https://wired.jp/2019/07/12/scientists-find-a-volume-knob-for-emotional-memories/
しかしなぜ上手く行っていない人間も自分の思考を正当化しそこにしがみついてしまうのか?
その思考に基づいて今まで生きてきたから上手く行かなかったんだろう?
これ見て思ったけど、社会科が「科学主義」/「人文的」のどちらかであるべくきか、という対立があって
「人文的」の側がお気持ちだ云々判定を受けて批判されているのだというのならば、「人文科学」はどういう扱いになるんだろうか。
小学生のとき、林間学校でよその学校に行って、その学校の校庭でキャンプをするはずが、雨が降って来たため、教室で寝袋を敷いて寝ることになった。
自由時間、周り(いろんな学校から集まった生徒たち)と馴染めなかった私は、たまたま学級文庫にあった文庫を読みふけった。
小学校高学年の女子たちの夏休みをメインにしたお話で、初潮が来て戸惑ったり、女子同士の陰湿ないじめが発生するような、けっこうリアルな内容だった。
夏祭りに、大人っぽい女子がきれいな浴衣を着て、担任の若い男性教師と2人で仲良さそうにしていた。
次の日から、その女子は他の女子たちから「空気が腐る」と聞こえよがしに言われるようになる。
と、いうところまでは読めたのだけど、自由時間が終わってそこで本を戻してしまった。
せめてタイトルをメモしておけばよかったのだが、ときすでに遅し。
もう30年もあの続きが気になり続けている。
検索してもなかなか出てきてくれないんだよなあ。
数学や統計は勿論分野全体としては重要なんだろうけど、そうなるといわゆる「質的研究」はどうなるのかってのはありそう
無いならしょうがないなあ
今日昼寝をしていた時に、ニセモノの記憶があることに気がついた。
それは
という内容。
夢の中でその記憶を参照し、目が覚めた後に何だ夢か...と現実に戻ったんだけど、この記憶だけは過去の記憶としてとても現実感がある。
Goto止める止めないとか米国大統領選挙とか、そのあたりの時期の出来事のひとつとして弟が養子だったと知った記憶がある。今月の記憶では無く、あくまで先月の記憶。
なんだかんだ心の問題にとどまらないテーマをやってる心理学も割とというかかなりある気はする。
かつての蛸壺バンザイ時代は「考えないことにする」でよかったのかもしれないけど、