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2023-10-01

anond:20230930171740

百、千、万はそのまま漢数字が使われそうな印象があるので、五十歩百歩が「50歩百歩」とかになる可能性もあるなw

これは「気色悪さを感じるかどうか」で決まってくるので、いずれ「第3者」「1番」は普通になり「第三者」「一番」が読みにくいなどと難癖がつくようになるだろうと思う。

高島俊男が「戦前小説を新仮名で書かれると気色悪いので、旧仮名古書で読んでいる」って話をエッセイに書いていたが、そういうことだと思う。

2022-07-10

anond:20220706121018

大和言葉に無理やり漢字をふったり、複数ある漢字表記のうち「これが正しくてこれは間違い」みたいなマナー教師軽蔑し、憎んでいたのが高島俊男だったなあ。

これも高島俊男が嫌ったのと同じ種類の人間だよな。

2022-01-17

すべからく」は「全て」のカッコイイ言い方ではない

「須らく」の誤用の話は呉智英が随分前からやっていて、高島俊男先生も「お言葉ですが」で「予告語」という概念を作って説明したりして、「須らく」を「全て」の意味で使うのは誤用であるということ自体は広く知られる様になっていると思うのだけれど、結局の所、ネットで目にする文章では誤用の方がずっと多いのよな。

 

書かれた文章読んでいると、呉智英侮辱する様な「無教養知ったかぶり馬鹿」ではないと考えられる人たちでも誤用している例が多くて、これは書き手の知性とは別の部分に原因があるんじゃないかとも思えるのだよな。

  

「須らく〜〜すべし」が使われる文章ってのは、要するに漢文調の書き言葉って事になろうかと思うけれど、そういう文章が書かれる機会が減り、今の時勢で普通書き言葉ものを書く時には、むしろ誤用である「全てのカッコイイ言い方」の方に耳馴染みが出来てしまっているということじゃないかとも思えるのよね。

2021-06-06

旅行記

数ヶ月アジアを旅したことがあり、旅の前後に何冊も読んだ。その中から

深夜特急/沢木耕太郎ベタだがそれでも外せない。文庫でいうと3巻くらいまでが面白い

漂蕩の自由/檀一雄:たしか上記の本経由で知った。この人、どうやら人格はかなりアレ。しかし話は味わい深い。メシの描写も良い。

チベット旅行記/河口慧海読みかけ。坊さん大冒険RPGかと思うレベル体験連続

いつも旅のなか/角田光代:色んな国での話を少しずつ。次は何が出てくるのかな?とサクマ式ドロップスでも舐めるように気軽に読める。

行かずに死ねるか!/石田ゆうすけチャリで何年もかけて世界一周した人の。段々たくましくなっていく。

人生の100のリスト/ロバート・ハリス好き嫌いが分かれそう。ヒッピー?旅とドラッグセックス本が好きオッサン旅行記というか半生記というか。

自己啓発/似非科学/特定政党の考えを強く押したもの、これら以外】

新書のくくり無し。ここ数年で読んだ比較的カッチリした本の中からおすすめの著者を挙げる。

歴史宮崎市定、井波律子高島俊男川北

国際政治高坂正堯

仏教:魚川祐司

投資ウィリアムオニールマーク・ミネルヴィニ、ジムロジャーズ

エッセイ

まり読まないのでパス徒然草とか好きだが、鎌倉時代だし。

anond:20210605222034

2020-08-04

anond:20200803185603

山口瞳エッセイが出典ではね。新渡戸稲造は『武士道』でこう書いている。

I have noticed a rather superficial notion prevailing among half-informed foreigners, that because the common Japanese expression for one's wife is "my rustic wife" and the like, she is despised and held in little esteem. When it is told that such phrases as "my foolish father," "my swinish son," "my awkward self," etc., are in current use, is not the answer clear enough?

To me it seems that our idea of marital union goes in some ways further than the so-called Christian. "Man and woman shall be one flesh." The individualism of the Anglo-Saxon cannot let go of the idea that husband and wife are two persons;—hence when they disagree, their separate rights are recognized, and when they agree, they exhaust their vocabulary in all sorts of silly pet-names and—nonsensical blandishments. It sounds highly irrational to our ears, when a husband or wife speaks to a third party of his other half—better or worse—as being lovely, bright, kind, and what not. Is it good taste to speak of one's self as "my bright self," "my lovely disposition," and so forth? We think praising one's own wife or one's own husband is praising a part of one's own self, and self-praise is regarded, to say the least, as bad taste among us,—and I hope, among Christian nations too! I have diverged at some length because the polite debasement of one's consort was a usage most in vogue among the samurai.

http://www.gutenberg.org/files/12096/12096-h/12096-h.htm

これは有名な一節である。「武士や多くの日本人は、自慢や傲慢を嫌い忠義信条したことに触れ、家族や身内のことでさえも愚妻や愚弟と呼ぶが、これらは自分自身と同一の存在として相手に対する謙譲の心の現れであって、この機微外国人には理解できないものであろう」といった意味

なお『武士道』の初版1899年。「戦後あたりから間違った意味で使われるようになった」というおまえの説と矛盾する。新渡戸稲造によるとWe think praising one's own wife or one's own husband is praising a part of one's own self(おのれの妻や夫を褒めるのはおのれ自身の一部を褒めることだと、我々は考える)というのだ。だからmy rustic wife(愚妻)のような表現を使うのだ、と新渡戸は言っている。したがって─

高島俊男さんの「お言葉ですが…2」では、「愚」はわたし意味だと説明した上で、実はこのような一人称二人称という発想は西洋人の発想だとことわり、日本人の発想は、「こちら側」と「あちら側」に分けるのだという。

http://takusen2.seesaa.net/category/1656458-1.html

これも「こちら側」にいる私と妻をまとめて「愚」と呼んでいる、と読むのが正確だろう。

もっとも、高島説でも新渡戸説でも「どうして自分師匠を『愚師』とは呼ばないのか」という問題説明がつかない。門弟から見れば師匠は「こちら側」だ。

2008-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20081102032342

いくらなんでも「とる」の意味が一つ、ってのは違うんじゃない?

取る撮る採る録る執る捕る盗る…

増田だが、それ、わかってない。

日本語の「とる」の意味はそれら全部あわせてたったひとつ。

ただ、それらに「中国語の対応する複数の意味」をあてて、「便宜的に」区別してるだけ。

この辺のことは、高島俊男が『日本人漢字』に書いてる。

この「とる」のときにはこの漢字を使わなければならないというのは愚の骨頂の漢字崇拝主義者

日本語の「とる」の意味はひとつなのであって、それに漢字(言うまでもないが中国語)をあてて

ことさらに区別する必要はないのだと。

2008-06-14

漢字日本人

漢字に興味があったので文春新書の「漢字日本人」(高島俊男)を読んだけど、これが酷い駄本だった。

呉音と唐音の違いを説明するのに、英語のcupに日本では「コップ」と「カップ」の2つの読み方があるようなものと説明したり(コップはオランダ語)、語順が漢語や英語に似てないから日本語世界でもまれに見る孤立語と説明があったり(朝鮮語満州語、モンゴル語は無視)と素人の自分でもわかるような基本的な事実誤認が多すぎる。たぶん専門の人は読んでられないだろう。

さらに行間から滲み出る著者の態度の悪さが不快渡部昇一のような文春・保守系の臭みがある。

しかし、amazonレビューを見るとこの本はそこそこ売れたらしい・・・

 
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