はてなキーワード: 警察官僚とは
http://anond.hatelabo.jp/20130725160447
ポルノ作品における「モザイク」にどんな意味があるというのか、という疑問の答えは、
過去にはこんな事件も
元警察官僚がビデ倫潰して新しい審査機関に天下ってるとかいう噂
http://2r.ldblog.jp/archives/565102.html
ポルノ規制はパチンコと並んで審査機関を警察の天下り先として確保するためのもの。
脅しを効かせるためにもたまには摘発しておかないといけないんだろ。
いまの児童ポルノ規制法案もそうだけど、警察の利権拡大のために「良識ある人々」を利用してるんだよ。
まったくもってお上手なことで。
とら*あなとかメロンブ*クスとか、あのへんは政治家や警察官僚に金を積んでないんだろうか。
それともそこまでのカネはないってことなのかな。
613 ソーゾー君 [] 2012/05/07(月) 19:16:43 ID:lr7KkB9IO Be:
「うっかり」がキーワードだな…
「うっかり酒を飲んでうっかり車を運転=無罪」
↑これてOK?舐めてんのか?
「うっかりしてただけだから良いんじゃね?wうっかりなら仕方がないw」
↑こんな感じで終わらせる気満々だぜ?w
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/
パチは警察、司法から天下れる数少ない業界だから守ってるんだよ。
さらにパチ屋は、しょうもない犯罪の温床となってるから、警察の
予算分捕りの理由付けにもなる。
週刊文春の「ニュースの考古学」(三月二十三日号、猪瀬直樹)によれば、パチンコ業界における 警察官僚の利権として以下のモノが列記されている。
①日本レジャーカードシステム(プリペイドカード会社)代表取締役会長=元近畿管区警察局長
③財団法人・保安電子通信技術協会(パチンコ台の形式を認可する団体)常務理事=元東北管区警察局長
④全日本遊技事業共同組合連合会の専務理事=元九州管区警察局長
⑤日本遊技関連事業協会=元九州管区警察局長(上と同じだが入社年度が違う)
これでお分かりのように全国各管区警察局長ごとに天下りの縄張りが決められているようだ。 このほか、以下のモノが列記されている。
よって、様々な面で不合理が生じている。
かつ以前と比べの物にならないほどギャンブル性のある、
スロやパチを認可してるって事は。。。
この業界が近い将来廃れていくだろうと見越しての事なのかな?
今のうちに吸えるだけ吸ってしまえ!みたいなさ(w。
世の中利権が絡んでて、なかなかホントの事いう人いないよね。
テレビの番組でパチ絡みの事件起きても、絶対にパチの悪いところ言うヤツいない。
例えば、借金が原因で事件が起きたら「犯人は借金があり・・・」ではなくて 「犯人はパチンコの借金があり犯罪に走った」と具体的に借金の内容を言って欲しい。
おそらくパチ借金の犯罪は多いはずだから、その度ニュースでパチの名前が上がればいいアピールになると思う。
でも実際は上記にあるようなパチンコ番組があって華やかさだけが取り上げられてるんだよな。
マスメディアは、政治家には偉そうなこと言えても、でんつーには頭が上がらない。
酒をあおる絵とか、タバコを吸うシーンなんかほとんどの先進国では禁止されている。 (CMで商品として扱う場合ね)
ましてや、民間賭博を開帳していてそれをCMで流したり機械を売っているメーカーが扇動的な広告をうっている国なんか、世界中にねえだろ。
TV、新聞、雑誌等の提供スポンサー企業が減ってしまって、そこに、不況万歳!のサラ金業界が食い込んで大スポンサーの仲間入りしてから激変してしまって、サラ金屋と密接な関係にあるパチ屋についても全く叩けなくなってしまった。
一部夕刊紙によると石原都知事が幕張のパチ業界イベントに石原軍団が出たことに激怒したそう。大手マスコミは黙殺する可能性大。
西部警察の面々も地に落ちた
裕次郎が泣いている
「ここが変だよ日本人」 ある回でパチンコ問題について放送する
予定だったが、、、、 当日見てみると・・・・
忘れないよ・・・。 裏から圧力かかったな・・・
何故賭博が禁止されていると思っているのか?
