「いや、発達障害に見えるかどうか?という話ですよね?」
横だけど、それはちがうだろ
・まず3回同じ質問をさせた(つまり2回相手の質問を無視して暴走した)ことをわびろ
って書いてるだけ
おまえが発達障害かどうかなんて話は誰もしてないぞ
ROUND1で遊んでくれる
来年そんなに変わるの?そういう噂があるってこと?
Hanako Yamadaっていう名前で論文書いてきたのにあるとき突然Hanako Saitoになっちゃうと論文読んでるだけの人からは誰やねんってなってしまう。
いや、発達障害に見えるかどうか?
という話ですよね?
あ、わかりました。
という文章は、
「(私ではなく)あなたのほうがこだわりの強いタイプの発達障害に見える」
私には、どう読んでも成り立っていないと思えません
また、今までの会話の流れでも「成り立っている」という前提で意見がだされているのだから、
突然「成り立っていない」という意味の文章を返信し「成り立っていない」という文章そのものも省略しても
伝わるはずがないことは、考えなくてもわかることです
長くて覚えきれないよ😟
あっちの俺はシンガーソングライターでチャートを賑わせてるってさ
あのとき先輩に音楽の道に誘われたとき、断ったのが失敗だったらしい
そのまま誘われて、才能開花させれば上手くいったっぽい
悔しい
あっちの俺は結婚もしてるらしい
シンガーソングライターになる過程で出会ったファンだって
その子のことを思って書いた歌がヒットチャートランクインするなんて、夢のようじゃん
悔しい
家も建てたって
悔しい
悔しい
悔しいーーーー!!!!!
悔しがってたら、明日一日だけ代わってくれるって!!
やったーーーー!!!!!
新しい発見があるかもよ!
毎晩豆腐を食っている。
水でもどしたワカメと塩昆布を上から乗せ、醤油とごま油を垂らして食う。無限に食える。毎晩こればかりだが永遠に食える。
…
さる地方都市に住んでいて、おそらく市内で一番食っているのではないかと思うが、県内だと自信がない。まして国内だと上には上がいる気がする。
そういう気がするのだが、では、普通に食っているレベルの限界で、一番食うやつははたしてどのぐらいなのか?
例えば、極端な話、何かの競技性を帯びて豆腐と接していたり、強迫観念や意地のようなものがあるなら、一日三食豆腐を食い、加えて間食に食ってもいい。
ただ、そんなやつはさすがにいないだろう。無理することなく、なんなら、豆腐をよく食うという意識さえない、そういう意味で言う「普通に食っているレベル」である。
…
一日三食豆腐を食うような生活からは一種の無茶を感じるが、朝夕に冷ややっこを一丁ずつ、これぐらいになると俄然、現実味が増す。
というかたぶんそういうやつはいる。
そこからさらに豆腐の味噌汁を合わせる、ぐらいのことを天然でやっているやつも、わずかだがいるだろう。つええ。勝てねえ。
あと、麻婆豆腐専門店のベテラン従業員とかも、まかないでハンパない量を食っている可能性がある。
さらに、夜はまかないで豆腐を食い、こいつらもまた、朝にしれっと豆腐の味噌汁も食っている可能性がある。
これも、無理なく生活に取り込んでいる豆腐の量が常軌を逸しているパターンである。こういう手合いと話をする機会があって、
「夕飯は毎日麻婆豆腐なんですよ~」とかつって、手ごわい、と冷や汗をかきつつもそうなんですか、とか言って、じゃあ朝飯は毎日何食ってるんですか、と
尋ねたら、えーと、豆腐のお味噌汁と…って、これも豆腐ですね~、とか朗らかに笑われたときの敗北感はすごいだろう。
対抗するには俺も豆腐の味噌汁を食うしかないが、趣旨がおかしいのであって、そこまでは豆腐を食いたくない。
…
俺にとっては、夕飯に一丁の冷ややっこ、俺にとってこれが「豆腐」なんだ。俺は「これ」なんだ、これでいいんだ、とスポーツ漫画の1.5流のように、
憑き物が落ちた顔で笑う。
というかこの世の豆腐は冷ややっこか麻婆豆腐か味噌汁しかないのか。そんなはずはないが、自然に食っているやつの限界は
どこなのか知りたいと思っている。