どこの誰が「身内が亡くなってるのに隣では結婚式で浮かれやがって」なんてやっかむんだよ。
はてなにもウジャウジャ居る腐れサヨが
「国民の苦しみを尻目に外国で優雅なことやってるぞ!」と大騒ぎするに決まってるじゃないかw
腐れサヨどもも一応そういうポーズは標榜するけど
彼等が嫌いな人物や集団に対しては平気でかなぐり捨てるよ
事件の詳しい経緯はこちらがわかりやすい
http://d.hatena.ne.jp/hagex/20110306#p1
その道のスペシャリストに質問しながらテーマをほりさげていく構成になってるんだけど
自分の知らない、同意できない事でも、頭から否定しないでプレゼンターの話を聞く姿勢がすばらしい
むしろ「それってなに?」「これは無駄なんじゃないの?」って池上個人の意見じゃなくて我々視聴者の代行なんじゃないかと思うほど
反対意見や疑問をぶつけて本音をひきだすというのはこういうことなんでしょう
めがね王の「本音をききだしたくて煽った」てのは言い訳だと思ってるし、本気だとしたら低レベルすぎて成功しなかったってこと
よしなしごとだが、今日18日午後、twitterで唐突に東浩紀氏が曰く、一昨日の晩から原発関連の報道が少なくなったかの印象があるとのこと。
もちろん、事実報道は絶えずなされている。ご本人も「放水してることぐらいは知ってます」と書いている。
事実そのものの緊迫度合いは変わっていない。事態の進行状況や対策対応を見れば情報を量的に計算しようともそれは変わるまい。いや、合衆国政府からの協力への強い要請(の露呈)や、IAEAからの情報開示要求というニュースを見れば、事態は以前を凌ぐものだろう。
東氏ご自身は政府が情報統制を始めたんじゃないかと書いていたので、ここに書くのは東氏の意図とは違う。もっと曖昧な「印象」についての話である。印象とは根拠のないものであり、帰納的にしか語ることができず、つまり「論」ではない。まさによしなしごと。
その印象が何を指しているか。
事実の質と量は充分であるのに、事実以上の報道はされていない?番組が少なくなった?という印象?
似たような話がある。
国内メディアの報道のトーンについては当初から、悲惨さに寄り過ぎる、自衛隊ほかによる救済など「いいニュース」が海外メディアにばかり流れている、避難所はもっと前を向いているのに伝えられない、等の批判が出ていた。twitterなどでも同様だったが、ロケ先で被災したコメディアンであるところのサンドウィッチマンによるコメントは、その国内メディアでも報じられたのでかなり広く知られるに至った。これらを受けてNHKでは編成方針を変更したようだ。
「ようだ」というのは、上記のようなことは定量的には前後比較できない、当事者の公表なしには視聴者の感想(の露出)によってしか測ることができないことだから。逆もまた真なり、敢えて書くことはしない。
それから、これも今回の震災に絡めてTwitterで見かけたエピソード。
阪神淡路大震災の折、被災地を放送エリアに持つ読売テレビが、番組編成を報道偏重からアニメやバラエティなど日常的なコンテンツを採り入れたものに切り替えたところ、賛否が多く寄せられたそうだ。不謹慎だというクレームはもっぱら被災地外からのもので、被災者からは「ひさしぶりに笑った」という感謝のメッセージが届いたという。
tweetの主旨は、悲惨な状況にこそ深刻さばかりでなく笑顔を生みだすようなものが必要だ、それを実現した読売テレビさんは素晴らしい、在京各局も続くべしということ。
それにしても、こうまで深刻である必要はどこらへんにあるのか。といっても「こうまで」の「こう」が曖昧至極であるが。
下位に対する憐憫という「善意」の発揮によって穏当裡に、普段は緩やかに規定される上下関係こそ、ここ最近のこの共同体を支える文化的精神的基盤だ。
もちろん、階級のないこの社会を円滑に運営するうえで有用だからこそ基盤たりえる。が、善意の発揮は多くを包み隠しもする。
女性差別を訴えられた男性は少なからず心外に感じるだろう。だって自分は女性を「弱き者」だと理解し、その通りに行動しているのだから。その振る舞いに、端から自立を放棄せよとのメッセージが含まれているとしても。
現在中年以上の大人であれば、街ですれ違う病者や障害者を「じろじろ見ちゃだめよ、可哀相でしょ」とたしなめられた記憶のひとつやふたつあるのではないか。乙武洋匡氏を引き合いに出すのは失礼と承知しているが、氏のような快活さをいまだに受け入れられない大人はいる。