東京都議会の条例改正によって影響があるアニメ・漫画・ゲームの例
http://tokyo.cool.ne.jp/jfeug/siryou/togikai_eikyou.html
http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/10_eiga_tosyo_ichiran.html
東京都の規制の対象は、「児童ポルノ」ではないです。「18歳未満のキャラクターの性表現を肯定的に描くこと」です。
ポルノに限ってはいません。それを「児童ポルノ」と報道すると印象が変わり、報道によるミスリードが起きています。
http://twitter.com/honeyhoney13/status/10545935767
http://blog.livedoor.jp/nob_kodera/archives/2487793.html
http://tadashiniji.blog54.fc2.com/blog-entry-36.html
アメリカのコミックコードと同じく、台湾にも1966年頃に"漫畫審查制度"というのがあって。
しかもコミックコードよりたちが悪い。"現実にありえないこと"も禁止されました。
アメリカはスーパーヒーローと喋るマウスが生き残ったけど、台湾はほとんど全滅。
その間に日本の漫画が輸入されて、日本の漫画がメインになりました。(海賊版ですが…)
1987年頃に漫畫審查制度が廃止されたけど、台湾の漫画界はもう一からやり直ししかない状況になりました。
1992年頃に新著作權法が実行され、出版社が日本からライセンスをとって、日本の漫画が表舞台に躍り出ました。
そして、台湾の子供は翻訳した日本の漫画とともに成長し、今に至る。
日本でも、児ポ法はエロゲーだけではなく、アニメと漫画も影響されると思います。
さすがに台湾のようにはならないと思うですか……
http://www.geocities.jp/laugh_man_is/dai4kai.htm
http://www.konest.com/data/korean_life_detail.html?no=2882
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%BC%AB%E7%94%BB
韓国も1966年合同出版社が設立、1968年に児童マンガ倫理委員会が発足(のちの刊行物審議倫理委員会マンガ部)し
厳しい事前検閲が行われた結果、質の低落と海賊版マンガの流通に拍車をかけた。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0903&f=national_0903_016.shtml
日本では多様なジャンルの漫画が発達しているが、韓国はなぜそのようになれないのか
http://blog.naver.com/gato_tv?Redirect=Log&logNo=90065895023
http://wiredvision.jp/archives/200307/2003072408.html
40年前にこの法律があったら、ハレンチ学園はかけなかった。マジンガーZなどは国際的にも評価されているが、ヒロインの性的な魅力がポイントになっている。
たとえば違う犯罪があって家宅捜索されたときに、別件でしょっぴくことはあり得る危険な法案。日本のマンガが発展し、アキバに外国人が押し寄せてきているのは、日本は魅力的コンテンツが自由に描けることが大きかった。韓国では規制が厳しく、マンガの発展が30年遅れてしまったといわれている。
日本にはハリウッドと同じぐらいの宝がある。これは世界のコンベンションでもよく言われる。若い人がそういうものを描いてみたいという思いが、可能性を広げている。
日本は資源がない。知財は未来に重要。規制されてマンガ産業が疲弊してしまった、らつまらない国になる。おもちゃ、テレビ業界などに影響をおよぼすものである。
http://news.livedoor.com/article/detail/4201570/
http://www.menscyzo.com/2009/07/post_137.html
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2788.html
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2788d.html
Rapes (per capita) by country. Definition, graph and map.
http://www.nationmaster.com/graph/cri_rap_percap-crime-rapes-per-capita
http://kangaeru.s59.xrea.com/G-youjyoRape.htm
http://okwave.jp/qa/q3118668.html
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-2221
日本と外国との比較で、なぜ、外国の性犯罪率が高いのでしょうか?
