はてなキーワード: ロッジとは
はじめて抜いたAVが洋物無修正で、金髪の白人女性が背面騎乗でハメてるシーンだったんだけども、そりゃもうはじめてみた無修正だし、洋物だし、ションベン漏れそうで漏れそうでたまらないんだけど我慢して無我夢中でちんちんこすってたらしてたらザーメンが大量に出てきて、でも手が届く範囲にティッシュがなくてめっちゃ焦って、それでもはじめての射精に達成感を覚えた、とても強烈な体験だった。当時小4。もう20年も前のことだが自分の中のエロい出来事の中でも圧倒的にインパクトがでかいシーンだ。
AVは親父のだったんだけど、リビングにあったあまり使われてない棚にしまってたら棚自体が処分されるアクシデントが起きて、そのAVとはそれっきりだ。
そのAVはオムニバス形式で白人以外も出てたと思う。VHSで当然画質はひどかったものの、それがまた裏モノ感があってよかった。未だに低画質だとグッとくる。問題のシーンだが、女性は金髪ロングでスレンダーな美人だったと思う。アヴリル・ラヴィーンを薄めにした感じか?正直ぼんやりしてるが、抜群に好みの顔だった。喘ぎ声もソフトでよかったと思う。確か(プレイ中がどうだったか正確には覚えていないが)ジーンズを履いていて、ジーンズ脱がしかけでハメてるAVに出会えるとやはり気持ちが高ぶる。レンガ造りのロッジの中で、ウッドチェアに座った男の膝に乗っての背面騎乗位だ。これがセックスだと言わんばかりだ。これもやはりその後の性癖に多大な影響を及ぼしていることは言わずもがなだ。
だがしかし、それ以来洋物が好きなったかというと特別そんなことはなかった。観ることは観るが、特に響くようなものには出会えていない。無修正なんていくらでも手に入っちゃう世の中で振り返ると、なんというか「裏モノ」という特別感に引かれてたのであって、基本的に嗜好が白人女性には向いていない感覚なのだ。そこは指摘の通りなのかと思う。
ただ、そのAVに出てきた女性については、はっきりいってその人物に惹かれていると思う。今でも好きだし憧れを抱いている。なんていうか、日本人が好きな女性像に近かったのかなって漠然と思う。単に俺のタイプだったのかもしれないけどな。
つまり何が言いたいかというと、日本人男性と白人女性間の交流ハードルが高いのは理解しつつ、とはいえ主語の大きい話ばっかしてないで、「個」としてどうかって視点でもっと考えてみてもいいんじゃないのかってことと、結論を差別にいきなりくっつけるんじゃなくて文化的な嗜好とかにもっと目を向けないと解決しなくねって思うわけよ。
気持ちが悪いと思われるであろうことを承知なのですが、私はよく自分と恋仲となる想像をします。
別にナルシストであるというわけではなく、どちらかといえば自分のことは大嫌いで
どうして自分は自分以外の人間になれないのだろうとよく考えたものでした。
しかし、私は私と一緒になりたいと思うのです。
自分を見た時、自分としてあるなら、この自分でいたくないと望むのですが、他人として自分を見た時、とても良い相手であるように思えます。
変わりたいと願う自分がいる一方で、そのままで居てほしいと願う自分もいて、わけがわかりません。
もしかすると、自分のことを外に出さないように隠しながら生きてきた結果
他人が自分を理解してくれるという想像ができなくなってしまっているからかもしれないし
単に、なんだかんだいってナルシストであるというだけかもしれません。
同じ人間が2人いると生活の上で困るので、かわりばんこで夫婦を入れ替わって男女の営みをできたら……
(別に男男でもよいし、女女でもよい。切り替えられたらそれを越す愉しみはないように思えます)
今の世の中、結婚を望みつつも出会いを待つ間にその期を逃したという方の話をよく耳にします。
そんなご時世に、こういったファンタジーな望みで他人との恋仲を面倒臭がっていて、大丈夫なのだろうか?
