2018-07-11

「同じ日本人として嬉しい」という努力搾取

日本代表が史上最多のメダル13枚を獲得した平昌オリンピックが終わって5ヶ月程、現在進行系で開催中のワールドカップでも日本代表ベスト16という結果を残した。

ワールドカップオリンピック期間は、まだまだネット配信が普及していないこともあり、普段テレビを見る習慣のない筆者もテレビを見てしまう。

インターネット上では昨今マスコミ特にテレビ)の報道への糾弾が絶えないが、それでもなお力を持っているメディアであることを実感する。

ここで表題であるのだが、世界規模の大会日本代表が結果を残すと街頭インタビューを行い、その様子をワイドショースポーツコーナーで流すという光景を見たことがある人も多いのではないだろうか。

この街インタビューでのお決まりセリフは「同じ日本人として嬉しい」である

もちろん、この言葉は結果を残した選手たちへの祝福であり、そこに深い意味が込められているとは考えてはいない。

だが考えても見てほしい。たとえばオリンピック場合、彼ら選手たちは我々が普通に生活している時間殆どトレーニングに当てているのである

その辛く厳しいであろうトレーニングを経てオリンピック舞台へ立ち、結果を残したのだ。

勝利を得たのは我々でなく、彼ら自身である

もちろん彼らの努力勝利は称賛されるべきだと思う、だが我々が「同じ日本人として嬉しい」というのは傲慢では無いだろうか。

私はそれを「努力搾取」ではないかと考える。

日の丸を背負っているのだから当たり前だ」という意見もあることだろう。

だがその「日の丸を背負う」という行為にも意義を唱えたい。

オリンピック憲章には、オリンピック個人団体間の競技であり、これは国家間競争では無いと明記されている。

よくあるフレーズ「国の威信をかける」という行為否定されているのである

まり日の丸を背負うという行為自身が、オリンピック憲章に反しているのでは無いだろうか。

大半の日本人は「同じ日本人として嬉しい」という言葉にも「日の丸を背負う」という言葉にも何ら疑問を感じていないことは事実である

だがしかし、このような考え方の人も私の他にもいるのでは無いだろうか。

間違った文章知識等ありましたらご指摘のほど宜しくおねがいします。

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