http://okwave.jp/qa/q5541554.html?order=&by=
エロゲが性犯罪の増加に関係ないなんて証拠はあるの!グラフの見方で変わる統計学
http://plaza.rakuten.co.jp/fantag/diary/200907030000/
非実在青少年なんて、こんなのネタだろと思っていた。出版社でもどうせ民主党が反対するだろうと言っていた。
しかし状況を聴くと、このままだと通るということがわかってきた。宮台真司 氏、東浩紀氏にも相談したが、このままだと通るという。その時点で全然報道されていない。検索したが、当時痛いニュースぐらいしか出てこなかった。
そこでいろいろ情報をまとめて、ブログはやってなかったのでMixi日記にあげた。知り合いの記者に連絡したが、記者もこの問題を知らなかった。知ってたのは1人だけ。知ってはいるけど通らないんじゃないかというぐらいのことだった。
このような性急なスケジュールの中で、条例が決められていく。規制したいとしても、このような形でこんな大きな影響を与えるものが決まって良いはずがない。都の方では「強姦」や「みだりに」といった表現で押さえているという。
改正案に元々ある8条1号には、図書以外にゲームなども入っている。実際もう規制は行なわれている。今まで野放しになったものを取り締まるというが、嘘である。「みだりに」は、いくらでも「みだりに」解釈できる。
東京都に問い合わせた人によれば、「規制対象など細かい規則は条例が通ってから考える」という。たとえば16歳の女性と30歳男性の真摯な恋愛をどう扱うかと質問したところ、「今後検討する」という。16歳と30歳の恋愛は、議論の余地があると都は考えているということだ。
問題にしているのは、18歳未満に見えるキャラクターの性を肯定的に描くこと。子どもを守るのをお題目に、道徳的な取り締まりをしたいだけではないか。さらに児童を18歳未満と規定していることも問題。児童ポルノといえば、ものすごく小さな子どもを対象としているイメージがあるが、それをそれを利用しているのである。
本当に取り締まったら犯罪が減るのか。逆の統計のほうが多い。規制強化すれば性犯罪は増える。一概にこれが原因とは言い切れないが、事実。
たとえば性犯罪による犯罪率は、韓国11人 米国6人、日本1人。規制が厳しい順に犯罪率が高い。たとえば食べ物が潤沢にある場合は人のものまでとらないだろう。つまりは同じことである。
欧米では規制強化が高い。世界で一番発達したマンガ文化と市場を持つ日本から、発信していくべきだが、現状は全く逆。ブラジル会議では、日本5000億円がマンガ産業、このほとんどが児童ポルノでしめられていると報告された。実際には本当に一部である。
今後この議論は、また巻き起こってくる。表現と社会について、論議を深めていくことが求められる。表現の自由は、戦前に自由にものが言うことができないとどういうことになるかというのを、日本人は一番知っている。どこよりも大事だと知る文化がある。それがこんな文化を産んでいる。
表現には、悪いことも描かれている。悪い感情も抱き止める力になる。自分のマイナスの感情をどこにいっても否定されたら、犯罪者になるしかない。マンガがそれを抱き留める力を持っているから、日本の性犯罪率がこれだけ低いと考える。
創価学会員だからという理由で雇い入れることを拒んでも違法じゃないと思うよ
「三菱樹脂事件」を調べた方がいいかも。
判例文の中に、
とか書いてあるから。
法令では、公務員の採用にかんして、思想・信条を理由に拒んではいけないだけ。
とはいえ、行政側もいささか問題で面倒なことが起きて欲しくないらしくて、
創価大出身者リストとか創価学会員リストとか作っているという話も聞いたことがある。
あと、創価大出身だと警察官僚にはなれないという噂も聞いたこともある。