それと同じように、被災地に救援物資と称してぼろが届く。「伊達直人」氏によって児童養護施設にランドセルが届いたのをきっかけに始まった伊達直人ブームも、しばらくすると最初の伊達氏の志とは随分違ったものになってしまったような印象だ。
しかしそれを差別だと大っぴらに言うことは憚られる。なんといっても善意だから、悪気はないのに、それを責めるのか、ひどい。
翻って、在日朝鮮民族・韓民族に対する差別があからさまに起き続けるのは、彼等がこの不文律を共有しない、憐れみに対して首を垂れないからではないのか。いうまでもなく不文律とは心の中にしか存在しない。印象と同じようなものだ。
そのような一連の意識を反映するものとして、原発関連の報道が、少なくなった、印象だ。
憐れまれる側にまわった者に供給されるべき「深刻さ」の座興などないということだろう。
最後に、東氏が18日未明に書いたもうひとつのtweetを引用しておく。
このような表現を使うと不謹慎と怒る人もいるかもしれない。しかし、ぼくたちはこの未曾有の災害を「好機」として捉えなければならない。バブル以降の20 年間の停滞に終止符を打ち、麻痺から脱し、日本をまともな国に戻すための最後の好機として。この好機を生かせなければ日本は本当に終わる。
今回の原発の件、政府や東電の後手後手の対応とか、過去の原発優遇政策とかで、
いろいろ言いたいことは山ほどあるが、今は言わない。
そんなことは数ヶ月後でじっくり議論批判すればいい。
「いかにして原発を冷却するか」について、日本人1.3億人のあらゆる知性を総動員して
なので、「こうすれば冷却できる」という手法を、原子力や機械工学、あるいはロボット工学など
ありとあらゆる「理系の知性」から「懸賞金付」で募集すべきだ。
それこそ、
「優秀な冷却アイデアを発表した理系人ベスト5人には各1億円を、
採用されて成功した場合には成功報酬100億円」と広く理系世界に公知させてアイデア募集すべきだ。
本来ならこの軍資金は東電が負担すべきシロモノだが、さもなくばホリエモンとか孫正義とか
ユニクロ柳井氏とか任天堂山内氏がボーンと出資すれば「救国者」になれる。
というか、今思ったのだが、このコンテスト、何も日本人に限る必要はないので、
MITとかインドの技術者とか、広く海外の技術者にもアイデア求めればいい。
インド人技術者にとって「成功報酬100億円」なら、死ぬ気になって提案を捻り出すだろう。
反原発派とか、今「鬼の首を取ったように」批判してはしゃいでいる。
あなた方の主張が正しかったことは理解したし、それについては今後評価してあげるから、
今すべきことは「井戸に落ちた犬を打つ」ことでなく、
新聞テレビで、「新宿の放射線レベルは●マイクロシーベルトで、これは健康的に問題がないレベル」的な解説がなされている。
それはそれでいいのだが、ここで想定されている対象者は「成人」じゃないのか?
「妊婦、乳幼児だと、1年間(あるいは1時間)に●マイクロシーベルトだと安全範囲なのか?」という点について、
「妊婦乳幼児にとって安全かどうか、の情報がないから、安全サイドに考えて、西日本に避難しよう」という動きが加速している。
ここ数日、下り新幹線は「ママ+乳幼児」で「遠足列車状態」である。
なので、朝日新聞でもNHKでもいいから、ほんの少しだけでいい、
「妊婦や乳幼児の場合の許容量は●マイクロシーベルトなので、心配ありません」とアナウンスする必要があるのではないか?
確か英国大使館かどこかが、「東京の放射線レベルは、妊婦乳幼児にも安全なレベルです、だからインターナショナルスクールを
休校させる必要ありません」と発表していた、と聞いたのだが、こういう情報こそ、大マスコミは開示すべきだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20110318014810
http://anond.hatelabo.jp/20110318015756
そりゃ、原発に本当になくなってもらっちゃ、生きがいが無くなるよな。
...わざわざ長文を書く人の生きがいといえば...。
うがちすぎ。
「国難にあたって、国土を離れず、国民と共に試練を甘受する姿勢を見せる」
ってのは、どこの国でも王室の大事な仕事だ。向こうだって来駕されたらかえって恐縮しちゃうよ。
やっかみを恐れて、とかどういう発想だよ・・・そんな動機ありえねえよ。
欠席なんてするなよ。祝ってやれよ。
自粛してどうするんだよ。
どこの誰が「身内が亡くなってるのに隣では結婚式で浮かれやがって」なんてやっかむんだよ。