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はてなキーワード: 大阪商人とは

2021-04-15

最近YouTube米国中国の軍需企業とか軍需産業動画を観ることが増えた

台湾有事で米中戦が近いかもなあと思って観始めたのだが、不謹慎ながら面白いなあ

お金とか技術の話は民間とも変わらないわけで、軍オタ普段から親しんでいるのだろうけど、

これはこういう理由コストが高すぎて量産できなかった、これはこうやってコストを下げて量産した、

試作は完成したが量産のための技術が足りず量産が困難だったが10年以上の歳月をかけて量産を実現した、

当たり前だが民間製品開発とこういうところは変わらない

から思うのだが、どこか深夜通販番組っぽい軍需企業動画があったりするのも面白い

ロード・オブ・ウォーヨルムンガンドのようなフィクションでは武器商人はどこかコミカルにも描かれているが、

意外と普通大阪商人江戸商人みたいなものなのかもしれないと思えてくる

しかし、YouTube兵器動画最適化されるのが困る

流石にずっと観ていると飽きる

2020-10-03

2人の祖母

私には2人の祖母がいる。父方の祖母と母方の祖母だ。

母方の祖母典型的な「戦前まれの女」で、家事万能で夫を支える女性だった。

祖父自営業者だったので町の人との打ち合わせには祖母が出ていく場面も多く、勤め人の家の主婦ほどに家にこもってばかりの人ではなかったが、

たとえば私(男)が母方の祖父母の家に行くと祖母ご飯をよそうとき祖母は必ず祖父→私→祖母の順にご飯をよそう、そういう人だった。

一方の父方の祖母はあまりそのような『夫を立て、息子を立てる』女性ではなかった。

もっとも、大阪商人の家に生まれ、父方の祖父の方が婿養子に入って曽祖父事業をついだという人だから立場がそうさせたのだろう。

2019-01-12

寿司丸かぶり恵方巻き)はつくられたもの

山路という海苔屋のおっさんの仕掛けらしい。詳しくはここにある。

https://core.ac.uk/download/pdf/56643945.pdf

ちょっと引用すると、

それでは実際の資料からはどうか。恵方巻は、その由来を鋭明するチラシや新聞記事では「江戸時代の末期から明治にかけて」の時期に誕生したと記述される場合が多い。これは、岩崎がまとめた由来からも分かるが、実際のところ、江戸明治期にこの行事存在したとする資料は今のところ見つかっていない。

これらの事実から推論を試みるならば、少なくとも大正期、戦前にはすでに存在し、大阪のごく限られた地域で行われていた風習であること、寿司屋がそれを利用して、古くから伝統であるという触れ込みで販売促進活動を当時から行っていた、ということはいえるだろう。

その後、太平洋戦争の激化に伴い行われなくなったこ行事は、1949年大阪府鮨商協同組合によって、「土用丑の日のウナギかば焼」に対抗する販売促進手段として復活している。そして、戦後復興が進む1950年代に入ると、戦中の配給統制によって解散余儀なくされていた海苔問屋組合が統制の解除をもって再結成され、その販売促進の手段として、節分巻きずし行事宣伝に参加するようになる。宮下牽の『海苔歴史』には、大阪海苔問屋協同組合1951年の結成と同時に「巻きずし丸かぶり」の宣伝を行い、大きな成果をおさめたという記述がある。この「大きな成果」がどれほどのものだったのかは分からないが、海苔業界復興の旗印として、巻きずし喧伝されていたようだ。

その後海苔問屋協同親告は、すし組合とも連携してこの行事の普及に努める。昭和40年代前半には、協同飛行機チャーターしてビラを撒いたりもしたようだ。しかし、この試みは経費がかかりすぎたために1度で終わっている。

海苔組合の取り組みがより積極的になるのは、岩崎聞き書きによれば1977年昭和52)になってからだという。そもそも1974年頃までは海苔国内生産需要に追いついておらず、韓国産で不足分を補う状況だった。それが、国内生産が増大によって韓国産への依存が減り、1977年にはついに国内産で需要が賄えるようになったのである。これから先、さら生産が増加すれば今度は余剰分が発生する。そこで、これ以降海苔組合は毎年大量のビラを印刷して各地に配布し、さらなる普及へと乗り出すようになった。

そしてこの海苔組合の動きと前後して1976年昭和51)に、「節分チャリティーセール」なるイベントが開始されている。このイベントのメインは、大阪ミナミ道頓堀巻きずし早食いを競うという「巻きずし丸かぶり早食い競争」。一見馬鹿らしいこの競争が、この行事関西における節分定番行事へと押し上げるきっかけとなった。

仕掛けたのは「昭和会」という、大阪商売をしている昭和生まれの海苔販売業者たちで組織された団体だ。その中心人物の一人であった宝海苔本社大阪市中央区)創業者の三男、山路昌彦氏によれば、海苔がたくさん取れるようになって何とか消費を増やそうと思って考え付いたアイデアなのだと言う。「食いだおれの街で早食い競争なんて、いかにも大阪らしくて絵になるし、黙々と巻きずしかぶりつく姿がオモロイやんか」という彼らの発想は見事に当たり、マスコミを引き込んでの一大イベントヘと成長する。海苔組合によるビラでの周知と、マスコミに取り上げられた早食い競争。この相乗効果により、節分巻きずし関西伝統文化として認知されるに到ったのである

また、山路氏は取材に釆たマスコミ丸かぶりの由来をたずねられると、「ずっと昔からやっていたものだ」と答え続けたのだという。「それこそ風習なんてこうやってできていくもんやないの」と語る彼の見解からは、大阪商人が持ち得た巧みな伝統利用の視点を伺うことが出来る。


ということで、商売人の「オモロイやんか」が伝統ということではたしか大阪伝統なのだけれど、そこまで古風なものかというとそうでもなさそうだ。花街に由来することとかその後の伝統としての受け入れられ方とか、原論文はかなり面白いので、増田ブクマカ諸氏にはぜひ読んでほしいと思う。

anond:20190111181738

2018-10-29

anond:20181029142535

さりげなーくターゲティングしてくるんならまだ見てやろうかという気にもなるが、

あのなんつーか大阪商人も裸足で逃げ出すようなえげつなくひつこい広告見せられたら見る気が失せるどころかもうお前ンとこでは絶対買わないからいい加減黙ってろって感じになっちゃうわ

 
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