ま、元増田がどこまで警察というものを信用しているか、だな。最近テレビでやってる例の冤罪事件とか、過去に起こった似たような事例でも読みながら考えるといいよ。
そういえば昔、落とし物の財布の中身を対応した警官がネコババして、その発覚を隠蔽するために財布を届けた妊婦に組織ぐるみで罪をなすりつけようとした事件とかあったな(笑)。
万が一「犯人ってのは探すもんじゃない。造るもんだ!」みたいなのに出くわしたらご愁傷様。
ちなみに、26日の質疑で推進しようとしていた与党の某議員は元警察官僚だったりする。なので警察による冤罪の可能性を全く完全にゼロだと信じているピュアな心(笑)の持ち主なんだよね。
免許の更新時にあたかも義務かのように請求されるこの謎の協会の会費。
一度も払ったことない。
巷では建前とは裏腹に天下り団体で浪費されるどうしようもないものだと糾弾されている。
交通安全に関する各種標識とか、啓蒙活動とか、朝夕通学路で交通整理をしてくれる、いわゆる「緑のおばさん」とかもここがやってくれてるんだけど、収入に対する活動内容が薄っぺら過ぎて、警察官僚の天下り利権の総本山だとか。
なんか、これを払わないのはどうしたらいいですかとかあちこちの掲示板とかでみるけど、自分は普通に「入りません。」とか「出しません。」とか、そのときの相手の言い方次第ですけど至極当然のように断って払ってません。はじめからきっぱりと言うと、相手もそれ以上なにもいわないですよ。
ただ一度だけ・・・「協力お願いします。」という言い方をしていたおばさんが、「協力しません。」と言った自分の意図を察してか、
少し悲しい顔をして「これは・・・子供の通学路の安全対策や、ランドセルに付けるカバーの配布とかにも使われるものなので・・・是非、お願いできませんか?」と、決してすべてが世間で言われている悪い金になるわけではない、と、乞うようにいわれたときは一瞬「うぐぅ」となったが、再度きっぱりと「それでも駄目です。」と断った。
おばさん、あんたは悪くないよ。
自分にも子供が居るし、交通安全協会の理念自体はすばらしいし、通学中の子供がトラックに轢かれて5体ぐちゃぐちゃのミンチになったなんて話し聞くと本当に寒気がして予防対策には関心があるけど、ごめんね。
だけど、「紛争の被災者を救済したり、インフラ整備にも支援をしている。」からといって、一方で自爆テロやロケット砲で無辜の市民攻撃して紛争を助長しているテロ組織に寄付はできないでしょ。(テロ組織が根強いのは、味方にたいしてはそういう草の根支援があるから。)
お金で済むなら地元のロータリー倶楽部に寄付するし、行動で示すなら町内会の通学路パトロールに参加するよ。
まぁ、地元の緑のおばさんもおじさん(?)も、知り合いなので多少ひっかかりはあるが、自分の意思はそうです。
ま、別にびびる必要は何もなくて、きっぱり「入りません。」と言うか、だまって更新料だけ出せば良いんですよ。
「真犯人の処罰と,無実の人の処罰を防ぐことの2つの要請の間で,どこでバランスを取るかという問題なのではないか。」
「それはバランスの問題ではないし,価値観の問題でもない。答えは決まっている。刑事司法は後者の役割を果たすことを第一次的に期待されている。」
「理想論ではなく,現実の問題の話をしている。一人の無実の処罰を防ぐために,多くの真犯人の処罰を放棄するのか,それとも,真犯人の適正な処罰のためには多少の無実の人の処罰はやむを得ないと考えるのか。」
「そのような発想は根本的におかしい。無辜の処罰を許容する考え方は採れない。」
「目の前で泣いている被害者を無視できるのか。そんなことで社会の治安を守れるのか。」
「被害者の救済や,社会秩序の維持は,司法だけの役割ではない。司法は無辜の処罰はしない。その場合に被害者や社会に問題が残るのであれば,市民や行政が手当をすべきだ。痴漢を防ぐためにはまず電車会社が努力すべきであり,警察も取り締まりを強化すべきだ。行政は被害者の救済に配慮すべきだ。」
「自分が被害者になったときにも同じことがいえるのか。自分の娘が強姦されても。」
