はてなキーワード: スイマーとは
私もその友達も高齢独身女だった。ふたりともひどいオタクで同人活動を中心に人生がまわっていて、これは現在進行形である。
20代のころはそれを周囲に隠して、クリスマスごとに彼氏と別れる(〆切前だからね)みたいなことを繰り返していた。
自分で言うのもなんだけど、ふたりともオタク仲間からは「美人」と言われるが、職場などでは「普通」扱いされるぐらいの容姿だったので、彼氏はわりとすぐに出来たんですね。
けれど30を越えるとそれもなくなり、ここ数年、好きな人は高校生スイマーか高校生バスケ選手か、という有り様で、私もその友達も「ババアになったらオタク老人ホームを作って共同生活しよう」と言い合っていた。
春コミスパコミ夏コミスパーク冬コミオンリーと、毎年同じ波を乗り越えていくうちに30を越えてだいぶたった。まったく同じような作品にはまって、まったく同じような行動パターン。同人仲間にも読者さんにもコンビだと認識されていて、サークルは違ったけど人生の相方と言っても差し支えないとまで思っていた彼女。そんな友達が久しぶりに現実で恋に落ちた。
お相手の人は私たち以上のオタク高齢独身男性同人作家でおせじにもイケメンとはいいがたかったが、友達は彼の出す同人誌のファンで、直接知り合いでもないうちから「この本描いてる人私と同じにおいがする」と言っていた。知人の紹介で飲み会に同席してからはその思いを確信に変えたらしく、友達は彼に猛烈なアタックを始めた。アニメ映画、アニソンライブ、聖地巡礼、ありとあらゆる現場に誘い、ふたりきりで食事をし、「わたし○○さんだいすきなんですよねえ」みたいなことを言いまくったという。
しかし不幸なことに彼は人気の同人作家だったのだ。そんなことは言われ慣れていたのである。友達は「あれだけ押してるのに何の反応も返ってこない…芽がないってことかな」とあきらめ気味で、さっさと早く告白すればよかったのだが、私たちは経験則として、どちらかが何となく好きだよ~みたいな雰囲気をだしたら、こっちもOKだよ~みたいな雰囲気を出し返して、あ、これはいけるな、と確信してから告白するものされるものと思い込んでいたので、反応がない状態では告白しあぐねていたのである。もちろん春コミスパコミ夏コミスパーク冬コミオンリーが忙しかったというのもある。
恐ろしいことにそのまま2年がたった。結局、彼女の奮闘に気付いていた彼の同人仲間が業を煮やし「ふるなら早くふれ、かわいそうだろ」と彼に助言したところ、「えっ!そうなん!!!???」「僕も彼女のこと好きなんだけど!!!!!!」ということが発覚して、トントン拍子にお付き合いに発展し、めでたく半年で結婚に至るのである。
この2年半、もっと言えば「同じにおいがする」と言い出してから3年、おそらく最も近いところで彼女のがんばりを見てきた。恋をしても1度も新刊を落とすことなく、めげることなくがんばりぬいた彼女を誇りに思う。本当に嬉しい。
しかしふと己を振り返ると、人の恋愛と架空の男同士の恋愛をただ眺めているだけで3年たったのだ。もうアラサーでもない。私に何が残っているだろうか。同人活動ではそこそこの人気を得た。けれど同人の世界はすでにひとまわり年下の子たちが主戦場で、作風がBBAくさいと言われるのも時間の問題だ(もう言われてそうだ)。職場ではそこそこ出世したけど、部下を叱責するたびに線を引かれていくのを感じる。そして人生の相方はもう一人の相方を見つけてしまい、友情は変わらないつもりではあるが、やはり彼が優先になるのだろう。
寂しい。なにより寂しいのは、この話を他の友人知人にすると「僻むなよ」と言われることだ。僻んでなどいない、彼女はすごくがんばってたんだから。そうではなく、私には、ただただ寂しいんだということを分かってくれる友達が彼女以外にはいないのだ。若いころ、クリスマスごとに彼氏と分かれていたつけを、己の趣味を最優先して人をないがしろにしていたつけを、私はいま支払っている。
eakum
【こども】ロリコンさんいらっしゃい40【大好き】
http://2ch.hork.info/res/kilauea.bbspink.com/hneta/1308177583
235 :えっちな18禁さん:2011/06/24(金) 19:28:54.16 ID:+ZRFY+kx0