いやきっと大丈夫ではなく、ただ大丈夫じゃないまま、歳を取っていくのではないでしょうか。
……深い山の奥、手作りのロッジに住み、裏手で薪を用意する私と、そこに労いの言葉とともに、冷えた水を持ってきてくれるもう一人の私。
ネットで調べると謎すぎて怖い。
誓いとか掟とか約束とか異常に多いし、儀式的でなにやら怪しい組織、宗教のような特徴がある。
wikipediaなどを読むとフリーメイソンと何らかの関係があるのは明らか。
ボーイスカウトの創設者ロバート・ベーデン=パウエルの弟デビッドはフリーメイソンであった。
ロバートの孫マイケルもフリーメイソンであり、マイケルはオーストラリアのロッジ「ベーデン=パウエル・ロッジNo.488」の元・マスター(Past Master)である。
しかも、日本ボーイスカウト連盟の「ちかいとおきて」はフリーメイソンの基本理念にかなり似ている。
優れた人格形成、国際友愛精神の増進、青少年の健全育成を目的とするとか、こんな曖昧な目的で国際的な巨大組織を作る必要あるのか?
この増田の大学時代の知り合いだと思う。巧妙に大学名とか年齢とかフェイクを入れているけど。
増田さんへ
実際に、少人数のゼミに入ったとき、派手な子が多いので、失敗したなって思たんだ。
うまくやっていけるか心配だったんだ。
はじめは自分にとって、最初増田さんはいい迷惑だった。むしろ嫌いだった。
自分のバイトも有ったから、皆で飲み会とか真っ平ごめんだった。
皆でいるよりは自分の家にいたほうがよかった。
でも、増田さんはゼミの地味な人達も、派手な人達も、皆で一緒に楽しく遊ぼうって言ってたよね。
仕方ないから、付き合いで一回顔を出したのを覚えてる。
確か、都内の山に行く、みたいな企画でさ、
意外と面白かった。
「一緒にしよう!」の声が、嬉しかった。
夏は海に、川に、花火に行って、冬はロッジ、クリスマスパーティー。
今までそんなことしたことなくて、全部新鮮で。
高校時代、誕生日もスルーだった私が、皆に祝ってもらった時は、ちょっと泣いちゃった。
「もっと自分でなんとかしようよ!」って言ってきたよね。
それがすっごく嫌いだった。でも、増田さんを嫌いになれなかった。
増田さんの弱さを知ったのは、増田さんが冬に、サークル棟の前で、うずくまってしゃがんでいた時だった。
部室の鍵が開かなくって、入れないだけの事なのに、うずくまってワンワン泣き出して。
彼氏が増田さんの肩を抱いてあげながら、こっちを向いて「こいつ、弱いところあるから」
って言ったのが忘れられない。
増田さんが何と戦っていたのかは知らないけど、増田さんはとっても弱い人だったんだね。
傲慢で、でも、いつも楽しそうで。
本当は弱くて、ネガティブで、駄目なところもいっぱいあるのにみんなに隠して、みんなに愛されて。
でも、増田さん、嫌いになれなかったよ。
これってもしかして新しいビジネスチャンス?
http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090813/1250152130
私が学生の頃は、
みんなでお金出してホテルのスイートや(キッチンの付いた)大き目の部屋を借りるとかがあった。
ちょっと遠出なら、
カラオケとかが一般的でなかった遠い昔だけど。
今でも、パーティー会場屋とかあるんじゃないの?
あるいは、持ち込み自由のカラオケとかでも。
あとねー、
場所だけ提供しても、
調理したものが欲しくなると思いますよ。
そうすると、
調理の手間をどうしようか。
設備も、貸すスペース毎にキッチンが欲しくなるかも。
そのあとかたづけ清掃。
余ったら捨てるか持ってかえる、
足りなければ買いに走る。
場所だけ借りてそれ以外を自分たちでまかなうのって、
ちょっと遠出したときはとても楽しいんだけど、
普段の自分の生活圏の中でやると、
ちょっとわびしい(ビンボーくさい)感じになるかもしんない。
その感じをどうやって押さえ込むか。
面白いかもしんないけど、
私を含めて女が3人、男も3人。全員が20代後半、独身で、
それゆえ、皆それなりに胸ときめくようなできごとを期待していたと思う
(まあ、少なくとも私はそうだった)。
昼間はぞんぶんに渓流遊びを楽しみ、その後、飯盒でカレーをつくり、
夜は焚き火を囲んでクエルボを飲みながら、ジャンガで盛りあがった。
10時頃にはもうみんなけっこう酔っぱらっていた。
前もって厚着はしていたのだけど、かなり冷えて、
レジャーシートの下から地面の冷たさがびしびし伝わってきた。