「確かに悪質な性犯罪には憤りを感じるし,自分がいつでもその被害者になりうることも自覚している。しかし,同時に,誰もが「被疑者」にもなりうる。」
「それで市民が納得するか。」
「道路の速度制限の問題なら,交通の安全と迅速輸送の要請の間でバランスをとればいいだろう。そして,そのバランスは政策の問題であり,国民の合意が得られる立法をすればいいだろう。しかし,刑事罰は国民の恣意で左右させることは本来的にできない。無辜の処罰をしないことは近代刑事司法の大原則だ。」
「それは理想論だ。現にえん罪事件は起きている。それは,一定の場合には無辜の処罰を許容しつつ,犯罪者の適切な処罰を図っていると言うことなのではないか。」
「実際にえん罪がありうるとしても,それを刑事司法は許容していない。えん罪は刑事司法の病理現象であり,それをいかに防ぐかが課題だ。そして今は,刑事司法の生理現象の話をしているはずだ。」
「裁判員はそれで納得するだろうか」
「むしろ裁判員は,自らが『無辜の処罰』をすることを決して望まないだろう。評議はこれまでの裁判官の合議よりも慎重になると思う。」
「目の前で泣いている多くの被害者を見てきた立場からすれば,多少疑わしい程度で処罰を回避することはできないように思う。」
「警察の立場で,被害者の立場を重視する考えが強いのはよくわかる。警察・検察は被害者や治安の維持のために努力し,弁護人は被告人のために努力し,その上で,裁判所はどのように判断すべきか,という話だ。裁判所は被害者の立場のみを過度に強調することはできない。」
「当然のことだが,警察と裁判所とでは考え方が違うと言うことはよくわかった。」
「それはかなり健全なことだと思う。三者が努力し合うことで,刑事司法がより適切なものになると信じる。」
(注)「バランスの問題だ」と言ったのは財務官僚であり,被害者の立場を強調しているのは警察官僚であり,「無辜の処罰をしない」建前を強調しているのは刑事裁判官及び弁護士である。
www.midnighteye.comより、雨宮まみの「弟よ!」経由。
長いので二つに分けました。
日本のアダルトビデオ、略してAVと言われているがそれは驚くべき多様性の世界でもある。もし欲情を喚起するためにセックスを描写し、売り物にするのがポルノグラフィの定義なら、どこからどう見てもそれはポルノなのだ。AVは安価で日本中至るところで目にすることができる。この国のどんなビデオショップに行ってもこのジャンルの商品はたいてい、大きな棚を占めている。
しかし、日本の映画表現が欧米で多くの信者を生み出す一方、アダルトビデオはほとんど顧みられていない。日本の得意とする怪獣もの、アニメをはじめとする全ジャンルに関する日本映画のフェスティバルはヨーロッパ・北米で花盛りだが、AVはどこにある?もちろん、日本のポルノは性器を直接描写できないという問題を抱えている。それらは処理画像の向こうにあり、欧米の視聴者にとってはいささか奇異に映るものだ。にもかかわらず、AVは魅力的な分野である。
まずは、ピンク映画。これは1960年代初頭から制作されている。小林悟の「肉体の市場」がおおまかにいってこの分野のさきがけといえよう。性への大いなる情熱、そして時には理由なき暴力や変わった性的ファンタジーまで描写する一方、ヌードシーンは一部に限られ、疑似性交が主を占める。
そして裏映画(訳注:日本語ではブルーフィルムがより的確な表現だと思います)、こちらはさらに映画史の初期にまでさかのぼることができる。こちらは本番ありの無修正、たいてい8分から10分の短い映画だ。白黒映画時代に欧米に存在したブルー・ムービーは時には手の込んだプロットを開陳していたが、日本のはたいてい伝統的な畳の部屋で性交にいそしむ男女を描写するにとどまっている。裏映画が上映されるのは、だいたい温泉街であった。男の客にとっての温泉街でのくつろぎは、しばしば買春と結びついており、そうした街の赤線地帯では法律で固く禁じられている裏映画ショーを楽しむことができた。今日では裏映画は裏ビデオに取って代わられ、そうした未修整のポルノビデオはビデオショップで信用のある客にのみこっそり売られている。