少なくとも都内では、レギュラーで通ってる水泳経験ありで競泳水着がガチ似合う
引き締まったお尻長い手足のコとか必ずいてロリータ美の極地が合法的に味わえるよ。
291 :235:2011/06/25(土) 18:38:59.25 ID:WK4P4rbj0
けっこうレスもらってたんだね
おれが言ってるのは水泳やってる人以外はロクにいない区民プールなんかで
水泳やってる男(趣味程度でいいんだよ?)がひとりマジメに泳いでれば、
これまたマジに泳ぎにきてる美しいスイマー体型のロリちゃんたちの
競泳水着姿の手足やお尻やぽっちやスジも並んで泳ぎながらなら当り前に水中でいくらでも
フツーに見れる、ってことなんだ。
泳ぎもしない単独行の男がじろじろ見てたらそりゃあ怪しまれるだろう。
別に自分はテレビ番組のプロデューサーでもないけれど、ちょっと思いついたので書き記したいと思う。
何を研究分析するにしても、調査の仕方、分析の仕方というものがある。物ごとを多角的に見る、もしくは俯瞰して見るという事だ。
山に登って高い位置から景色を見て、登る辛さを家に帰ってきてから思いだしてもまったく思い出にが“つらさ”の再現性が無い事に気が付き、そこからの着想である。
では
「特異稀な経験談の集め方!」
下記A~Hの命題に「Y・そう思う」「N・そう思わない」で解答せよ。
C関連しうる現状が今良いと良い思い出になりやすく
D関連しうる現状が今悪いと悪い思いでになりやすい
F関連しうる現状が今良いと良い思い出になり
G関連しうる現状が今悪いと悪い思い出になる
H思い出となってから記憶を思いだしただけではつらくはならない
※全ての「なる」「ならない」「なりやすい」「なりにくい」は
“その時と同じ様に”という意味で
※更にここから、肉体的には辛かったけど精神的には快楽だった等の複合命題へと進めるべきなんだけど、めんどくさくなりました。
これらの命題に対して例えば100以上の解答サンプル集めて統計し、少数派の解答に絞った上で具体的経験談を著述してもらう
金がないとできないが、極めて効率的な特異稀な経験談を集める方法が確定しました。
最初から稀な経験は?と聞いても出てはこないような特異稀な経験が世の中にはまだまだまだまだ眠っているのではないでしょうか???
特に上記各命題について「N・そう思わない」と解答した部分についてメールでもレスでも良いので教えてくれると、お互いに面白く楽しい時間を過ごせると思います。
宜しくお願い致します。
@awaikumo ←連絡先はここから探してね
わかった。
100m走にたとえるからよくないんだ。
プログラムの能力は50mを泳ぐ能力と似ている。
・訓練をつめば「だれでも」50m程度遊泳することはできる。
・身体、恐怖心などの環境問題から訓練をつむことができない人は存在する。
・訓練をつむにはプールなどの設備が必要である。
・いかに身体能力が優れていてもそれだけで泳ぐことはできない。
・50mを泳ぐ方法はいくつかある。
・同じ50mでも泳ぐための訓練と早く泳ぐための訓練は根本的に違う。
・早く泳ぐための訓練を一定以上こなした後は泳力の差は小学生からオリンピック選手まで比較しても10数秒以内に収まる。
・熟練したスイマーはベストタイムのコンマ数秒以内を再現できる。
・人類の記録を打ち破る人が一度出ると後世の人はそれに比較的容易に続く。
・体調が悪いときに泳ぐと生命に関り、他人にも迷惑をかける。
例外:
・泳げなくても水着を着ているだけで崇められる人がいる。
西斜目南型駅を降り立つとそこは交差点。
地上どころか気がつくと高架になっていたため、地下鉄を降りるとそのまま階段を下り、出口へ。高架下の道路も上の道路も車が縦横無尽に走り回っている。
昔はこんなちょっとした矛盾がおもしろく、色々な矛盾を探し回ったものだった。いまとなっては、ただ単に揚げ足取りになりかねない行為だ。あるいは、大人の事情とやらの意味不明な事情でこういう理由だからこうなのだと自分を言い聞かせてそのような矛盾に無理矢理理由を与えている。
そこから道路を渡り、案の定同じところを一周するという典型的な迷子の状態で目的地へたどり着いた。
