国内に4~5本はあるのだろうか

気象観測塔」というのは、つくばの200mクラスの奴を念頭に置いてたのだが、あれ解体されてしまったのね。

国内にはそうすると、気象観測とか宇宙観測目的の高層物は存在しないのか?

★「風力発電」の高さの定義プロペラを支える柱の高さで測るのか、プロペラの最高点で測るのか?

 プロペラ最高点の計測だと、大半の風力発電は60mを超えて、「高層物」の仲間入りになる

★恐らく、日本もっとも多い「高層物」とは「送電鉄塔」じゃないかと思ってるのだが。

 50万ボルト送電線で、大体80mの高さがあり、東電幹線で500塔はあるらしいから、

 全国の「高層物」になる送電鉄塔は3000~5000はあると思うが、データが手許にない

★「交通高層物」、代表的なのは「3-1.橋脚塔」。

 あとは「3-2.ロープウェー鉄塔」「3-3.灯台」「3-4.管制塔」「3-5.ロケット発射塔」、他にあるか?

明石海峡鉄塔などは、300m近くあるから文句なしの高層物。レインボーブリッジでも126mあるのね。

 三重・御在所ロープウェーの鉄塔は、高さ61mあるらしいので、ギリギリ「高層物」の仲間入りしてる

 「灯台」の日本最高って、日御碕灯台で、でも40m台でしかないらしいので、「日本国内には、高層物の灯台は無い」らしい。

 サウジアラビアには100mクラス灯台があるらしい

羽田管制塔で115mあるのね。なんか、管制塔より灯台の方が高いイメージあるが、真逆だな。

 管制塔は、広々とした空港にあるから、実際より低く見え、灯台は狭くて高台にある岬の突端にあったりするから、実際より高く見える

★「ロケット発射塔」というのは、日本では種子島しかなくて、80m級なので「高層物」。

 自衛隊が、どこかにミサイル発射塔を隠しもってるのか?イージスアショアとか、60mあるのか?

 北海道大樹町ホリエモンロケットは、発射塔が60m越えないのか?

★「4.宗教的高層物」としては

 「4-1.塔」(一般人が入れない)

 「4-2.教会」(一般人が中に入れる)

 「4-3.大仏聖像」に分かれる

日本で、教会で60m超えって、あったっけ?

 宗教じゃなくても、モニュメントアート作品で60m超えたら、ここのカテゴリに入る。太陽の塔とか。

★今までは人為的な高層物でしたが、最後に天然の高層物として「5.樹木」を挙げてる。

 日本では、京都府スギの木が、60m超えてるから「高層物」なんですよね。

 もっとも、天然のスギの樹高を、わざわざ測定することは滅多にないから、

 見つかってないだけで、他にも高層スギは多数あるんじゃないか

★以上、昨日の夜に自分寝床で分類した「高層物 分類学」ですが、

 多分抜け漏れが多数じゃないかと思われるので、誰か再分類して欲しいもの

2020-11-28

北海道更別村歴史

anond:20201128171308

北海道更別村という自治体がある。

で、「元更別」という地名があるんだが、実は現在は「元更別」は更別村にはない。

更別村北側にある中札内村という自治体に「元更別」はある。

開拓の昔、現在の中札内と更別は同じ幸震村(大正時代には大正村)という自治体に属していた。

大正村にあった市街地から次第に開拓が進んでいったわけだが、当時は中札内と更別には村の境界はもちろんなかった。

大正時代第一次大戦好景気に湧くころ、島根県から移民団更別村語源になったサッチャルベツ川水系開拓を始めた。

昭和4年にこの地域鉄道ができると、現在の更別市街が発展し新市街誕生した。

そして、もともと開拓団が入植して市街地があった旧市街が「元更別」と呼ばれ、次第に「元更別」市街は寂れていった。

昭和22年大正から札内と更別が分村した時、「元更別」は中札内所属するようになった。

こうした歴史的経緯をみるとき「元」という言葉は非常に輻輳するニュアンスを持つと感ずる。

増田がいうような「もともと何かだったもの」というニュアンスももちろんあるんだが、元ちとせの「元」を「はじめ」と読むことが示すように、物事の源をさし示すことがあるだろう。

おそらく「元」という言葉ニュアンスシークバーみたいに切り替えることができる。

源に近いところから、変わってしまったその先を想像させうる。「元」は言語としてそんな守備範囲を持っているような気がする。


今は「元更別」の地名を訪ねる人は少なくなった。

現在では鉄道に近い形で高規格道路が走っており、自動車十勝南部を通ろうとすると元更別は通過しない。

しかしかつては、中札内村札内〜元更別〜大樹町尾田へ抜けるルートこそが主要交通路であった。

開拓団もそうした経路に沿って第二の故郷となるよう汗を流した。

旧道にはいまでもいくつか小さな集落があり、歴史を確かに伝えている。

 
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