それで、同じシートの隣でひとり飲み続けているA君(男前。実質初対面)に、
ロッジに先に引き上げようと促そうと、
「ねー、さむいねー、さむいよー」といって、左腕に軽くよりそってやった。
するとA君は、焚き火に向けた顔を一瞬こちらに向けて、
「そっか?」というと、また黙ってグラスを傾けた。
美人でないとはいえ、女が「寒い」と訴えているのに、このつれない反応……
もしやこのバカは、自分を『スラムダンク』の流川君かなにかと勘違いしているのでは、と思った。
へえへえ、わかりましたよ、と心のなかで呟いた。
けど、そのいっぽうで私は、ちょっと真剣に悔しくて、実は、死ぬほどどきどきした。
揺れる炎に照らされる横顔が、やたらかっこよく見えたのだ。
結局、かなり遅くまで皆でだらだら飲み、どうでもいいことをあれこれ話し込んだ。
A君はたまに相槌を打つ程度で、ほとんど喋らなかった(何しに来たんだか)。
男女に分かれ、三角屋根のロッジに帰ったときにはもう、1時をまわっていた。
シャワーを浴び、髪を乾かしてから、寝袋にはいって眠ろうとすると、
A君のことが頭をよぎって、なかなか寝付けなかった。
ぶっきらぼうな態度を男前がすると、時によって相当な効果をもつことを
実体験として、はじめて知った。
女ってそそんなものなのかね……
キャンプから戻ってからは、
ベッドのなかでA君の横顔を思い返しては胸をしめつけられつつ、
ときおり片尻をあげて、屁をこいだりしています。
祖父は志願して海軍に居た人で、戦後は某紡績会社で働き、幾つもの特許をとったらしい。
紡績会社を退職してからは、祖母と一緒にロッジの管理人などをしながら働き続けたが、祖母が亡くなった後は庭いじりをしたり、図書館に通って軍関係の本や戦争被害の本を読み漁っていた。
そんな祖父が居なくなってから数年が経つ。居なくなってすぐに、乗っていた車は事故と思われる状態で見つかったけど、本人は見つかっていない。行方不明という処理になるらしい。きちんと葬ることが出来るまでにはまだ間がある。
そんな中、祖父からの手紙が出てきた。もらった時は読み流しただけだったけど、今読んでみると、それこそ遺言のように感じて身が引き締まった。おかしなところもそのままに転記してみる。
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故里は遠きにありて想うもの
交通の便が至極よくなった現代では通用しないのではと思いながらも書いてみた。増田其の後大変御無さた御免。元気で頑張っているものと想います。○○((増田の地元))と京都では寸時にして帰れる大変便利になったものだと感心させられるもの。増田君も就職以来早や一年過ぎたことになりますね。君の成長を誰よりも楽しみにしていたおばあちゃんも草葉の陰でさぞ喜んでいるものと推察しております。
日本の将来を背負って立つ若者である全力投球して下さい。お父さんも、お母さんも何時の間にか半世紀を生き抜いた人生の大ベテランになりました。したがってどの角度から見ても増田達の出番です。年間を通じて今が一番の好季節 日本一の観光都市の京都 シーズン中は大変な混雑でしょうね。さて増田君も社会人として二年生になりましたね。学校で又は職場での諸先輩から学んだことを頭におき力を精一杯に発揮してほしいものです。皆様の期待に背かぬよう一個の人間として身立をし志と品格を持って生きてほしい願うのみです。
言うまでもないことだが職に就くと言うことは単に給料を頂いて生活を立てるというだけではなく社会的な責任を担うことであります。自分に与えられた仕事は天職だと信じ誠実に果たし、その仕事を選んだ目的に一歩づつ近づいて下さい。そのためには常時想像力と創造力を磨いてほしいと思います。何事も常に疑問を抱き新しいやり方を試みる それによって自分も社会も進歩するのではないかと思います。
又常時相手の身になって考えるということです。人は自分だけでは生きていけないもの。家庭も職場も社会も助け合ってこそ成り立っていくというもの。相手の立場になればその人の痛みや見えないものが見えてくるもの。
増田君達の舞台は日本ではなく世界です。一にも二にも頑張って下さい。今も昔も通用する言葉に若い時の苦労は買ってでもせよとは良く言はれたもの。何だか説教じみた文面もあったようだが要は健康に留意して無理のない程度に頑張って下さることを願うのみ。無学な爺が書くこと 誤字脱字も多々あることと思うが そこは頭のよさで判読して下さい。今夜は何だか増田の事が頭に浮かんできたので一寸書いてみた。
増田君へ ○○の爺