ビデオデッキの普及に伴い、アダルトビデオは1980年代初頭に成長をとげる。家庭で映画を見る習慣が広まり、そしてもちろんビデオデッキが接続されたテレビでセックスを鑑賞することを人々は望んだ。初期AVは、東映や新東宝といった大手ピンク映画会社により支配された。撮影済みの映画をビデオ化し、自宅向け市場へと流したのだが、短いバージョンであることもしばしばだった。市場の急速な拡大につれ、それらの映画会社はビデオ専用の映像を制作するようになった。これらの映像は直接ビデオで撮影されているにもかかわらず、ピンク映画の伝統を踏襲し、ピンク映画のルール・制限に固執した。
ピンク映画会社の制作するAVは、高額な費用をもって制作され、ほとんどの場合有名女優を主役にすえていた。しかし新世代の野心あるポルノ映像作家はビデオという形態は安価であり、あらゆる種類の新しい可能性を提供してくれることに気づき始めた。つまり機材取り回しの容易さ、無限ともいえる長さの尺をとてつもなく低コストで撮影できるということである。
これらの新しい可能性を最大限に生かした最初の監督が、かつてピンク映画の監督だった代々木忠である。「ドキュメント・ザ・オナニー」シリーズ(80年代初め)にて今日のAVにて見ることのできる根源的要素を彼は取り入れた。本番の導入、そして素人俳優の採用によって秘められた日本のセックス事情をドキュメンタリースタイルで描写したのだ。
「ドキュメント・ザ・オナニー」は驚くべきヒットを記録し、映像に関心のなかった投資家連中という新しいグループの注目を引くことになった。裏本・ビニ本業者はAV制作会社を設立し、金鉱とも思えるそのビジネスに飛び込んでいった。
少額の予算でピンク映画会社に勝つために、本番は彼らの切り札となった。こうした決断は大島渚の刺激であるともいえよう。著名な日本人監督である大島がフランス資本で撮影したアートシアター系映画である「愛のコリーダ」(1976年)は、命がけの悲しい情熱を最大限に表現するために実際のセックスをいくつものシーンにおさめた。一方で、非合法である裏映画からの強い影響も見てとれる。裏モノである「洗濯屋ケンちゃん」が一躍注目を浴びることになった。いつ、誰が作ったのかは現在に至るまでまったく不明である。しかし多くのフィルムが出回り、それらはビデオにコピーされた。主要雑誌はこの映像について書き立て、大きな話題となった。裏映画の直コピーの常として、「洗濯屋ケンちゃん」はもちろん非合法なものであったが、新しい本物のセックスという報道記事によって、どんなにお金をかけても得ることのできない宣伝性を得ることになった。
もちろん、新しいAVにおけるセックスは本物であったが、いぜん審査されていた。セックスシーンでは役者の全身はおろか、クローズアップも映し出されていた。しかし、性器とヘアーはAV業界でいうところの「モザイク」と呼ばれる電子的処理画像に隠されていた。処理画像がある限り、スクリーン上のすべてが許された。精液が処理画像から飛び出して、非処理画面に映る女優にかかってもおとがめなしである。ピンク映画では役者のモチモノは家具や植木鉢をレンズとの間に置くことによって隠されていたが、いまや自由な撮影が可能となった。編集の段階でモザイクをかけ、ぼかすだけでいいのである。
そうした映像処理は、海外映画の審査に起源を発している。ヌードシーンはこれまでカットされることはなかったが、俳優の性器は黒塗り、もしくは白のぼかしで隠されていた。この和らげられた映像が、ある程度本来のイメージを知る、手がかりになったのである。
