はてなキーワード: ヒキガエルとは
伊集院がカメを持ってる写真にあるように、これって公園の人工池ですよね?
そういう場所に棲む在来生物といえば、ギンヤンマやシオカラトンボをはじめとする数種のヤゴ、
ハイイロゲンゴロウにマツモムシ、魚はギンブナ、オイカワ、カワムツ、ウグイ、ヌマチチブなど。
環境次第でアマガエルやヒキガエル、メダカやドジョウ、ヒメガムシ、二枚貝なんかもいるかもね。
でね、上記の生き物たちは、公園の池のような人工的な環境にも適応できる“強健種”なんですよ。
池底をかきまわして水を取り替えて大丈夫なのかって?大丈夫に決まってるやんw
公園の池に棲めるような魚なんか、保護した個体を再放流すればあっという間に元通りに増えるし、
水鳥が魚卵やオタマジャクシを運んで来たりもする。水生昆虫なんか元々池の外からやって来る連中だろ。
生き物に何の興味も無い人たちがネットでセンチメンタルに不安を表明したところで、
あなたたちの知らない場所で、あなたたちが名前を聞いたことも無いような生き物たちが
すごいスピードで減少し続けているけど、あなたたちには全く関係の無いことだよね。
野生の生き物がどうなろうが知ったこっちゃないもんね。
ウェブフロントエンドの技術の進歩と興亡の速度には目を見張るものがある。
browserifyが生まれ、Gruntが生まれ、Gulpが生まれた。
そしてその全てが死んだ。
Webpack, Babel, Flow, 今栄えている技術だってそのうちに死ぬだろう。Reactだって例外ではない。
一部はもう死につつあるし、少し前にあれだけ持て囃されたTypeScriptも今や消えつつある。Coffeeは全エンジニアから嫌われた。
そんな万華鏡のように目まぐるしく変わる情勢に追い付かんと研鑽を続ける者等がいる。アーリーアダプターを自称し最新技術のケツを追いかけQiitaにクソを垂れ流す彼らこそ我らがイケイケウェブフロントエンジニアである。
最新技術に目を凝らし、やれ新たなこれイケてるだの古臭いあれはイケてないだのと宣いチュートリアル記事を量産する彼らであるが、彼らの存在は決して無駄ではなく、生まれたての技術の知名度は彼らにより上げられる。
それはやがて大きな同調圧力的空気となって流行った技術を押し流す。
さて、少し話は変わる。
書いてしまったソースコードと拭いきれない遺物と化したクソの塊だ。
ウェブサービスはただ作って終わりではない。その先にあるのは長く続くメンテナンスだ。
少し例を挙げたい。あるところにイケイケウェブエンジニアのあなたがいたとする。
ある日あなたは上司からあるウェブサービスを作ってほしいと頼まれ、それを引き受けた。
さて、サービスを作るにあたりあなたは使用する技術を選定する。イケイケウェブエンジニアのあなたはとても流行に敏感だ。勿論jQueryを使い泥臭くDOMを弄くり回すことなどあってはならない。
あなたはESの最新規格に準拠したコードを書き、Flowtypeで静的型検査を行い、Angular4を使うことにした。
勿論そのままではブラウザで動作しないためWebpackとBabelを駆使してトランスパイルする。
数週間後、めでたくサービスは完成した。
あなたは脳内で試算する。時間と手間は掛かるが可能だと判断したところで、はい、と答え一年ぶりにプロジェクトのソースコードを開いた。
一年後の未来の世界では Webpack2 など既に新しく現れた技術に叩き潰され醜く断末魔の鳴き声を上げる死に瀕した哀れなヒキガエルの如き存在だった。もちろんAngular4はもう誰も使おうとはしない。
もちろんあなたもそれらを過去の存在へと葬り去った新技術に首ったけだ。
一方は、クソだクソだと悪態を付きながらもはやメンテナンスもされていないクソプラグインの体系化されていないクソドキュメントとにらめっこをしながら古臭いクソの塊と付き合っていくこと。
もう一方は、新たに聳え立った最新のクソの塊に無限に移植を続けることだ。
前者を選んだあなたは時間が経つごとにまともな情報を得られなくなり、やがては身動きが取れなくなった段階でようやく最新技術への移植を考えはじめる。しかし、その頃には膨れ上がった旧時代のクソはそんなことを容易に許してはくれやしない。
さて、後者を選んだあなたを待っているのは無間地獄の如き最新技術の濁流だ。それに揉まれながら一年ごとに、古臭きは悪だと声高に叫びながら無限の移植作業を行うことになるだろう。
