オウムがどうしたの?
普段は忙しいからいい、朝家を出て、夜帰ってきて、やるべきを済ませて寝る、それだけで精一杯だから。
まずは日頃の疲れを取るべく沢山寝る。そこまではいい、問題はここからだ。
何もやる気が起きないのだ。やる気だけではない。何かに対する興味、何かをした時の楽しいという気持ちが一切起きない。
ただ1人ベッドに横たわり、面白くもないのにネットを眺め、ただひたすらに時間が過ぎ行くのを待つだけ。
何も出来なかった、折角の休日をこんな過ごし方でしか過ごせなかった自分に自己嫌悪をする。
自分が何のために、何を楽しいと思って、何が好きで、生きているのか全くわからない。そんな自分に嫌気がさして、毎日が苦しい。
日本代表が史上最多のメダル13枚を獲得した平昌オリンピックが終わって5ヶ月程、現在進行系で開催中のワールドカップでも日本代表がベスト16という結果を残した。
ワールドカップやオリンピック期間は、まだまだネット配信が普及していないこともあり、普段テレビを見る習慣のない筆者もテレビを見てしまう。
インターネット上では昨今マスコミ(特にテレビ)の報道への糾弾が絶えないが、それでもなお力を持っているメディアであることを実感する。
ここで表題であるのだが、世界規模の大会で日本代表が結果を残すと街頭インタビューを行い、その様子をワイドショーのスポーツコーナーで流すという光景を見たことがある人も多いのではないだろうか。
この街頭インタビューでのお決まりのセリフは「同じ日本人として嬉しい」である。
もちろん、この言葉は結果を残した選手たちへの祝福であり、そこに深い意味が込められているとは考えてはいない。
だが考えても見てほしい。たとえばオリンピックの場合、彼ら選手たちは我々が普通に生活している時間の殆どをトレーニングに当てているのである。
その辛く厳しいであろうトレーニングを経てオリンピックの舞台へ立ち、結果を残したのだ。
もちろん彼らの努力、勝利は称賛されるべきだと思う、だが我々が「同じ日本人として嬉しい」というのは傲慢では無いだろうか。
「日の丸を背負っているのだから当たり前だ」という意見もあることだろう。
オリンピック憲章には、オリンピックは個人、団体間の競技であり、これは国家間の競争では無いと明記されている。
よくあるフレーズ「国の威信をかける」という行為は否定されているのである。
つまり日の丸を背負うという行為自身が、オリンピック憲章に反しているのでは無いだろうか。
大半の日本人は「同じ日本人として嬉しい」という言葉にも「日の丸を背負う」という言葉にも何ら疑問を感じていないことは事実である。
だがしかし、このような考え方の人も私の他にもいるのでは無いだろうか。
僕がロングシュート決めた時のあの娘の顔
うちの会社はあんまり東大・京大クラスはいなくて一橋あたりがトップですが、学歴と仕事の出来が比例しないとやっぱり厳しく言われますね。
私の知っている範囲では、国公立出身者にあまりハズレはいないのですが、早慶レベルの個人差が激しいです。ロースクールまで出てて、司法試験を目指してたような子でもなぜか仕事の出来がいまいちだったりします。
逆に高卒とか三流大学出身者(失礼ですね(^-^;)でも優秀だと評価されてどんどん出世していく人もいます。国のキャリア組とノンキャリみたいに、入口で分けてしまうと、出世すべき人が出世できず、出世しなくていい人が出世してしまうという困った現象が起きると思うのですが、どうなんでしょう?
あー今晩、何食べよう。