こうした規格を確固たるものにし、政府の取り締まり・警察の逮捕といった危険からAV産業を守るため、AV会社により自主審査団体が設立された。映倫(ピンク映画を制作する業界により審査委員会が運営されている)をモデルとしたビデ倫が設立された。業界トップは、AV監督がアナーキーな連中の集まりであることを正確に把握しており、最初から強い手段をとることにした。ルールを守らせるための必要な権威づけのために、ビデ倫は審査委員会に警察官僚や役人の天下りを呼び寄せたのだ。
現在ではAV業界は一大産業を形成している。しかしその内訳はさまざまである。ピンク映画会社が今もなお重要な役割を果たす一方、無数の小さな会社があり、世には知られぬ顧客の嗜好を満たすべく特異化をはかっている。とはいっても、AVには二大分野が存在する。つまり、「単体」と「企画」である。単体ものはふつう、大きな会社が扱うが、大予算とひとりのスター女優に焦点を合わせるところに特徴がある。美しい女の子を起用し、なるだけソフトに、かわいく作られる。一方企画ものでは4、5人の女優が一本のビデオに出演する。彼女たちはかわいくもなく、見た目がイマイチであるのは決して珍しいことではないが、カメラの前での行為は大胆不敵である。企画ものはセックスについて変わった側面を取り上げることが多く、小さな会社が制作している。企画ものの方が予算が安く済むからだ。単体女優はスターであり、一本につき100から200万の金を手にする。企画女優はというと、10万から20万といったところだ。にもかかわらず、ふたつのやり方は相互補完的だ。多くの男性視聴者は女の子にふたつのことを望む、つまり可愛らしさと変態さだ。
日本では魅力的な若手女優が必要とされており、単体の女の子はスターでありアイドルでもある。企画の女の子はというと、タレント的であり、それはアマチュアを意味する。こうしたタレント募集のやり方はまさしく日本的だ。モデル事務所やタレント事務所は多くのスカウトマンをかかえている。スカウトマンは若い男連中であり、ファッションに敏感な若い子でにぎわう東京の一角に、前途有望な娘を見つけるべく徘徊している。彼らは若い女性に声をかけ、音楽・ファッション業界の仕事をもちかける。実際、ファッションモデルやテレビのエキストラになる場合もある。レコード会社が特定の容姿を歌唱力より優先させたい場合には歌手になることも。一部の女の子たちは、スカウトマンから声をかけられ、そうした仕事に着くことを夢見ながらおしゃれして渋谷・原宿の通りを歩く。しかし多くの場合、モデル事務所はAVの仕事をもちかけ、そして多くの女の子が「いいですよ」と答える。街角からリクルートされたタレントたちの登場するAVの信じられない本数が示すように。彼女たちはたいてい手っ取り早く金を稼ぐためにAVに出演する。もしくは冒険や遊び心、モデルキャリアへの道を見いだしているのかもしれない。
企画もののスタイルやジャンルを一覧にするにはいささか数が多すぎる。しかしその中で最も重要であり、かつ一般的なものをあげるとしたら、ピンク映画の時代から続く、ずばりそのものの異性間セックスが最初に来るであろう。教師・女生徒・看護婦といったちょっとした嗜好を交えたり、レイプ(AVでは一大分野だ)・緊縛などの暴力の一形態を伴うこともある。しかしAVはビデオならではの特異なジャンルも拡大しつつある。ブッカケ(集団男性が女性の体に射精する、顔がより好まれる)や密着ドキュメンタリーの特殊なケースであるハメ撮りなどである。
ドキュメンタリー的手法は日本のAVの多くに見られる。しかしハメ撮りほどドキュメンタリー的なものはないであろう。手短にいうと、ハメ撮りはポルノ的日記の一種である。それは男性(たいていカメラマンや監督である)の主導のもと、タレントや女優をフィルムに収める作業である。カメラ片手にしゃぶってもらったり、テーブルに置かれたカメラで性交を記録したり、時には行為中にずばりそのものにカメラを向ける。こうしたやり方がたぶん、映像にじかの力を与えているのだろう。キャストなし、クルーなし。ただふたりがやって、その男がまさしくそこでセックスをしている、非常に個人的な視点を視聴者はまっすぐに見せられる(原注:残念ながら、筆者は女性による女性の視点からのハメ撮りにお目にかかったことがない)。