電子音が響き渡る。どうやら自己主張の強い機械らしい。コンセントという便利な端子から無尽蔵に電気を使いまくるその機械は鳴りやむ様子もなくまるでだだをこねる赤ん坊のように鳴り叫ぶ。
そういえば、子供の泣き声ほど不快なものはない。電車内において携帯電話の話し声やヘッドホンステレオの音漏れに匹敵するほどの不快指数である。
これらに共通することは、発生源はほとんど罪悪感のかけらも見せないことだ。小声で申し訳なさそうに話している人も結局は同じ部類である。
電車内では一車両まるごと同じ企業、同じ商品の広告が張り巡らされている場合がある。都会では、電車内にとどまらず電車の塗装に細工をして広告だらけにしている車両も走っているようだ。
電子音の話に戻すと、こうしている間にもいまだに鳴り叫んでいる状態だ。よく考えてみると、電子音を鳴らしている原因はその機械を扱っている人物が存在していることである。その人物が機械の育児を放棄している状態と考えると分かりやすい。
世界の人々は全員初心者であり、小さな頃から見たこともない聞いたこともない物体に遭遇してきた。大きくなってからも無意識に未知の物体と遭遇している初心者としての自分はいつの間にかなりを潜め、今までの臭いものには蓋をする習慣とコレまでの経験と照らし合わせて、無理矢理同一視して物事を捉えることになりすぎたのだ。
華麗なる睡魔とカレーになる黄砂との戦いは未だ続いている。むしろ、始まったばかりである。黄砂は花粉に比べて人体に与える影響は少ないのであろうか。そのうち地球は温暖化を通り越して、バンバン化に向かっていくと推測される。
ファイルの修正が進められている。原因は何とか究明されたらしいが、それを修正し、文書化する行為は本質から離れた作業となる可能性が高い。しかしながら、人間はそういった本質から離れたがる習性を備え持っているため、本質から離れた作業に注力してしまい後で焦りを感じてしまうのは特に現代に始まったことではない。
あれもこれも偽物だらけの世の中になってしまった。ただし、よく似たものの中から一つだけ本物を見つけようとするとお天道様の力を借りても延べ2日かかかるだろうという認識だ。
世界水泳大会のスイマーは睡魔に襲われたときの対処方法を持っているらしい。
この先、何が起こるか分からない時代だし、今までも数年前からは考えられなかったことがたくさん起きている。地球ではあちらこちらのプレートにストレスがたまっている。ストレスは何かしらの形で発散させられてしまう。
人当たりの良さと食あたりによる食中毒を目の当たりにすることで、人類はそのような不測の事態に備えて体内に抗菌物質を蓄える。ピロリ菌はこのことについてどのような感想を抱いているのか是非インタビューをしてもらいたい。
貶めてしまうことは果たして善意なのだろうか。漢字を眺めると貝が欠乏していることが見て取れる。従って、ニワトリの飼育に用いられる牡蠣の殻を毎日欠かさず適切な量を摂取し続けることによって貶めが改善され、ヘッドフォンステレオからの音漏れも無くなっていくと容易に想定される。
偽物になってしまうと、欲が出て本物になろうとする。そのような場合には、本物に本物であるという証明を与えてやるとよい。そうすることにより本物が証明という名の呪縛に縛られてしまう。照明は明るく照らされているけれども、全てを照らすには暗すぎる。そこで偽物が輝いてくるのだ。
全てはそこから始まっているというわけではない。枝分かれという表現はあるが枝すぼみという表現はない。尻すぼみになりがちな忍耐力は枝分かれした筋肉細胞によって強化されいずれは鈍感力へと昇華していく。ヨウ素のように昇華すると事後処理に200万ほどの手間がかかることからもうかがえる。
咀嚼能力の単位について世界的な咀嚼学会が行われている地方での議論が活発化している。ただし、咀嚼物としては電圧が一定以上の基準を超えていないと認められないため、学会では単位策定の前に統一された電圧の発生方法をいかに効率的に行えるかの議論が行われている状態である。
愛想の良さということについては議論の余地がありそうもない。全ては愛想が良い機械に支配され、他の分野への応用が利かない状態へと膠着してしまっていることが大きな原因である。しかし、物騒については良さと悪さについての考察が始まったばかりのため、現在のところ主導権を握ることが出来る状態にある。