はてなキーワード: 石川優実とは
プロ奢られヤーとえらいてんちょうとフェミニストがロフトイベントで揉めてる件追ってたけど
まともなフェミニストとして登壇予定者だった二人が
ちょっとストレスを感じたら業物「セカンドレイプ」と業物「ハラスメント」で斬りかかる危ない剣士みたいな感じになっててちょっと笑ってしまった
えらいてんちょうさんの動画見てきた、セカンドレイプについて話してる動画自体でセカンドレイプしてたのでびっくりした。(セカンドレイプされたくないならロフトとか出ちゃだめ、とかなんでもかんでもセクハラって言われたらセクハラになっちゃうとか)。私が確認しなければいけなかったのは— 石川優実@#KuToo署名中👞👠 (@ishikawa_yumi) 2019年6月10日
ドヌーヴの全訳のブコメで#MeTooを貶してるような人たちが勘違いしてるのがこれなんだけど、#MeToo運動は今まで「ノー」と言えずにハラスメントを受け続けてきた人が今になってやっと「ノー」と言い始めたという現象であって、それに伴い「『ノー』と言っていいんだよ」「『ノー』と言っても不利益を起こさせないよ」という人権を守る運動に発展したわけで。
それに対して、ドヌーヴの宣言文にのっかって「そうそう、最初から『ノー』と言えばいいんだよ」とか「女性でも誰でも『ノー』と言える権利あるのだから今になって告発するのはおかしい」だとか#MeTooを腐してるのは、全くのでたらめでしかない。
「ノー」と告発された行為が業界から追放されたり仕事を失ったりするに値するものであるかどうか、は議論の対象になるべきだが、「それは大したことないから」と言ったりして#MeTooで「ノー」と言う行為を止めさせようとしてはいけない。たとえ「大したことない」と言われようと何だろうと嫌なことには「ノー」ときっぱりと宣言できる。「ノー」ということで人間関係を作っていく。それが#MeTooの理想だ。
#MeTooの文章で一番「これだ」と思ったのがグラビアアイドルで性被害に合い続けたことを告発した石川さんの文章で、これからタレントを目指す人に対して「私は嫌なことにメリットあると思い込んで『ノー』と言えずにきてしまったけど、『ノー』と言ってもデメリットは大したことないから嫌だったら『ノー』と言おう」みたいなエールが書かれていると受け取った。
https://note.mu/ishikawa_yumi/n/n1e73ecf608d1
だから、#MeToo は今まで「ノー」と言えなかった人が「ノー」と言えるようにする運動であって、それに対して「ノーと言えるはずだから」とマッチョ理論を振りかざすのは間違っている。
優実さんの感じた苦しさと悲しさと悔しさ、苦い感情を感じるとともに、自分の経験も思い出す。
いい歳しても、嫌だと言えない。
「帰る」と言ったのにタクシーの奥の席に突っ込まれて、どうやって逃げよう、とずっと緊張してた。ずっと寝て、機嫌悪いふりして、何もさせずにそのまま帰った。
そんな気ないのに言い寄られて、断ったら逆ギレされて謝罪強要されるとか、
その気もないからごまかしごまかし逃げてたのに、待ち伏せされるとか。
断った時、嫌だと言った時に相手から暴力振るわれるんじゃないか、険悪な雰囲気になったらどうしよう、といつもビクビクしている。
自分が安全に暮らすために#MeToo言えないことだってある。
自分が「ヨゴレ」だって見られることは平気。でも安全に暮らす環境をぶち壊してまで#MeToo言いたくない。
男の人は、人の話なんてきいてない。とくに女の人の声は届かないから、最終的にはキレたふりして怒るしか逃げられない。
こういう経験を重ねるたびに、男の人は、私とセックスしたいわけじゃなくて
私とセックスした、という経験を男同士で共有したいために、私に興味があるんだなと実感せざるをえない。
小さい頃、兄に殴られるたび「我慢しなさい、悪いのはあんただ」って大人にずっと言われてきた。
大人になってもずっとその状況が続いてる。
嫌だ、ってどうやったら言えるようになるんだろう。
https://note.mu/ishikawa_yumi/n/n1e73ecf608d1
#Me Too「私も。」石川優実
https://note.mu/ishikawa_yumi/n/n1e73ecf608d1
この方の作品はそのうちの15本くらいしか見たことないけど、そんな気持ちで撮影していたと知って複雑。
たしかに石川優実さんは「はじける満面の笑み!」みたいな表情はあまりしなくて、少し困ったような、どこか憂いを含んだ、陰のあるハニカミみたいな表情がとても魅力的なんです。というか、そこがいい。透き通るような肌の白さともあいまって、女性美の儚さや繊細な心の襞(ひだ)がにじみ出ているような美しい表情なのです。もちろんボディも絶品なのですが。
しかしその表情は、辛さを押し殺していたがゆえにあんなに複雑だったのですね……。
そう考えながらあらためて作品を見直すと、すみません、また別種の興奮が押し寄せてきてしまいました。すみません。本当にすみません。
でも石川優実さん、あなたの作品はどれもが素晴らしい。このような言葉がなぐさめになるかわかりませんが。
ところで、この件で我々IVファンが鋭く注目したポイントはほかにもあります。ここです。
そして、その次からのお仕事は毎回どこかしらでポロリをするものばかりになってしまいました。暗黙の了解のようになっていたと思います。
はい。たしかに石川優実さんの作品は注意深く見るとチクポロがたまにあるのです。あまり好みじゃないシーンだからと早送りしていると絶対に見落とすレベルの一瞬です。
こうした「ポロ」は、石川優実さんの作品に限らずちょいちょいあるのですが、やはりそこには「本来見せてはいけないものがチェック漏れで収録されてしまった。だから見つけるとうれしいし興奮する」という暗黙の前提がありました。公然と脱いでる人の乳首と脱いでない人の乳首は価値が違うのです。
常識的に考えれば作品は編集時に何重にもチェックされるはずなので意図的に入れているに決まっているのですが、そう思って見るのと「事故」と思って見るのとではやはり興奮の度合いが違います。
そして、たまに本当の事故(女性器があらわになっていることが発覚して即回収とか)もあるので、一概にすべてのポロが故意とも言い切れないのがIVファンの一縷の希望でした。あれらはすべて事故であると。
ところが今回「あのポロはわざとだよーん」と出演していた当人の口から語られてしまい、「えっ……」ってなってるIVファンは私を含め多いと思います。夢が壊れてしまったというか。もっとも、石川優実さんの場合は今回の告白によって「当人の望まぬポロ」という別の属性がついてしまったので、それはそれでたいへん結構な価値があるのですが。
さてこの後は私のお気に入りの石川優実さん作品の紹介をしようかとも思ったのですが、本人が「辛かった」と言っていることなのでやめておいたほうがよいかもと思い直し、書くのはやめました。