しかし、ハメ撮りの売り物はセックスだけではない。セックスと同じくらいの興奮を呼び覚ますのが、ふつうの、一般的な女の子がどうやって「演じる」かという点だ。彼女たちは朝、地下鉄であなたの隣りに座っていたかもしれない、夜にはビールを運ぶウエイトレスだったかもしれない…夢みたまえ。ハメ撮りが売るもの、それは夢であり、日本の男たちが望むけど実現不可能な、あるいは現実には十分に得られないような性的出会いがあるかもしれない、という夢だ。でもそのイメージはリアルである。それこそ手に取れるくらいリアルだ。
<カンパニー松尾: ハメ撮りの達人>
今日のようなハメ撮りを作ったのが、カンパニー松尾だ。ハメ撮りという生まれたてのジャンルを親密な映像体験に仕立て上げた。彼の代表作である「オークション01」「オークション02」は2004年に制作された。これらの作品(デジタル撮影され、DVDにて販売されている)は松尾が出会ったさまざまな女性との個人的な出会いを多く収録している。
たいてい松尾はレディースコミックに広告を掲載し、彼と会う勇気を持ち合わせた女性を募集する。作品の各章は彼女たちが実際に電話をかけるところから始まる。松尾は彼自身が電話を取り、待ち合わせ場所を決めるシーンをカメラに収める。次に私たちが見るのは、松尾が彼女のいるところに向かって移動するところだ。松尾はおおいに旅を楽しんでいるように見え、それを日記スタイルで撮る。いろんな駅のシーン、車窓からの眺め、日本の日常光景は常に導入部分となり、彼の行き先を示す。最終的に彼は女性が指定する場所で面会する。その場所は彼女の住む町だったり、リゾートだったりする。女性はときに彼をからかう。居場所を推測させたり、行き先の張り紙を残すこともある。しかしたいていの場合、駅などの待ち合わせ場所に彼女たちは素直に現れる。松尾は非常におだやかに話す、好ましい感じのする男だ。こうした資質がものごとをうまく進める理由であるに違いない。しかし最初から明らかなのは、彼女たちはお金を受け取っていて、なにやらセックスのようなものがこのふたりの参加者のあいだで始まることだ。
まず第一に、松尾は女性のことを知りたがる。彼らはしゃべり、冗談をとばし、お互いが容易になじめるみちすじを探す。そしてすべてはカメラに記録される。今回の出会いに至った動機、いつもの生活、そして夢。ついに彼らはホテルや彼女の自宅へと向かう。
この段階において、視聴者はすでに彼女について十分知っている。とても親しく感じられる。ある娘たちは積極的にセックスに至ろうとするし、渋々な娘もいる。なんであれ、松尾は撮影する。彼女が「だめ」と言う時でさえ、松尾はありのままにカメラにおさめる。驚くべきことは、女性たちは作品の中では自らについてとてもあけすけで、その多くがセックスの段になっても決してシャイではないことだ。日本の女の子が実際にどうやって考え、何を求めているか知りたければ、多くの洞察がここから得られよう。
松尾は1965年、日本の中央に位置する愛知県に生まれた。高校時代から、松尾はテレビ業界を希望していた。専門学校を卒業すると、松尾は音楽番組制作会社に入った。この仕事には彼は大いに失望させられた。音楽のことを考え、バンドの内面を映像化するかわりに単調な台本を追う日々だった。ひょっとしたら意外でないかもしれないが、会社はほどなく倒産した。失業した松尾は飲み屋で昔からの友人に会う。友人はAVの世界への参加をもちかけた…ここからは彼自身の言葉で語ってもらうとしよう。
2006年の2月に私は東京のファッショナブルなエリアである原宿にある、新しく広々とした松尾のオフィスで彼に会った。ちなみに原宿は日本の若者文化の先端を行くホットスポットとして知られている。