はてなキーワード: じゃあ死ねよとは
ここ5年くらい私生活が原因でずっと鬱々した日々で
始めの頃はSNSにツライとか色々書いてたんだけど
代わりに仕事に打ち込んで忘れてたんだけど、最近少しだけ暇になった
そこでSNS久々に見てるんだけど、やっぱり未だに鬱だから、うっかり鬱いこと書きそうになる
でもぐっとこらえて、平気なようなことを書いたりする
周りからは「立ち直ったのかな」と思われてるだろうけど
一ミリも立ち直ってない
なんだろうなぁこれ
まあぼっちなのがいけないんだけど
友人作ろうとしても、鬱いせいで最悪に暗くていろいろ厳しいんだよね
死にたいとか平気で書けるし「自分語りうぜー」とか「じゃあ死ねよ」とか言われたほうが気楽
まあ、とりあえずまた5年くらい仕事に打ち込むか
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
まず大前提として、ほとんどの人間は赤の他人になんてあまり興味がない。
興味の度合いなんてものは不確かで個人差の大きいものだから、不特定多数に対して適用するのは難しいだろう。
仮に関心の度合いを数値化できるとする。
そして、とある人に対しての関心度が1として、その人が自殺宣言をしたとしよう。、
さて、関心度が1だったとき、あらゆる人間のとる対応は同じだろうか。
答えはNOだ。
興味がないからこそ「じゃあ死ねよ」と言うかもしれないし、「死ぬな」というかもしれない。
その日の献立を考えるのと同じくらい、或いはそれ以下のエネルギーで。
つまり、対応に個人差はあるけれど、それと興味の度合いとは必ずしも比例しないということさ。
でも中には、対応の度合いから、それを興味の度合いと結びつけて誤解する人もいるわけだ。
でも、自覚のあるなしに関わらず、そういうあってないような、か細い繋がりが必要なんだろうな。
他人に興味があっても、なくても対応するなんて、素晴らしいじゃないか。
そういうものが、多様な人間が一つの社会を形成し、共生できている理由だ。
まあ、その社会によって死ぬ人も出てくるのだろうけれど、他人にあまり興味がない前提は変わらないんだから、どうでもいいことだな。
さて、私はこの回答をどれくらいの関心度で、どれだけのエネルギーを割いて書いただろうか。
まわりが悲しむから→知らんがな
それでも俺は止める→言葉じゃ止められないがな
インドの子供の方がツラいぞ!→は?インドの子供が俺の人生おくってたら泣いて帰りたがるわ不幸は相対化できねぇぞハゲ
おっぱい揉ませてあげる→ただの肉に興味ねぇから肩揉んでやるよ
五万円あげる→マジかよやったぁ死ぬの止めるね
三ヶ月後
死にたい…
※1
かまってほしいんですよね?→かまってもらったらなんか解決すんの?しないだろそんな自明なことなのに他人に構ってって求めねーだろバーカバーカ
※2
「しにたくないから宇宙ハンターになる!」←社会的にしんでるだろ
※3
本当は死ぬ気がないメソッド→簡単に死ねるようにしてからに言ってくれあと俺以外の自殺志願者もやればいいんだろやればに追い込むからやめろ
※4
やってみればいい→電車に飛び込んでしねずに車いす生活やら首吊り不十分でベッドぐらしやらになったらおまえ養ってくれんの?
※5
体が本体だ→これ脳科学的にはあるらしいけど認めると犯罪者への罪どーすんのみたいな話にもなるからキワドい
※6
自殺企図を持つ人を説得すると留まるデータが→マジか初めて知ったわ、風潮的にはメンヘラには触るなが正解になりつつあるのにな、なお未遂者は何度も繰り返す模様
※7
死にたい奴は家を飛び出してでも死ぬ→昔やって失敗したんだなこれが
※8
やっぱ怖いんじゃーん→死ぬのが怖いんじゃなくて失敗した時のリスクが怖いだろ犯罪しない理由と一緒、死にたいときに死ねる身体じゃなくなるって怖い
そいつに頭が上がらなくなる。
仮に逆らったものなら、「あの時私のアドバイスがなかったらお前死んでたよ」なんて言われるはず。
確かに、人に頼りにされることは嬉しい事である。
しかしそれは、頼り頼られの関係、両者が同レベルと認めた関係において当てはまる。
下のレベルの奴にアドバイスを求められるのならまだしも、下の奴がアドバイスする側になったものなら
「俺様にアドバイスとはいい度胸してんじゃねえか、ぶっ殺すぞ!」となるはずである。
確かに、私が主従関係を打ち砕く「力」を持つ努力もしてこなかった。
言い訳するなら、私はそれに「価値」があるとは思ってなかったのだ。
もう遅いのかもしれない。
「じゃあ死ねよ」って言われても仕方ない。
でも、奴隷になるのが嫌なんだ。
なので、死ぬのも嫌だ。
彼はまだ、20代半ばだったと思います。
彼の心が少々不安定であることは、以前から聞いていました。
彼の死を聞いた時、最初に思ったことは「信じられない」でした。
しかしそれは嘘ではありませんでした。
嘘ではないと分かった時、心に浮かんだことは「うらやましい」でした。
死にたいと思っても自殺さえ満足にできない意気地なしの私には、
最後の一線を越えられる彼の勇気が「うらやましい」と思ったのです。
彼は自殺する前の最後の日記を「しっぱいさんどめ」と書き、そこで
「こわいよ」
と何度も繰り返していました。
思えばあれが最後の言葉だったのかも知れません。
彼が死んだと本当に理解した時、
「私も一緒に連れて行ってくれ」
そう思いました。
自殺してはいけない、自ら死を選んではいけないという言葉を良く聞きます。
私の父母は良く言います。
「その体は両親が与えたのだから勝手に傷つけてはいけない」と。
本当にそうでしょうか。
彼らが子供をほしがったから、私はこの世に生み出されました。
少なくとも生まれてきたことは自分の意志ではありません。
私は時々思うのです。
「何故この世に生まれてこなければならなかったのか」と。
生まれてきた意味を探すことが人生の意義だとも聞かされていますが、生まれて来たくなかったと思う自我を持つ者にとって、生きることは苦痛でしかないのです。
じゃあ死ねよと。さっさと死んでしまえと。
自分でもそう思います。
でも怖くてできないんです。
けれど「怖い」って思うことが「生きたい」って思うこととイコールではないと思います。
今の自分は、生かされているのでしょう。
他人に生きる意義を預け、自分では何も考えない。
それが今の私です。
死を選び実行できた彼がとてもうらやましいです。
何かずれてるな
何で否定的な話になってるかって言うと
悩むのは問題無いし、助けを求めるのも問題無いがその際の台詞として「死にたい」なんて言葉を安易に選んだ事だろ
本当に自殺する奴は黙って死ぬ
死なれた経験があれば「死にたい」なんて口に出してる時点で甘えて構って欲しいだけじゃないかと思う事だってあるだろ
本当に悩んでる事があるなら「相談したい、助けてくれ」って言えば良いだけだ
それを「死にたい」なんて聞かされた人間が「どうした? 何かあった?」と
能動的に対応する事を強要するような台詞で済ませるその精神構造が問題だろう
それは、自分から相手に働きかける事を放棄して相手に責任を擦り付ける行為だと思わないか?
