そこまで持っていくの大変だな
まーだーゆーうーかーぁ😩
他の映像ジャンルとの違いは、嘘を貫き通した時に生まれる、表現の強度ではないか。
現実には有り得ない構図、色合い、デザイン、カメラ位置、レイアウトを駆使して、時間・空間に対して上手に嘘を付く。
これが決まると、実写には無い映像の美しさが発生する。
そもそも「絵」なのである。止まった絵を、連続して繋げることで動き・時間を発生させる。
何もないところに世界を、物語を作り出し、見た人間の心に何らかの動きを生じさせる。
虚構であるからこそ、虚構の中のリアリティを高め、一方で現実(実写)と距離を置く。
現実により過ぎた虚構は、その特性としての強度を失ってしまうから。
絵的に現実から距離を取るというのは、抽象性を取り込むということだ。
キャラクターの一貫性を保持しながら、時に強くデフォルメされ、動きの間には極めて抽象的な線や面が現れる。
細かく時間を割っていけば、そこには常に絵画の生と死が繰り返されている。
絵が半ば溶け、抽象的な瞬間が現れなければ、アニメはその特質を活かしきれていないのではないかとすら感じられる。(しかしこれは時に「作画崩壊」などと呼ばれる。)
アニメは上手に嘘を付く。
劇場版『ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』を見ながら、そんなことを思った。
この映画は、とても上手に嘘を付いている瞬間がある。
スペインの南米侵略もずっとポジチブに評価されてきて、風向きが変わってからあれはカトリック教会の膨張主義の尖兵がやったこと(なので現代の多様な価値観を生きるボクらは無罪)
というレトリックで逃げ切ってる。
ブクマカアホ過ぎwwwww
刑事裁判じゃないから、松本人志を叩いていいと思ってるやつ頭悪過ぎるだろ
事実に基づかない誹謗中傷によって傷つけられた名誉や損害、人権侵害は後から返ってくるものじゃない
だから、刑事ですら有罪判決出るまで憶測で叩いちゃいけないよねって立場が推定無罪だろ
お前らが逆の立場だったらって考えろよ
前に事故で亡くなった部下の葬式に出たことがある。その時はまだ20代半ばだったかな
んで、式典に出た時は泣かなかったんだけど
帰りの道歩いてたらもう涙が止まらなくて
「〇〇さんが亡くなりました」って張り紙一枚で
この世からいないんだよ。
それでその話を母親にしたら
「葬式で泣くなんて子供だなぁw」ってバカにされた。なんで??歳取ったら葬式で泣かないの??
なんか母によると「歳を取ると泣こうとしても泣けないんだよ」とからしい
いや、あんたの兄さん葬式で前、ガッツリ泣いてたやないかーい!
おかしいよ
頭があっつい