「真犯人の処罰と,無実の人の処罰を防ぐことの2つの要請の間で,どこでバランスを取るかという問題なのではないか。」
「それはバランスの問題ではないし,価値観の問題でもない。答えは決まっている。刑事司法は後者の役割を果たすことを第一次的に期待されている。」
「理想論ではなく,現実の問題の話をしている。一人の無実の処罰を防ぐために,多くの真犯人の処罰を放棄するのか,それとも,真犯人の適正な処罰のためには多少の無実の人の処罰はやむを得ないと考えるのか。」
「そのような発想は根本的におかしい。無辜の処罰を許容する考え方は採れない。」
「目の前で泣いている被害者を無視できるのか。そんなことで社会の治安を守れるのか。」
「被害者の救済や,社会秩序の維持は,司法だけの役割ではない。司法は無辜の処罰はしない。その場合に被害者や社会に問題が残るのであれば,市民や行政が手当をすべきだ。痴漢を防ぐためにはまず電車会社が努力すべきであり,警察も取り締まりを強化すべきだ。行政は被害者の救済に配慮すべきだ。」
「自分が被害者になったときにも同じことがいえるのか。自分の娘が強姦されても。」
「確かに悪質な性犯罪には憤りを感じるし,自分がいつでもその被害者になりうることも自覚している。しかし,同時に,誰もが「被疑者」にもなりうる。」
「それで市民が納得するか。」
「道路の速度制限の問題なら,交通の安全と迅速輸送の要請の間でバランスをとればいいだろう。そして,そのバランスは政策の問題であり,国民の合意が得られる立法をすればいいだろう。しかし,刑事罰は国民の恣意で左右させることは本来的にできない。無辜の処罰をしないことは近代刑事司法の大原則だ。」
「それは理想論だ。現にえん罪事件は起きている。それは,一定の場合には無辜の処罰を許容しつつ,犯罪者の適切な処罰を図っていると言うことなのではないか。」
「実際にえん罪がありうるとしても,それを刑事司法は許容していない。えん罪は刑事司法の病理現象であり,それをいかに防ぐかが課題だ。そして今は,刑事司法の生理現象の話をしているはずだ。」
「裁判員はそれで納得するだろうか」
「むしろ裁判員は,自らが『無辜の処罰』をすることを決して望まないだろう。評議はこれまでの裁判官の合議よりも慎重になると思う。」
「目の前で泣いている多くの被害者を見てきた立場からすれば,多少疑わしい程度で処罰を回避することはできないように思う。」
「警察の立場で,被害者の立場を重視する考えが強いのはよくわかる。警察・検察は被害者や治安の維持のために努力し,弁護人は被告人のために努力し,その上で,裁判所はどのように判断すべきか,という話だ。裁判所は被害者の立場のみを過度に強調することはできない。」
「当然のことだが,警察と裁判所とでは考え方が違うと言うことはよくわかった。」
「それはかなり健全なことだと思う。三者が努力し合うことで,刑事司法がより適切なものになると信じる。」
(注)「バランスの問題だ」と言ったのは財務官僚であり,被害者の立場を強調しているのは警察官僚であり,「無辜の処罰をしない」建前を強調しているのは刑事裁判官及び弁護士である。