はてなキーワード: じゃあ死ねよとは
毎日死にたいと思ってしまう。別に何か悩みがあるわけでもないし、むしろ今自分が置かれている環境はとても恵まれていると思う。家は割と裕福だし、恐らく友人にも恵まれている。でもこんなにも恵まれた環境にいるのに、価値のある活動をせずに毎日ただ生きているだけの自分なんていない方がよかった、生きていることが資源やお金の無駄だと思ってしまう。誰かに生きることを許してほしいけど、何もしていない自分が許されるわけないし。
こうやって死にたいと思っている間にも時間はどんどん過ぎていくから、この時間を使って価値のあることをする努力をしろよと思ってまた死にたくなる悪循環にはまっている。
読書が好きだったのに、作家さんは価値のあることをしているのに自分は・・・と思って最近は読めなくなってしまった。同じ理由で漫画も読めないし動画を見たりすることも苦痛。
まずは死にたい気持ちを消す事が優先だと思って調べてみても、世の中には自分よりもっと辛い環境に置かれている人がたくさんいるという事実が検索結果に溢れてきて、それ以上先に進むことができない。
今日もまた泣いていたら一日が終わるんだろうなあ。結局、私は甘えているだけの屑だ。
もしこれを読んでくださった方が一人でもいらっしゃったら、「じゃあ死ねよ」と思われると思います。全くその通りです。申し訳ありません。
次の文章を読み、後の問いに答えよ。
①魚を与えるより魚の釣り方を教えようとか、貰うより教わろうとか、そういう話がありますね。教わってできる人ならそれでいいんでしょうが、②教わる気が無いとか、教わっても実践しようがないとか、今すぐ魚を食べないと死ぬとか、世の中には、日本だけでも、そういう人が、少なくともあなたの想像している10万倍はいるんですよ。
「やれ」といわれましても、できないし、やりたくもないんですよ。まれに意を決してやりかけても、あまりのできなさに心身が③ヒヘイするんですよ。
「1回でできなくて当たり前、何回もやれ」といわれましても、ヒヘイからの回復に5年かかりましたし、再びヒヘイするのに1ヶ月もかかりませんでしたよ。これを既に何回も繰り返してるんですよ。
「あなたには向いてない」といわれましても、今更何をとしかいえませんよ。
「甘えてんじゃねーぞ」といわれましても、あなた身体障害者に同じこと言いますか?あ、言うの。④あしらわせてください。御加護のあらんことを。
ここで「じゃあ死ねよ」と言ってくる人は信用できます。「私にはどうすることもできないのでせめてお祈り申し上げます」も正直でいいですね。悪い気はしません。なのでさっき実践しました。
「○○に相談してみては?」といってくるあなた。あなたこそ私の敵です。そんなこというくらいならあなたが○○を私の目の前に寄越せばいいじゃないですか。もしくは私を洗脳でもして強制的に動かせばいいでしょう。なんで私に自発的にさせようとするんですか。私がそんなことできるわけないとわかっているでしょう?あなたは御自身が極悪非道のいじめっ子であることを強く御自覚なさるべきですよ。⑤私はあなたのオナペットじゃないんです。
他人事だと思って読んでいるでしょう。それとも⑥「自戒を込め」ていますか?いずれにせよ、私は今あなたについて話しています。
そう、あなたです。
問1. 傍線部①について、どのような主旨の話か簡潔に述べよ。
問2. 傍線部②で述べられている3つの比喩「教わる気が無い」「教わっても実践しようがない」「今すぐ魚を食べないと死ぬ」について、それぞれ具体例を複数示せ。
問3. 傍線部③について、「ヒヘイ」を漢字で記せ。
問4. 傍線部④において、「あしらう」はどのような意味で使われているか。簡潔に述べよ。
問5. 傍線部⑤について、「私」が「オナペット」という語を用いて訴える理由を200字以内で述べよ。
問6. 傍線部⑥について、カギ括弧が用いられている理由を簡潔に述べよ。
問7.「私」と「あなた」の立場を入れ替えて読み元の文と比較したのち、「私」の問題点について500字以内で論じよ。
問8. 作者が試験問題の形をとって書いた理由を、「作者の気持ち」という語を用いて150字以内で述べよ。
(配点非公表)
引用先の意見には強く共感するのだが、その結果として、生きる苦痛を感じる人間が「反出生主義」を主張する理由がイマイチ謎だ。
だって、「反出生主義」が実現したところで、出産する他人の自由が制限されるだけで、生きる苦痛を抱える本人は既に産まれているのだから、何の解決にもならないだろう。
たしかに私も、「反出生主義」は新たな不幸が産まれなくなるという点で思想的意義があるとは感じるけど、でも、自身の生きる苦痛の身体的重さに比べたら、そんなことマジでどうでも良くない?