そういう所が「じゃあ死ねよ」と言わせるんだと思うぞ
「もう死にたい」なんて幾度となくどこかに書き込んだことがあるし、一人呟いた事もある
でも自分で分かってる
絶望状態に逃げ込んでるだけで
本当はちっとも本気なんかじゃないんだ僕は
死にたいって言ってるときは単に今の状態が辛いとか苦しいとかそういう意味なだけで
本当にじゃあ死ねよ今すぐって銃を渡されたって僕は引き金を引けやしない、確実に。震える手でこめかみに銃をあてる演技をして結局ガックリ肩を落とすんだ。本当は渡された瞬間から死ぬ気なんてないくせに見栄をはってそういう演技をすることすら安易に予想できる。
死にたいって言ってるけど本当は死にたくなんてない
死にたいっていうのは今この自分の現状を殺したいって事で
自分自身を殺したいわけじゃないんだ
本当は僕はいつだって、幸せになって生きたいと思ってる
死にたいといってるときは、イコール、幸せになりたいと言っているのとほとんど同義なんだ
でもそうじゃない現状が辛くて、それを認めたくなくて、拒否したくて、それで死にたいって言うだけなんだ
本当に今すぐ死ねるわけじゃない
だからこそ余計怖い
本当に死ねるわけじゃないから結局いつかはまた立ち向かわないといけない
本当の本当に死にたいと思えるようになりたいんだ
死にたい、別に、死んでもいい、と心の底から思えるようになりたいんだ
銃を渡されたら迷うことなく自分のこめかみにあてて引き金をひけるようになりたいんだ
そうすれば僕は自由になれる
死の恐怖から
そもそもこの辛さ苦しさは何かって
死が怖いからだよ。僕はまだ死にたくないから死よりも現世の辛さを選ばざるを得ないんだ
でもそれがあまりに辛いから僕はポーズだけでも死にたいなんていってるけれど
そもそも本当に死にたいなら辛さなんてないんだよ
そういう意味では「死にたい」。死ねるようになりたいという意味で。
今すぐ死んだっていいと言えるほどにはまだ未練も怖さもありすぎるし
かといって生きていくほどには現世に楽しみはない
死ねもできず生きることもできない
こんな人間きっと僕だけじゃないんだろう?
一体どうすればいいんだろうね、もうどっちでもいいよ、死でも、生きるでも、どっちでもいいから、その中間値はもうたくさんだ。ゾンビでいるのはもうたくさんだ。人間か、死体か、どちらでもこの際構わない、どちらかにしてくれよ、僕を
んー、ちょっと長くなるかもです。ごめんなさい。
自分の場合、鬱で「死にたい」「生きてる価値がない」「自殺のこと」を何度も考えることはあるのですが、食欲や睡眠については、一般的な鬱病の事例とちょっと違うみたいなんです。睡眠については、過眠といってもいいほどで、とりあえず0時から12時まで寝て、その上、やる気のない日は2時ごろに昼寝をして夜になっておきます。一日大体12~18時間ぐらい(大雑把ですみません)寝てます。食欲の方については、まったく問題なく、三食(とはいっても昼に起きるので二食しか食べませんが)しっかりと食べてます。お菓子を食べることだってあります。
えーと、つまり、はためから見ると、睡眠時間が異常に長い以外には普通の人に見えるわけですね。親に「死にたい」「生きてる価値がない……」とか言うことはありませんから。それで、自分の中でも「「死にたい」とか思ってるのはそれは本当は「今、何もしないことに対するいい訳」なんじゃないか」とかそういう思いがあって、自宅警備員で、アルバイトも勉強もしないで、将来のことを何も考えないで(自分は考えてると思ってるんだけど、親から見れば、一日中布団の中にいるか、ネットしてるかにしか見えない)、「鬱だ鬱だ」と鬱に逃げ込む自分は本当は鬱なんじゃなくて、怠け病なんじゃないかと思ったりします。
だけど「死にたい」思いってのは本当です。毎日「死にたい死にたい」って思ってます。「じゃあ死ねよ」って冗談交じりに言われることもあるんですけど、死ぬ根性はないんです。あはは。