あなたがクソと罵り選択肢からも除外されたjQueryである。一年後の未来であってもjQueryはそこにあった。もちろんクソと野次られながら。
けれども一年前のあなたはjQueryを使ったコードが読めるし、今のあなたももちろん読める。一年後のあなたは疎か、三年後のあなたの後継ですらも (泥臭くDOMを弄るコードに閉口しながらではあるが) やはりあなたの書いたコードを読めるだろう。
JavaScriptはDOMを書き換えるためだけに存在している書捨てのクソ言語であって、サーバーサイドを書くために存在している言語でも、100万行からなるバベルの塔の建設に耐えうる言語でもない。
去年の夏、ヒキガエルのげっぷの様子をYouTubeにアップした。一年半付き合った彼女と別れた矢先のことだった。
あれから一年ちょっと経つ。再生数は49。その内、自分で再生したのがおそらく10回くらい。単純計算すれば39回は、俺以外の誰かが見ているということになる。
だからと言って39人の人間が、各々べつべつのタイミングで再生したとも限らない。リピーターだっているはずだ。一人で5回見た、なんて物好きもいるかもしれない。
純粋に、カエルのげっぷなぞに興味を持つ人間がいるとは思えないし、いたとしたらそいつはきっと生物学者かなんかだろう。いや、今更カエルのげっぷなんかを研究する学者がどこにいる。それはきっと、世界にとっては分かりきったことだし、それでもなお、カエルのげっぷについて研究したいという生物学者がいるとしたら、手近なYouTubeなんかで済ませようとせずに、自分の足で、野に分け入ってカエルを捕まえるべきだ。お前は研究をナメている。向いてない。
「この宇宙はカエルのげっぷによってあらかじめ記述された世界なのです!! 私たちはカエルのげっぷによって生み出されたオタマジャクシ。ほら私たち生物には、染色体の配列によって性を二分する基準がありますでしょう。XY、いわゆるオスと呼ばれる生き物たちは皆、ザーメンというものを持っています、ね、アレ、オタマジャクシに似てるでしょ、ほら、ちょろちょろ、ちょろちょろって」
さあさあ、手と手をとり合って、これより宇宙開闢のときへと立ち返るのです――君、YouTubeを開いてくれないか、そうあの動画だ――さあ、耳を澄ませて、オオガエル様のげっぷが私たちを因果の輪から解脱させるのです……、なんてこともあり得るかもしれない。でも、そうだとしたらそもそも49回しか再生されていないのはかなり深刻な問題だろう。信者何人いる。運営方針を見直せ。
もちろん、カエルに対して異常な愛情を示す博士も、目の付け所がいささかシャープなカルト宗教の教祖も、ぜんぶ俺の妄想だ。基本的に、こういうくだらない妄想だけをしてきた。そして気がついたら一年とちょっとの月日が経っていた。新しい恋人はいない。俺の彼女いない歴は、ヒキガエルのげっぷをYouTubeに載せた彼の日から、延々と引き伸ばされつづけている。付き合っている当時は、彼女との日々が優先順位のてっぺんに位置していたため、自ずと友達も減っていった。毎日がヒマだ。そして今、俺は、ちょうど50回目の再生をしようとしている。記念すべき今日、この瞬間だ。
ときおり俺は、妙な想念にかられる。俺以外の誰かによる39回の再生が、全てひとりの人間によって行われたことなのではないか、と。
「ヒキガエル げっぷ」などと律儀に検索をかける人間は、俺の妄想の外側、つまりはこの現実には存在しない。だとしたら、あの動画を投稿したのがこの俺であると知っている人間、が見ていると考えたほうが理にかなわないだろうか。そして、そのことを知っている人間は、おそらくこの世界にひとりしかない。昔の動画は全て消した。今や俺のチャンネルに登録された動画はヒキガエルのげっぷのみだ。楽しかった日々の思い出は、今や虚ろな宝石、石ころ、石ころ、石ころだ。でも、もし。もしも、彼女が、今も何処かでスクリーンに映るカエルのげっぷを見ているのだとしたら、それはきっと、終わりきったふたりに許された小さな逢瀬だ。
今日のあらすじ。
でも、参加した地元の男どもがマナーとかデリカシーなさすぎ(トイレに虫がいて嫌がってる女性を後ろから押して面白がる・嫌がる女性の肩にでっかいヒキガエルをのせる等)て、女性陣をぶちギレさせた。
その後女性のひとりが激流にアクセサリー落としてピンチ!ってところで、男どもがここぞとばかりに奮闘して救出!
その心意気(笑)を見て、女性陣はころっと態度を変えて仲良くごはんを食べる♪
極端にバカっぽく描かれる田舎の男への偏見と、あまりにもテンプレすぎる展開と手のひら返し。