私も生きる苦痛を抱える人間だが、他人及びその子供が出産により不幸になろうが幸福になろうが、自分の抱える苦痛に与える影響を考えたら、本当に心の底の底からどうでもいい。
むしろ、「反出生主義」が正しいと思っていながら、在るだろう自分の老後のために、他人は(なるべく社会的費用を伴わずに)どんどん子供を産むべきだとブコメさえする。
このような隠れ「反出生主義」者はブコメにも多いと思う。要するに、正しいと思う思想をそのまま声に出して頑張って主張する必要なんて無いと言いたいわけだ。
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だから私の場合は、今流行りの正しさ感じる「反出生主義」よりも「希望型安楽死」の方に関心を集め、速やかに法制化すべきだと主張する。
さっきも書いたが、「反出生主義」は本当に正しい思想だと思ってはいる。ただ、他人の不幸にはさらさら興味がない。それに対称性を考えれば、愚行権は認めておくべきとも思う。
それより何より、≪既に産まれてしまった自分には、「反出生主義」はあまりにも遅すぎる≫というその一点が、私にとって一番重要な事実であり、それゆえ「反出生主義」に何の価値も感じないわけだ。
だから、他人に対する自由の制限など経由せずに、自らの生きる苦痛を直接的に除去するしか方法が無いと思うので、本人の希望により苦痛無くそれを叶えることができる「希望型安楽死」を実現すべきだと主張する。
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そもそも、生きることに苦痛を感じるのは、処置無く死ぬことも苦痛だから葛藤が生じるためであって、その点で引用先のブコメにあった「じゃあ死ねよ」的な反論(?)は全くの的外れなのだが、
苦痛を無くす処置により死ぬハードルを下げてしまえば、生きることはもはや苦痛を伴う葛藤ではなくなる。そうすれば、産まれてしまったことも容易にキャンセルできるようになり、さほど重要な問題ではなくなる。
つまり、「反出生主義」の呪いは社会的黙殺ではなく、代替案(希望型安楽死)を提示することによって初めて無効化できると思うのだ。少なくとも、生きる苦痛を感じて「反出生主義」に期待する人々を取り崩すことはできる。
そういう点で、「反出生主義」に違和感を感じる人々は、それが正しいと思っていなくても対抗手段として「希望型安楽死」を主張すべきだろう。「希望型安楽死」は、出産する自由を守る。
よって、生きるのが苦痛な人々にも、社会の継続のために「反出生主義」を嫌う人々にも、「反出生主義」の代わりの「希望型安楽死」は、幅広く共通解になり得るだろう。
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ちなみに「希望型安楽死」だと、「反出生主義」者の、そもそも産まれたくないor産ませたくないという願望は叶わない。しかし、出生前に子供の出生への意思を確認できない以上は仕方ないことだし、
一番問題なのは、産まれる前に産まれたいと思った子供が、出生後にやっぱり産まれなければよかったと思った場合はどうするのだろう。出生後の世界も知らないのに、出生前の判断に何の意味があるのか。
だから、出産を否定するより、出生後の本人の判断で苦痛無くそれをキャンセルできる方が、そもそも産まれたくない人々に加え、出生後に生きる苦痛を感じる人々を含めて対応できるので合理的だろう。
そういう点でも、「反出生主義」は正しいと思うけれども、産まれてしまった後の人間のことを考えていないとも思う。だからこそ、産まれてしまって、生きる苦痛を感じている人々が「反出生主義」に期待する理由がますますわからなくなる。
それって、「反出生主義」は根本的に正しい、だからそれを主張しなくてはいけない、みたいな感情に捕らわれてるからなのかな。何かが本当に正しくても、自分の得になる別な代替案(希望型安楽死)を主張したっていいと思うんだが。
「安楽死支援制度」を立ち上げて、安楽死に向けた身辺整理の調整とかをサポート出来るようにしたりとかは出来ないの?
生活保護がもうすぐ切れそうな人や、就職支援で上手く言ってない人達にも需要はあると思う。
勝手に死なれてもいい迷惑だし、最後の尻拭いを手伝ってやることで国のお荷物を減らすってのは国策としてありじゃない?
本人も納得できると思う。
高齢者の介護問題や交通事故問題も、安楽死支援制度によってかなり改善できるはず。
「生きるためには危ないと分かっても車を運転する必要があるんです」→「じゃあ死ねよ(山岡士郎)」でスッキリ解決でしょ。
役所の仕事は一時的にちょ~~っと増えるだろうけど、そこはお荷物がなくなることで浮いてくる社会保障費を見越してちょっと予算つけてやって非正規雇えば解決っしょー。
万事丸く収まりすぎない?
https://www.huffingtonpost.jp/2019/02/07/antinatalist-sue-parents_a_23663582/
不合理にも思える理由で両親を訴えようとしているのは、ラファエル・サミュエルさん。サミュエルさんは反出生主義者で「苦しみや悲しみばかりの世の中に、子供を産むことは倫理的に間違っている」と信じているそうだ。
サミュエルさんがFacebookページに掲載した写真には「なぜ苦しまなければいけないのか」「やりたくないことを、なぜやらなければいけないのか」といった、生を受けたことへの不満や疑問が書かれている。
じゃあ死ねよって感じだが……
産んだ親を責めているサミュエルさんだが、意外にも親子仲は良いという。「両親は、私が自立的な考え方をとても誇りに思っている」とサミュエルさんはLatestlyに話す。
また、Facebookに母親の意見も載せている。それによると、サミュエルさんの両親はともに弁護士。「私たちが彼にどうやって同意を取ることができたのかについて、ラファエルが論理的な説明ができたならば、自分たちの非を認めましょう」と母親は述べている。
親も親で、なんだかなぁ……