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2022-02-24

田中社長やべえ

ウイグルのプチ版みたいなことやってんな

田中義武社長意外とやべえ人だったわ


ストを実施したベトナム人に200万円請求 生キャラメル花畑牧場

写真・図版

ストによる損害賠償請求撤回花畑牧場に求めたと会見した札幌地域労組幹部=2021年2月24日北海道帯広市

 生キャラメルで知られる「花畑牧場」(北海道中札内村田中義剛社長)で1月ベトナム人従業員待遇改善を求めてストライキを起こし、会社側が従業員に計200万円の損害賠償請求したことが、24日わかった。従業員支援する労働組合は「労働条件改善のための正当な行為」と主張。一方会社側は、労組結成前のストで「職場放棄だ」としている。

 札幌地域労組24日、会見して明らかにした。

 同労組によると、花畑牧場十勝第2工場中札内村)で1月26日、ベトナム人従業員38人が寮の水道光熱費の値上げに抗議してストを実施。当時同社に労組はなく、従業員会社側に25日、グループライン上で通告し、26日には田中社長にも改善を訴えたという。

 労組によると、寮の水道光熱費はそれまで毎月7千円が給料から引かれていたが、今年1月には約2倍の1万5千円ほどになっていた。ベトナム人従業員たちは複数回わたり会社側に抗議。しかし、会社対応しないと判断し、ストに踏み切ったという。

 その後会社側は、基本的に以前の光熱費の7千円に戻すとしたが、ストに参加しなかった従業員を含む40人に3月15日での契約満了を通知。うち4人には、就業規則違反理由に7日間の出勤停止と、「他の従業員扇動して生産ラインを止めた」などとして、計200万円の損害賠償請求した。

 4人はスト後、札幌地域労組に加盟し支部を結成。今月24日に組合結成通知を会社側に出した。

https://www.asahi.com/articles/ASQ2S6D8TQ2SIIPE01M.html

2020-11-29

anond:20201128233113

この話を読んで、つい中札内村検索してしまった。

開拓民ってすげー

2020-11-28

北海道更別村歴史

anond:20201128171308

北海道更別村という自治体がある。

で、「元更別」という地名があるんだが、実は現在は「元更別」は更別村にはない。

更別村北側にある中札内村という自治体に「元更別」はある。

開拓の昔、現在の中札内と更別は同じ幸震村(大正時代には大正村)という自治体に属していた。

大正村にあった市街地から次第に開拓が進んでいったわけだが、当時は中札内と更別には村の境界はもちろんなかった。

大正時代第一次大戦好景気に湧くころ、島根県から移民団更別村語源になったサッチャルベツ川水系開拓を始めた。

昭和4年にこの地域鉄道ができると、現在の更別市街が発展し新市街誕生した。

そして、もともと開拓団が入植して市街地があった旧市街が「元更別」と呼ばれ、次第に「元更別」市街は寂れていった。

昭和22年大正から札内と更別が分村した時、「元更別」は中札内所属するようになった。

こうした歴史的経緯をみるとき「元」という言葉は非常に輻輳するニュアンスを持つと感ずる。

増田がいうような「もともと何かだったもの」というニュアンスももちろんあるんだが、元ちとせの「元」を「はじめ」と読むことが示すように、物事の源をさし示すことがあるだろう。

おそらく「元」という言葉ニュアンスシークバーみたいに切り替えることができる。

源に近いところから、変わってしまったその先を想像させうる。「元」は言語としてそんな守備範囲を持っているような気がする。


今は「元更別」の地名を訪ねる人は少なくなった。

現在では鉄道に近い形で高規格道路が走っており、自動車十勝南部を通ろうとすると元更別は通過しない。

しかしかつては、中札内村札内〜元更別〜大樹町尾田へ抜けるルートこそが主要交通路であった。

開拓団もそうした経路に沿って第二の故郷となるよう汗を流した。

旧道にはいまでもいくつか小さな集落があり、歴史を確かに伝えている。

2019-08-11

登山者という名前独裁者

駆除か 静観か 割れ意見 規制検討 クマ登山者襲う中札内村の山(十勝毎日新聞 電子版)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190810-00010000-kachimai-hok

散々自然をぶっ壊して人が住む場所を作ってきたのに、登山者といううんこは山に住む動物をまだ殺せという。

登山者ってのは自分勝手ゲスだってのはわかった。

 
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